AWC そばにいるだけで 49−8   寺嶋公香


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#5100/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 6/29  11:27  (179)
そばにいるだけで 49−8   寺嶋公香
★内容                                         16/11/08 03:30 修正 第2版
           *           *

 白沼を振り切って、相羽は短い休み時間を、校舎の片隅で文庫本を広げて、
過ごそうとしていた。
(こうしないと、落ち着いて本も読めやしない……)
 窓の桟に右肘を載せ、心持ち寄りかかる。壁の冷たさを感じた。左手だけで
器用にページを開いて、さあ集中しようとした瞬間。
「相羽ーっ」
 同級生の声がした。男子だ。本を閉じ、顔を上げると、右斜め前に鳥越大樹
(とりごえたいき)の姿があった。中肉中背、腕が平均より長いか。肌の色が
あまり濃くないのと相まって、ひょろっとして見える。
「何?」
 高校入学から三ヶ月目に入り、相羽は鳥越とよく話をするようになっていた。
鳥越も天文好きで、話が合うのだ。当然のように天文部に入った鳥越は、おま
えも入部しろよーと、ことあるごとに聞いてくる。今また同じことを持ちかけ
られるのかと、相羽は気楽にしていた。
 ところが、その予想は外れた。
「あのさあ、涼原さんて、隣のクラスにいるだろ? 三組に」
「うん?」
 肯定の返事をしたのではない。思わぬ名前が鳥越の口から聞かれて、条件反
射のように聞き返したつもり。壁から身体が自然と離れていた。
 でも、鳥越はかまわずに続けた。
「相羽はあの人と同じ中学だったよな。それで、まあまあ、親しい……?」
「一応、友達――」
「大事なことを確認したいんだが」
 相羽の台詞を覆い隠す風に、忙しなく喋る鳥越。いつもはこんな口調ではな
く、もっとゆったりした物腰なのに……。仕方なく口をつくんだ相羽だが、内
心では不思議に感じていた。
「あのさ、相羽は、涼原さんと付き合っているようなことはないよな?」
「……」
 壁に身体を戻して、頭を一度かく相羽。
「……付き合ってはいないよ、うん」
「そ、そうだよな。やっぱり、そうだと思ってた。白沼さんもいることだし」
「何故、白沼さんが出て来る? 関係ない」
 またも壁から身体を起こして、今度は鳥越に接近する相羽。鳥越は一歩、後
ずさった。
「え、違うのか? ま、まあ、確かにそれは、自分にも関係ないんだ。そうい
うことなら、あー、これを」
 と、身体の後ろに隠していたらしい、一つの封筒を取り出す。正方形に近い
形をしたそれは、全体に青みがかっている。裏側を見れば、洒落たシールで留
めてあるのが分かる。
 相羽は、何となく、ぴんと来た。しかし、念のため。
「それは?」
「涼原さんに渡してほしい。頼む」
 封筒を持ったまま、手を拝み合わせる鳥越。頭も下げてきた。
「だから、その手紙は何なんだよ」
「野暮を言わずに、聞いてくれよ。頼むから」
「先に根掘り葉掘り聞いておいて、それはないんじゃないか」
「……分かった。しょうがねえよなあ。いわゆる、ラブレターってやつ」
 段々と声を小さくし、横を向いた鳥越。放っておくと、照れ隠しに口笛を吹
きそうだ。
「悪い、鳥越。それは断る」
 相羽は即答を返した。途端に、鳥越が顔を正面に戻す。
「何で? 意地の悪いこと言わずに、頼むよ。相羽くらいしか、頼めそうなの
いないんだから」
「拝まれても、無理。僕も涼原さんが好きなんだ」
「……あっ、そ」
 惚けたような顔付きになった鳥越は、瞬時にして、ばか負けした笑い声を上
げた。額に手をやり、しばらく続く。
「そんなに、おかしいかな」
「いや、おかしかないよ。まあ、そんなあっさり言われるとねえ」
 くっくっくと、笑いをこらえるのに一生懸命な鳥越。ラブレターを手にした
まま、腰を折って声を殺している。
「昔は、隠そうとしてたさ。でも、意味ないと思って。自分から言い触らす気
はないにしても」
「うむ。おんなじだ」
 鳥越が、今度は嬉しそうな笑顔を作った。ところが、それが不意に崩れる。
眉の両端を下げると、ため息混じりに言った。
「はあ。しかし、そういうわけがあるんじゃあ、頼めないなあ」
「ははは、ほんと、悪い。ファンレターって言うんだったら、届けないでもな
かったかもな」
 そう言ってから、相羽は考えてみた。
(うーん、ファンレターでも届けないかな? ……不安レターだ)
 自信がないことに気付く。それと同時に、脈絡もなく、愚にもつかない駄洒
落が浮かんだ。ギャップの大きさに、思わず苦笑する。
「鳥越の方こそ、ラブレターとは古風だな」
「ファンレターの中に、ラブレターが混じっていたら、目立つかなという目論
見だったんだけど」
 本当の気持ちなのかどうか、鳥越は照れ笑いを浮かべつつ、自らのうなじに
片手を当て、しきりに揉んだ。
「そう言えば、鳥越って、涼原さんと話したことあるんだっけか?」
「いや、ないんだ、実は」
 その答を聞いて、相羽は思った。
(好き云々を言わずに、最初に、話がしたいから紹介してくれと頼まれていた
ら、聞いていたかもしれない)
 すっかり純子のマネージャー気取りの自分を発見し、自嘲する相羽だった。
そして、ついでのようにもう一つ、気が付いたことがあった。
(しかし……鳥越みたいに、僕に頼んでくる奴ばかりだとは限らないよな。直
接、純子ちゃんに打ち明ける連中も、大勢いるに違いない?)
 琥珀の思い出が、ようやく好転し始めた矢先だけに、多少なりとも気にして
しまう……。

           *           *

 琥珀が手元に戻ってから初めての日曜日、純子は朝からスタジオにいた。一
番の新人だから、出演者の中では一番早く、控え室に入った。
(映画……どうしよう)
 何となく、出たくない方に気分が傾いている。理由はもちろん、香村と琥珀
のこと。
(あれが嘘なら、ひどい。一緒に映画に出たくないなぁ……。でも、問い詰め
たくないし、香村君の方から打ち明けてくれたら、こんなわだかまりなんて、
消え飛ぶんだろうけど)
 今さら辞退できないだろうという予感も、大きい。いや、むしろこの方がよ
り大きいかもしれない。
(とりあえず、香村君への返事――引き延ばしてきた返事の答は、決まったわ。
きっぱり断ろう)
 それくらいして、当然よね、と思った。
「あ、これ、決定稿でーす。見といてくださーい」
 せわしないノックとほぼ同時に、控え室のドアが開き、野球帽を前後逆に被
った若い女性――多分、女性だ――が、シナリオの冊子を置いて、足早に去っ
ていった。
 何が何だか分からず、身を固くしていた純子は、大幅に遅れて「どうも」と
応対した。そのまま、ドアの近くまで行き、シナリオを取って、音を立てずに
めくり始めた。
 今日は台詞の読み合わせをやって、雰囲気を掴むのだという。自分の役柄や
台詞を少しでも頭にたたき込むことが、肝要であろう。
 しかし、純子がシナリオを急いで手にしたのは、そのためではない。
(青い琥珀――)
 この確認のため。
 物語の状況設定を示す梗概に目を走らせると、「琥珀」という単語が何度も
出てくる。ただし、「青い琥珀」となると、最初だけだ。
(……香村君が、琥珀のことを元々知らなくて、このシナリオで初めて、琥珀
の色を知った? それで、珍しい青い琥珀を、当然だと思い込んでいる)
 ぼんやりとした推測が、徐々に形作られていく。
 しかし、純子にはまだ、香村を信じようとする心も残っていた。この世界に
飛び込んでから、新人にしては破格の扱いを受けているのは、香村の力による
ところが大きい。それに、個人的にもよくしてもらっている。
 その香村が、どういう理由で、こんな小さな嘘(純子にとっては大きな嘘だ
が)をつかねばならないのか。
(……もしかして、香村君て、私のこと、本気で好き……)
 香村から告白されてもなお、真に受けていなかった純子だったが、今はこれ
を認めることで、嘘をついた理由になってしまいそうな。
(背負ってるかしら。でも、でもよ。私の気を引こうとして、琥珀の男の子だ
って名乗るのは、ちゃんと筋道が通る……わよね)
 いや。純子自身、香村が本気だというのは、もう、ようく分かっている。そ
れを意識して認めないのは、香村が琥珀の件で嘘を言ったと思いたくないから。
好きな相手に嘘をつくなんて、してほしくない。たとえその行為が、相手を想
う一心から出たものであったとしても。
(やっぱり、聞いてみないと)
 純子は控室から出て、香村の部屋を探した。主役の彼だから、一番よい部屋
を与えられているだろうと見当を付け、壁に掛かるスタジオ内の案内板を見て、
進む向きを決める。
(気持ちよく演技できるように、はっきりさせなくちゃ)
 目的の部屋の前に着いたが、静かだった。香村がまだ来ていないのか、純子
の予想が外れたのかは分からない。
 何も部屋の前で待たなくてもいいんだわと気付いて、純子はスタジオの外に
行ってみようと思った。まるで入り待ちをする追っかけファンである。
 ところが、じきに足が止まる。
 純子の今の立場は、秘密のベールに覆われたヒロイン役だ。その存在を公に
知られてはいけない。
 スタジオの周囲には塀が巡らしてはあるが、外から覗こうと思えばできない
ことはない程度。迂闊に外に出て、ぼんやり立っていると、人目やカメラに捉
えられかねない。
 純子は最初、植え込みの陰にでも隠れていようかと考えたが、かえって怪し
いので、自ら却下。次に思い付いたのが……。
「帽子とジーンズ? ええ、もちろんある」
 忙しなく動き回るスタッフに無理を言って頼み、野球帽とジーパンを貸して
もらった。そう、男の子に変装するつもりなのだ。かつらがあればベストかも
しれないが、手間暇かけている時間がないので、やめておく。
「これで、よしっと」
 姿見の前で悦に入ってから、純子は再びスタジオ外に駆け出した。この格好
なら、制作スタッフらしく普通に振る舞ってさえいれば、ばれまい。
(それでも、早く来てくれるに越したことはないけれど)
 とりあえず、人を捜すふりをして、駆け回りながら様子を窺ってみたが、そ
う都合よく香村は現れない。間が持たなくなり、跪いて、靴紐を結び直すポー
ズを取った。先に右足をやり、次に左足と入れ替えて、靴紐をほどいたとき、
聞こえた。香村のマネージャー、藤沢の声だ。
(誰かと話してるわ)
 もう一人、男の人の声がする。音量が小さく、聞き取りにくいが、香村その
人ではないようだ。と言って、他の出演者とも思えない。年齢は中年辺りか、
低いだみ声だった。いつまで経っても声が近付いてこないのは、足を止めて話
しているのだろう。
 マネージャーが着いたということは、香村も来ているに違いない。居場所を
藤沢に尋ねたかったが、邪魔しちゃいけない、二人の話が終わってからにしよ
うと思いとどまり、しゃがんだ姿勢で待つ純子。すると、聞くともなしに、会
話の断片が耳に入ってきた。
「姿を見せるなって、念押ししたはずだが」

――つづく





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