#335/1336 短編
★タイトル (XVB ) 94/12/ 1 1:33 (153)
覆面>反射鏡
★内容
反 射 鏡
ぼくがきみを見つけたのは、きらめくプランクトン
の屍骸が雪のように音もなく降りそそぐ夜のこと。
眠れない時の退屈な呼びかけに答えて、当てもなく
街へ足を踏み出したぼくは、その夜もいつものように、
雑踏にまぎれて歩きはじめたんだ。
夜毎あらわれる盗賊の噂は耳にしていたけれど、そ
の時のぼくにとって、そんなものがそれほど怖いもの
だとは思えなかった。
ぼくのような中身のうつろな人間は、盗まれて困る
ようなものなんか何ひとつ持ってはいないと、そう思
いこんでいたから。
人々はいつもと同じく、ゆらめくコバルトの街路を
幽鬼のようによろめきながら歩いていたよ。
そしてきみは、そんなうつろな人々の流れに沿って、
ひっそりと、まるで風にまぎれて消えるかげろうのよ
うな足取りで、歩いていたんだ。
ぼくがきみに目を魅かれたのが何故かなんて、もう、
覚えていない。
覚えているのはきみがただ、何か運命の糸にたぐり
よせられたようにして、ぼくと同じようにちょっとび
っくりしたみたいに、大きな瞳をせいいっぱいに見開
きながら、ぼくのことを見返していたこと。
ただそれだけ。
そしていつもだったら、ぼくも、そしてたぶんきみ
の方も、ただそのことにほんのちょっと胸をときめか
せてみただけで、そっと視線をはずして、そのままお
互いに別々の方角に向かって歩き去っていたはずだっ
た。
だけど、その時は違っていたんだ。
ぼくたちはしばらくの間、どうしていいかわからな
いままただ、お互いにびっくりしたようにして見つめ
あっていただけだった。
けれど、やがてどちらからともなく互いの間の距離
をつめ、そして一言もかわさないまま肩をならべてゆ
らめく雑踏を歩きはじめたんだ。
街はそんなぼくたちの出会いを祝福するでもなく、
あいかわらずあらゆる事象に無関心のままだったよ。
歪んだサーチライトのかがやき。
切り裂かれる月のきらめく夜空。
降りしきるプランクトンの屍骸。
落ちつづける青い事象を静かにうけとめ、ひたすら
歩きつづける無言の人々。
そんな街をひっそりとくぐりぬけて、ぼくたちは公
園にたどりついた。そしてどちらからともなく半透明
の白いベンチにならんで腰をおろし、長い間、お互い
のことや思っていることをぽつり、ぽつりと話したん
だ。
夜はいつまでたっても明けなかったし、あいかわら
ずサッキュバスの甘いささやきも目蓋にふれてはこな
かった。
だからぼくたちは、そのままそうして何日も、肩を
ならべて、言葉少なに街を眺めて歩いていたんだ。
時間の流れはゆるやかに、うつろに足踏みをしてい
たよ。
幻のような世界だった。
この心地よい、幻のような世界をぼくにもたらして
くれたのは、きみだったの?
そんな疑問がいつでも、ぼくの胸の底にはたゆたっ
ていたよ。
けれど、ほんとうはそんなことなんて、どうだって
よかったんだ。
ぼくのほんとうの願いは、たったひとつだけだった
から。
その、快くうつろな時の流れる世界に、こうしてい
つまでもだれかと一緒に音もなく、うつろなままで漂
っていたい。
ただそれだけだったから。
そしてその世界が、ガラスのように淡く砕けて消え
てしまうかもしれないことが怖かったんだよ。
だからぼくは、ぼくの隣を声もなく微笑いながら歩
くきみに対して、ほんとうに重要だと思えるようなこ
と----たとえば、世界はいつからこんな風になってし
まったのだろう、とか、きみはどこから来てどこへい
こうとしているの? とか、そしてきみはぼくのこと
をどう思っているの? とかそういうこと----を問い
かけるのを、無意識のうちにさけていたんだ。
いつまでも、そうしていたかったから。
ふたり肩をならべて、ただ歩いていたかったから。
そうしてうつろにただよう人々の流れにのって、海
月のように、あまり何も考えずに漂っているのは、と
てもいい気分だったんだ。
明けない夜は、時にコバルトから深いぬば玉のよう
に濃くうねったりしていたよ。
遠く近く立ちならぶ超高層ビルの窓には、まるで芸
術家の描く落書きのように、奔放で淡く、きれいな模
様が、光となっていくつも灯されていたんだよ。
街路に立ちならぶ店先の風鈴の音色。
哀しい声の、夜鳥の鳴き声。
電話ボックスからもれ出てくる、楽しそうな、哀し
そうな、きらめく色の笑いさざめき。
かすかに鼻先をかすめすぎてはほのかに消える香の
におい。
そして舞いあがる七彩の砂のかがやきを、のみこん
では身をひるがえす、金や銀のうろこの魚たちの、し
っぽの動きのやさしい幻惑。
そういうものを目にするたびに、ぼくたちは声もな
く顔を見あわせては微笑いあい、腰をおろし、眠り、
そして歩きつづけたんだ。
そして----この淡くうつろで幸福な日々に、残酷な
終焉がくることなんて、もしかしたら絶対にないのか
もしれない----そんなような思いが何となく、頭の中
のどこかに、気がつかないうちにいすわりはじめたこ
ろになって、やっと----
夜は、明けはじめた。
夢を見ていたような気がする。
そんな風に思いながらぼくたちは、高層ビルの谷間
に眠る公園の、やわらかなベンチにならんで腰かけて、
バラ色に明けていく空をいつまでも眺めやっていたん
だ。
気がついた時にはもう、きみの小さな、まるい頭は
ぼくの肩に甘えるようにもたれかかっていたよ。
そしてぼくはきみと目を見かわして小さく笑いあい、
そしてきみの肩をそっと抱きよせたんだ。
きみは幸福な猫のような顔をして目を閉じ、喉を鳴
らして笑ったよね。
きみの暖かい体温や身じろぐ感触、そして身につけ
た服の生地を透してぼくの胸に吐きかけられる息の熱
さが、とても心地よく、そしてうれしかった。
その時ぼくは、永遠に手にいれたい、と思えるよう
な宝石の時間が、この世界には無数にあるんだと、気
がついたんだ。
不幸なことにね。
でも、だから、もう遅かった。
きみはそうして、ぼくの心の中にいちばん居心地の
いい場所を発見すると、ほんとうに幻のように、ぼく
の気づかないうちに----いつのまにか消えてしまって
いた。
ぼくの胸の中にしまいこまれていた、自分自身でさ
えそんなものがあるなんてもう、ほとんど忘れかけて
いた、いちばん大切な宝石の部分。
それをきみは、幸福そうに笑いながら奪いとり、そ
のままぼくには見えないどこかにいってしまったんだ。
それからどれだけの夜が暮れて、そして明けていっ
たのかぼくは知らない。
ただぼくは、あいかわらず眠れないまま街をさまよ
い歩いているよ。
ひび割れてるんだ。
目的もなくただ歩きつづける人々の足音を聞きなが
ら、ぼくもまた、ただ歩きつづけるだけ。
ぼくの目はもう、何も映さない。
だってあの絶望の夜明けから、ぼくの目はひび割れ
て傷だらけになってしまったのだから。
ぼくの目はもう、亀裂の入ったガラス玉。
何も映さない。何も、映したくない。
...