AWC そばにいるだけで 49−3   寺嶋公香


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#5095/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 6/29  11:21  (200)
そばにいるだけで 49−3   寺嶋公香
★内容                                         16/06/14 00:51 修正 第2版
「え? 本当に?」
 否定したばかりのことを持ち出され、怪訝さに眉を寄せる純子。予想もしな
い答に、絶句してしまう。
(……ひょっとして、琥珀を始めとする宝石っていう意味?)
 そう考えてみるも、しっくりこない。
 香村はにやりと笑って、また前方の壁を見据えた。
「間違いない。青く輝く琥珀が重要なアイテムになるんだって、殊宝監督が言
ってたからさ。小道具として、本物を用意したいのに、思うような琥珀がなか
なか見つからないって、こぼしていたよ。ははは」
「……青い……?」
 小声でつぶやく純子。香村には届かなかったらしい。愉快そうに続ける。
「見つからなかったら、イミテーションを作るんだろうけどさ。そうするくら
いなら、涼原さんのを貸してあげればいい」
「え――」
 純子が目を見開き、問い返そうとした刹那、
「おー、終わったようだね」
 と、男の声がした。そちらを見ると、廊下の角を折れたところで、小走りで
近寄ってくる藤沢の姿が目に入った。
「どこ行ってたのさ、藤沢さん。目を開けたらいないんだから、焦っちゃった
じゃないか」
 抗議口調の香村へ、藤沢は笑み混じりで頭を下げた。いつものことなのだろ
う、二人とも普段の様子と変わりない。
「折角、集中しているのを邪魔しちゃ悪いと思ってね。そうそう、これは風谷
さんにも関係あるんだが」
 さすがに藤沢は、純子のことを芸名で呼ぶようになった。むしろ、純子の方
が慣れていないかもしれない。
 純子はさっきの「青い琥珀」の疑念を引きずりながらも、目で聞き返した。
「電話が入って、『青のテリトリー』に、星崎君も出演することが決まった。
問題ないか、念のために確認してほしいと」
 純子や香村のような若手の頃は滅多にないが、ベテランとなると、他の俳優
に対する好き嫌いがはっきりしてくる。あるいは、私生活面での付き合いが破
局に至り、共演を絶対拒絶する間柄になることもあるという。
 今度の場合、星崎の出演に、純子達にもちろん異存はない。
「星崎さんとまた共演できるなんて、楽しみ! こちらからお願いしたいくら
いです」
 嬉々として答えた純子に、香村は「じゃあ、僕は反対しようかな」とむくれ
てみせた。冗談であるのは、言うまでもない。

 古典の辞書を相羽から借りて、はたと気付くと、週が改まっていた。
 学校が終わるや、写真集用の撮影、久住淳三曲目のレコーディング、そして
モデル活動といった仕事に忙殺されて、忘れてしまっていた。
 六月最初の日曜、久しぶりに予定のなかった純子は、相羽の家に向かった。
あいにく、空は黒い雲に埋め尽くされていたが、いつまでも借りておくわけに
も行かない。
「天気もよくないし、すぐ帰ろう」
 自分自身に言い聞かせてから、チャイムを鳴らした。手提げには、辞書と折
り畳みの傘が入っている。高校の制服を着てきたのは、心に歯止めを掛けるた
め。長居しないように努力しよう。
 インターフォンでのやり取りのあと、やがて相羽本人が現れ、純子は辞書を
取り出した。
「借りっ放しにしてて、ごめんね。忙しくて、忘れちゃって」
「いや、僕の方も使うことなかったから。それより、そんなに忙しいのか?」
 途端に相羽の表情が真摯に、厳しくなった。
 早く帰るつもりが、言い方がまずかったわと反省しつつ、首を振る純子。
「気にしないで。元気にやってるから。おばさまに聞いてもらえば、分かるわ」
「映画とか写真集とか新曲とか、あんまり分からないんだよ。モデルのことし
か分からない」
「大丈夫だって。じゃあ――」
 吹っ切って、帰りの挨拶をしようとした刹那、空の均衡が崩れた。雷光が走
ったかと思うと、一拍置いて大音響が轟き、続いて勢いのある雨が一斉に降り
出した。
「きゃあ!」
 身をすくめ、叫び声を上げた純子。手首に手提げ鞄を通したまま、両耳をふ
さいでいた。中の傘が片寄って、鞄が傾く。そこへ、吹き込んできた雨粒が黒
っぽい染みを作っていった。
 次の瞬間、純子は腕を優しくつかまれ、玄関戸の内側に引っ張られた。
「――相羽君」
「帰れないだろ。上がって」
「でも、私」
 先に上がった相羽の背に声を投げかける純子。だが、扉越しにも聞こえる雷
鳴に、続く台詞はなかなか出て来なかった。
「母さんは出かけてるから、気を遣わなくてもいいよ」
 振り返った相羽の微笑が、昔を思い出させる。無邪気なまでに、素直に甘え
ることのできた日々が、今はない。
「か、雷がやんだら、帰るね」
「雨がやむまでにしなよ」
 引き返してきて、相羽は純子へ手を差し伸べた。もう片方の手は、辞書をし
っかり掴んでいる。
「琥珀のお守り、持っているよね? 琥珀を濡らすのは、よくないと思う」
「……それじゃあ……お邪魔します」
 一歩一歩、踏みしめる風にして、純子は中に入った。何だか、長い間来てな
かったような気がして、思わず、天井や壁を見回した。
 全体に変わっていない。けれど、新鮮に映る。
「濡れた? タオルがいるなら、すぐ――」
「ううん、平気」
 ダイニングの手前で立ち止まり、会話も中断した。純子は下を向き、顔が赤
くならないように、平静に努めた。
 二人きりだと思うと、どきどきする。早く雨が降り止まないかなと願う一方
で、少しでも長くこうしていたいと望む。そんな相反する気持ちが、純子の中
で、不思議なくらいに自然な形で同居する。
 相羽は、自分の部屋には向かわず、リビングを兼ねたダイニングにそのまま
入った。椅子を引いて、純子に座るよう促す。
 ここまで来ては、割り切るほかない。純子はやや躊躇しながらも、椅子に腰
掛けた。相羽はテーブルの角を挟む形で、九十度横の席に着いた。
 会話はすぐにはなく、その代わりのように、激しい雨音が壁を通して聞こえ
てくる。雷の方は、いくらか遠ざかったようだが、まだ残っている。
「――音楽、かけようか」
 相羽が口を開いた。すでに腰を浮かせている。純子はうなずいた。会話のな
いことをカバーできると思った。
 相羽は一度、自分の部屋に入ると、プレーヤーを持ち出してきた。古典の辞
書は、ついでに置いてきたらしい。
 ダイニングの床にプレーヤーを置き、コンセントを探してちょっと迷う仕種
を見せたあと、おもむろに着席した。
 そして音楽が流れ始める。歌詞のない曲は、聴く内に、映画に用いられた挿
入曲だと分かった。題名は思い出せないが、恋愛物だった。
「――今度出る映画って、どんな内容?」
「え?」
「純子ちゃんが出る映画の粗筋を教えてほしいな。ああ、もちろん、差し支え
なければ、だけど」
「うん、多分、大丈夫。と言っても、脚本をまだもらってないから、正確なと
ころは全然知らないんだけれどね」
 お喋りするのが楽しい。
「主役の香村君は、過去に暗い思い出があるという設定で、陰のある二枚目っ
て感じみたい。その周りにいる女の子の一人が、私なの」
 純子の話は、少しばかり正確さを欠く。純子の役どころは、その他大勢と同
列扱いにできない、香村にとって特別な一人であるのだ。
「他にも加倉井さんとか星崎さんがいて、楽しい撮影になりそう。でも、監督
さんは厳しいみたいで、今からびくびくしてるの、あはは」
「僕が聞いた話では、君は香村の、その、恋人役だと」
「……うん」
 目を伏せて首肯した。周知の決定事項ではあっても、相羽の前ではあまり口
にしたくない。純子はそのあとも、必要以上に喋ろうとしなかった。
 相羽も察してか、わずかであるが、話題の軌道修正をした。
「香村や他の役者と、仲よくやって行けそう?」
 ところが純子は、これへの反応が即座にはできない。青い琥珀の意味合いが、
今も心に引っかかっているのだ。
(あれって、どういうことなのかな……)
 あのあと、藤沢が現れてからは、出演者の近況に話が移って、青い琥珀につ
いては何も聞けずじまい。
(香村君たら、琥珀の色を青だと思ってるの? 青っぽいのもゼロではないけ
れど、普通は黄色よね。化石に興味あるんだったら、たいていは知ってるはず
なんだけど)
 もっと分からないのは、純子がお守りにしている琥珀まで、青色だと考えて
いるらしいこと。
(私に琥珀をくれたことは覚えていて、色を忘れちゃった? そんな変な話っ
て、あるかしら。考えてみたら、確か、香村君と会ってから、お守りの中身を
一度も見せていない。でも、青だなんて)
 純子は顔を伏せがちにして、首をゆるゆると左右に振った。
(琥珀をくれたあの男の子が、色を忘れたり間違えたりするわけがない。つま
り……香村君じゃない?)
「どうしたの、純子ちゃん」
 途端に相羽が、心配げな声を上げる。
 純子が面を起こすと、彼の真っ直ぐな視線と目が合った。
「そんなに答えにくい質問だったかな?」
「違うの。ちょっと、思い出しちゃって、考えごとを」
 顔を赤らめて、曖昧に返事する。ごまかすために、さっきの相羽の質問を、
自ら繰り返し、返答を付け足す。
「えっと、他の出演者のみんなと、仲よくやって行けそうか、だったわね。ま
あ、何とかね。やっと緊張しなくなったわ。せめて台詞はきっちり覚えて、迷
惑かけないようにしなくちゃね」
 相羽は五秒近く、訝しげに瞬きをしていたが、やがて気を取り直した風に応
じた。
「……すっかり、芸能人だね。前のドラマのときと違って、今度は目隠しなん
かないんだろ。映画で全国的に顔を知られたら、大変なことになるかも」
「そんな」
「人気出過ぎて、一人で表を歩けなくなったら、どうする?」
 やや意地の悪い笑みを口元に作り、相羽が試すかのように聞いてきた。
「あのね、そんなことはないって、何度も」
「たとえばの話さ」
「分かんないけど、とりあえず……ボディガードを着けてもらおうかな」
 まじめに考えても答は見付からなかったし、気の利いた返事も浮かばなかっ
た。だから、せめて冗談めかして。
「あは、相羽君がガードしてくれたら、心強いんだけどな。武道の腕があるん
だし」
「――悪くないかもしれない」
 言い終わったあと、短い間、静かに見つめ合い、それから相羽も純子も声を
立てて笑った。純子が一人で出歩けないような日が来ないことを、二人とも願
っているのだから。
「ねえ、相羽君。ピアノの方はどうなってるの?」
 今度は自分が聞き手になる番だ。純子は、遠くに聞こえる雷の音をまだ意識
しながらも、明るい調子で尋ねた。
 相羽は表情をほころばせ、息をついた。
「エリオット先生には、いくら感謝してもしきれない。時間を忘れて教えてく
ださるんだ。それと、大学の人達とも知り合いになれてさ、色々アドバイスし
てくれるんだよ。言うことを全て守ってたら、がんじがらめになって、弾けな
くなってしまうけれどね」
「そう。それじゃあ、あれからもっと上手になったのね」
 内心、純子はほっとしていた。自分のせいで断念させたかもしれないピアノ
の道を、今、相羽が少しでも辿っていっているのなら、救われる。
 純子の問い掛けは肯定の返事を期待してのものだったのに、相羽は自信なげ
に首を捻った。
「どうかな。課題を充分こなせてないからなあ。家にピアノがないと、練習時
間が限られてしまってさ。なるべく時間を作って、祖母の――母方の――家に
弾かせてもらいに行ってはいるんだけど、まだ足りない。まあ、たとえ家にピ
アノがあっても、マンションだから難しいだろうね」
「あ、あの、鷲宇さんに頼んでみれば?」
 純子は両手を合わせ、提案してみた。
「あの人は間違いなく持ってるはずよ」
「知ってる。僕も貸してもらったことあるから」
「じゃあ――」
「いいんだ。何もかも他人に甘えるのは、よくないと思ってさ。自分がそこま
でしてもらうほど素質持ってるかどうか疑わしいし、一人だけ特別扱いされて
いるようで、嫌だ」
「そんな。素質あるわ。あんなに感情のこもった演奏を、私、あなた以外に聴
いたことない」
「そりゃ、どーも」
「本当よ!」
 相羽がお世辞と受け取ったのが、気に入らない。純子は声を荒げた。

――つづく





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