#5120/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 7/31 9:54 (200)
そばにいるだけで 50−1 寺嶋公香
★内容
精神的ショックの大きさは、朝起きても抜け切ってなくて、学校を休もうか
と思ったほど。ベッドに横になったまま、考え込んでしまったことによる睡眠
不足も重なり、純子の体調は悪い。
朝食をいつもの五分の一ほどしか口にせず、両親を心配させた。コップ一杯
の牛乳を煽って、元気を出してみせ、純子は外に足を踏み出した。
梅雨の合間の晴れは、蒸し暑く、すがすがしさからは遥かに遠い。弾まない
足取りで、どうにか駅までたどり着く。定期券を取り出し、改札口を目指して
一生懸命歩いていると。
「――待ってたの?」
駅の待合いに、相羽の姿を見つけた。
「うん。少し、心配でさ」
木製のベンチから立ち上がり、純子の後ろに着いた相羽。
「心配?」
「おはよう」
純子からの問い返しを横に置き、相羽は朝の挨拶をしてきた。仕方なく、純
子も返す。プラットフォームに出てから、改めて尋ねる。
「何か心配させるようなこと、あったかしら」
「又聞きだけれど、母さんからね。昨日、映画の仕事があったそうだけど、元
気なかったんだって?」
「……杉本さんたら、大げさに言ったのね。しょうがないんだから」
折りよく電車が来たので、話題を断ち切るかのように、純子は身軽に飛び乗
った。もちろん相羽も続く。
車内で詳しく聞いて来ようとする相羽を、他の人の耳に入るとまずいし、迷
惑だからと理屈をこねて、静かにしてもらった。これで、しばらく考える時間
を得る。
(どうしよう。言った方がいいのかな。聞いてもらったら、気分が晴れるかも
しれない。それに、相羽君は琥珀を見つけてくれた人なんだし、全くの無関係
じゃないわよね)
そう思う反面、不安もあった。
(ただ、相羽君て、香村君とあんまり仲がよくないんだもの……。もしも私が
ことの次第を打ち明けたら、ひょっとして、香村君のとこへ文句を言いに行っ
たりして。まさかとは思うけれど)
意外と現実味があるように感じて、苦笑したくてもできない。ひきつりそう
になる頬を指で軽く押さえながら、相羽を見た。
前で、純子をガードするかのように腕を広げて手すりを持つ相羽は、質問を
禁じられたのが淋しいのか、車内吊りのポスターや窓の外の景色を見て、気を
紛らわせている様子。
それでもたまらなくなって、きょろきょろする目玉が純子の方をちらと見や
る間が長く、回数も多い。やがて視線がぶつかった。
「黙れって言ったんじゃないのよ」
思わず、最前の自分の言葉に注釈を付ける。
「仕事の話に、今は触れないでという意味だから」
「分かってる」
相羽が視線を外した。純子のすぐ後ろの窓に、焦点を合わせたようだ。
「他に、ちょうどいい話題が見つからないだけさ」
少し強がっている風に聞こえる。
純子の方から話を振った。
「唐沢君は、今日は一緒じゃないの?」
「……ああ、日番とか言ってたっけ。そう言えば、町田さんとも、今朝は顔を
合わせてないな」
「放送部に入ったんだって。月曜はきっと、朝礼か何かがあって、その準備で
忙しいんじゃない?」
「なるほどね。他の人達は?」
「え?」
相羽の問い掛けの意味するところを即座に理解した純子だったが、首を傾げ
てみせた。富井達との関係修復は、依然としてなっていない。
(あなたのせいで、私達、仲が悪くなったのよ……なんて言えないよね。昔み
たいにみんな一緒に遊びに出かけたり、勉強したりできるようになれる日が、
いつか来るのかな)
考え出すと自信がなくなって、ため息をつく。このことと言い、香村のこと
と言い、問題山積。
純子は相羽の視線が、再び自分に合わされているのに気付いた。口を開きか
けた相羽を手の平で制し、急いで言う。
「何でもないのよ。少し、眠たくて、疲れてるだけ」
「疲れてるなら、何でもないことないじゃないか」
「元気よ、元気。ほらほら」
心配させまいと、力こぶを作るポーズをした純子。その拍子に、手に持った
鞄の側面が、相羽の鼻先を掠める。ちょうど電車がブレーキを掛けたおかげで、
危ういところで難を逃れた。
「あ、ごめんなさいっ」
「それぐらい元気があれば、まあ、いいか」
顔色を変えた純子に、相羽は苦笑で応じた。
それから目的の駅に着いたが、下車してすぐに話せる状況にはならなかった。
白沼が腕時計を気にしながら、待ち構えていたからだ。
「あら。今日は二人ご一緒なのね。邪魔しちゃ悪いかしら」
相羽と純子の姿を見て、先に行こうとする。珍しくも引く様子を見せた白沼
に、純子は急いで追い付いた。
「邪魔だなんて、そんなことないわ。一緒に行こう」
「いいのね?」
念押しすると、白沼はするすると後ろに下がり、相羽の横に並ぶ。
相羽が、小さくため息をつく仕種を見せたようだった。立ち止まっていた純
子は、彼を挟み、白沼とは反対の側に並んだ。
話す時間を作るため、純子は昼休み、学食に足を運んだ。購買コーナーに並
ぶ相羽の背中を見つけると、その買い物が終わるまで、通路の隅で待つ。
「一緒に食べよう。いいでしょ?」
振り返った相羽に、お弁当箱を掲げ持ち、提案した。
「僕はかまわないけど、結城さんや淡島さん達は?」
「うん。ちゃんと言ってきた」
具体的に、相羽と昼食を摂るとまでは言っていないけれども。
「相羽君の方こそ、誰か友達と約束してない?」
「別に。女子みたいにきっちり約束して、一緒に食べるなんてこと、元々しな
いからなあ」
人目を避けるかのように――避けたかったのは本心だが――、二人は校舎を
離れ、中庭の日陰にやってきた。芝生があって、少し湿気ているが、座れない
ことはない。
「初めてだね」
パンの袋を破きながら、相羽が何気ない調子で言う。
「え、何が?」
「こうして、学校で一緒にご飯食べるのって、初めてじゃなかったかな」
「そんなことは……。小学校や中学でも、給食のとき」
「そうじゃなくて、つまり……今みたいな状況は」
確かに。教室で机が隣同士だったときなど、並んでお昼を食べたことはあっ
たけれど、二人きりというのは初めてである。
「あ、でも、夕飯を持って来てくれたときがあったっけ。ははは、思い出した
ら、恥ずかしくなった」
純子も思い出した。あれは、相羽の泣く姿を見た、これまでで唯一の機会だ
った。恥ずかしがる必要なんてないと思うが、敢えて触れずにおく。
純子はお弁当の蓋を取り、食べ始める前に本題を切り出した。
「朝の続きなんだけれど」
「はい?」
「映画……出るの、やめようと思ってる」
短い間、口を半開きにした相羽は、舌で唇を湿らせてから、缶飲料を飲んだ。
口元を手の甲でぐいっと拭い、強い調子で言い放つ。
「――賛成。でも、理由は?」
純子は、最後の決心を固めた。ありのままを話そう。
「信じられなくなりそうで……」
「? 何をさ」
「ある人を……ううん、ごめんなさい。こんな言い方じゃ、分かんないよね。
香村君のことを、信用できなくなってきちゃったのよね」
明るい口調に努める。うまく行ってるのかどうか、自分には判断できない。
とにかく、今以上には心配かけたくない。
相羽が黙っているので、純子はゆっくり続けた。
「香村君ね、琥珀をくれた人じゃなかった」
言って、相羽の顔を見る。理由を問うて来る気配もない。
「……あぁ、前に言ったんだっけ」
「うん」
「香村君たら、琥珀のこと、何も知らない。色だって、青と思ってたわ」
「青、ね……」
相羽は食事も忘れ、聞き入っている。手にした缶飲料の表面には、細かな水
滴がたくさん浮かんだ。持ちにくくなって、握り直す。
「でも、それだけで信じられなくなったんじゃないのよ。だって、香村君は私
のことを……大事にしてくれてるの、分かるから。仕事でもプライベートでも。
許せない嘘だけど、問い詰めたらきっと謝ってくれると思うし」
「じゃあ、何で信じられなくなったの?」
「あのね。聞いても、怒らないでね。それから、誰にも言わないで」
「約束できない、そんなことは」
強い調子になる相羽。
「相羽君」
純子が見つめ返すと、相羽は天を向いて飲み物を煽った。一気に干すと、口
元を腕で拭う。
「だけど、努力するよ。言わないようにする」
「……よかった」
少し微笑んで、純子は話し始めた。週刊誌「キャッチ」に載った写真が、香
村の仕組んだ物だったらしいことを、ぽつりぽつりと。
純子が全てを言ったあとも、相羽はしばらく静かだった。黙り込んで、顎の
辺りに右手を当てて、内容を吟味するかのように数度、唇を湿した。
純子は居心地の悪さを感じて、足を伸ばした姿勢で、前を向いた。お弁当箱
を膝上に置き、遠くから、箸を使って煮豆を挟もうとする。三度目のトライで
成功し、一粒、口に運ぶ。
親にも言っていないことを打ち明けて、すっきりした部分もある。だが。
(何か言ってよー。沈黙されるのも、困っちゃう……)
咀嚼しながら、横目で相羽を見やった。
その瞬間、相羽が言った。
「ジュース、買ってこよう」
「はい?」
「パンが残ってるのに、先に飲んでしまったから、食べにくくて」
空き缶を持った手で、パンの袋を示した相羽。
「純子ちゃんも、いる物があったら買ってくるけど」
「え。いい。何もない」
お弁当を手でしっかり押さえ、首を大きく振る純子。相羽は「じゃ、ちょっ
と待ってて」と言い残し、行ってしまった。
その後ろ姿が、視界から外れて見えなくなる。呆気に取られていた純子は、
幾分うなだれ、息をついた。
(真剣に聞いてくれてたのかしら? はあ……言わなければよかったかも)
もう、知らない!と内心、苛立ちを多少なりとも感じながら、この機に昼食
を片付けようと、髪をかき上げた。
(相羽君の考えが聞きたかったのにな。出演をやめるとしたら、それがどんな
ことなのか……。風谷美羽での仕事なんだから、市川さん達だけじゃなく、恐
らく、相羽君のお母さんにも迷惑を掛けてしまう)
なかなかの勢いを持って、機械的にご飯やおかずを口に運ぶ。飲み込むのを
忘れそうなほどだ。
と、そこへ相羽が戻って来た。前触れがなくて、純子は本当に喉を詰まらせ
そうになる。
けほけほと咳き込む純子に、相羽は跪き、「大丈夫?」と言った。
純子はお茶を飲み、少し楽になったが、まだ咳は止まらない。
「せ、なか」
相羽の手が純子の背をさする。やっと収まった。
「ごめん。驚かせたみたいだ」
「ううん、こっちこそ」
呼吸を整え、赤くなった顔で応じる。
純子が手元にお弁当を引き寄せると、相羽はようやく腰を落ち着けて、残り
のパンを食べ始めた。
会話の途切れたまま、時間が流れた。周囲には他の生徒達のお喋りに、駆け
回る車の喧騒、虫の声や風に揺れる枝の音などが入り乱れてにぎやかなのに、
二人の周りだけはゆったりと静かな空間ができていた。
(相羽君。何か言ってよ。一言でもかまわない)
純子は念じながら、相羽の方を見つめた。
通じた。程なくして、相羽はパンを全部食べて、手をはたくと、純子に視線
をやった。
「香村にぶつけてやりたい言葉が、星の数ほどある」
純子は息を飲んだ。やはり、相羽は香村に腹を立てている?
だが、このときの相羽は違った。
「それはこの際、我慢するとして、純子ちゃんがどうしたいのか、聞きたい」
「出演をやめたいんだけど、できるのか……」
「映画に出たくない、それだけ?」
相羽の質問の意図が汲めず、目をしばたたかせる純子。しばし考え、結局、
ストレートに受け止めることにする。
――つづく