AWC お題>タイムマシン(上)       青木無常


        
#5138/5495 長編
★タイトル (EJM     )  00/ 8/ 6   7: 4  (113)
お題>タイムマシン(上)       青木無常
★内容
「うむ、よろしい。時間航行向きの面がまえをしておる」
 開口一番、そいつはいった。
 おれは、はあ、と馬鹿ヅラさらして突っ立っていたはずだ。心のなかでは「回れ
右して今すぐ帰ろう」という決心がすでに固まっていたのだが、からだのほうがつ
いていかない。
 ひとは、現実にあり得ないはずのものを目の前にすると、こういう反応を起こす
ものなのだと痛感した一瞬だった。
 よれよれの白衣にぼうぼうにのびた白髪とひげ、さらに壜底めがねとくれば、絵
に描いたようなマッドサイエンティストだ。古いアメリカのカートゥーンにまぎれ
こんでしまったのか、という錯覚すら脳裏をよぎったのも無理はあるまい。むろん、
ほんの一瞬だけだが。
 白髪のマッドサイエンティストは、壜底めがねをぐいと上げてまじまじと、おれ
の頭頂からつま先まで品定めたあげく、ふたたび満足そうにうんうんうなずき、
「あの、もう帰ります」とのおれのセリフが口をついて出る寸前を狙ったかのごと
く、ぐい、と袖をひいて屋敷内につれこんだ。
 だいたいが、その屋敷自体が幽霊が出るので買手がつかないとの流言横行するボ
ロ家で、敷地と建物の造作そのものの立派さが目につくぶんだけ、その荒れようも
強調されているというシロモンなのだ。今日の今日までこのボロ屋敷にひとが住ん
でいるなど、想像すらしたことがなかったのだが、どうやらこの白髪のじいさんは
半世紀も以前からここで妙な研究をつづけてきたらしい。
 昼だというのに暗やみに閉ざされた廊下をぬけると、じいさんは居間のたぐいに
は見向きもせず地下へとつづく階段におれをみちびいた。泣きたくなってきた。
 今ならまだまにあうとの思いはじいさんの強引さに封殺されたまま、ついにおれ
の背後で重そうな鉄扉が、ごていねいにぎぎぎと蝶番のきしむ音を盛大にひびかせ
て閉ざされる。もうあと戻りはできない。おれはここでタイムマシンとやらの、実
験台に供されるのだ。日給一万円で。
 点された灯りにうきあがる地下室は、期待どおり、というより不安どおり、得体
の知れない妙な機械群で占拠されており、言葉のままに足の踏み場すらない。
「うむ」
 と、じいさんは満足げにひとりうなずき、おれをふりかえると、にたありと不気
味に笑った。
「おまえさんは、タイムマシンに乗ったことがあるかね?」
 あるはずがないのだが、あまりのできごとの連続に度肝をぬかれて腑抜け状態の
おれは「はあ、いえ」と甚だしまらない返答しかかえせない。
「そうか!」
 言葉とともに、マッドサイエンティストの顔がぱっと輝く。何がそんなにうれし
いのか。
「いやそうかそうか、そうだろうとも。タイムマシンに乗ったことのある人間など、
このわし以外に存在するはずがない。となると、おまえさんは栄誉あるタイムマシ
ン搭乗ふたりめの人類、ということになる」
 ん、とじいさんは下からおれをにんまり見あげる。
 ということはつまり、少なくともこのじいさん自身が実際にタイムマシンを試し
たことはある、ということか。まあその点では、抱えていた巨大な不安がすこしは
軽減した気も、しないでもない。つっても、銀河系のなかの砂粒程度の軽減だ。
「青年よ、きみは運がいいぞ。そもそもタイムマシンというものはだな。ベルグソ
ンの理論を知っているか?」
「い、いえ」
「なに?」
 と、じいさんは首を突き出した。目をむいているのだろうが、壜底があまりに分
厚すぎてよくわからない。
「ベルグソンも知らんのか? では金剛界曼陀羅はどうだ。時間理論が解明されて
いるのだが」
 もちろん知るわけがない。力なく首を左右にふるうと、マッドサイエンティスト
は深々とため息をついて「まったく近ごろの若いもんは……」ぶつぶつといいだす。
これでタイムマシンの搭乗に向いている、との先の言葉を撤回してくれれば、おれ
も心おきなく立ち去ることができるのだが、あいにくじいさんは光速のすばやさで
立ちなおり、
「まあいい。よくきけよ、青年。ベルグソンというのはだな」
 とわけのわからない演説を延々ときかされる羽目になった。孤独な老人の相手を
するだけで一万円が手に入るのなら安いものかもしれないが、それだけでこのマッ
ドな人物が納得するとはとうてい考えがたい。
 案の定、ベルグソンの時間哲学だの曼陀羅に隠された時間理論だの、あげくの果
てに般若心経に暗号化されて秘められている時間構造に関する根本的な秘密のキー
ワードだのとさんざん与太話をきかされたあげく、
「さあ。それでは実験にとりかかろうか」
 にんまりと笑ってじいさんはいったのだった。その表情を、実験器のなかでいま
しもガスをかがされようとしているラットをのぞきこむ、実はサディストの医学研
修生、と形容するのはいささか行きすぎだろうか。
 ともあれ、ところ狭しと林立する機械のなかでも、さきほどからひときわ目を引
いてやまなかった、珍妙きわまる構造物の前におれは立たされた。
 形態は、アンコールワットのようだ。ただし、あれみたいに渋い色で統一などさ
れてはいず、下品な鈍色を基礎に無数の電飾で派手はでしくデコレーションされて
いる。狂人の積み上げたクリスマスツリーのようだが、もちろん浮かれ気分のパー
ティなどこれっぽっちも期待はできまい。
 ごてごてしたスイッチやらランプやらがやたらこびりついた扉が、がちゃりとひ
らかれた。
 出てきたのは、なんだかこれまた配線だの箱だのでびっしりと覆われたなかにか
ろうじて、人間ひとりが入りこめるだけのスペース。いっそ、狭すぎて入れなけれ
ばいいのに、というおれの願いもむなしく、むりやり機構内部におしこめられるや、
これまたケーブルだらけのガラクタとしか思えないヘルメットをかぶせられる。
「では用意はいいな」
 まだだめです、というひまもなく、じいさんはにんまりと笑って扉をがちゃりと
閉める。くそ、こういうときに限って無駄口を叩かないのだ。
 とうぜんのことながら、真っ暗になった。形容するまでもない。これはまちがい
なく棺桶以外のなにものでもない。「だしてくれ!」と闇雲にあばれつつわめき散
らしたい衝動が漠然と脳裏にうかび、それでもいまひとつそこまで煮詰まり切らな
いおのれの中途半端さに、なんとなく情けなさを感じていると――不意に、それは
きた。
 いや、たいしたことじゃない。ごいん、と後頭部を何かでぶん殴られたのだ。
「いて」とつぶやきながら、狭い機構内部で首を後ろにまわそうとしたが、ごてご
てした部品に阻まれてうまくいかずに結局あきらめた。どちらにしろ、これだけ暗
くては内部のようすなどわかるはずもない。
 いつつ、とうめきつつ間欠的に頭部をおそう痛みに耐えていると、だしぬけに扉
がごぐりとひらかれた。
 まぶしさに瞬時目をくらませる。同時に、もし自分が見知らぬ過去や未来にほん
とうに飛ばされていたとしたらどうしよう、とほんの一瞬、くりかえす、ほんの一
瞬、不安が首をもたげた。もちろんそんなことなどあり得ない。
 あいもかわらぬ壜底めがねを不気味に輝かせつつ、マッドなじいさんはにんまり
と笑っておれをぐいと機構からひっぱりだしつつ、
「実験は大成功じゃ」
 はあ? とおれは目をむいた。
「いや、おまえさんはみごとに時間を遡行してのけたのじゃよ。頭がくらくらして
いるだろう?」
 確かにしている。
 とまどい気味におれがうなずくと、うむ、やはりそうか、そうだろうとも、そう
でなければならんのだ、うんうんうんとじいさんはひとりで悦に入るばかり。頭が
くらくらするのは何かで殴られたからではないのかと抗議すべきかどうか悩んだが、
どうせ何をいっても通じないと思い直してやめておく。
 それにしても、時間を遡行したということは、おれは過去にきているはずなのだ
が、一向にそんなようすはない。たっぷりの皮肉もこめてそのことを質してみると
――この程度の指摘にいちいち動揺していてはマッドサイエンティストなどつとま
らないのかな。
「うむ。いいところに気がついた」




前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 青木無常の作品 青木無常のホームページ
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE