#281/1336 短編
★タイトル (GSC ) 94/ 8/ 5 1:51 (122)
声と発音について (随筆2) /オークフリー
★内容
このところ毎日、37度・38度、地域によっては39度を越す猛暑が続いており、
私は休日ともなると、朝から晩までクーラーのスイッチを入れて、パソコンのキーボ
ードばかりたたいている。これでは電気代がかさむし、パソコンもいっこうに上達し
ないから、今日は冷房を止め、部屋の天窓だけ開けて、床に寝ころんで心身を休める
ことにした。椅子に座っているのと床に寝ころんでいるのとでは、温度が2、3度は
違う。
久しぶりでFMラジオのスイッチを入れてみる。近ごろはトンとラジオを聞かなく
なって、毎晩楽しみにしているはずの〈三国志(朗読 橋爪功)〉すらも、つい聞き
忘れがちである。
ところが今日は、ラジオ放送がいつになく新鮮に聞こえた。時折思うことだが、一
つの番組を放送するまでに、どれほどの苦労があるものなのか、私などには計りがた
いことである。
午前9時からのクラシックアワーのアナウンスは、…まさ子と言っていたが、聞き
やすい解説だった。ただ、「がぎぐげご」を鼻濁音で発音しないのが欠点で、これは
最近の若者の傾向と言えよう。
11時の時報の後は朗読の時間である。五島美代子アナウンサーは以前よく私がラ
ジオを聞いていた頃、クラシック番組を担当していたが、私のあまり好きな音声とは
言えない。しかるに今日は実に聞きやすかった!末広博士の〈魚の話〉は、確かに内
容も優れているが、それをまた見事に読み上げる技量には感心させられる。五島アナ
はもうかなり年輩のはずだが、年齢による声の衰えとか、音質に対する私の好みなど、
一切超越した張りのある朗読で、適切な間合いと抑揚は天性の素質の上に十分な練習
をツンダ結果であり、さすがプロのアナウンサーと言える。それに比べると、このごろ
の放送にはお粗末な物も多い。
さて以下、連想を広げて、人の声と発音に関する私の持論を展開してみる。
私のように幼い時からの全盲者にとっては、人の声が顔立ちよりもはるかに重要な
価値を持つ。速い話、少々顔がまずくても、綺麗な声で爽やかに話しをする女は美人
で知的な女性に思えるし、バリトンの声で腹の底から堂々としゃべる男に出会うと、
いかにも頼もしい人格者のように感じてしまう。
まずは、男性の声と女性の声に分けて話を進めよう。
女性の綺麗な声といっても、人により好みはまちまちである。
一昔前の流行歌手しか知らないので恐縮だが、中島みゆきや松任谷由実、山口百恵
や森昌子のファンがいるかと思えば、都はるみや石川さゆりが大好きな人もいる。私
の好みはまた少し違うが、ともかく女性の声に対する評価は、人によりかなり違って
いるようだ。
年齢のことを言って申し訳ないが、女の声の最も美しいのは二十歳前後から25歳
くらいまでかと思う。それ以後何歳まで綺麗な声を保たせることができるかは、各個
人の生き方や健康状態によるであろう。女性は結婚すると途端に声が変わるとか、生
活が乱れると声が悪くなると言われており、これは男にも言えるのではなかろうか。
私はどちらかというと、High Toneの音質が好きだが、高い声は年齢ととも
に急速に劣化が現れるから残念なことになる。
男の俳優で私の好きな声は、これも既に亡くなった人や一時期よりも声の衰えた人
を含め、志村喬・中村竹弥・加藤剛・原田芳雄・伊吹吾郎らであり、これは多分一般
的な人気と一致しそうである。
こう考えてみると、晴眼者(目の見える人たち)にとっても、やはり悪声よりも美
声の方が良いのではないだろうか。
思春期を除けば、男性は女性よりも声の変化が少ないが、それでも40歳前後に激
しい声変わりがみられ、その頃、喉の異常感や声枯れを訴える人を時々見かける。こ
の時期を私は独断的に『第二変声期』と名付けたい。
そして男子も60歳に近くなると、明かな老人性変化が現れ、正に『おじいさんの
声』になっていく。私もだいぶ前から声に濁りを感じ、歌も自由自在に歌えなくなっ
てきた。これが後数年も立つと歯が抜けて、話声が揺れるようになるのであろう。今
まで何気なく歌っていた鼻歌も、やがて満足に歌えなくなると思うと、今更ながら、
音楽のありがたさが身にしみて分かる。
私の身内の自慢話になるが、父親は素晴らしい声の持ち主で、歯切れの良い関東弁
と響きわたる大声は、子供たちに少なからぬ畏敬の念を起こさせた。
跡取りの兄もなかなかの美声で、私も兄の三河弁にほれぼれすることがある。しか
し、その兄もさすがに70歳近くなると、僅かながら声に濁りが混じるようになった。
父の弟、即ち私の叔父は、声こそ大きいが、音質はあまり良くないように思えた。
ところが、彼はプロの浪花節語りで、朝鮮半島から満州まで浪曲を興業して歩いたと
いうだけあって、ある日、叔父の浪曲の一節を聞いて私は思わずうなってしまった。
歌声といい節回しといい、まことに優雅で、どんなに逆立ちしても、叔父の芸には遠
く及ばないことを知った。確かに、歌が自慢のアマチュアといえども、プロの歌手に
比べたら、所詮は素人で、その歌唱力は5、6段から10段以上の差があるものと考
えなければなるまい。
ついでに言うと、プロの歌手にも色々あり、概して話す声のあまり良くない人に限
り、歌声は素晴らしく、逆に会話の声は綺麗でも、歌うと全然駄目な人も多い。勿論、
歌も話も両方とも良くない人は世の中に溢れるほど居るのであるが…。
もう一つ、私の仮設をここに述べてみる。
ある両親に何人かの息子と娘が居るとする。かりに父親が良い声の持ち主だとした
場合、娘は悪声になりやすい。母親が綺麗な声の持ち主だった場合、息子は悪声にな
りやすい。これと反対に、父親が悪声だと娘は綺麗な声になり、母親が悪声なら息子
は素晴らしい声になる。
ある程度この仮設が当たっているとすると、その論拠は次のようになる。
「男にとって良い声をもたらす遺伝因子は女にとって悪い声を作り、女の声を美し
くする遺伝因子が男に入ると悪い声を作ることになる。言い替えると、低音と高音と
では、美声を作る因子が逆に作用するのではないか?」
これが私の一つの仮設である。無論、遺伝は両親から半分ずつの形質を受け継ぐも
のであるから、要素の組み合わせはもっと複雑になるが、色々な家族の声を観察して
いて、ふと考えついた理屈である。統計を取った訳ではないし、化学的根拠は何も無
い。
このように書いてくると、人の声も結局顔立ちと同じく生まれつきの物で、本人の
努力ではどうにもならないかに思われるが、必ずしもそうばかりとは言えない。音質
そのものは変えることができないけれども、発声や発音の仕方によっては、かなりの
悪声でも改善できるのである。人の顔つきについても言えることだが、音声において
も、その人物の性格や生き方が自然に反映するものであると私は信じている。
次に発音に関する私の意見を述べるが、特に現代の若者たちの発音がはなはだ気に
なるので、いささか細かい点まで書き出してみたい。
1 シャシュショ チャチュチョ:若い女の子の半数以上に見られる(聞かれる)
傾向であるが、矢印の左側(平仮名で記載)を矢印の右側(片仮名で記載)のように
発音する。
例:しゃ→スャ しゅ→スュ しょ→セョ ちゃ→ツャ ちゅ→ツュ ちょ→ツョ
2 外人訛りのような歌い方:ニューミュージックのほとんどで、あたかも外国人
が日本語の歌を歌っているような発音をする。これは意図的にそうしているのである
が、私からみると馬鹿馬鹿しい気取りとしか思えない。
3 鼻濁音を用いない風潮:私の年代では、数字の「5」及び外国語を除き、単語
の頭の文字以外に出てくるガギグゲゴや助詞のガには、なるべく鼻濁音を使うのが良
いと教えられてきたのに、今ではアナウンサーの中にも、これを守っていない人がい
る。
(以上、文中当て字が多く、特に人命の書き違いがあれば、ご判読頂きたい。また、
この文章が誰かを個人攻撃する結果になった場合は深くお詫びするものである。)
OAK