#15/1336 短編
★タイトル (RMM ) 93/ 5/ 1 0:25 (121)
私の電波を知りませんか 椿 美枝子
★内容
私の電波を知りませんか。
トラックの開けた窓越しに女の子が話しかけてきた。夕暮れ、俺は運送を終え
自動販売機の前に駐め、缶コーヒーを一杯やっていた。
何だって。
俺は驚いてまじまじと女の子を見た。重く腫れたよう眼、髪の毛はぼさぼさ、
十七位だろうか、思い詰めた顔。
これ、あなたのせいでしょう。あなたの車に大きなアンテナがあるわ。
女の子が持っていたのはコードレス電話、どうやら子機らしい、無造作に俺に
差し出して、言う。俺は驚いて折り畳み式のその電話を受け取って、耳にあてて
みる。静かなノイズが聴こえる。それから俺のトラックにエンジンが掛かってい
ない事とパーソナル無線のスイッチの切ってある事を確認して、言った。
俺は知らないよ。どうしたの。この辺に住んでるのか。
急に女の子の顔が泣き顔になった。通行人の視線が気になるじゃないか。慌て
て、俺は助手席のドアを開けて女の子に座るように促す。しょうがねえなあ、と
呟きながら自動販売機で缶コーヒーを買う。ほい、と渡すと、泣きながら飲んで
いる。器用な奴だ。飲み終わる頃になってようやく泣き終えた。ぽつりぽつりと
話し始めた。
電話をしていたの。もう会えない、って、そう言うから、あの人に電話を切ら
れる音を聴きたくないから先に切ろうとしたの。そうしたら電話がずっと、こう
なったの。切っても切っても、赤いランプが点いたまま。ほら、蓋を開けると、
ホワイトノイズが聴こえるでしょう。蓋を閉めると、サインウェーブが聴こえる。
誰かが電波を送っているのかと思った。私達、別れちゃったの。好きだったのに。
また泣きじゃくり始めた。俺はもう一回、しょうがねえなあ、と呟いてもう一
つ缶コーヒーを買ってやる。今日の運送はこれで終わりだ、忙しいと言えば嘘に
なる。
あのね、コードレス電話の周波数帯は確か380メガかその辺。俺のはパーソ
ナル無線。周波数帯が違うの。いやまてよ、妨害電波が出るかもな。とにかく、
俺はほら、電源切ってあるだろ。関係ないの。わかった?
黙りこくって缶コーヒーを啜っている。わかってるのかな、こいつ。
女の子は飲み終わると、また、涙を浮かべた。もしかしてこいつ、水分が涙に
全部変わってるんじゃないだろうな。小銭がないや。なんだって最近の自動販売
機は千円札まで使えるようになったんだろう、そう思いながら千円札でまた缶コー
ヒーを買ってやる。女の子は受け取って、しゃくりあげながらようやく、ありが
とう、と言った。彼氏に振られたのか、なんていおうものならまた大変だから、
話題を変えないとな。顔色を伺いながら尋ねてみる。
そのコードレス、壊れたんじゃないのか。
女の子の顔色が変わった。さっきまでのとは、違う、思いも寄らない事を聞い
たかの様な、絶望の色。
会えないのに。電話でしか、会えないのに。
延々と声を上げて泣き始めた。その後、俺はあと三つ、缶コーヒーを買わなきゃ
ならなかった。
話を繋ぎあわせてわかった事は、この子が眠ってない事、ついさっき男と別れ
話をした事、電話がいかれた事、ずっと泣いてる事、飲み食いしてない事。腹減っ
てるから碌でもない事考えるんだぜ、そう言って俺はファーストフードのドライ
ブスルーへ向かった。ファミリーレストランでも構わなかったけど、人前で泣き
出されたら叶わない。
ドライブスルーの駐車場で腹ごしらえ。助手席の黙って食べる姿を見ていると、
まるで生きてるか死んでるかわからない。普通、ものを食う時はもう少し、生命
力を感じられるものじゃなかったかな。こいつ、本当に、大丈夫かよ。
ごちそうさまでした、そう言って、片頬を上げて微笑んだ。がっくりするぜ、
その顔。もうちょっと元気にならないのかな。俺は、もう、意地でもこいつを元
気にしたくなっていたんだ。パーソナル無線のスイッチを入れる。渋滞した国道
を走る退屈なトラッカーや女ったらし達の声が放り込まれた、この空を飛び交う
電波のほんのかけらを、垣間見る。
人がいる。
女の子が呟く。
俺はスイッチをいじってみせる。
ぎしぎしと混信しながら、それでもみんな、このノイズだらけの空でおしくら
まんじゅうさ。そんなにしてまで、誰かに会いたくてさ、知らない奴にさ。ちょっ
と声の可愛い女の子なんざ、すぐにお姫様だ。そしてお姫様は、王子様を見つけ
ては引退していく。一度しか会わない奴もいる、俺なんかモービルで長距離トラッ
クだからね、一期一会さ。
随分たくさん、人がいるのね。私ずっと、彼と私しか居ないと思っていた。
当たり前だろ。おまけにそのうちの半分は異性なんだ。でも、なんで、別れた
のさ、そいつと。
彼、今年受験なの。受かるまで会わない、って、電話だけにしたの。でも、そ
うすると私、長電話しちゃうの。それじゃ意味がないでしょ。だから、別れる、っ
て私が言ったら、そうだねそうしよう、って言われた。
自分で言い出したんだろ。なんだよ、止めて欲しかったのか。
違うの。言ってから、今になってから、気付いたの。わかったの。もう、会え
ない、戻れない。
また泣き始めたらどうしよう、そう思って顔を見たけど、意外、微笑んでいる。
眠くなっちゃった。どうもありがとう、これでようやく眠れる。私、寝物語を
して、って言ったの。でも、彼は、思い付かない、って。私、眠れないでいるの、
ずっと。彼にさよならを言う事、決めてから、ずっと。私に寝物語をしてくれた
の、あなただけ。ありがとう。家に帰るね。また会えるね。
近くまで送るよ。
トラックを降りるとその子は、にっこり笑って、手を振った。
また会えるかどうかは知らないよ。
ただ、それから俺はその街を通る時、あの子がコードレス電話を無線機に持ち
変えて、お姫様になってやしないか、ってこの空に呼びかけるのさ。
失望はしないよ。きっと電波はあの子を知ってるさ。
了
1993.4.30.18:20