#952/1336 短編
★タイトル (ZBF ) 97/12/ 4 18:59 ( 77)
伊井暇幻読本・南総里見八犬伝 「ご案内」
★内容
本シリーズは「伊井暇幻訳・南総里見八犬伝」準備のため執筆しました。八
犬伝中の、気になる語句、現象について妄想を膨らませつつ、解釈しようとい
うものです。初回は「変成男子(へんじょうだんし)番外編」であります。シ
リーズを番外編から始めるのもナンですが、まだ本編を一つも書いていません
ので。ちなみに本編でも「変成男子」を予定しています。
ここでは暫く、『和漢三才図会略』(正徳三年、寺島良安:以下『和漢三才
図会』)を使って遊びます。『和漢三才図会』は江戸時代中期に、大阪の医家
が和漢の書物を引いて編んだ百科事典です。正徳二年に記した「自序」で著者
は、医者である以上は診断/治療のため森羅万象に通じていなければならず、
そのため三十有余年を費やして研究を続けた、と言っています。そんなことを
していたら、本業の医家は疎かになるんじゃないかと心配ですが、この寺島良
安、学問の世界では名を成した人のようです。当時、学問の世界で最高権威は
江戸幕府の学問所ですけれども、そこの責任者、林大学頭(はやしだいがくの
かみ)藤原信篤が同書に序文を寄せています。肩書きは、法橋。すなわち八段
階ある僧位(僧侶の位階)のうち三番目に当たる身分を有する名士でもありま
した。この法橋までの三位階を「僧綱(そうごう)」と言いまして、言うなれ
ば僧侶界の貴族に当たります。肩書きだけは、なかなか偉いのです。
この『和漢三才図会』は江戸期後半、権威ある知の集積、拠り所として扱わ
れたようです。『南総里見八犬伝』にも引用されています。もちろん現代の百
科全書と違って、妖怪変化に類するものが紹介されていたり、怪しい話も満載
されておりまして、すべてをすべて信ずるにわけにもまいりませんが。しかし、
そこはそれ、考えようであります。言はば、現代の科学的知識の集積たる百科
事典と、文学上の空想百科事典が一冊になっているだけのことであります。客
観的事実と空想が渾然と混じりあっているだけのことです。即ち、人々が世界
を如何に認識していたか、という情報を満載しているのです。「事実として如
何であるか」などというのではなく、「如何に考え感じてきたか」を紹介して
いるワケです。ですから、空想の入り込む余地のない身近なモノについては比
較的淡々と事実のみ記していますが、いやそれとて少し油断したら怪しいこと
も書いてますけど、遠い国々についての記述に至っては、「体に穴が開いてい
て其処に棒を通して運んでもらう人々」とか「その国の男は頭が犬で体は人間。
女は普通の人間」とか、信じがたいことどもを紹介しています。
本シリーズでネタ本といたしましたのは、和漢三才図会刊行委員会編集(東
京美術社 昭和四十五年三月三十一日初版 昭和五十年九月二十日第四版)で
す。原本を謄写した二巻本で、表記は漢文です。もし、本シリーズについて参
照、確認される方は、口語訳された東洋文庫版(平凡社)が便利かと思います。
また、本シリーズでは、語句解釈に「五行説」を多用します。この五行説は
前近代日本において一種のパラダイムであった理論体系です。仏教や道教、日
本古来の神祇と結びつき、文化の理解の上で重要な要素となっています。簡単
に言えば、世界を構成する要素を「木」「火」「土」「金」「水」の五つと考
え、それらの結合や反発によって森羅万象が起こるという、考え方です。この
考え方が、世界の物質/現象を「陰」と「陽」に分けて考える「陰陽説(おん
みょうせつ)」と結び付き、「陰陽五行説」として展開しました。こういった
世界観は中国で生まれたものですが、早くから日本にも輸入され、『日本書紀』
などの古い歴史書にも色濃く反映されています。反映というより、もしかした
ら、「日本書紀」は、この陰陽五行説に即するよう事実を捏造して書かれた部
分が多いのかも知れません。また、この陰陽五行説は、前近代の知識人だけで
なく、庶民にも広がっていました。暦や祭り、各種の年中行事を理論づけてい
たのが、陰陽五行説だからです。
この五行説が意識と肉体に浸透していた前近代の日本人が、南総里見八犬伝
を読んだ場合、現代人とは違った印象を受けたことでしょう。例えば、主人公
たちが苦境に立たされ路頭に迷ったとき、逃げ込むのは決まって「白屋(あず
まや)」です。五行説は物質のみならず人の家系すら五気に分類するのですが、
主人公らが拠る里見家は源氏、すなわち「金気」の氏族なのです。この「金気」
には、色で言えば「白」を配当します。ですから八犬伝で主人公たちが「白屋」
に入ると、決まって物語が好転するのです。
もう一つ例を挙げますと、八犬伝の冒頭で、主人公の一人が敗北して戦場か
ら脱出しますが、追手と遭遇し蹴散らす場所が、「ヒノキ林」なのです。地名
とも考えられませんし、「雑木林」でも「松林」でも、何なら「お花畑」でも
良い筈なのに、「ヒノキ林」なのです。変なのは、漢字で書くと「桧林」ぐら
いになる筈なのですが、「火退林」という酷い宛字を使っている点です。名詮
自性、名が本体の性質を如実に表現している、という考え方に立つ南総里見八
犬伝ですので、宛字はかなり多いのですが、これは酷すぎます。五行説では、
「木生火(木気は火気を生じる)」とされており、「桧」は「火の木」、擦り
合わせて火を起こす木とされています。桧を擦り合わせて火を生ずることは、
八犬伝中にも書かれてあることです。しかし、馬琴は、この火を生ずる筈の桧
の林を、逆に「火が退(の)く林」と表記したのです。ここに馬琴の意思を感
じます(この点に就いては後に詳述する予定があります)。主人公が「金気」
の氏族と、前に申しました。そして五行説では「火克金(火は金を打ち破る)」
とされています。金気の氏族を打ち破り、追って来たのは火気でしょう。その
火を退けると約束された場所で、果たして金気の氏族は追手の撃退に成功する
のです。
南総里見八犬伝は冒頭に於いて、かくの如く五行説をコード体系であると宣
言しているのです。そして、今回ネタにした『和漢三才図会』も、前近代の学
問書である以上、陰陽五行説の呪縛のもとに成立しているのであります。
前置きが長くなってしまいましたが、以下、伊井暇幻なる妄想に暫くお付き
合いいただきます。