AWC クロス・ステッチ 2   寺嶋公香


        
#5373/5495 長編
★タイトル (AZA     )  01/01/01  00:00  (201)
クロス・ステッチ 2   寺嶋公香
★内容

「うーん、それもないと思う。確かに、別当さんの腕前はずば抜けているわ。
速さもテクニックも。でも、そんなことで嫉妬するなんて……私が知る限りで
は、あり得ない」
「別当さんは、誰にセーターを渡すつもりだったのか、分かる?」
「決まってるわ。当然、付き合っている男性よ。名前は知らないけれども、近
くの大学の人で、年上だって」
「その人とは、うまく行ってるんだろうね」
「え? ええ、彼女自身は順風満帆な口ぶりだったわよ。相羽君、これって関
係あるの?」
 怪訝な目つきになり、相羽に尋ねる国奥。そのあと、純子と顔を見合わせた。
こんなときの相羽の思考法に慣れている純子だから、彼に代わる形で答えた。
「別当さん自身がセーターを破棄したくなる状況を想定し、その一つ一つを潰
していく……そうでしょ?」
「うん」
 素気なくうなずいた相羽とは対照的に、国奥はいよいよ顔をしかめて、意外
そうに声を大きくした。
「そんな! 自分で自分の編み物を処分するなんて、信じられない!」
「国奥さん、慌てない。今は、可能性を追っているだけだ。部外者の僕には、
別当さんの性格や人付き合い等まるで分からないから、こうしなくちゃいけな
い。親しい国奥さんなら、感覚的に正しく判断できることでもね。ごめんな」
「あ、いえ、いいのよ」
 国奥が気勢をそがれ、落ち着きを取り戻したところで、検討を再開する。
「狂言だと仮定するなら、その動機として他に考えられるのは――別当さん本
人が出来に満足していなかった?」
「それもないわ。なくなる前日までは彼女、凄く満足そうな顔をしていたもの」
「そうか。それなら、あらかじめ複数の――」
「ね、信一」
 思わず口を挟む純子。相羽が振り向くのを待って、続けた。
「あなたが厳密に考えたいのは分かる。でも、ここは国奥さんの感覚を信じよ
うよ。少なくとも、別当さんが自作自演した可能性はなし! これでいいじゃ
ない。何か問題ある?」
「……分かりました」
 かなわないなとばかり、ため息混じりの笑みを見せて、相羽は両手を組んだ。
そして、国奥に目を向ける。
「しかし、国奥さんの感覚を全面的に信じるとすれば、部員の中にも、こんな
悪戯をする人はいないってことになるんじゃないか?」
「え、ええ。それはそうなんだけど」
 戸惑い気味に、国奥。
「鍵を使って出入りできたのは、部員なんだから、他に考えようがないし……」
「あ、僕はその点は、まだ限定していない。顧問と警備員がいる」
「まさか。顧問の先生も、警備員の方も関係ないわ」
「そう言い切る理由が、僕には分からない。あくまでの仮定の話として、部員
の誰かが、顧問と密かに付き合っていて、手編みの何かをクリスマスにプレゼ
ントしようとした。ところが男の方は、そんな手の込んだプレゼントをもらう
のは気後れした。できればもらいたくないのだが、様子を聞くと着々と完成し
つつある。男は最後の手段とばかりに、鍵を持ち出し、部室から編み物を盗み
出し、処分した。それが別当さんの編み物だったのは、間違ったのか狙い通り
なのか分からない……という筋書きだって考えられる。あれ? 何かおかしな
こと言った?」
 相羽が目を丸くし、口をすぼめた。国奥と純子が、一斉に噴き出したからだ。
 国奥が目に涙をためて、声を殺して笑っているから、ここは純子が説明を引
き受ける。
「おかしいわ。私、相羽君がいない内に国奥さんから聞いていたんだけど、手
芸クラブの顧問は、女の人なんだって」
「――」
 このときの相羽の表情は、なかなかの見物だった。一瞬、唖然として、次い
で唇の端が上を向き、やがて片手で前髪をかき上げると、「はあ」と息を吐き
出した。
「女性同士が好きになることも、あるね」
「負け惜しみ言わないの。さっき、『男』と言っていたのを、ちゃあんと覚え
てますからね」
「だが、現実問題として、絶対にあり得ないことかい? 国奥さん、どうなん
だろう?」
 相羽がせき立てる口調で尋ねる。国奥は、目尻を指先で拭ってから、きっぱ
りと返事した。
「ないわ、相羽君。警備員とは顔を合わせたり話をしたりする機会がほとんど
ないし、確か、六十を越えたお年寄りよ。顧問の先生も五十代の、言ってしま
えばおばさん。もちろん、結婚なさっているわ。そもそも、部を成立させるた
めに名前を貸していただいているのが実状なのよ。もっとも、先生と学生なん
だから、講義や実習で顔を合わせることはある。それにしたって、普通以上に
親しくなるとは思えない」
「なるほど。ようく分かりました」
 降参の意味か、相羽はお手上げのポーズを取った。
「いよいよ、部員に絞らなければいけないのか……。誰それがやったという指
摘は、やめておこうと思う。そこまで深入りしたくない」
「うん、それでいいわ。私が知りたいのは、どうしてあんなことをしたのか、
だけと言っていいもの」
「動機の解明か。安楽椅子探偵にとっては、一番難しい命題なんだよな」
「あら、ギブアップ?」
 純子の口調が、つい楽しげになった。本気でそう思ったのではなく、相羽に
弱気が見えたので、鼓舞する意味を込めて、敢えて聞いた。
 案の定、相羽は大きく首を横に振った。
「実は、一つ、想像できてはいるんだ。強力な情況証拠があれば問題ないんだ
が、なかなか思い付かなくて、色々と質問してきたけれど……」
「えー? また負け惜しみじゃないの?」
 今度は本心から疑問に感じた。ここまでの話で、何をどう想像できるという
のだろう。
 相羽は、純子の問い掛けに、何やら自信ありそうな表情を向けて応じると、
次に国奥へ尋ねた。
「国奥さんは最初に、別当さんの編み物が見つかったあと、部員の中で、一部
を編み直している人がいたと言ったね」
「言ったわ。三人もよ。あれって、うまくできているみたいに見えたのに、ど
こか気に入らなかったのかしら」
 改めて不思議がる国奥に、相羽は質問を重ねた。
「その三人は、ひょっとすると左利き?」
「……そうよ。どうして分かったの?」
 質問返しには曖昧にうなずき、さらに質問。
「彼女達と別当さんとは、仲がよかった、悪かった?」
「悪くはなかったはずよ。その子達が入部したての頃、上手な別当さんが教え
てあげていたくらいだし。……相羽君は、この三人が怪しいと思っているの?」
「僕は、人の特定はしないよ。動機を考えるだけ」
 特定しているのとほぼ同じじゃない、と突っ込みたくなったが、口をつぐむ
純子だった。
「恐らく、一回生の、あまり上手でない人達は、手本が欲しかったんだよ。本
に載っている写真なんかではなく、実物のね」
「手本?」
 おうむ返しをしたのは純子。いまいち、飲み込めない。
「手本と言ったって、別当さん自身、編んでいる最中なんだから、じっと見て
いるわけにいかないでしょう? だったら、本を見た方がよっぽど……」
「本に載っている例は、右利きの人向けなんじゃないかな」
 相羽の台詞は、意見を述べると同時に、国奥への質問にもなっていた。相羽
に見つめられた国奥が、「そうよ」と答える。その上で、反論があった。
「左利きの人が本を見て編み物をするのは、かなり面倒なのは事実よ。頭の中
がこんがらがるというか……。だから、そういうときは反転コピーするのが常
識なのよ。言うまでもなく、反転すれば、右利きの図も左利きの図に早変わり
するものね。無論、文字も反対になってしまうけれど、読めないほどじゃない」
「ふうん。だったら、よほど別当さんは編み物が上手なんだ? 反転コピーし
た写真や図よりも役立つ手本になると、その三人は考えたんじゃないかな」
「……思い出してみたんだけど、そういえば、あの子達、誰も反転コピーした
物を手元に置いてなかったような気がする。ずっと、別当さんのやり方を見て
いたのかしら」
「多分、難しい箇所だけだと思う。でも、離れた位置から見ていても、はっき
りとは分からない。かと言って、別当さんに見せてくださいと頼むのも気が引
ける。そこで彼女達は、別当さんが編みかけの物をロッカーに置いて帰ったと
き、千載一遇の機会を得たと考えたんじゃないかな。部室内のことだから、ロ
ッカーに鍵は掛かっていない。楽に取り出せる。時間が経過して、一人帰り、
二人帰りしたが、当の三人は最後まで残ったことと思う。何故なら、別当さん
の編み物を手に取りながら参考にできるのは、今夜だけかもしれないのだから。
今夜の内に、少しでも多く進めておきたいと考えるのが、道理だ」
 情景が目に浮かぶ。別当や国奥、その他の部員達が部室を出たあと、辺りを
窺うようにして、ロッカーから編み物を持ち出す三人。編み棒の位置も、理想
的な地点で留め置かれていたのかもしれない。机の真ん中に別当の編み物を置
き、三人は参考にしながら、せっせと自分の物を編み始める……。
「しかし熱中のあまり、三人の間で、小さないさかいが起きたんじゃないかな」
「いさかいって?」
「別当さんの編み物を、ちょっとでも見やすくしようと、その編み物を引っ張
り合ってしまった。その結果……。僕の想像は、ここまで。随分と勝手な想像
だし、あとのことは口にすべきでないと思うから。ああ、念のために付け加え
ておくと、彼女達が自分の編み物をほどいたのは、別当さんの編み方によく似
た部分……恐らく、特徴的な飾り編みの箇所を残しておくと、そこからことが
露見すると考えたんだろうね」
 しばらく、部屋の中が、しんとなる。
 相羽は、紅茶を手に取った。冷めているに違いないのに、淡々と飲み干す。
 そして、沈黙を国奥が破った。嫌悪感を抱いているのが窺える。
「ほつれただけなら、編み直しは何とかできるはず。それなのに、鋏で切り裂
くなんて。そんなことしなくてもいいじゃない」
「ほつれたこと自体を隠そうとしたんだろうね」
 短く答える相羽。国奥が口を開き掛けたのを見て、彼は機敏に言い足した。
「すぐに謝っていれば、大事にならなかったかもしれない。けれど、そのとき
の当事者は気が動転して、それどころじゃなかったんだよ。別当さんて、上手
だけど、やっぱり恐い先輩、だったんじゃないかな」
「そうかもしれないけれど。中学や高校ならまだしも、大学生になって恐がる
なんて……」
「エスカレーター式の弊害と言ったら、国奥さんに怒られるかな」
「ん……いいえ。それは、あるわ」
 意外なほど、あっさり認めた国奥。彼女自身、なにがしかの経験を昔したこ
とがあったのかもしれない。
「これで、おしまいにしていいかい?」
 相羽は改めて国奥に聞いた。相手は仕方なさそうにうなずく。
「ある程度納得はしたけれども、このことを、別当さんにどう伝えればいいの
かしら……余計に困ってしまう」
「僕には分からない。すずちゃん、どう思う?」
「え、私?」
 唐突に話を振られて、思わず、自らを指差す純子。その仕種をやめて、真剣
に考えてみた。
「そうね……。何も言わないのも選択肢の一つ。国奥さんの口から別当さんに
伝えては、かえって手芸部はがたがたすると思う。やっぱり、その三人が――
本当にしたのなら――直接、別当さんに謝って、誠意を示すのが筋だわ。別当
さんにとっては、それでも許せないという気持ちに違いないとしても……」
「そうよね」
 きっと同じことを思っていたのだろう、国奥は落ち着いた吐息をした。
「これでクリスマスまで、もっと間があるのなら、何とかする手だてもあると
思うのに。ああ、どうするのがいいのか、もうしばらく考えてみなくちゃ。相
羽君、涼原さん、お礼を言うわ。ありがとう」
 対して相羽は何も返さず、ただ目でうなずいただけ。純子は両手を振りなが
ら、「わ、私は別に何もしてない」と、顔を赤くする。
「ううん。いいアドバイスをしてくれたじゃない。それに、相羽君のやる気を
引き出したのは、あなたの力よ、なんてね」
 国奥の言に、一層赤面する純子だった。
 それから――思わぬ訪問者の帰りを見送ったあと、部屋で二人きりになる。
「クリスマスが来るね、相羽君」
 名を呼ぶと、相羽が、え?という顔つきをした。二人しかないのに、「相羽
君」と呼ばれたのが意外らしい。純子は、これだけのことで少し楽しくなった。
 相羽の使った食器を洗うために立ち上がると、相羽も着いてきた。
「何かほしいものある? 手編みのセーターなんてのは、難しいけれど」
「君がほしい」
 相羽の即答に、カランを締めて食器を置き、苦笑を浮かべる純子。すんなり
先へ進ませてはあげません――そんないたずら心から、とぼけてみる。
「それって、ピアノの曲名かしら? ……あ」
 肩越しに振り返ると、後ろから相羽が包み込むように抱きしめてきた。
 そして、唇が重ねられる。感触は優しく、想いは深く。
(信一)
 いくばくかの時間が経過して、やがてどちらからともなく離れる。
「誰にも邪魔されないクリスマスを過ごそう。僕は君のためにいるから、君は
僕のために、そばにいてほしい」
「……ん。分かったわ。嬉しい」
 顔を伏せがちにし、純子は静かに応えた。
「初めてだね」

――『そばにいるだけでMystery 〜 クロス・ステッチ 〜 』おわり




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