#686/1336 短編
★タイトル (RMM ) 96/11/ 5 6:57 (198)
お題>雨 まりも
★内容
本日早朝、**町一丁目2の3 カガルハイツ204号室で、他殺と思われる遺体
発見。死亡推定時刻は、昨晩の7時頃。
被害者は同室に住む 遠藤 政夫さん(54)。当アパートには3年前から居住。
近所の評判はよく、恨まれるようなことはなかった。
発見者は、牛乳配達員 友野 陽一君(18)と当アパートの管理人をしている坂
田 年造さん(68)。友野君は毎朝、配達してきた牛乳を、被害者に手渡ししてい
たが、この日はいくら呼び出しても応答がないため、不審に思い管理人室に連絡。坂
田さんがスペアキーで開けたところ、居間にあるちゃぶ台の上でうつぶせになってい
る被害者を発見した。被害者はかねてより、心臓病を患っており「少しでもおかしい
と思ったら、遠慮なく鍵を開けてください」と、管理人に頼んでいた。友野君も同じ
で「確認のため、面倒をかけるが手渡ししてください」と頼まれていた。
死因は撲殺。後頭部を、鈍器のような物で殴られた形跡があった。
あと、窓も玄関のドアも中から鍵がかけてあり、この部屋は密室状態だった。
ざっと報告を受けて彼、徳永は現場にやってきた。
新米刑事の彼にとって、この事件は初めて担当するものだ。
お初が「密室殺人」とは、なんとも……運がいいのか悪いのかわからない。
「やぁ、徳永君。張り切ってるねぇ」
さぁ、どうするか……と考えているところに現れたのは、先輩刑事の戸板。
戸板は、徳永が所属する署の中で知らない者はないくらい、頭の切れる男だった。
「おはようございます」
「いい天気だな」
「そうですね」
「洗濯日和だ」
洗濯……?
徳永は、この事件についての説明を始めた。見る見る戸板の表情が変わっていく。
これが、敏腕刑事の顔か……。
徳永は、よりいっそう緊張感を高めた。
現場を見たところ、争った形跡はない。顔見知りの犯行というところか。
そこに、制服警官がひとりの若い男を連れてきた。
「彼は?」
戸板の目が鋭く光る。
制服警官が答えた。
「すぐそこの『来来軒』と言うラーメン屋の人です。えーっと……名前は?」
「大久保」
若い男……大久保は、今の状況がうれしくて仕方ない様子だった。顔から、笑みが
こぼれている……。
「えー大久保君は、昨日の夕方、被害者宅に、えーっと……『焼豚チャーシュー麺』
を2人前届けたそうです」
焼豚チャーシュー麺? チャーシュー麺とどう違うんだ? おっといけない。そん
なことはどうでもいいことだ。
「2人前という事は、中にもうひとりいたと言うことになりますね」
「うん、鋭いね、徳永君」
いやぁ……誰にでもわかるよな……からかわれてるのかな?
しかし、戸板の顔は真剣だった。
「君……大久保君と言ったね。中にいたもうひとりの人物を、君は見たかい?」
大久保は、返事する代わりに首を横に振った。
「そうか……君はもういい。徳永君、被害者の隣の住人には話を聞いてあるのか?」
「スミマセン、まだです。すぐに行って来ます」
もっと、しっかりせねば……戸板刑事に幻滅されたくない。
徳永はまず、左隣の部屋をノックした。応答がない。留守なのだ。
あたりまえか……この騒ぎだもの、居たら野次馬してるよな……。
しかし右隣の住人は、この騒ぎの中、寝ていた。
「朝早くスミマセン、少しお聞きしたいことがあります」
出てきたのはまさに水商売の女。赤いネグリジェ、頭にはカーラーが巻いてあり、
眉毛のない顔は、怖かった。
「お隣さん? いやあねぇ、殺されちゃったのぉ。私、知らないわよ。昼間は寝てる
しね。物音? 7時なら私、いないわよぉ。帰った時間? そうねぇ、3時頃だった
かしら……なんにも聞かなかったわよ。静かなもんよ。私が一番うるさかったわね、
ははは。いつもおばさんから、苦情言われてるから、ははは。あら、お兄さん、男前
ねぇ。どう? 寄ってかない? ははは、ジョークよジョーク。ま、赤くなっちゃっ
て、かわいいのね」
徳永は、しどろもどろになって「ありがとうございます」と言った。
「いやぁ〜なになに? なにがあったん? え? 遠藤さん、どうしやはったん?」
ずっと先の階段の所から、大きな声のおばさんがやってくる。
「遠藤さんのお知り合いの方ですか?」
「いや、お兄ちゃん、刑事さん? お知り合いって? ちゃうちゃう。うち、隣のも
んですわ。なに? 遠藤さん、どうしやはったん?」
小太りの小さなおばさんは、徳永がそばに立っても、声のトーンを変えなかった。
「えぇ〜。殺人事件やって? イヤやわぁ。うちの隣で殺人事件やって。え、こんな
に朝早く何してたんて? 新聞配達やわ。ダンナの稼ぎがわるいからな、人様が寝て
る時間も働かなあかん、わはは。いつ、いつ殺されはったん? いや気の毒やわぁ。
え、昨日の7時頃? うち、家にいたで。いや、なんにも聞かへんかったなぁ。ええ
人やったのに。何で殺されなあかんねんやろなぁ。人間、いつ何がおこるかわからへ
んねぇ。兄ちゃんも、気ぃつけや。そんな仕事しとったら、危ない目にも遭うやろ。
命、粗末にしたらあかんで。そやけど兄ちゃん、ええ男やなぁ。うちもなぁ、あと十
年いや、二十年若かったらなぁ、わはは」
あと二十年若かったら、どうなんだ?
関西弁は、迫力あるな。徳永は圧倒されて「ありがとうございます」と言った。
「戸板刑事。徳永刑事。ちょっと来てください」
アパートの裏で、さっきの制服警官が呼んでいる。
「見てください」
「お、これは……」
そこには、無数の足跡が残されていた。場所的に言って、被害者の部屋の真下。
「犯人のものですかね……」
相変わらず、戸板の目は厳しい。
「おそらく……そうだろう」
「あの……すみません」
管理人の坂田が、そばに来て、申し訳なさそうに言う。
「その足跡は……」
「まちたまえ。関係者以外の立ち入りは禁止だ。向こうに行ってくれたまえ」
戸板刑事の目は、壁をずっとつたっている。
「いや、あの、その足跡は、私の……」
坂田は何か言いたげである。
「戸板刑事、坂田さんが何か言いたそうにしてられますが……」
戸板の耳には届かない。アパートの壁を見つめて、なにやら考えている。
「戸板刑事……」
「徳永君、今は何を言っても無駄だよ」
鑑識官の川本が徳永の肩をたたいて言った。
「戸板さんがああなってしまったら、もう誰の声も聞こえないんだ」
徳永は仕方なく「スミマセン、しばらく待ってください」と坂田に言って、その場
から下がらせた。
「いやぁ、しかし……」坂田はまだ、何か言いたげである。
「そうかぁ、わかったぞ!!」
戸板は、突然大声をあげた。
「謎はすべて解けた」
何かのテレビで聞いたようなセリフを言って、徳永の肩をたたく。
「密室の謎が解けた。なんだ、簡単なことなのだ。徳永君、あれを見たまえ」
戸板が指さす先の壁には、直径10センチぐらいの穴……の跡。
「あれが何かわかるかね、徳永君」
「あれは……エアコンの跡ですか?」
「そうだ。よくわかったな。カンシン、カンシン」
「それがなにか……」
「あの部屋は、被害者の部屋だ。坂田さん、いますか?」
「はいはい」
さっき下げられたはずの坂田は、いつの間にかすぐそばに立っていた。
「被害者の遠藤さんは、エアコンを使ってはいなかったんだね?」
「はい」
「よろしい。下がって」
戸板はまた、その穴を指さした。
「あれが、トリックだったんだよ」
「はぁ……」
ん? 雲行きが怪しい。夕立かな? いや、まだ朝だから朝……おっといけない。
「徳永君、何をぼぉっとしているのだ」
「戸板刑事、雲行きが怪しいのです。この足跡、なんとかしないと消えて……」
やはり、戸板には何も聞こえていない。
「徳永君、簡単なことだったんだ。犯人は窓から逃げたんだよ。窓の鍵にピアノ線を
引っかけておいて、あの穴から出しておく。それを下に飛び降りた後引っ張れば、鍵
なんか簡単にかかるというわけさ。もう使い古されたトリックだよ。わっはっはっ」
徳永は、頭をひねってしまった。
「しかし、戸板刑事……」
徳永が言いかけたところで川本が背中をこつく。振り向いた徳永に「何も言うな」
と目配せする。
おかしい……。犯人が窓から飛び降りたのなら、どうやってその窓を閉めたんだ?
かりに閉められたとして、じゃあ、ピアノ線はどうやってはずしたんだ? それも
、はずれたとしよう。けれど、決定的な謎がある。あのエアコンの穴は、コンクリー
トで塗り込めてある。それも、昨日今日のコンクリートじゃない……。それにこの足
跡……行ったり来たりしている。なんの必要があって、こんなに行ったりきたりする
んだ。花に水でもやったてのか?
そこには、植木がいくつも並んでいた。
「足跡から見て犯人は男。どうだ、被害者の周辺で怪しい男は浮かんでこないか?」
「はぁ……」
と、その時……。
ポツ……ポツ……ポツ……ポツ……ザッバァーン。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぅ!!」
戸板は、ものすごいうなり声をあげた。
「大変だぁ!!」
「大変です、戸板刑事。足跡が……足跡が消えていきます」
「足跡? なんだそれは。それより……おい、そこの君。君だよ、君!!」
戸板刑事に指名されたのは、さっきの制服警官だった。
「君!! 早く車を回して、いや、ただの車じゃだめだ。パトカー、そうだ、パトカー
を回してこい。早く、急げ!!」
制服警官は、わけもわからずあわててパトカーを取りに行った。
「どうしたんですか、戸板刑事。何か、新たな手掛かりが見つかったんですか?」
戸板のあわてようは、尋常ではない。顔面蒼白。一体、彼に何が起こったんだ。
パトカーがやってきた。あわてて乗り込む戸板。
「戸板刑事。お願いです、教えてください。何が見つかったんですか?」
徳永は、戸板が乗った車のドアを持って、閉めようとしない。
「どけ!! 徳永、どくんだ!!」
「どうなってるんですか? 僕も連れて行ってください。犯人わかったんですか?」
「犯人? なんだそれは。そんなことおれの知ったことか。どけ、徳永!!」
「どこに行くんですか?」
「うちにかえるんだよ、うちに」
「……?」
「どけ、どくんだ徳永。おれは、おまえと遊んでられないんだよ。わかるか?
こうしてる間にもあの雲は、おれの家の方に動いている。あの雲よりも先に家に帰ら
ないといけないじゃないか!!」
「何言ってんですか? どうして家に帰らないといけないんですか?」
「洗濯物がぬれるだろ!!」
「……!?」
徳永は、想像もできない言葉に、思わず手を離してしまった。
車のドアが勢いよく閉められる。
「サイレンはどうした。サイレンを鳴らせ」
車の中で、戸板がわめいているのが聞こえる。
パトカーは、けたたましくサイレンを鳴らし、徳永の前から消えていった。
そのあとを、黒い雲が追いかける……。
徳永はしばらく放心状態。後ろから川本が言う。
「戸板さん、相当奥さんにやられてるんだ。怖いらしいよ」
「敏腕刑事も奥さんには勝てませんか……」
「ビンワン?」
「えぇ、うちの署で一番頭の切れる人物だと聞いてます」
「キレル? 切れてるの間違いだろう」
「はぁ……」徳永は深いため息をついた。
空には、またもとの明るい光が戻っている。
「足跡……消えちゃいましたね」徳永は肩を落とす。
「あの……」そこに、申し訳なさそうに坂田がやってきた。
「スミマセン。その足跡のことなんですけど……」
「あ、坂田さん。なんですか」
「それ……私の足跡なんです……」
被害者の下の階は、管理人室になっていた。
「今朝、水をやりに来たときのだと……」
その日の夜遅く、犯人は自首してきた。
遠藤 スミ子(52)。被害者の別れた妻。離婚後も何かにつけ金銭を要求され、
生活に疲れ切っての犯行だった。
密室の謎については、スミ子の持っていた合い鍵で証明された。 【おわり】