AWC 一歩先行く二人   寺嶋公香


        
#974/1336 短編
★タイトル (AZA     )  97/12/31  18:57  (200)
一歩先行く二人   寺嶋公香
★内容
 彼と彼女が中学に入学したばかりの、四月のことだった。
「涼原さんて、凄いわね」
 二人きりの帰り道、後ろを行く前田にそう振られたとき、立島はすぐに何の
話なのか分かった。でも、とぼけてみせる。
「凄いって、何がだ?」
「さっきのファッション雑誌の話よ。突然頼まれて緊張したはずなのに、ちゃ
んとモデルらしく写っていたと思うわ。立島君だってそう思ったんでしょ?」
「思った。思ったけど、それ以上に悔しいな」
 真顔で言って、相手へゆっくりと振り返る。
「うん? 悔しいって今言った?」
「ああ、言った」
「……どういう意味なのか、分からない」
 しばらく考えてから、首を傾げる前田。眉の上辺りで切り揃えられた髪が揺れ、
おでこが覗く。
「前田さんがあのとき来てたら、選ばれたのは涼原さんじゃなかったはずだ」
「よく言うわ」
 即座に呆れられた。
 頭の回転が速いのはいいのだが、速すぎるのも……と立島は思う。
(ちぇ。少しぐらい言葉を噛みしめてくれないかな。それから、僕が言ったの
は自分のことだったんだと気付いて、恥ずかしがるぐらい、あってもいいのに)
「仮に、万が一よ、私が頼まれたって、あとで親が怒るに決まってるから無理
よ。最初から断るわ」
「そうか。だけど、前にも言ったけれど、一度ぐらい載ってみても」
「私も前にも言いました。私は嫌なんだけどな。そこまで言うのなら人気アイ
ドルになって、大勢の男の子に騒がれるようになってみようか?」
 立島は即答できなかったのをごまかそうと、聞き取れなかったふりをする。
「え? 何て?」
「ふふ、何でもないわ」
 立島の心の動きを知ってか知らずか、前田は簡単に矛先を収めた。そして少
し早歩きをし、立島の横に追いついてきた。急に殊勝な口振りになっていた。
「それよりも、風紀委員になったこと、許してくれる? ごめんね」
「何で謝るんだ?」
「だって、立島君がクラブ活動、何にするか決めない内に……。運動部系だっ
たら私、早朝の練習を見に行けなくなる」
「そんなの、いいじゃないか」
 言い捨てると、隣を行く前田がうつむくのが分かった。慌てて付け足す。
「朝練があるとき、時間が重なるだろうから、一緒に登校できるじゃないか」
「そうよね」
 笑って答える前田。立ち直りも早いらしい。
「それで立島君。結局、クラブはどこにするつもり?」
「バスケ、かな……。身長、どうかと思うけど。やれるだけ、やってみたい」
「そう。私も入れるんだったら、入るから。頑張って!」
 花が咲いたように、前田は満面の笑みを浮かべる。女の子同士で喋っている
ときでさえ滅多に見せないような。立島は嬉しくなり、大真面目に言い切った。
「ああ。決まってるだろ」

 彼らの仲が本格的になったきっかけは、ありきたりではあるがバレンタイン
デー。今から遡ること数ヶ月。小学生最後の年の二月十四日。
 立島は家に戻ってから、もらったチョコレートの中にいつもの分がないこと
に気付いた。くれて当然と思っている相手からのプレゼントが見つからない。
「あれ、おっかしいな」
 部屋には自分一人しかいないのに、思わずつぶやいてしまうほど、意外感に
包まれる。
(……まさか落としたか? 雪のせいで、すっ転びそうになったもんな。ちぇ、
どじったかも)
 一度思い付いた不安はどんどん膨らみ、居ても立ってもいられなくなる。
(通学路、調べて来ないと)
 思い立つなり、玄関に向かった。
 と、そこへ電話。たまたま近くを走り抜けようとしていた立島が出る。
「はい、立島です。どちら様ですか?」
「−−立島君? 私です、前田」
 相手の声を聞いて、まさしく心拍数が上がった立島。テレパシーでも通じた
のかと思った。
「ああ。何の用?」
 平静を装い、気軽な口調を心がける。
「これから、公園まで来てほしいの。お願いできる?」
「公園? どこ? まさか、学校の近くの」
「そうよ。学校帰りにしようかと思ったんだけど……人が多くて」
「……そ、そうか。分かった。すぐ行く」
 察しがついた。
 はやる気持ちを抑えつつ、電話を切り上げると、玄関へ急ぐ。
(今年のバレンタイン、いつもと違うぜ! −−多分)

 そして、初めて手渡しでもらったのが、大きな本命チョコだった。
 同時に声で伝えられた。
「私と、その、付き合ってみてほしいんだけれど……だめ?」
 立島の答は決まっていた。
 なのに、変な意識が働いてしまったのだ。
「……いきなりだなぁ。時間をくれよ」
「時間て、いつぐらいになったら、返事もらえる?」
 一瞬、悲しそうに目を伏せた前田は、小さな声で続けて聞いてきた。
「そ、そうだな。せめて、ホワイトデーぐらいまでは時間がほしいな」
 一ヶ月と言わず、ホワイトデーという言葉を使ったところに、すでに気持ち
は込められていたのだが。
「ホワイトデーね。うん、分かった」
 うなずきもせずに固い調子でそう言った前田は、きびすを素早く返し、瞬く
間に走り去ってしまった。
 そう、声をかけることさえも叶わず、雪の解けかかる道の向こうへ。

 モデルの撮影現場見学に前田が来なかったのは、このときのことが気まずか
ったわけでは決してなく、本当に用事があったから。
 それでも二人の仲は、いくらかよそよそしくなってしまった。
 これまでは自然と接せられたのが、ぎこちないものに。
 前田がクラス委員長、立島が副委員長だけに、言葉を交わす機会はいくらで
もやって来る。しかしどこかぎくしゃく。
(これが続くのはたまんねえぞ……ホワイトデーなんて言わず、すぐ返事すれ
ばよかったな)
 他の男子から、「おまえ、何だかぼーっとしてるんじゃないか?」と訝られ
ることも多くなっていた。
(しっかしなぁ、男が一度言ったことを翻すなんてできるもんか。約束した日
より早く返事する、それもオーケーを出すなんて、みっともないぜ!)
 そんな気持ちが勝る。
 だから、二月十四日から三月十四日までの一ヶ月間は、立島には特別に長く
感じられた。もしかすると、彼女と普通に話せていたこの数年間よりも長いよ
うに思えたかもしれない。
 そしてやっと迎えた三月十四日の朝。学校に向かう間、立島の内に生まれた
緊張感はどんどん高まって、話しかけられても返事できなくなるほど。
 それでも学校の校門をくぐったら、落ち着いた。
(よし、ばっちり、決めてやる)
 勇躍、六年二組の教室に入ったが、前田の姿がない。気抜けした立島だった
が、何も顔を合わせた途端、返答しなきゃいけないわけでもない。あれこれと
決め台詞を考えながら、ひとまず、前田が来るのを待とうと腹を据えた。
 ところが−−その日、前田は学校を休んだ。風邪、という話だった。
(ひょっとして、ずる休み? バレンタインのときに答をはぐらかした俺のこ
と、嫌いになったのかも……)
 立島にしては珍しく弱気になっていた。
 その弱気と、こっちから電話をかけたり見舞ったりするのは浅ましいという
思いもあって、ホワイトデー当日は前田に対して何も行動を起こさなかった。
(前田さんが嘘ついて休むわけがない。明日言えばいいさ)
 と、気を取り直した立島だったが。
 翌日、前田は確かに学校に来た。
「風邪はもう治った?」
 他の女子と楽しそうに喋っているところへ、立島が声をかける。
 すると前田は嫌々をするように首を振って「ええ」と短く答えると、そそく
さとその場から去ってしまったのだ。
「あらら、立島君。前田さんと喧嘩でもしたの?」
 残った女子達がそんな風に冷やかしてきたが、立島にはどうでもよかった。
(どうしてだよ? 別に、ここで今すぐ、返事をしようってんじゃないだ。何
で……本当に俺のこと、嫌いになったのか?)
 大げさでなく、ハンマーで胸板を殴られたようなショック。
 気持ちを表に出さずに(出せずに?)、立島はその日ずっと悩んでいた。

 答は小学校の卒業式当日に、先方から飛び込んできた。
 前田からの「気持ちよく卒業式を迎えたいから」という電話による前置きが
あって、この日の朝早く学校で、立島は彼女と二人きりで会った。
「逃げてばっかりで、ごめんなさい」
 会うなり、頭を下げてきた前田に、立島はどう対応していいのか分からなく
なって困った。しばらくぶりに昔みたいな会話のできる機会が持てたと思った
ら、いきなりこれだ。
(逃げてた……とはつまり俺から逃げてたって訳であり、何で逃げてたかとい
うと俺からの返事を聞きたくなかった、かな?)
 立島は胸中、必死に考えながら、まだ頭を下げたままの相手を見つめる。
「前田さん、とにかく顔を起こしてよ」
 そう口走ってから、あれ?と戸惑いを感じる立島。
(二人きりのとき、俺がこんな話し方をしたのは、今日が初めてかもしれない)
 立島の狼狽を気付かぬ様子で、前田が面を上げた。ほんの少し、目の色が赤
くなっているような。
「さっきのは、返事を聞かないでいた、聞きたくなかったという意味だよね? 
それは想像できたんだけど、理由も言ってくれなくちゃ、全部は分からない」
「だって、恐かったから」
 前田は立島との距離を縮めた。前田の持つ手提げ鞄が、立島の膝にそっと触
れる程度まで。
「恐いって、何が?」
 予想もしていない言葉に、息を飲む立島。対する前田の方は彼にまじまじと
見返されたのが恥ずかしいのか、うつむいてから口を開く。
「きっと断られるに違いないと思った。それを聞くのが恐くて」
「な……何でだよ」
 やっと普段の口調に戻って、立島は前田の顔を覗き込もうと腰を折る。
 前田も応じて再び顔を起こしたので、お互い見つめ合う格好になった。
「誰が断るって? 俺が断るなんて……あるはずないじゃないか」
 喋る内に照れてきてしまう。だが、立島は視線だけは逸らさずにいた。
「じゃ、じゃあ」
「こっちからもお願いする。付き合ってくれ、これからずっと」
 立島の返事は魔法の呪文であった。前田の表情に見る間に笑みがさし、明る
くなる。生き生きした彼女の様子につられて、立島も笑った。
 最初の感激が去る頃になって、立島は改めて尋ねてみた。
「まじな話、どうして俺が断るなんて思ったんだよ。分かりそうなもんだぜ」
「もてるからいけないのよ。バレンタインチョコだっていっぱいもらってたし」
「それは……毎度のことだろう。今さら気にされても、俺にどうしろと」
 痛いところをつかれ、弱腰になるのを自覚する立島。
 この幸せな今、追い打ちをかけるつもりはないのだろうが、前田は続ける。
「一番堪えたのはね、涼原さんがモデルをした話、してくれたでしょう?」
「あ、ああ。そんなこともあったっけな」
「あのとき、涼原さんがどんなにきれいでかわいかったかを力説したじゃない。
涼原さんのこと、好きになったんだって思ったわ。そう言えば去年の学園祭の
劇のときも立島君、彼女に凄く気を遣っていたのを思い出したし……」
「そんな。あれはそういうつもりで言ったんじゃなくて」
 しどろもどろになりつつも、立島はようやく合点が行った。モデルの代役を
務めた涼原さんを褒めちぎったことは、彼の記憶に新しい。
「男ってのはなあ、好きな女の子にはもっときれいになってほしいんだよ」
「それって、私にもファッションモデルみたいなことをしてほしいってこと?」
 前田の声が高くなる。立島が「そうだよっ」と答えると、とうとう悲鳴まで
上げてしまった。
「嬉しいっ! でも、涼原さんとモデルで張り合っても負けちゃうかもしれな
いから、何か別のことできれいになってみせる!」
「俺は前田さんが一番だと思う」
 抱きしめるチャンスかもしれない。ふと、脳裏によぎる考え。
「そう言ってくれるだけで充分よ。私も同じ気持ちよ。−−あ、時間」
 立島の腕からすり抜けるようにして、前田は運動場脇に立つ時計を指差した。
「委員長と副委員長が遅れたら洒落にならないわね。急ぎましょ」
「あ、ああ。そうしよう、か……」
 駆け出した前田のあとを追いながら、立島は舌打ち。ここ一ヶ月ほどの悩み
は解消されたが、新たな欲求不満が生まれたかもしれない。
「ああ、よかったわ。これですっきりして、卒業式を迎えられる!」
 肩越しに振り返る前田を見ていると、今日は入学式の間違いでないかと錯覚
しそうになる。
 小学校を巣立つ記念すべき日に、女心って難しいなと強く思った立島だった。
片想いに悩む男子より自分は幸せだなんて自覚は、まるでないに違いない。

−−『一歩先行く二人 〜 そばにいるだけで番外編 〜』おわり



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