AWC お題>彼女の笑顔で世界がかわる   ジョッシュ


        
#730/1336 短編
★タイトル (PRN     )  96/12/20  22: 7  (200)
お題>彼女の笑顔で世界がかわる   ジョッシュ
★内容
   彼女の笑顔で世界がかわる       叙朱(ジョッシュ)

「アオキさんまた来てねぇー。」
 スナック「ツリー」のママの声を背にアオキがドアを開けると、外は雪にな
っていた。街灯はかすかに点いているのが分かるが、それでも午前零時のシカ
ゴの町並は雪と暗やみの中に消え去っている。雪は綿々と降りしきり、車を停
めたところが分からないくらいの積もり方だ。これからスコップで車を掘り出
さないと家には帰れない。
「参ったなあ。」
 思わず溜め息がでる。
「もう一軒行きませんか。」
 すぐ後ろから、クロキが声をかける。
「ボクの車は掘り起こす必要がありませんから。」
 見ると、小さな黒い箱を手にしている。
「これはリモコンです、このボタンを押すと車がでてきます。」
 クロキは解説しながらボタンを押してみせる。そんな便利なものがあるのか。
感心するアオキの耳に、確かにエンジンのセル音が聞こえた。すると間もなく、
降り積もる雪の向こうから、オレンジ色のハロゲンライトが近づいてくる。
「さあどうぞ。」
 停まった車はステーションワゴンだった。クロキにすすめられて、アオキは
助手席に乗り込んだ。
「ちょっと変わったところがあるんですよ。きっとアオキさんにも気に入って
もらえると思います。」
 クロキは日焼けした丸い顔に満面の笑みを浮かべてそう言った。ステーショ
ンワゴンは雪道をスリップもせず走った。明かりがぽつぽつと灯るシカゴの町
並みを抜け、オールドタウンの瓦礫の脇をすり抜けると、後は一本道のようだ
った。ヘッドライトに照らされる路面は、一面の雪で、道路とそうでないとこ
ろの分かれ目は全く分からない。しかしクロキは自信たっぷりに運転していた。
「ほらもう見えてきました。」
 クロキは嬉しそうに言った。なるほど、小さなショッピングモールが見えて
きた。暗やみの中でその小さな部分だけがこうこうと明るい。ステーションワ
ゴンはショッピングモールに滑るように走り込んだ。集まった店の数がわずか
6軒の本当に小さなショッピングモールだった。
 アオキは車を降り、クロキと並んで歩きながら、ぐるりと見回した。ショッ
ピングセンターはまるで真昼のように明るい。駐車場をコの字形に取り囲んだ
ショウウィンドウが眩しいくらいの照明なのだ。白いウエデイングドレスを着
て満足そうに微笑むマネキン人形やくるくる風鈴のように回るグリーティング
カードがアオキを手招きしている。どうしても太り過ぎとしか思えない黒のタ
キシード服はきらきら光り、その隣のウィンドウには、ニスがつやつや光る手
回し蓄音機で懐かしいレコード盤がゆっくり回っていた。クロキは物珍しそう
にきょろきょろしているアオキにはお構いなしに、すたすたと歩いてゆく。
 目指す店の入り口はそのモールの右から3番目だった。他の店と同じように
立派なショウウィンドウがある。ショウウィンドウは緑色の葉っぱであふれて
いた。紫色の照明で、葉っぱの緑はまるで息ずいているかのように生々しい。
まるでそこだけが南国のサナトリウムのようだ。店の名はない。クロキは小さ
なドアを開けて、アオキを手招きした。
 ドアの中も緑色があふれていた。ハープシードの音色が流れている。緑色の
空気をかき分けて、クロキがアオキを奥へと案内する。
「いらっしゃいませ。」
 突然女の声がして肩を叩かれた。いつの間にかアオキの横に赤い目をした女
が立っていた。体の線のはっきりした黒いドレスを着てる。胸元もざっくり切
り込んで、もう少しで鞠のような乳房が飛び出してきそうだ。クロキはどんど
ん奥へと歩いてゆく。アオキは立ち止まった。
「どうぞこちらへ。」
 女は意識してか、形のよい尻を大きく振りながら歩きだした。長い髪が肩甲
骨の辺りで左右に揺れている。目が赤いのと日本語の発音がおかしいのを除け
ば、女はほぼ完璧にアオキの好みを満足させていた。勧められるがままに黒い
ソファーに腰を下ろす。女もアオキの横にくっついた。
 耳のとがった小男が膝を床についたまま、音もなくにじり寄ってきた。アオ
キはぎょっとした。小男の顔がネズミに見えたのだ。
「飲み物はいかがいたしましょうか。」
 ネズミ男は鋭い歯をちらりと見せた。それがネズミ男の笑い顔なのだと気づ
くのに少しの時間を要した。アオキはジントニックを、女はティアマリアを
オーダーした。
 確かに変わった店だった。緑色の照明に照らされた店内には、同色の草木が
生い茂り、まるで森の中に迷い込んだような気分になる。耳を澄ますとざわめ
きのような人声もするので他の客もいるようだが、うまい具合に草木でカムフ
ラージュされて、アオキからは見えない。
「ねえ、何が欲しいの?」
 赤い目の女が耳もとで突然ささやく。アオキの耳に女の息がかかった。女の
質問の意味を考える。
「欲しいものはたくさんある。まるで積もった雪みたいに。たくさんあり過ぎ
て、明日の朝まで数え続けることができると思う。」
 アオキはそう言って女の反応を見た。女はにこりともせず、さらに質問を重
ねた。
「そんなに欲しいものがたくさんあったら楽しいでしょ。」
 楽しい?そんなことはない。
「欲しいものはたくさんあるけれど、なかなか手に入らない。手にはいらない
とかえっていらいらする。そんなことが続くととうとうあきらめるか、それと
も最初から望まなくなるか、どれかだな。欲しいと楽しいは一致しない。」
 するする、とネズミ男がやってくる。さっきよりも背が曲がっている。茶色
の鼻が床につきそうだ。アオキは手を伸ばしてジントニックを受け取った。女
はネズミ男が手にした銀のトレイから器用にグラスをつまみ上げた。カクテル
グラスになみなみと注がれたティアマリアは女の目のように赤い。
「だけど欲しいものが手に入れば、嬉しくて楽しくなるでしょう?」
 女はティアマリアを赤い舌でぺろっとなめてから言った。ぴちゃ、と音がし
た。アオキは女の提案に同意すべきかどうか少し迷った。
「欲しいものが手に入る時はどきどきするね。いや、正確には手に入れられる
と分かった瞬間の恍惚感かな。」
 そう言いながら、アオキはテーブルの上の女の手をそっと掴んだ。思ってい
たよりも冷たい手だった。女は黙ってアオキの顔を見た。赤い目には表情がな
かった。アオキは、ゆっくりと右手を女の後頭部に回し、女の顔を引き寄せた。
女は目を閉じようとはしない。唇を重ねた瞬間、女の口からティアマリアの甘
ったるい味がした。女は無抵抗のままアオキに体を預けている。
 アオキは、空いている左手を女の長い髪に差し込んだ。うなじから側頭部へ
と愛撫しながら左手を移動させる。アオキの予想していたものがそこにあった。
アオキは髪に隠れていたそれを引っ張り出した。女がいやいやをして、アオキ
を突き放す。
「何故そんなことをするの?」
 引っ張り出された長い耳を髪の中へ押し込みながら、ウサギ女は初めて感情
的な声を出した。アオキはジントニックを一口飲んだ。そして独りごちた。
「欲しいものは簡単に手にはいっちゃいけないんだ。それじゃあ楽しくないん
だ。欲しいものが手にはいったらもうそれでおしまい。もう次のものを探さな
いといけない。」
 アオキの腕時計は午前2時を指していた。しかし、ひとつだけ聞かなければ
いけない。ウサギ女はつんとして、無表情のままぺろぺろとティアマリアをな
めた。アオキは意を決して聞いた。
「キミのほうはいったい何が欲しいんだ。」
 ウサギ女はその質問を待っていたようだった。それまでと打って変わって、
にっこりと満面の笑みを浮かべると人差し指でアオキの胸を指した。アオキに
は意味が分からない。ウサギ女は満面の笑みを崩さないまま、歌うように言っ
た。
「あなたのその縞模様のネクタイが欲しい。」
 アオキにはますますわけが分からない。ネクタイは東京の恋人から誕生日に
贈ってきたものだが、特に高価なものというわけでもない。それに裏にアオキ
の名前が刺しゅうされていて、売り物にはなりそうにもない。
 アオキが何も答えないので、ウサギ女はさっさと手を伸ばしてネクタイの結
び目をはずしている。楽しそうにハミングでもしているようだ。すぐにネクタ
イはウサギ女の手に渡った。
「勘定をしてくれ、そろそろ帰る。」
 アオキは立ち上がりながら言った。ネズミ男がするすると床をはってきた。
もう両手とも床につけている。ウサギ女がネズミ男に説明した。
「ネクタイを頂戴しました。」
「あ、これはこれは、そうですか。でしたら勘定は結構でございます。表にタ
クシーを呼んでおきました。どうぞご利用下さい。」
 ネズミ男はとがった歯を剥きだしにして喋った。笑っているつもりなのだろ
うか。ウサギ女の満面の笑顔と「またどうぞ」に送られて、小さいドアを開け
ると雪は相変わらず降り続いていた。
 明るいショッピングモールの駐車場には、エンジンをかけたおんぼろタク
シーが1台、アオキを待っていた。乗り込むと運転手は黙って車を走らせ始め
た。がたがたと排気音が車内に響いてくる。見ると車の底がぽっかりと錆び落
ちて、流れてゆく雪道が見えている。暖房も効いてない。
「どこへ行くのか聞かないのか?(DoYouKnowWhereWeAreGoing?)」
 アオキはぶっきらぼうな英語で運転手に尋ねた。
「聞かなくても分かっておりますよ(YesOfCourse)。」
 運転手は自信たっぷりだった。降りしきる雪の中で、タクシーのヘッドライ
トがぼんやりと行く手を照らしている。アオキはもう一度聞いてみる。
「一体どこへゆくんだ(TellMeWhereWeAreGoing)。」
 運転手は右手人差し指をフロントガラスにくっつけてから叫んだ。
「家へ帰るんでしょ、だんな(GoingHome,Sir)。」
 そこでアオキの記憶はぷつりと切れた。

 エスプレッソにクリームを混ぜてもよいかどうかについて、アオキは悩んだ。
どろどろの粘度の高いイタリアンコーヒーは、デミタスカップの底に沈殿して
いる。これにクリームを入れたら、ひょっとしたらチョコレートになるのでは
ないか。アオキはますます悩む。いやまてよ、チョコレートにするためには砂
糖もいれなくては。見回しても砂糖瓶はない。砂糖瓶はどこだ。アオキはあわ
てて砂糖瓶を探そうとして...目が覚めた。
 砂糖瓶を探す必要はなくなった。変な夢を見たもんだ。エスプレッソは何も
入れず、そのまま飲むものだ。
 アオキは起き上がり、ケーブルテレビのスイッチを入れた。チャンネル36
はニュース専門だ。見慣れた女性キャスターが、歯切れのよい英語で、話しか
ける。今日も殺人、婦女暴行、学校放火、銀行窃盗、ギャングの発砲など彼女
の話すネタはシカゴにはごろごろしている。
 にこりともせず彼女は次々と事務的にニュースを伝える。アオキは窓から外
を見てみる。昨日からの雪はまだ降り止まない。シカゴ地方は記録的な積雪に
なりそうだ(ThisCouldBeARecordSnowFallInChicago)、とテレビの彼女も言っ
ている。
 昨日は飲み過ぎたかな。このところ、アオキの土曜日の朝はいつもこの感想
で始まる。シカゴの市長のせいなのだ。彼女の頑強な反対がアオキのビジネス
を不愉快な状況にしていた。昨日もだいぶそのことで愚痴をこぼしたような気
がする。2軒目で日本人の同僚は早々と退散した。3軒目はスナック「ツ
リー」だったかな。記憶を呼び戻そうと頭を振ったアオキの耳に、テレビのキ
ャスターの珍しく興奮した声が飛び込んできた。
 緊急ニュースです(ThisJustCameIn)。シカゴ市長がダウンタウンの自宅で死
体で発見されました(TheMayorOfChicagoWasFoundDeadAtHerDowntownHome)。市
長の首にはネクタイが巻き付いており、ネクタイは日本製、アオキのネームが
ありました(SheWasStrangledWithTheJapaneseMadeTie, WhichCarriesTheName
OfAOKI)。
 なんだって?アオキのネームの入ったネクタイ?ネクタイというキーワード
がアオキの頭で弾けた。暗闇の中に小さく光るショッピングセンター、そして
赤い目のウサギ女とネズミ男。
 そうだ、確かネクタイをあのウサギ女にくれてやった。市長の首に巻き付い
ていたというのはまさか、あのネクタイじゃあるまいな。
 アオキはケーブルテレビに飛びついた。現場レポーターらしい女がシカゴ市
警の制服を着た太った男にインタビュウのマイクを突きつけていた。「これが
市長の首に巻き付いていたネクタイだ(ThisIsTheTieWhichWasUsedToStrangle
ChicagoMayor)。」
 シカゴ市警の男はそう言うと、赤と緑の縞模様のネクタイをカメラにつきだ
した。アオキは思わず、ああ、と溜め息を漏らした。それはまぎれもなくアオ
キが昨夜着けていたネクタイだった。
 なんてこった。アオキは慄然となった。どうしてあのネクタイが?あのウサ
ギ女がやったのか。しかし、放っておくと、このままでは犯人にされてしまう。
アオキは身の潔白の証明のために、大至急あのウサギ女を見つけねばならなか
った。しかし思い起こそうとするほどに、ウサギ女の顔の輪郭はぼやけ、まる
で忘れかけた夢を思い出そうとするかのように形にならない。ショッピングセ
ンターの場所も店の名前も思い出せないのだ。そうだクロキに聞いてみよう。
あの店にはクロキが案内した。急いで電話のほうへ歩きかけたアオキの足がこ
わばる。クロキってだれだ?丸顔がぼんやり浮かぶ。やっぱり輪郭がはっきり
しない。昨晩、クロキはしきりにアオキの愚痴に相槌を打っていた。それ以上
は思い出せない。なんてこった。頭をかきむしる。俺はどうかしている。
 そのうちにアオキはもうひとつの重大な不都合に思い当たった。アオキにと
ってシカゴ市長はビジネスの邪魔だった。そのような戯言をわめき散らした記
憶もある。冷静に客観的に見て、アオキには殺人の動機が十分にあった。アオ
キは絶望感にうめいた。
「ねえ、何が欲しいの?」
 突然、アオキの舌にティアマリアの甘ったるい味がよみがえった。そういえば、
ネクタイの結び目をときながら、ウサギ女は声を出して笑ったようだった。
 <了>





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