AWC 神秘の時代◇           うちだ


        
#31/1336 短編
★タイトル (TEM     )  93/ 5/ 9  19:53  (144)
神秘の時代◇           うちだ
★内容

『気持ちだけ』

二〇一九年一〇月二七日午後七時。
 佐野水晶の勤めるデパートの閉店時間である。ようやく客も全員帰り、1日
の仕事が終わる。ロッカーの小さな鏡の前で髪をとかす水晶に、同僚が声をか
けた。「ねーねー水晶。外見た?まだ日が高いんだよ」
「最近変だよね」
「もー地球ダメなんじゃない。やっぱエコロジーなんて今更よねー」
ここ数年以前からあった異常気象に加えて、夏には五時ごろ、冬には六時ごろ
と以前は正確であった日の出の時刻は遅れたり、早まったりするようになって
いた。ニュースでは天気予報の他に予想日照時間や日の出日の入り時刻予報も
行われるようになった。それより水晶の目下の心配事は昨日から寝込んでしまっ
た、恋人のテオの病気の具合だった。
「今から裕子たちと中華食べに行くんだけど、水晶も来る?」
「あ、ごめーん。私、行くとこあるから、今日はパス」

二〇一九年一〇月二七日午後八時。
 午後八時の時報とともに、浜本テオのアパートのチャイムが鳴った。テオは
ベッドからのろのろと起き上がると、玄関のドアのロックを外した。立ってい
たのは水晶だった。彼女はテオの1DKの部屋から流れてきた冷たい空気に身
震いした。
「テオー・・・なんでクーラーなんてかけてるの?」
「涼しくないと吐き気がするんだ。このほうがいい。」
テオは水晶を部屋に入れた。水晶は冷蔵庫を覗いて溜め息をついた。あまりに
何も入っていなかったからだ。
「調子悪くても少しは食べないと駄目だよ。リンゴ買ったけど、どう?」
「・・・じゃあ貰おうかな」
彼女は、キッチンでリンゴの皮をくるくるとむくと皿に盛ってから、茶の間に
ペタンと座った。テオがもそもそとリンゴを食べ始める。水晶は彼の青白くと
がった顔を眺めた。
「昨日より顔色悪いよ。明日も休んで病院行ったほうがいいんじゃない?」
「そうだなぁ」
「大丈夫?」
「うーん・・・二日も寝てると体があんまし動かない」
「気分はどうなの?」
「んー」テオはゆっくりと目を閉じた。「・・・何ていうか・・・みんなで騒
いでるときに自分も騒いでるんだけど、ふっと気がつくと、どっかで他人みた
いにそれを眺めてるような気分だよ」
「変なの」
「・・・車に乗ってて、早くブレーキ踏まないと危ないって時に、何だか実感
がわかなくてギリギリまで踏まない、みたいな・・・」
「つまり現実感がないってこと?」
テオは笑ってそれには答えなかった。分裂症みたいなものかもしれないと、水
晶はぼんやり考えた。
「ところで、水晶って今日は何で来たの?」
「何ではないでしょ。テオが寝込んでるって言ってたからお見舞いにきたのよ」
「あ、いや。何でって、車の音がしなかったからさ、歩いてきたんじゃないよ
ね」
「歩いてきたのよ」
「だめだよ。この辺だって夜の女の一人歩きは物騒なんだから」
「あら、でもまだ日も沈んでないのよ」
「え?もう八時だろ」
「なんか最近って、日の出日の入りの時間が目茶苦茶でしょ。今日なんて十時
のデパートの開店時刻になっても、まだ日が昇ってなかったんだよ」
テオは溜め息をついた。
「まったく、これから世の中ってどうなっちゃうんだろう」
「そんなことよりテオは自分の心配して」
水晶は彼の白い手に触れた。彼女はそのあまりの冷たさにドキリとする。

二〇一九年一〇月二八日午後八時。
 ドアを開けると、冷気と濃厚な花の匂いが水晶を襲った。テオは玄関から眩
しそうな顔をして、まだ日の高い外を覗いてから彼女を部屋に入れた。
「ごめん。すごい匂いだろ。さっき香水瓶一本割っちゃったんだ」
水晶はずかずかと部屋に入り、目をとじた。
「・・・これ百合の匂いだね。私の好きなトワイス、でしょ?」
「あたり」テオは少し笑った。顔色はいよいよ冴えず、青黒くなっていた。
「テオ、大丈夫なの?病院行った?」
「・・・行った」
「どうだった?」
テオはその冷たい手で水晶の手をとり、彼のパジャマの胸に導いた。ふたりは
しばらく黙ってそうしていた。テオが口を開いた。
「動いてないだろ」
水晶は目を見開いたまま黙っている。
「心臓だけじゃないよ。脳も。胃も腸も肺も、もう今日なんて瞳孔も動かない
んだ。こうして手足が動いて、口をきいてるのだって不思議だって、医者が言っ
てた。」
「どうしたら直るの?」
テオは首を振る。水晶はキッチンの流しに奇麗な包装紙と割れた瓶を見た。
「・・・香水、私にくれるつもりだった?」
「うん。割っちゃったけどね」
「テオ、立ったままで辛くない?」
「いや、あんまし変わらないからいいよ」
「じゃあ目をとじてね、手をつないで」
「・・・僕の手は冷たいよ」
「いいから」
ふたりは手をつないだ。テオの手は身震いするくらい冷たくて堅かった。
「・・・真冬の月夜にさぁ、百合の花が地平線のむこうまで続くよーな場所で
迷子になった気分にならない?」
水晶の言葉にテオはぷっと吹き出した。
「いきなり、何だそりゃ」
「病気が直ったら、私をそういう所に連れてって」
「・・・・駄目だよ、水晶。僕はもう・・・」
「まーた、そういう気弱なことを言うー」
ふたりは目を開けた。そこはもう真冬の月夜ではなかった。
「別に大袈裟に言うんじゃないよ。僕はもう死んでるんだよ。何にも動いてい
ないんだ。自分の意志で動く部分が奇跡的に動くだけで、体は死んでる」
「やめて」
水晶はテオの顔を正面から睨んだ。テオが口を開いた。ふと水晶は香水の匂い
の間に、リンゴの饐えた臭いを感じた。
「医者で言われたんだ。死亡推定時刻は二十五日明け方だって。・・・香水で
分からないかもしれないけど、これ以上置いておくと腐乱が始まる。もう会わ
ない」
「・・・私どうしたらいいの?」
テオは静かにほほ笑んだ。泣き笑いのようだと水晶は思った。

二〇一九年一〇月三〇日午前十一時四五分。
 テレビのニュースが日の出予想時刻を午後四時と告げている。その日水晶は
有給をとってデパートを休んだ。テオのことが気にかかっていたのだ。が、会
いにいくのもためらわれた。時刻は正午になろうというのに、真っ暗な空には
星が出ていた。郵便屋のバイクがライトを点けて街に郵便物を配達していく。
水晶は一通の手紙を受け取った。それはワープロで打たれた、テオからの手紙
だった。彼女は封筒を開けるのももどかしく、びりびりと封をきった。便箋の
ところどころに血膿のようなものがついていた。

 水晶

ことの出来る状態じゃないので手紙にします。もちろんもう会え
るような姿ではないのです。このまま肉体だけ崩れながら、たましいがやどり
つづけるとしたら、それこそ地獄です。これが届くころ、僕は医者と両親の立
ち会いのもとにダイナマイトで粉みじんにされ、火葬になります。それは僕が
望んだことです。
 水晶。寝物語で“死ぬまで変わらず好きだ”と言ったけど、死んでしまった
今でさえ僕は水晶のことを愛しています。多分これからもずっと、その心は変
わらない、永遠に。ただ体は永遠じゃないんだ。たまにでいいから僕を思い出
して。どうかどうか幸せになってください。
                                                          テオ

手紙を手にしたまま、水晶はベランダでぼんやりと風に吹かれていた。彼女の
家からは通りがよく見える。太陽は昇っていないものの大通にはずっと街灯が
並んでいて、昼食の買い物をする人々の姿がちらほらとあった。このまま太陽
が昇らなくても午前十二時になれば十月三十一日になるはずだ。テオは死んで
しまった。もう会えない。でも彼女にはどこから悲しめばいいのかわからなかっ
た。水晶が会ったとき、もうすでに彼は死んでいたのだ。“永遠に変わらない
”というテオの心はどこにあるというのだろう。自分の中にも体のものではな
い、心というものがあるというのだろうか。どこに?水晶は自分の両手で腕を
抱いた。

そのころテオは、体という入れ物を失って風に吹かれていた。彼は七キロの距
離を火葬場の煙と一緒に漂って、ベランダにいる愛する水晶の唇のそばを通り、
髪のあいだを駆けぬけた。もちろん彼女はそんなことには気付きもしなかった
けれど。

                           おしまい




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