#5446/5495 長編
★タイトル (EJM ) 01/04/28 09:12 (169)
お題>失せもの探し(5) 青木無常
★内容
5
黙りこんだフィローリアをシヴァは見つめ、やがていった。
「アルコールか?」
なおしばし言葉をなくしていたが、やがて短くいった。
「お酒なら飲めるけど」
答えになっていないと自分でもわかっていたが、それ以上説明できない。
そうか、といって仮面の男はふたたび黙りこんだ。
「何かわかったの?」今度はフィローリアが問いかけた。「セイエドと話していた
んでしょう?」
「何も。やつはおれの腹をさぐりにきただけだ」
「盗賊シャフルードがどうとかいう?」
「そうだ」
「疑ってるみたいね。あなたが実はシャフルードの斥候にきたんじゃないかって」
「当然、抱くべき懸念だな」
「ほんとうのところはどうなの?」
シヴァは答えなかった。
しかたなく、質問を変えた。
「ねえ、盗賊シャフルードって、どんなひと?」
返ったのは沈黙だったが、雰囲気は変わっていた。視線を宙におよがせ、考えこ
む。
フィローリアは身を乗り出して待った。
やがて仮面の男が口をひらく。
「奇妙な男だ」
「奇妙?」
「そうだ。やつの風評を知っているか?」
首を左右にふる。
「名前くらいしか」
そうか、とうなずき、
「凶悪、危険、暴虐。典型的なピカレスクヒーローを想起させるものがほとんどだ。
実物は、まるでちがう」
ふんふん、と少女はうなずく。
「いつも寝ている」
「え?」
「居眠りだ」
奇妙な言葉に、フィローリアは声もなくただ目を見はるだけ。
無表情にシヴァはつづけた。
「何もなければ、一日中うつらうつらしている。それだけ眠っておきながら、夜に
なってもちゃんと睡眠をとっているらしい。不思議な男だ」
フィローリアはくすり、と笑った。シヴァ自身が不思議を体現している。その口
から出るセリフではない、と思ったのだ。
気にするふうもなく、男はつづける。
「性格も、伝説に謳われるような剣呑さは、ふだんはない。どちらかというと呑気
だ」
「そんなひとが、どうして悪のヒーローになんかされちゃったのかしら」
問いかけたのは、シャフルードのことに興味があったからではない。
答えが返る。
「ひとたび事が起これば、伝説どおりの――いや、伝説など足もとにも及ばないほ
どの、切れ味を発揮するからだろうな」
「じゃあやっぱり伝説どおりなんじゃない」
「ギャップがありすぎる」
「そっか」笑いながら、納得してみせた。「仲いいんだね。そのひとと」
白いマスクに、かすかな表情の変化。ほんの少しだけ、目を見ひらいたのだ。
その視線が、虚空におよぐ。
「シヴァ」
胸の内からこみあげるものを抑えることができなくなって、フィローリアは口に
した。
仮面の無表情が、目だけで先を促す。
「もし……もしね」
そこまでいって、言葉をのみこんだ。
シヴァは黙って先を待つ。
逡巡をくりかえしたあげく、いいたかった質問とは微妙にずれた言葉を口にした。
「ここで何も見つからなかったら、シヴァはどうするの?」
「別の場所をさがす」
至極ストレートな答えが返る。
そうよね、と笑いながらいい、フィローリアはあいたシヴァのカップに手をのば
した。
キッチンに入る。インターフォンに手をのばした。邸内の仕入れを仕切るマネー
ジャに告げる。
「ヘイルを注文してほしいの。そう。コーヒーに入れるヘイル。だいじょうぶ?
……そう。できるだけはやくね。お願いします」
相手の口調は邪険で面倒くさげだった。いつものこと。それが哀しかったわけで
はない。
ただ、涙があふれた。とまらなかった。キッチンで、シヴァが口をつけた空のカ
ップを手にしたまま、少女は声をおしころして泣いた。
タバータバーイーが再度踏みこんできたのは、陽も暮れてしばらくしてからのこ
とだった。だれからも夕食への招待がかからず、ふたりですまそうかとフィローリ
アが相談しかけた矢先のこと。
今度は、傍若無人に少女を強奪していくような真似はしなかった。かわりに、つ
いてきてくれないか、と口にした。
どこへ、とのシヴァの問いに、タバータバーイーは無言で頭上を指さす。
あまり考えるそぶりもみせず、あっさりと仮面の男が立ちあがる。
とり残された気分で、フィローリアは胸前で指を組んだ。
が――タバータバーイーはいった。
「おまえもこいよ。愛しいひとと、少しでもながくいたいだろう?」
やさしげなものいいにふさわしからぬ、強い光を宿した双眸が少女をにらみつけ
る。
朝、陽光を締め出した暗い部屋でかけられた数々の言葉を、想起した。
目をそらす。あらぬかたへ。シヴァの顔など、よけいに見られない。
「こいよ。な」
肩に手をかけられた。――そっと、やさしく。
乱暴に抱きよせられるより、数倍おぞましく感じた。
だが抗うことなどもとよりできない。
人形のような足どりで従うほかなかった。
つれていかれたのは、屋敷の端に位置する塔だった。
情報集積所としての機能を持った、最先端の科学で武装した塔だ。要塞、といっ
てもかまうまい。
高速エレヴェータに搭乗し、一気に最上階まで上昇する。
丘上に建つ屋敷の、さらに天へと突出した塔の屋上へ出る。
残照が、東の地平線を深い赤に染めあげていた。
眼下に広がる街の灯。
複雑な彫刻のほどこされた手すりによりかかり、タバータバーイーは気取ったし
ぐさで背後の夕景に手を広げてみせた。
「みろよ、シヴァ。豪勢なながめだろう」
「悪くはない」
仮面の男はうっそりと答える。
「これがすべて、おれたちのものなんだぜ」
「興味はない」
にべもない返答にも、色男はいささかも動じることなく言葉を重ねた。
「お宝以外にゃ、興味はないってか?」
「そういうたぐいのものに興味を持っているのは、ジルジスだ。おれはちがう」
「だが、あんたはそのジルジス・シャフルードの手先なんだろう?」
挑発的なものいいに、フィローリアはぎくりと目をむく。
シヴァの表情に変化はない。
け、とタバータバーイーは吐き捨てた。
「いいかげん、白状しろよ」
「何をだ」
淡々とした問いかけ。
いらだたしげにタバータバーイーは言葉を重ねる。
「てめえの目的をだよ」
「すでに告げてある」
「おためごかしじゃねえ」
「どういうことだ」
のれんに腕押しだった。色男はしばし黙りこんだあげく、切り口を変えた。
「何が欲しい?」
「なくした記憶だ」
「そういう意味じゃない。金か? いや、そういうタイプじゃないだろうな、あん
たは。なら――」
フィローリアに視線を向ける。
不気味なほど静かな視線。
「女か?」
くちびるをかみしめ、少女はシヴァを見た。
仮面の無表情に、まるで変化は見られない。
返答もない。
風が吹いた。シヴァのディスダーシャが静かにふるえる。
「ここに留まるなら、この女をゆずってもいい――もしおれがそういったら、あん
たはどうする?」
タバータバーイーがいった。
真剣な面もちで。
なおながい沈黙の間をおいて――シヴァが答えた。
「欲しいものがあれば、恵んでもらう必要はない。その点では、おれとジルジスは
共通している」
「そうかい。じゃ――おれとやるってのか?」
色男の面貌に、こわいものが浮かび上がった。
フィローリアはこのとき初めて、タバータバーイーに高名な用心棒の風評にふさ
わしい雰囲気を体感した。
対してシヴァは――まるで動じない。
ただ短く告げただけだった。
「そのつもりはない」
――と。
フィローリアは表情を隠す。
そしてタバータバーイーは、視線をつ、と細めて、白い仮面を見つめる。
それからいった。
「信じていいのか?」
「好きにすればいい」
にべもない返答。
わかった、と短く告げて、タバータバーイーはくるりと背を向けた。
闇に浮かび上がる街の灯を背に、シヴァとフィローリアだけが残される。
しばし無言でたたずんでいた。
やがてシヴァが「いこう」と告げて歩きかけた。
その背中へ、少女は呼びかけた。
「シヴァ」
白い仮面がふりかえる。
「みて」
いって少女は――衣服を脱ぎ捨てた。
布きれと化した衣装が風に飛ばされ、街の灯を背にして全裸に靴だけをつけた少
女が残される。
微光に、素肌が映えた。
苦悶する獣の刻みこまれた素肌が。