AWC お題>タイムマシン>「時間は終わる」(2)    時 貴斗


        
#5141/5495 長編
★タイトル (VBN     )  00/ 8/ 6  20:56  (154)
お題>タイムマシン>「時間は終わる」(2)    時 貴斗
★内容
  フォーチュン・シティ

 タクシーを降りた途端、腐ったような路地の臭いが容赦なく鼻腔に侵
入してきて、奥田大智(おくだ だいち)は顔をしかめた。今にもくず
れそうなバラックが道の両脇を埋めている。フォーチュン・シティ(幸
運都市)とはひねくれた名前をつけたもんだ、と、彼は心の中で毒づき
ながら、不快な臭いを鼻に送りこんでくるアスファルトに唾を吐いた。
どう考えても、貧乏人が他に行き場がなくて仕方なく住んでいるような
場所だ。行き交う人々はみな汚らしい格好をしている。
「さて、どうしたもんかな」と彼はつぶやきながら、辺りを見まわした。
 向こうから太った小男が歩いてくるのが目に入った。彼は慌ててポケ
ットから写真を引っ張り出しながら、重いスーツケースを持ち上げ、駆
け寄った。
「エクスキューズミー」
 男は驚いたような、怒ったような変な顔をして立ち止まった。
「この女を知らないか(Do you know this woman?)」と彼は英語で聞い
た。
 中国のアクション映画に出てくる三枚目役を思わせるその男は、彼の
手元を見つめ、そして丸い顔を上げた。
「ああ、知ってるよ。だけど知らないな。(Yes. I know. But I don't 
know.)」
 奥田は舌打ちして、財布を取り出すと男に札を一枚渡した。
「この通りをまっすぐ行って、二番目の信号を右に曲がって、少し行く
と左に細い道があるから、そこに入って五分ぐらい歩くとミルフィーユ
っていう店がある。彼女は気まぐれだから、開いてる時もあれば、閉ま
ってる時もある」
 彼は礼を言って、男が教えた方向に歩き出した。
 信号を曲がると、人が一気に増えた。肌の白いの、茶色いの、いろん
な人間がいて、人種のるつぼだ。東洋人が多いが、日本人はいないだろ
う。
 本当にこんな所にタイム・ボートがあるのかと、彼は心の中でいぶか
った。正規のボートは、大きめの研究機関に行けばある。しかしそんな
所は奥田には無縁だ。だが、闇で貸し出している業者はいる。それが今
から彼が会おうとしている女、ミス・ジェニーだ。
 教わった場所に近づくと、鉄の板に「MILLEFEUILLE」と
ペンキで書きなぐった看板が見えた。それをミルフィーユと読むのかど
うか奥田は知らなかったが、他にそれらしい店がないのでたぶんそこな
のだろうと思った。名前から連想されるようなかわいらしいケーキ屋や、
カフェではなく、薄汚れた家屋だった。
 扉にあまり清潔とは言えないガラス窓がはめこまれていて、中は暗く、
わずかに射し込む日の光で、陳列されているガラスの瓶が見える。瓶に
は漢方薬の材料になりそうなひからびた植物が入っている。
「すみません、誰かいませんか」
 扉を開けようとするが、鍵がかかっているらしくびくともしない。
「あの、すみません」
「奥田さんね」
 突然聞こえた声に驚いて振り返る。そこに妖しい赤色のチャイナドレ
スに身を包んだ、背の高い白人女性が立っていた。
「予約を頂いたお客さんね」
「ミス・ジェニー?」
「お待たせしちゃったかしら。外出していたものだから」
 長い金髪が日光を受けて光る。
「いや、今来たところだ」奥田はサングラスのつるをつまんで引き上げ
た。


  タイム・ボート

「どこに行くの?」
「西暦二〇〇〇年の東京だ。日本の」
 店の奥に、地下に通じる長い階段があった。女の後について降りてい
く時、冥府に下るみたいだな、と彼は感じた。彼女は美しいが、冷たい
目をしている。こんな商売をしているくらいだから、あまり幸福な人生
ではないのだろうなと思ったが、もちろん口には出さなかった。
「不景気でみんなあえいでいた頃ね」
「おや、日本の歴史に詳しいのかい?」
 一九九九年、二〇〇〇年、二〇〇一年の三年間はまったく期待はずれ
の年だった、と奥田が調べた資料には書かれていた。ノストラダムスの
大予言はたいした騒ぎもなくあっさりと外れ、二〇〇〇年は、単に数字
の区切りがいいというそれだけの年で、もっとバカ騒ぎをしてもよさそ
うなのに、やたらといろいろな物の名前の後ろに「二〇〇〇」という言
葉がつけられたのがこの年に対するささやかなお祝いで、むしろ大不況
のまっただ中であった。二十一世紀の最初の年も同じようなもので、科
学が飛躍的に発達したとか、政治が変わったという事もなく、新しい世
紀の始まりはまるで貧粗なものであった。
「そうじゃないけど、みんなあそこに行きたがるのよね。なぜかしら」
「とぼけなさんな。ある賞金首があの時代へ逃げ込んだ。大物だ。捕ま
えて政府に渡せば、一生遊んで暮らせる」
「あなたも逃亡者狩り? 嫌ね」
 奥田は答えなかった。日本では高い検挙率を誇る警察機構は、時間警
察においても同じで、彼の出る幕はなかった。他の国では時間犯罪者に
堂々と賞金をかける所がいくつもあった。
 未来はまだいいとしても、過去を変えることは重罪である。世界全体
が、本来進むはずだった歴史とは別の流れの中へ入ってしまう。大量殺
人よりも罪が重い。今自分が暮らしているのが、正しい歴史の中なのか、
それとも誰か犯罪者が変えてしまった世界なのか、奥田には分からなか
った。
 逃亡者狩りと時間犯罪者は区別がつかない。逃亡者狩りが、過去を変
えてしまうことだってあり得る。本来正式に認められた者でなければ過
去にも未来にも行くことができないのだ。そんな犯罪者同然の扱いを受
けながらもこの商売に魅了されるのは、いっきに大金をつかむ事ができ
るからだ。
 とはいうものの、こつこつ金をかせぐ事をいやがるような人間だから、
せっかく大金をかせいでもあっという間に使ってしまう。
 階段を降りると、赤錆びた鉄製の観音開きの扉があって、女が開けた
途端まばゆい光が広がった。
「いつ見ても驚かされるぜ」と奥田は言った。
「何が?」
「あんたら業者のことさ。見た目はこぢんまりとしているのに、地下に
こんなでかい港をもってやがる」
 彼は広々とした、強いライトに照らされた空間に踏み込んだ。
 港といっても、水はない。むしろ地下鉄の駅のようだ。鋼鉄の頑丈な
トンネルが横の方にのびている。
 正面にクルーザー型のタイム・ボートがあって、一人の男がその上で
立ち働いている。
「景徳、お客さんよ」
 男がこちらを向いた。中国人か、朝鮮人か、いずれにせよ女よりもフ
ォーチュン・シティの市民としては似合っている。
「整備は済みました。いつでも出発できますよ」と彼は少し発音のおか
しい日本語で言った。
「彼が案内するわ。チップをはずんでやってね」
「おいおい、運転は自分でできるぜ」と奥田は顔をしかめて言った。
「見張り役よ。あなたが過去を変えないようにね」
「ずっとついてるのか。冗談だろう。やりにくくてしょうがないぜ」
「取締りが厳しくなったのよ。彼はあの時代の東京に詳しいから、役に
立つわよ」
 彼はおおげさに両腕を広げてみせた。
 スーツケースを持ち上げ、ボートに歩いていく彼に、女が後ろから声
をかける。
「ねえ、前金でちょうだいよ」
「バカな。ボートが事故ったら、おじゃんだろう」
 景徳がのばす手につかまって、彼はボートに上がった。
「奥田だ。よろしくな」と彼は日本語で挨拶した。
 オイル臭い男の後について、キャビン内へ入る。中を見て彼は驚いた。
椅子が二つあって、窓を取り囲むようにして様々な計器や、スイッチや、
レバーが並んでいる。外見は船だが、内側は飛行機のコックピットのよ
うだ。
「すげえな。こんな高級な設備、見たことねえ」
 こりゃ自分で運転するのは無理だな、と彼は心の中で舌打ちした。
「ええ、最新のマシンですから。正確に希望の日時に行くことができま
す。一時間の誤差もありません」景徳は誇らしげに言った。
 彼がすわったので、奥田も隣の席に腰掛けた。
「結構。じゃ、すぐに出発しよう」
 景徳がスイッチの一つを押すと計器のあちこちが光り始めた。
「東京の、いつに行きますか?」
 船室内が轟音で満たされ始めた。
「二〇〇〇年の九月三日だ。時間はお昼にしてくれ」
 景徳がキーボードを打ち、レバーを引く。途端に轟音は爆音に変わっ
た。
 トンネルが奥に向かって異様な長さにのびたかと思うと、今度は急激
に収縮した。風景の全てが中心の一点に集まり、爆発した。目を開いて
いられないほどの光が襲い、すぐさま真っ暗になった。もはやボートの
中ではなく、奥田は何もない空間に放り出されていた。
 奥の方からレーザー光線が幾筋ものびてきて、回転し始めた。幻覚だ、
と彼は思った。目前に巨大な星雲が現れたかと思うと、七つに分裂する。
虹のそれぞれの色だ。一つ一つが自転しながら、全体として中心の周り
を回転する。未来に行く時も、過去に行く時も、幻視を体験する。時空
間上を急激に移動することが、脳に影響を及ぼすのか、それともこれが
時間移動をする際に見える正しい光景なのか、分からない。
 ガムランのゆるやかな調べが聞こえ始め、それは激しいリズムに変わ
り、続いて和太鼓を打ち鳴らす大音響が鼓膜を叩き、頭が痛み始め、胃
の中がかき回された。
「バッド・トリップだ!」彼は幻視と幻聴に翻弄されながら怒鳴った。
「こいつぁあ、やばいぜ」




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