AWC お題>歌 それより僕が伝えたいのは(行抜け修正版)みのうら


        
#465/1336 短編
★タイトル (ARJ     )  95/ 6/ 7  17:52  (100)
お題>歌 それより僕が伝えたいのは(行抜け修正版)みのうら
★内容


 海から吹き上げる風を身体いっぱいに受けて、真魚は駆けていた。
 小さな胸の鼓動。初夏とはいえ、耳の凍る冷たく清浄な空気。冷えた気管がちり
りと痛む。
 かまわず駆けた。走ること。それそのものを楽しめる残り少ない季節を惜しんで、
真魚は駆けた。神経質に縛り上げた長い髪が、尻尾のようにぴょんと跳ねては真魚
の腰を打つ。駆けて駆けて、垂直に切り立った、海を見下ろす崖の上まで駆けて、
大地に身を投げ出す。大地は受け止める。小さな身体を。
 真魚の下で草がつぶれた。青い汁がにじむ。海と、緑と、行き過ぎる風のにおい
で心と身体とを存分に満たすと、真魚は祈りをつぶやきはじめた。
 両手を広げ、両足を投げ出し、目を閉じて。
 小さく、長く、細く、そして緩やかに。

「真魚」
 いつのまにか、隣には兄熊が座っていた。
 ふつふつと祈りを続ける真魚は答えない。祈りの言葉は彼女を支配し、守ってい
る。
だれにも止めることはできない。真魚本人でさえも。
 兄熊は待った。遠く海を眺めながら。
「なあ、真魚」
 ただ、呼んでみる。祈りは終わっていない。
 風は冷たかった。動かず冷えきった真魚を守って兄熊は風上に自分を運ぶ。
「なあ、真魚」
 もう一度呼ぶ。かあんと、澄んだ音がした。かあん、かあん、かあん、と三回。
時を知らせる鐘だ。海辺の見張り場から風が運ぶ音。
 実は、真魚に何も言うことはなかった。この、年のはなれたいとこは、自分より
よっぽど度胸が座っているし、頭もいい。これから起こることが分かっていない訳
でもなかろう。
 ただ、小さい。哀れを呼ぶほどに、ただ、若い。
 沖には舟が走っている。白い帆が、はらりと散った骨のようだ。海の骨。あれた
ちのどれかに、兄熊と、真魚の父親たちがが乗っている。
「死んでしまう」
 兄熊は飛び上がった。父親のことを言われたのかと思ったからだが、そうではな
かった。巨大な海の死骸に散らばる海の骨。
 祈りを終えた真魚は、起き上がって彼を見ていた。
「知ってる? 死んでしまう歌。その歌を歌うと、すべてのものが死に絶えるので
すって。もちろん、自分も死ぬの」
「知ってる。5人目の青菜が歌った歌だ。長い戦のあと、一人で青菜は敵に向かっ
た。彼女は歌で敵を退けた。歌の生命が敵を打ち破った」
 最後のところは節をつけて、上手に歌った。声変わりが終わったばかりの彼にし
ては、良い出来だったと言えるだろう。
 しかし真魚は自分の想いに沈んだまま浮かんでこない。目はもちろん向かい合う
兄熊を映してはいるが、心がここにない。
「そんな歌を、青菜は誰から教わったのかしら。歌えば何もかもが死んでしまう歌
をね。教わった青菜は生きていたのに」
 自分に向かってつぶやく。兄熊が傍にいることなど、今の彼女には、何の意味も
ない。木霊程度の、存在だろうか。
 それでも兄熊はいた。この世界に。この崖の上に。真魚の傍に。
 真魚のために、何か答えなければ。
 海に向き直り、いとこを見ずに語り始める。
「昔話だけど。
 昔、世界は、祈りの言葉で満ちあふれていたという。そのころは、ただ口で祈り
を綴るだけでなく、祈りをあちこちに綴っていたのだと。物の上に。地面や、木の
皮。
 そして巨大な岩の上に」
「そしてそれは文字と呼ばれたのよ兄熊」
 真魚の唇が動いて、言葉を形した。
「文字をたくさん集めて、言葉を物の上に閉じ込めて、人は言葉に勝ったような気
分になった。音のない、枯れた言葉を文字に変えて、言葉を支配したと思っていた
のよ。でもそれはまちがい。音律を持たない文字でも、言葉の魔力を押さえるのは
無理だった。人は魔力によって滅びるところだった。
 けれど、現われたわ。言葉の最も真なる姿、歌をもって文字の魔力を打ち破るも
のが。異鳥は、私たちの祖先を救い、人々をまとめ、国をつくった。彼女が死んで
も、歌は受け継がれた。5人目の青菜。7人目の赤牛。私は8人目の真魚」
 真魚は10日後、8人目になる。歌をもってこの国を支配する玉座を、老いた赤牛
はこの小さな真魚に譲る。
 兄熊は、真魚の言葉のほとんどを、捕えることができない。
 玉座とその周辺にあるものだけが知る、人の歴史を彼はまだ知らない。
 もうじき彼も知るだろう。小さ女王の、可憐な宮廷に迎えられる時になれば。
「死の歌は、その、文字によって継がれるのかもしれない。俺にはあまり理解でき
ないが」
 今は兄熊をしっかりと認識して、少女は答えた。
「文字であろうと、言葉の威力を消せないの。偉大な歌を、文字にするのは危険よ。
だから、歌は文字にされることはない。口から口へ。歌から歌へ、伝えられる。祈
りの言葉と同じように」
 風が、二人に触れては去って行く。海と、空と、この夏の日のにおいを巻きなが
ら。
 全てが燃え尽き、死が世界を覆おうとしたあの日から、たったの数世代。世界は、
緑で、青で、明るく、その上夏だった。
 夏が行けば、秋が。冬が。春が、廻る。
 誰が想像し得ただろうか。
「赤牛が、言ったわ。10日後に、何もかも知るって。歌の力が何もかも教えてくれ
るの。真魚は、歌になるのよ」
「さよなら」
 とっさのつぶやきは、風に消えた。真魚まで、届かなかった。なぜ、そんな言葉
が出たのか、兄熊が考えるその前に。
 かあん、とまた鳴った。続いて、また。
 かあん、かあん、かあん。
 打ち鳴らされる鐘が、今度は舟の帰還を告げている。気がつけば、沖に舟の影は
なく、ただ波ばかりが揺れている。
「行って、歌わなくちゃならないな」
「うん」
 うなずきはしたが、歌い手は動こうとしなかった。
 明日からは、外に出られなくなる。
 この次海を見るのは、8人目の真魚。もうただの真魚ではない。
「忘れないよ。たぶん。今日のことは」
 真魚の胸を、兄熊が言葉にした。
 真魚は、言葉の魔力を考えつつ、もう一度祈りをつぶやきはじめた。
 風が、冷たい。




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