AWC 黒田山/水口そうみ


        
#651/1336 短編
★タイトル (RVN     )  96/ 9/ 8   2:59  (191)
黒田山/水口そうみ
★内容
 黒田山
              水口 そうみ 

 黒田山という山があります。
 わたしが通っていた学校の裏にある、こんもりとした、木々でおおいつくされた、
どっしりとした山です。
 その山の中にある、みんなのかくれがに、わたしは十五年ぶりに訪れました。
 はじめ、この町に戻ってきた時には、町のあまりの変容ぶりに、一瞬目を疑いまし
た。なにしろ、当然と言えば当然でしょうが、十五年前と比べて何もかもが新しくな
っていたのですから。駅、道路、公園、家、学校・・・・、さらには町の名称までが、文
字どおりに「ニュータウン」とかわっていたのです。
 でも、黒田山だけは違いました。そんな町の変化を身据えるかのように、そして、
十五年間、わたしが来るのをそのまま待っていたかのように、町のまんなかにどっか
りと座りこんでいたのです。何の変化もなく、黙ったままの黒田山。ずっとこの町の
シンボルだったのでしょう。わたしは黒田山に近づくにつれ、黒田山に何かを示され
ている感じがしました。
 途中で行き止まりになっていた裏道を引き返し、十五年前には通ったこともなかっ
た道路を歩いて、私はようやく山の目の前に来ました。この中にかくれががあるはず
なのです。
 十五年前なら、何も考えずにかくれがまで行ったのですが、今のわたしはそうはい
きません。かくれがを見に行くために、まずわたしは入口を見つけなければなりませ
んでした。黒田山は、山すそが茂みで囲まれている山ですが、茂みの薄くなったとこ
ろが、一ヵ所だけあります。そこがかくれがへの入口なのですが、外から見るとほん
の少し薄くなっているだけなので、おとなには絶対わからないようになっています。
こどもだけがかくれがに行けるようになっているのです。わたしはすぐに入り口を見
つけるつもりだったのですが、昔の記憶だけではその手がかりにならないようです。
入口を探すために、わたしは黒田山のまわりを二周も歩きまわってしまいました。十
五年前は用水路の水門という目印があったのですが、今はそれもなく、きれいな住宅
が並んでいるだけです。
 ようやく入り口は探し当てましたが、入り口が見つかってからも、かなりの苦労が
いりました。ネクタイをゆるめ、シャツの袖をまくり、意を決して中へ入っていった
まではよかったのですが、茂みを抜けるのが、なかなか容易にいかないのです。子供
のころは、抜け道をさぁーっとかけぬけたはずなのですが、わたしが大人になったせ
いでしょうか、少し進んでは草に足を取られ、少し進んでは木の枝に服がひっかかり
、しかも、子供のころは一本道だったはずの抜け道は、あちこちに枝分かれしている
ようで、いや、ほとんどわからないといった方がいいでしょう、道を行くというより
は、茂みの中を一歩ずつ奥へ進むという感じで歩かなければなりませんでした。
 わたしは昔のわずかな記憶と、こどものころのカンだけを頼りに、ひたすら山を登
りました。そして、身体中を葉っぱだらけに、手と靴を土だらけにして、
・・・・・・そのことは十五年前と
   変わっていませんでしたが・・・・・・・・・・・・    
茂みを抜け、ようやく頂上へ着いた時には、春先にもかかわらず、わたしは汗びっし
ょりになってしまいました。
 ちょうど、テニスコートくらいの広さのある黒田山の頂上、そこにだけは茂みはあ
りません。わたしたちが「しばふ」と呼んでいた雑草がびっしりと地面をおおい、そ
の雑草地帯のすみには大きな木が立っています。
 この頂上全体が、かくれがなのです。
 わたしはまず、木に会釈をひとつしました。それから、ゆっくりとかくれがを歩き
回りました。
・・・・・・十五年前と何も変わっていない。
   ここは、こどもの楽園だ。・・・・・・
 かくれがと再会してからの、わたしのはじめの感想です。心地よいそよ風、さわさ
わと言って風に応える木の枝。頭はあまり働かず、ただ「うわぁ〜」ということばだ
けが、わたしの胸に広がりました。
 かくれがは結構見晴らしもよく、ちょうど町が一望できるようになっています。た
だ、歩きながら眺めた町の風景は、昔とは全く変わってしまい、コンクリートの建物
がびっしりとおおった白っぽい世界になってしまいました。その、白い海の中にある
黒田山は、まるで無人島のようで、茂みのすぐ近くまで、白い波が迫ってきているよ
うでした。
 そして、ふと、かくれがを歩き回っている途中で、子供の時の思い出が、頭の中に
浮かびました。それは、みんなとかくれんぼをした時に、わたしが上手に隠れすぎた
せいで、みんながわたしをさがせずに、家へ帰ってしまったというものです。
 これは、わたしが五歳の時の事ですから、もう二十年も前の話になりますが、誰も
自分をさがせなかったという、かくれんぼの至上目的が達成できている満足感と、一
人になってしまったという孤独感がいりまじって、五歳ながらにとても複雑な気持ち
だったことを何故かはっきりとおぼえてます。
 しかし、歩きながら、何故こんなことを思い出したのでしょうか。私の中の一番深
い思い出だからでしょうか。もっとも、何故思い出したかなどと言うことは、別に深
くは考えませんでしたが。
 かくれがを一周してから、わたしは木に近づきました。みんなが「木」と呼んでい
た木、「木」と言うだけで通用した木、その木も、十五年前と変わっていませんでし
た。
『ここを、ことりたちのらくえんにしよう』というわたしたちの小さな意気込みのも
とで、みんなで木に取り付けた鳥のえさ箱も、そこに、今はえさが無い事を除いては
、全く変わっていませんでしたし、
『かくれがにはみはりがいるんだぞぉー』
と、木に上るために取り付けられたはしごにいたっては、わたしが使っていて・・・・、
『いってぇー』
『どぉしたのぉー』
『はしごのにだんめがはずれて、おちたんだよぉー』
・・・・こわしてしまった部分までもが、そのままに残っていたのです。
 わたしは、自分の思い出がそのまま残っているこのかくれがに、大きな満足感を抱
きました。そして、その満足感にさらに酔いしれるように、雑草の上に寝っころがり
ました。十五年前によくやっていた行為をすることで、十五年前にさらに浸りたかっ
たのです。雑草はかなり伸びていて、寝っころがるには邪魔なところもありましたが
、背が高くなっている雑草をいくつかひっこいて、その上に横になりました。
 寝っころがって眺めた空は青く、いくつかの雲が流れています。その雲は絶えずか
たちを変えながら、西から東へと、流れています。ずっとずっと、見えなくなるまで
、かたちを変えて流れていきます。
 そして、寝っころがったわたしと、しばふの上を、風がすぅーっと通過していきま
す。その風は、一定の力を持ちながら流れ、その風の安定感が、わたしにはたまらな
いほど気持ちよく感じました。今、風の力を借りて、一枚の葉っぱがひらひらと木か
ら山すその方へ飛びだしていきました。あの葉っぱは町にまで届くんだろうか。ふと
そんなことを考えていると、わたしはまた、さっきとは違った思い出を頭の中に浮か
べました。わたしたちは木の上から、紙ひこうきを飛ばしていました。
『おれのはよくとぶんだぞ』
『おれのは下の学校にとどくんだぞ』
『だめだよ、学校までとどいちゃ』
『いいじゃんかぁ』
『かくれががここにあるの、わかっちゃうよ』
『じゃあやめた、このかくれがはおれたちだけのひみつだからな』
『そう、ひみつだからな』
そう、ひみつだからね・・・・・・・・


「君は・・・・誰かね」
 雲を見ながらうとうととしていたわたしの耳に、男の人の声が入ってきました。
「あ、いえ・・・・あの・・・・」
 わたしは声を聞いて即座に立ち上がったものの、返答に詰まってしまいました。不
法侵入という言葉が頭をよぎり、その事実を和らげるためのいいわけを必死になって
考えようとしていたからです。
「いや、誰だと聞くのは無意味な質問だったな。このかくれがには、おとなは入って
来れない。ここへやって来るのは、こどもか、かくれがを使っていたOBしかいない
からなぁ」
 五十歳前半ぐらいの、品がよく、しかもそれが決して嫌味に見えない、その男の人
は、かくれがの周りをゆっくりと眺めながら言いました。
「では、あなたも・・・・」
「わしか、わしは、この黒田山の地主だよ」
「でも、ただの地主なら、おとな、ですよ」
「ははは、まあそうかもしれんがな」
 おじさんは、一本取られたといった顔をしてこう言うと、「よっ」といった類の掛
け声をかけて、さっきのわたしのようにしばふの上に寝っころがりました。
「ところで、どうしてここに来たんだ。」
 おじさんは寝っころがったまま、横で座っているわたしに言いました。
「十五年ぶりにここへやって来たもので、懐かしくなって・・・・。」
「そうか。この辺りもずいぶんと変わっただろう。」
「はい、十五年前までずっとここに住んでいたのに、もう、ここの地理が解らないく
らいですよ。」
「そうか。」
 おじさんは一言、こう答えました。さっきまで流れていたそよ風が、少し強くなり
ました。それに応じて、木の枝も少し大きく返事をするようになりました。
 わたしは立ち上がって、しばふをゆっくり歩きながら、話を続けました。
「でも、黒田山だけは全然変わっていませんでした。もう、うれしくなって・・・・。」
「そうか・・・・。」
 おじさんは、まだ寝っころがったまま、さっきと同じ言葉で返事をしました。その
時、一瞬ですが、おじさんの表情が少し、かたくなったような気がしました。そんな
おじさんの顔を和らげるかのように、そよ風の流れは、少し強くなり、風になって二
人の間を抜けていきました。
 わたしは歩みを止め、木をまっすぐ見ていました。その木から、風のせいでしょう
か、また、葉っぱが一枚、ひらひらと舞い、うまく気流に乗って、ふわり、ふわりと
、黒田山を下っていきました。
 わたしには、その葉っぱが町へ遊びに行くように思えました。でも、葉っぱは、町
へは行かず、多分、黒田山の茂みの中へ舞い降りているでしょう。本当はどうなのか
わかりませんが、ただなんとなく、そういう気がするのです。黒田山の茂みで寄り道
をしているうちに、まちへ行く事をすっかり忘れて、そのままそこにとどまったまま
になっていると思うのです。十五年前のわたしたちの行動パターンがそうであったよ
うに。
 風がそよ風になり、木も少し静かになりました。おじさん自身は別に何とも思って
いないでしょうけど、わたしが黙っていると、おじさんを放ったらかしているようで
、何か悪い気がしました。だから私は、まだ寝っころがっているおじさんの方を向い
て話を続けました。
「このかくれがも、全然変わっていないんですよ。わたしがこの町を引っ越すまで、
ずっと、こどものころはここに来てたんですけど、ここは、その時のままになってい
るんですよ。なんかわたしを待ってくれていたようで、うれしくて・・・・。」
「そうか・・・・その時のままか・・・・。」
 おじさんはこう言うと、むくっと上体を起こしました。おじさんは、うまく表現で
きませんが、あえて言うなら、何か疲れたような表情をしていました。そんなおじさ
んの表情に戸惑うかのように、風の流れは一瞬消え、そよ風となってまた流れ始めま
した。
「町はすっかり変わってしまった。君もこの街を見てわかっただろう。ただ、わしは
その中で、このかくれがだけは残したかった。こども達だけの空間だからなあ。だか
らわしは黒田山を買い、ここを守り続けた。」
 おじさんはそこまで言うと、顔を上げ、空を見上げました。そして、こう、つぶや
いたのです。
「だが、ここはもう・・・・本物の隠れ家になってしまったんだなぁ・・・・。」
 おじさんはそう言ったきり、少し黙ってしまいました。
 わたしはそれを聞いて、全身の力が抜けるような思いがしました。風は止み、また
強くなり、私の後ろへと吹き抜けていきました。風に吹かれている木の枝は、バサバ
サと音を立てて揺れながら、二人の沈黙を崩していました。
 また、木から、枯れた葉が一枚、風で飛び、風の勢いにまかせて、一直線に黒田山
を下っていきました。
 まるで街へ急いで何かを伝えるかのように。
 でも、その葉っぱは、おそらく、街へはたどり着いてはいないでしょう。実際のと
ころはわかりませんが、今のわたしには、ただ、なんとなく、そういう気がするので
す。
 そして、葉っぱが私の視界から消えると同時に、さっきの紙ひこうきとかくれんぼ
の思い出が、また頭の中に広がりました。たくさんある黒田山の思い出の中の二つ。
偶然にせよ、この二つを思い出した私には、もう、今の黒田山が、はっきりと見えま
した。そして、思い出は思い出として心に残していくだけでいいと、心に決めました
。
 風は、いつの間にか弱くなって、無変調になって吹き続けています。何の変化もな
く吹き続ける風に、私は、今、言いようのない冷たさを感じているのですが、おじさ
んも私と同じように感じているのでしょうか。
 おじさんの方は、さっきと同じようにずっと空を眺めています。その空では、さっ
きと同じように、雲が流れています。その雲は、やはり絶えずかたちを変えながら、
西から東へと、流れているのです。
 黒田山という山があります。
 私が通っていた小学校の裏にある、小さな山です。
 その山の中にある、私の隠れ家だっところに、私は、十五年ぶりに、来ただけだっ
たのです。





前のメッセージ 次のメッセージ 
「短編」一覧 水口そうみの作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE