AWC お題>月と指輪 不知間


        
#404/1336 短編
★タイトル (YPF     )  95/ 2/15   1:26  (132)
お題>月と指輪 不知間
★内容
--

   月と指輪


                  不知間 貴志

 そろそろ退屈も、三年目です。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「はい、帰ったよ。疲れた」
 背中で、たまのれんが、ちりちりと音をたてます。
 冷蔵庫からワインなぞ、出してみます。酒屋さんが、
私のこと、声が若々しい、なあんて、誉めてくれたから、
赤いワインを買ってしまいました。
「めずらしいじゃないか」
 もちろん康夫さんは、そう口にしてしまいます。その、
言葉も、言い回しも、唇を動かす前に、私には全部わかっ
ています。自動的です。心配はいりません。
 グラスも二つ出します。何も置いていない食卓の上に
並べておくと、それから、コルク抜きが見つかりません。
「あれ、あれは何処にやったかしら」
「それはそこの下の、ひきだしだろ、たぶん」
 というつまらない、けれど軽く、透明なやりとりが、
なんだか実は少し心地良ひと感じていると、自分にしか
わかりませんが、とてもひそかに指先が、ふるえたりな
ぞします。
 けれど、退屈は、しています。しなければいけないん
です。私はそんなふうな生き物なのですから。
 康夫さんは、私がそういうふうに心そこにあらず、と
いうような表情を時々している、ようですが、と、きまっ
て私の目をのぞきこみます。
 康夫さんは、クロムメッキの螺旋のコルク抜きを私に
手渡しながら、自分のお腹を指差して、
「ほら。思い切って、ぶすっとここに刺してみる?」
と、つまらない、冗談ともつかないことを言います。け
れど、康夫さんの顔は、眼と鼻から、私のことを精一杯、
心配していることがわかります。
「大丈夫。さあ、ちゃんと赤あいワインをあけましょう」
 ・・・私は、残酷なことは嫌いです。考えると、恐く
て頭痛がするからです。
 ワインはグラスにそそがれるときには、トクトク、キ
キキと、テレビのコマーシャルのように、音をたてます。
 私は唇を、頬のほうにせいいっぱいつりあげて、たぶ
ん笑ってみえるようにします。そう。笑うのです。

 語るべき結婚生活は、かまきりの卵です。

 康夫さんは、私が投げ棄てた指輪を、本当にきちんと
みつけてきたのですが、くさはらの生き物は何日かかけ
て、それを卵の泡で、枯れて乾いていたススキの茎にむ
すびつけてしまっていました。”手遅れ”とは、簡単に、
陽気な”始まり”に変わるものです。
 康夫さんの部屋の、ごちゃごちゃと小物だらけの机の
上に、薄い青いガラスのシャーレが、ぽつんとあります。
その中にそれ、ベージュ色の、かまきりの卵がおさまっ
ていました。私が、そのままにして、といったのです。
 指輪の金が、卵の、軽くかさかさと固まった泡から、
ほんの少し飛び出してて、チカリと光ります。
 顔を近づけて、卵を見て考えれば考えるほど、康夫さ
んが指輪をみつけられたことが不思議になります。とき
どき、疑問で頭がぶわりと風船のように膨れるのを感じ
て、両手で耳のあたりをおさえてみたりします。
 そんな時は、たまに康夫さんの顔が思い出せなくなっ
たりして、ひとりになってクスクスと笑ったりもします。
 窓をあけます。月がよく見えるマンションの六階です。
日当たりよりも、月がよく見える部屋を選んで住んでい
ます。
 真に、満月の夜には、風にハッカのような匂いがつい
ています。たぶん、そばにある香料の研究所のせいかも
しれません。時々そこからブドウのガムの匂いもします。
 目が良い私には、月は空にはりついた、シールのよう
に薄っぺらく見えます。
「窓をしめて、暖かくなさい」康夫さんが、背中から声
をかけます。ただ「はああい」なんて、答えます。

 そしてあの日、そのころでも裸ででも大丈夫なほど、
温風ヒーターをつけはなしていたせいでしょう。とうと
う、かまきりの卵がかえりはじめたのです。
 シャーレの中に、それはもうぎっしりと、白い子が動
いています。
 蟻とかまきりは、キッパリと違います。蟻は計画され
た一本の道がわかっていますが、かまきりの子は群れる
のです。蟻の大きさなのですが、ひとつひとつが、あの、
かまきりの、鎌をかまえたカタチをしています。色は歯
の色で、歯に牙と書いて、”しがしょく”という色の名
前があるはずなのですが、それです。
 そこで、たぶん賢い一匹が、シャーレの隙間から抜け
出して私の指にうつりました。「ひあああ」と私の身体
についている口は悲鳴をあげて、そして手は反射運動で
シャーレを床に落とします。和室の六畳の畳の床でも、
立派にガラスが割れました。
 掃除の大変さが、脳みその中をいっぱいにします。康
夫さんは、まだその時帰ってきてませんでした。
 畳の上で、かまきりの子供が、わらわらと蠢めいてい
る中で(動イテハイケナイ)、と私はしばらく固まって
いました。

 残業で遅く帰ってきた康夫さんは、食事もまだでした。
と、その夜は、もう随分遅かったのですが、ふたりで、
少し気持ちがいい月もでていたことですし、どうしよう
もないので、ドアに鍵をかけて、思った以上に明るい道
をとぼとぼと歩いて、環状道路ぞいのファミレスに行く
ことにしました。素敵といえなくもありません。

「でもやっぱり殺虫剤とか、必要だよね」康夫さんがぼ
そりと言います。
「だよね」私は、答えます。でも、そういえば、私の自
分の身体にかまきりがついていないかどうか、確かめて
いなくて、なにかそれで急に恐くなりました(康夫さん
がまさか私に、シュうう?)。
 殺虫剤は子供のころで知っていて、肌にとても冷たい
し、濡れるので私は嫌いです。
「畳とか部屋、だめになっちゃうかもね・・・」
康夫さんは、私にではなく、自分の歩く方向にむかって
ぶつぶつと口にしつづけます。
「・・・ビスケットの缶ちゃんとかぶせてきたけどね」

「殺虫剤ならどこでもコンビニにあるわ」
 康夫さんを落ち込ませないように、私は元気づけます。
「そうだ・・・コンビニにはなんでもあるね」
「そうよ。かまきりなんて二人になら恐くないのよ」
 夜中に私たちは明るい月を見上げて、アスファルトの
急な坂道を登りながら、少し大声で話してみます。
 そしてファミレスの幸せなオレンジ色のカンバンが、
ずんずん近づいてくるのでした。

 そうね、エビピラフ。

--
1995.2/15





前のメッセージ 次のメッセージ 
「短編」一覧 不知間の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE