#1271/1336 短編
★タイトル (PRN ) 00/ 6/25 18:46 (172)
■みんな死んでいた 已岬佳泰
★内容
(問題編)
シカゴ市警のデニス警部は、その緊急通報がパラタイン地区からだと聞いて、
ちょっと気が重くなった。しかも、東洋人が4人も死んでいるという。パラタ
イン地区といえば、つい最近、大がかりなIRS(歳入局)の監査があり、ア
ジア系企業が軒並み追徴課税を宣告されたばかりだった。個人所得についても
同様だったと聞く。
捜査への協力をあまり期待できそうになかった。
「それでもさ、パトカーと見ればいきなり銃撃されるサウス地区よりはマシか
もよ」
部下のキャシー(刑事)にそう言われて、しぶしぶパトカーに乗り込む。
「ちゃんと英語の通じる発見者だと良いけどな」
デニスはもう一言、文句を吐き出してから、パトカーを粉雪の舞うシカゴ大
通りへと発進させた。
事件現場はパラタイン地区西、川沿いのこぢんまりした住宅地で、言われた
通りに目印の小さなもみの木の角を曲がると、薄青にペイントされた一軒家が
見えてきた。2階建てでテラスには洗濯物が風に揺れている。
「雪模様だっていうのに、外に出しっぱなしだ。あんなことをして近所からク
レームが出ないのかいな」
「このあたりはみんなああいう習慣じゃないの? ほら」
ちょっと離れた5階建てのコンドの窓からも、部屋の中に下着らしいものが
ぶら下がっているのが見えた。
「ああ、確かに。窓のカーテンも開けっぴろげだし、ちょっとしたカルチャー
ショックだな」
問題の一軒家では、玄関を入ったところで、太った制服警官と背の低い東洋
人の女が眉を寄せていた。家の中は充分すぎるほど暖房が効いていたが、厚手
のコートを着たまま、デニスとキャシーは市警バッチを女に見せた。女が頷く。
「カズエ・カネハラ、この家に住んでいます」
その発音を聞いて、デニスの第1の不安はとりあえず解消された。
「よかったわね、英語で事情聴取ができそうよ」とキャシーがすかさずウィン
クする。
「ああ、心から嬉しいよ。幸運を神に感謝しよう。だが尋問よりも、まず現場
を見ようか」
「中で4人死んでいます。それぞれ別々にですが。みんな東洋人・・・いや、
正しくは日本人のようです」
太った制服警官、ジョンが説明した。彼はパラタイン地区の警ら係だった。
「別々にっていうのはどういう意味?」
キャシーが手袋をはめながら尋ねた。キャシーの大きな青い目に見つめられ
ると犯罪者ですら一瞬息を詰めると言われている。例に漏れず、ジョンも思わ
ず息を飲んでしまった。
「は、はい、4人はそれぞれ、別々の部屋のベッドの上で死んでいるというこ
とであります」
「そう」
直立不動の姿勢になったジョンに相づちを打つと、キャシーはデニスを見た。
「第1発見者は?」とデニス。
「私です」ジョンの後ろから、さきほどの東洋人の女、ミセス・カネハラが声
を張り上げた。「今朝、友人の家から帰ってきたら、主人がベッドの上で死ん
でました。それで警察に電話したのです」
英国訛りのアクセントだった。デニスが鼻を鳴らす。すかさず、ジョンが後
を継いだ。
「それで私が駆けつけまして、ユキヒデ・カネハラ、彼がミセス・カネハラの
夫ですが、彼の他にゲストルームのベッドの上で、あと3人の男が死んでいる
のを発見しました。名前が、一人目はカツキチ・タケシタ、二人目が・・・」
「ジョン! 名前は紙に書いて寄越してくれ。東洋人の名前なんて一度聞いた
だけではとてもじゃないが、覚えられる気がしないんだ」
「イエスサー」
ジョンがまた直立不動に固まった。
「これはなんだ?」
デニスがベッドルームのドアのところで素っ頓狂な声を上げた。なんとドア
の取っ手のところが破り取られたように、穴があいてしまっているのだ。
「壊して入ったのね」とキャシー。
「そんなことはひとめ見れば分かる。問題は何故かっていうことさ。おい、ジ
ョン、ドアを壊したのはきみか?」
デニスが振り向くやいなや、飛び上がるようにしてジョンが走ってきた。
「はい、小官が駆けつけたときには、これらのゲストルームのドアはすべての
部屋に内側からかかっておりまして、しかも、ロックバーまでがしっかりと下
りていまして、押しても引いてもぴくりとも動きませんでした。ゲストルーム
には客が泊まっているはずだとミセス・カネハラが言うのですが、ドアをノッ
クしてもまったく返事がありませんでしたので、やむなく、ドアを打ち壊して
中に入りました」
「まるでホラー映画みたいな壊し方ね、一体何を使ったの」
「パトカー備え付けの斧であります」
「斧・・・」
そんなものがパトカーに積んであったけ、とデニスとキャシーは思わず顔を
見合わせた。
ベッドの上の死者たちは穏やかな顔をしていた。いくら表情の少ない東洋人
であっても、たとえば毒殺だったりしたら、もっと苦しげな顔をしていてもよ
いはずだった。
「毒を飲まされた、というわけではなさそうね」
鑑識班がなかなか到着しないので、デニスとキャシーはできる限り部屋の中
には手を触れないようにしながら、見て回る。だが、部屋は片付いており、特
に目に付くものはなかった。4人はパジャマをちゃんと着ており、衣類に乱れ
もなかった。ミセス・カネハラの夫、ユキヒデの手首に小さな青あざが見つか
った以外には、外傷らしきものもまったく見あたらなかった。しかし、4人と
も間違いなく言切れていた。
「まるで眠りこんだら、そのまま死んでしまったって感じ。自然死か病死って
いうところかしら。4人が揃って一晩の内に病死してしまうというのは変だけ
ど。でも、殺されたっていう証拠も見つからないし、なんだかわたしたちの出
番じゃないみたい」
ひととおり調べ終わってから、キャシーが呟いた。しかし、デニスはキャシ
ーの意見に同意しなかった。
「これを見ろ、キャシー」
デニスは死人の指先を示している。やや黒ずんでいた。
「これは・・・」
「そう。これは殺人の可能性が高いな」
「でも、全部の部屋には内側から鍵がかかっていたというのよ。いったい誰が、
どうやって4人を殺せたって言うの? それに仮に殺せたとして、犯人はどう
やって姿をくらませたわけ?」
キャシーがデニスの顔をまじまじと見つめて、質問を繰り出してきた。デニ
スは即答せずに、キャシーを促して部屋を出た。
「奥さん、ポップあります? のどが渇いてしまって」
鑑識班の到着を待つ間、厚手のコートを脱いで、居間に座り込んだデニスは
飲み物を頼んだ。キャシーが驚いた。事件の関係者に便宜を図ってもらっては
いけないというのは捜査上の最低限のルールだったはず。
「デニス、どういうつもりなの?」
キャシーが咎める。今度はデニスがウィンクする番だった。
「ああ、ちょっと待ってください」
ミセス・カネハラはそんなことには無頓着に、さっさと立ち上がるとキッチ
ンへと入った。ところが、そのままなかなか戻ってこない。デニスがキャシー
に目配せした。
「アイスポップじゃ飲めないわね」
ミセス・カネハラは、キッチンに入ってきたキャシーに観念したような顔を
向けた。手にしたポップのペットボトルを傾けても、中味は詰まっているのに
コップへは何も流れてこない。
「ボトルを破って、ポップキャンデーにすれば?」
そう言いながら、キャシーはそこで初めて、4人の男たちがどうやって殺さ
れたかを悟ったのだった。
(問題編・終わり)
■みんな死んでいた 已岬佳泰
(解決編)
「まあ、彼女の失敗は警察に早く連絡しすぎたことだ。冷蔵庫に入れたままの
ポップがまだ溶けていなかった。冷蔵庫では氷が溶けにくいことにまでは気が
回らなかったのだな」
デニスはそう言いながら、パトカーを運転して本署に引き返していた。ミセ
ス・カネハラはパラタイン所轄の刑事に引き渡した後だ。
「彼女は夜の内にヒーティング用のボイラーを切ってしまったのね。それであ
の家の温度が下がって、4人は凍死した」
「そういうことだ。毒殺でも病死でもない。凍死だ。あの黒ずんだ指先は、凍
傷の兆しだった。彼女は友人の家に行ってアリバイ作りをしてから、戻った。
そして家中のヒーティングを入れて部屋を暖めたのだが、残念ながら冷蔵庫の
中にまでは頭が回らなかった」
「でも冷蔵庫に入れたポップがあんなに簡単に凍ってしまうものなの」
「そうさ、冷蔵庫というと庫内を一定温度に保ってくれそうに思うけど、家庭
用の冷蔵庫はフロンガスの気化熱を使っているわけで、冷やす能力しかないか
らね。庫外の温度が冷蔵庫の設定温度以下に下がったら、中を暖める機能はな
いんだな」
「そうか。直接の殺人犯はシカゴの寒さだったというわけね。それにしても、
毎晩飲み明かしてばかりの夫とその友人たちを、いくら頭に来たからって、殺
そうとするかしらね」
「さあね。彼女は風邪でも引かせて、懲らしめてやるつもりだったと言ってる。
案外それだけの軽い気持ちだったのかもしれない。でも、酔っぱらって眠りこ
んだところに、シカゴの2月の寒さだ」
「昨日の夜はどのくらいまで下がったのかしら」
「零下20度(華氏)くらいだよ。ま、暖房無しで眠り込んだら、間違いなく
あの世行きだね」
「でも、デニス警部はどうしてそのことに気づいたわけ?」
「テラスにぶら下がっていた洗濯物さ。いくらなんでも、雪の日に外にぶら下
げているのは変だろ。近くのコンドだって、干していたのは部屋の中だ。たぶ
ん、彼女は洗濯物を取り込むのを失念した。つまり、そのくらい精神的に動揺
する理由があったと思ったわけだ」
「ははーん。それでミセス・カネハラを疑ったわけ?」
「そういうこと」
「何よ、カルチャーショックだなんて、とぼけたこと言ってたくせに」
「いや、シカゴの寒さを利用するなんて、大したカルチャーショックさ」
デニスはそういうと、急に寒気を覚えたように身震いをした。
相変わらず、シカゴ大通りには粉雪が降り続いていた。粉雪・・・気温が低
すぎて雪の結晶がさらさらになって降り続く、厳寒のシカゴ特有の雪だった。
(みんな死んでいた・了)