AWC お題>『浪漫飛行』 …… PAPAZ


        
#1099/1336 短編
★タイトル (KSM     )  98/ 9/14  19:47  (114)
お題>『浪漫飛行』  ……  PAPAZ
★内容

   『浪漫飛行』

 電飾看板の波をさまよい、毒々しいネオン管が瞬くビル群を分け入るのは、雑踏に
紛れ、個人が消えていく感覚を味わいたいからではないか?
 そう考えるときもある。
 宇宙開発事業団の歯車のひとつのくせに、これ以上の無人格に憧れるのか? 胸の
中に、ささやくもう一人の自分がいる。
 見上げても、林立した高層ビルと薄汚れたスモッグのせいで月明かりすら感じられ
ない。立ち止まれば、浮かれた若者達と肩をぶつけ、無表情で頭を下げる自分がいる。
 電信柱の消えた路地裏に迷い込み、初見のスナックに入ったのは単なる気まぐれに
すぎない。ジャンクショップで手に入れたアンティークなのか、木製の厚いドアを開
けると兆番がきしんだ。閉じるときに音声合成された女性の声で「いらっしゃいま
せ」と鳴る。
 店内は10人掛けのカウンターがひとつ。ボックス席が4つ。天井に埋め込まれた
ダウンライトの光は薄暗く、カウンター奥の棚で煌めいているグラスとボトルだけが
スポットライトを当てられて妙に浮いている。
 湿度が高いのか、無意識のうちに背広からハンカチを取り出し、額にあてていた。
マスターは見たところ40代の陰気な男だ。私に一瞥の視線を投げかけ、顎で着席を
促す。他に客はいない。ハンカチを仕舞いながら、左右に視線を走らせた。
 カウンターの右隅にテレビがあり、画面の中で裸の女性が音量を絞ったサンバに合
わせて踊っている。
「景気はどう?」
 沈黙が気まずくて私から声をかけた。尻をずらして椅子に腰掛けなおすが、座りが
悪い。ズボンが大腿部に張り付き、指先でつまみ引き離してみる。
 マスターは肩をすくめ、なににします?、とハスキーな声で尋ねた。
 私は壁にかけてあるメニューから、サントリーの山崎を選んだ。
「あれが来てからというもの、景気がいいのか悪いのか、なんだかさっぱり分かりま
せんなあ」
 マスターは人ごとのようにいう。
「確かにねえ」
 確かにその通りだ。好景気と不況の波が極端に狭いのだ。もっとも、この時代に安
定する方がおかしいのだが。
「この店にも来るんですよ。金払いはいいんですけどねえ。……他の客は来なくなり
ますから。こうなったら専門店にしちゃいますか?」
 マスターが声をあげて笑った。口ひげが揺れ、そりあがった頭部が光を乱反射する。
つられて私も自虐的に笑った。
 一陣の風とともにドアが開いた。
 マスターの顔がこわばり、目から生きているというシグナルが消えた。音声合成さ
れた女性の声が、空々しく響く。
「あっ、どうも……」
 マスターの挨拶と入れ替えに、グラスと氷、それに山崎のボトルが目の前に置かれ
た。テレビ画面に『AQ?』の文字が走る。次いで『YES』と表示された。
 なんということはない。あいつが来たのだ。
 通称、進駐軍。
 コードネーム、AQ。アンドロメダ・クエッションの略称だ。あいつらは故郷の惑
星がどこだかを教えない。ただ今までの観測データからアンドロメダが故郷銀河だと
推測されている。やつらは月と地球のラムランジェ・ポイントに停船し、今も居座り
続けている。すべての地球人が、地球外生命体が存在している、と認識した初めての
種族がAQだ。
「なににいたしましょう?」
 横からマスターの声が聞こえる。私はまっすぐ前を見つめていた。AQがカウンター
に座ったのを鼻につく刺激臭で感じる。
『ア・ル・コ・ル』
「分かりました。すぐにご用意いたします」
『タ・ノ・ム』
 機械的に翻訳されたAQの言葉は、テレビ画面から聞こえてくる。可聴域から逸脱
した音声は生身の人間には届かない。やつらの体に埋め込んだアニマルチップ(コン
ピューターチップと電磁コイル)が、この店のシステムをAQ用に同調させ機械翻訳
さているのだ。もちろんAQ用の話者認識ソフトを人類が開発したわけではない。提
供されただけなのだ。
 湿度が高かったのも、今ではうなずける。人間のような炭素型の生命体より、メタ
ン生物として進化したAQのほうが乾燥に弱いのだ。この店も、すでに人間ではなく、
地球外生命体に販売戦略が向いていたわけだ。
 マスターと視線が絡む。お互い、気まずそうに微笑んだ。
 自分の横に地球外生命体が座っている。今となっては日常的ともいえる風景だが、
どうしてもなじめない。棚に置かれたグラスの中で、AQの姿が映っている。紙粘土
にへらで筋をいれたような口と目、無髪で銀色の皮膚……それがいま、変容をとげは
じめている。柔らかな女性へと変態をはじめているのだ。
 私は目を閉じ、沈黙と低音量のサンバ、それに自分の呼吸音に耳を傾けた。
 マスターから低いうめき声が漏れる。
 AQが変化したのは、マスターにゆかりのある人物だったらしい。
「な、なんか景気の良い話って、ないでしょうか?」
 マスターがどもる。
 銀色の皮膚と銀色の髪を持つ、それでいて地球人にそっくり化ける能力。AQが地
球人に受け入れられた理由のひとつは、これだ。意識的か無意識的かわからないが、
存在していてほしいと思う人物にメタモールフォーゼする能力――周りにいる人物の
中でもっとも、それを願う者の願いを叶える力――それゆえに憎まれもした。彼らは
一瞬の幻影を与えはするが、それは刹那の夢に過ぎないのだ。
『ケ・イ・キデスカ? チキュウジョウカ……計画が、もうすぐ発動します』
 話者認識が、個体AQの音素を学習したらしい。変換がスムーズになり音声合成に
も違和感がなくなっている。景気という概念を彼らがどう理解しているのか分からな
い。彼らの経済は全体主義と呼べるほど、発展しているからだ。資本主義的な概念を
どう理解しているのだろうか?
 私は目を開けた。クレジットカードをカウンターに置き、マスターに目で合図する。
「会計、頼む。明日は忙しいんだ」
「あっ、はい」
 マスターがクレジットカードを手に取り、私に返してよこした。電子キャッシュの
決済は一瞬で終わる。
 帰ろうと振り返るとき、AQと目があった。彼女は私の亡き妻に変態していた。
『さようなら』ざらついたAQの声。妻はもっと鈴(りん)とした声だった。
 私は小さく会釈して、店を出た。ドアから「ありがとうございました」と、作り物
の声が追いすがった。
 小路を抜け、メインストリートにでると、安堵の吐息が漏れた。歪んだ視界で自分
が泣いていることに気がついた。
 成人式を迎えることなく、病で旅立った妻が、銀色の表情で店にいた。ベッドの中、
最後の声にならない声は、何を告げていたのだろう?
 サヨウナラ? アリガトウ? それとも……。
 頭を振り、ハンカチで想い出をぬぐい去る。
 周りから歓声がわき上がり、つられて天を見上げた。
 スモッグが晴れ、子供の時分に見た星空が浮かび上がっている。ひときわ輝く星、
それが月だった。月と地球の間にAQの母船が浮かんでいる。生身では見ることもで
きないが、何故か見えるような気がした。
 大きく息を吐き出し、地下ステーションの入り口に向けて歩き始めた。
 私は宇宙開発事業団の一員だ。明日はベガに向けて、初の有人宇宙飛行を敢行する。
 尖柱のようなベクター型スターシップは人類が太陽系から飛び出す、ほんの一歩に
過ぎない。第二、第三のスターシップが人類の夢を乗せて旅立つだろう。いつかは、
AQのように地球外生命体の存在する星に到着する。
 スターシップが宇宙空間を疾走するイメージは快いものがあった。どこまでも高く、
高く、そして遠くに飛んでいく。
 異銀河の行き着く果ての星で、妻にあえる、そんな妄想が私の中に浮かんでいた。


  -- 了 --




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