#626/1336 短編
★タイトル (RJN ) 96/ 8/ 4 17:56 (131)
「霊柩車」 ルー
★内容
「霊柩車」
麻美が、ごく幼かった時の記憶の一つだ。両親とはもう別の部屋に寝かされてい
た。昼間怖いものでも見たのだろうか。夜中に目が覚めて、部屋の中に一人ぽつん
といるのがたまらなく怖くなって、我慢できなくなった。
「おかあさあん、おかあさーん。」わあわあ泣きじゃくりながら、父母の部屋の
戸をたたいた。あれは、何が怖かったんだろう、と成長した麻美は思う。暗闇が怖
かったのか、一人が怖かったのか、母の暖かい腕が恋しくてあんなに泣き出してし
まったことは、翌朝、子供心にも気恥ずかしかった。
小学6年生になった麻美は、ピアノとスポ少のバスケに熱中する、快活ですらり
とした身長を持つ、健康な少女だった。友達づきあいもよく、いつもリーダー格で
学級委員をしていた。
運動会でも、学習発表会でも麻美は目立つ存在だった。一人っ子だったから両親
の関心も深く、連れだって学校に来ては麻美の活躍をほれぼれと眺めていくのだっ
た。
「あたし、学校のプールに行って来る!」
夏休みに入って、麻美は開放的な気分に浸っていた。
「気をつけてね、麻美ちゃん。」母は決まって、こう言うのを忘れない。学校まで
歩いて15分ほどの道のりだというのに。「はーい!」麻美は、水着とタオルを入
れたバックを持って家を飛び出した。
まだ朝の9時だからそれほど暑くはなかった。途中で仲良しの綾子と出会った。
綾子とは、バスケのチームメイトだ。
会いしなに綾子は言った。「結構強かったね、昨日の夜の地震。」
麻美は驚いた。「えっ。地震なんてあった?」綾子は呆れ顔だった。「いやだ、あ
の地震に気がつかないで寝てたの?。真夜中の3時ちょっと過ぎ頃よ。時計見たも
の。私、ベットから飛び起きたよ。」「ふーん、うちでは誰もそんな事、言わなか
ったけど・・・・」綾子は髪をめずらしくおさげに結んでいる。暑いからかな、あ
たしは髪を結ぶのは大嫌い・・・・
その時、麻美達が歩いている側を大きな車がスピードを落として通り過ぎた。
黒光りのする車体に上部に金色の豪華な粉飾が施された霊柩車だった。
「イヤだ、朝から霊柩車なんて、気持ち悪い。」麻美が言った。綾子はぐっと麻美
の顔をのぞき込んだ。「あのね。ずっと前におばあちゃんから聞いた話なんだけど
ね、朝とか午前中のうちに霊柩車に会うのはラッキーなんだって。それでね、それ
を見たことを誰にも言わないといいことがあるんだって。だから、今日あたしたち
いいことがあるかもよ。」「へえー、そうなの。綾子ってそう言うこと、よく知っ
てるんだね。」「麻美が知らなすぎるんだってば。ところで、理科の自由研究、何
やるか決めた?」「決めてない、決めてない、ぜーんぜん。」
目の前に、学校が見えてきた。
バスケの試合を間近に控えて、練習は過熱気味だった。母は日が落ちて真っ暗に
なってから帰ってくる娘のことを心配していた。今日は割合早く練習が終わった。
今日こそ真っ暗にならないうちに家に帰ろう。お母さんが心配するもの。麻美は、
綾子にもそそくさと、さよなら、と言って家路を急いだ。あたりは薄暗くなってい
た。
道を横切ろうとして、車が北の方から走ってくるのを見て、麻美は足を止めた。
同じ車が何台も何台も続いてくる。なんで、今頃、と麻美は苦々しく思った。
同時に、あめ玉が喉につまったように薄気味悪さに立ちすくんだ。
黒と金色の車体、霊柩車なのだ。
霊柩車は、どれも古ぼけていてみすぼらしかった。金箔は至るところはげ落ちてい
て木の地肌が露出している。黒いボディの方も傷だらけで、あちこちへこんでいる。
霊柩車と言うより、荷車が行列して走っていくようであった。
麻美は、足ががくがくしてくるのを必死にこらえた。
十数台も通り過ぎただろうか、やっと、車がいなくなった。
道を渡ると、勝ち気な麻美は思った。綾子は朝の霊柩車はラッキーだって言ってた
けど、夕方の霊柩車の行列っていうのは、不吉って事かしら。でも、この間、朝に
霊柩車を見たときだってラッキーな事なんてなかったわよ。
麻美はほどなく、家に着いた。
その夜、麻美は悪夢を見た。
夕方見た霊柩車がまた麻美の目の前を通り過ぎる夢だった。霊柩車の数は数えきれ
ないほど増えていた。行列は麻美の立っているところに止まった。霊柩車から、顔
も姿も判然としないが幾人かの男が降りてきて、荷台を開け、小さい柩を運び出し
ているのだった。無数にある霊柩車のすべてが、それぞれ同じように、男達が小さ
い柩を運び出していた。ぼんやりした乳白色の霧が立ちこめていた。その他には何
も見えない。霧は灰色に変わったり、時にはまぶしいほど白くなった。
目が覚めると、麻美は脂汗をかいていた。まだ、真夜中だ。こわかった。部屋の
電気をこうこうとつけた。目を見開いたままベットに横たわった。もう眠るまい、
と思った。息を精一杯整えた。
しかし、そうしているうちいつしか麻美は眠りに落ちていった。
バスケの試合が終わった。チームは準優勝し、監督は喜んでいた。
昼ご飯を食べた後、麻美はクーラーを入れながらリビングのソフアに寝そべって、
退屈紛れに少女漫画を読んでいた。体が気怠かった。うとうとと、眠りに誘われ出
した。
ふと気がつくと、この暑いさなか庭に小さい男の子がいる。
5、6歳ぐらいだろうか。髪の毛がまるで無かった。男の子は麻美が気づいたと感
ずくと、近寄ってきて、言った。
「ぼくは、あなたの身に大変な災厄が降りかかるのを知って、仲間達と相談してこ
こに来ました。だから、ぼくの話をよく聴いて欲しいんです。」男の子は、その年
齢にそぐわない大人びた、しっかりした口調で話をした。
「どんな不幸かはわかりませんが、あなたの命に係わることに違いないのです。ぼ
くはそれを防ぐ方法を知っています。そのことは、ぼくとぼくの仲間達にとっても
都合のよいことなのです。つまり、ぼくたちとあなたは利害が一致するというわけ
なのです。」
「ここから北に、駅の方向に向かうと三叉路があります。少しわかりにくい道です
が、あなたはその3つの道のうち一番右側を行ってください。あとは、行けばわか
ります。ぼくもこれ以上は申し上げられないのです。」男の子は大すぎる黒い目を
潤ませながら、こう言った。ひたむきに訴える幼児の目であった。
一礼して、男の子は庭の奥に引っ込み、それきり植木の茂みに紛れて見えなくな
った。麻美は、男の子がどんな格好をしていたのか、まるで覚えていないことに気
がついた。
命に係わると聞いては、おだやかな話ではなかった。麻美は次の日、動揺する心
を抑えて男の子に教えられた道をたどった。
駅の手前に入り組んだ三叉路があり、一番右側の道を15分ほど歩くと市営火葬
場と墓地に着いた。麻美ははっとしたが、半ば予期していた事のように思えるのだ
った。火葬場が手前にあり、墓地はその奥だった。墓地にはいると、「〜家の墓」
と刻まれた石碑が並んでいた。片隅に無縁仏を祀ったよくあるお地蔵様の像が立っ
ていた。お地蔵様には、赤い布きれが申し訳程度に巻かれていた。
お地蔵様は、たしか幼くて亡くなった子供の霊を祀ったものだと聞いたことがあ
る。麻美も、母に連れられた墓参りの折り、お地蔵様の像に石を積んだことがあっ
た。
このお地蔵様には石がひとつも積まれていない。寂しそうに、一人で立っている。
近寄って下を見ると、小石がばらばらと地面に夥しく落ちていた。この間の地震の
せいだろうか、麻美はいぶかしく思った。そして、あの男の子が言った言葉の意味
を悟ったのだ。
かわいそうな子供達。かわいそうな男の子。
彼らはこの世の楽しみを何も知らず、死んでいった。苦しみも知らぬ代わりに。
あぶら蝉が、大樹の陰に隠れてひときわ険しく鳴いていた。
麻美は、小石をひとつひとつ、ていねいにお地蔵様の下に積み重ねていった。
流れ落ちる汗を拭おうともせず、手が埃と土で汚れるのも厭わなかった。
最後の一個を重ね終わった。日は西に傾き、蝉の声は悲しげなひぐらしに変わっ
ていた。
麻美は、墓地にただ一人たたずんでいた。
・・・・・・・了 by ルー RJNO8600