AWC そばにいるだけで 49−1   寺嶋公香


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#5093/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 6/29  11:18  (180)
そばにいるだけで 49−1   寺嶋公香
★内容                                         16/11/08 02:47 修正 第2版
 試験期間を乗り切って初めての日曜日、純子は香村と会った。場所は、ホテ
ルの会議室。
 デートではない。映画『青のテリトリー』の主な出演者及びスタッフの顔合
わせである。これは、監督の殊宝美明が撮影に臨んで常に課す、セレモニーの
ようなものという。
「この中で、僕が知らないのは、君だけですから」
 初対面の挨拶のあと、丸テーブルに着いての雑談の席で、殊宝は純子にこう
切り出した。サングラスの向こうの目つきが、やけに鋭く見える。
「素直な気持ちを言うと、メインクラスの役柄で、全然知らない人を起用する
のは初めてのことで、大変不安でね。香村君が是非にと推薦するので、それを
信じた。よって、風谷君には期待に応えてもらうから」
 聞きようによっては、凄く一方的な期待のされようである。改めてプレッシ
ャーを感じて、純子がぎこちない笑みをなしていると、隣――純子と殊宝の間
に座る香村が助け船を出してくれた。
「大丈夫、僕が保証します。いざとなったら、僕が彼女の力を引き出す。自信、
ありますよ」
「頼もしいね」
 殊宝は真顔でうなずいた。たったそれだけのことだが、今まで何本か香村主
演の映画を撮ってきた上に、確固とした信頼関係が築かれている様子が窺えた。
親子ほどの歳の差があっても、二人は対等の立場にいるようだ。
(確かに、うまいもんね、香村君。同じ年代の中では、加倉井さんの次ぐらい
に演技が上手だと思う)
 同じく出演者の一人である加倉井の方をちらと見やる。両肘をついて、手を
組み合わせ、悠然と構えて耳を傾けている。そんな風情があった。
(香村君や加倉井さんだけじゃなく、皆さんになるたけ迷惑かけないようにし
たいけれど、結局は助けられちゃうのかなぁ)
 早くも撮影のことに思いが及び、純子は憂鬱さを覚えた。周りは、ベテラン
若手取り揃えて、人気俳優ばかりだ。今から緊張する。
「台本の完成は二週間後の見込み。出来上がり次第、すぐに手配するから、皆
さん、それぞれの役を頭に叩き込んでください、と」
 当たり前のことはさらっと流して済ませ、殊宝は足を組み、身体を椅子の背
もたれに預けてリラックスした。にこにこしながら、
「ここで、僕の映画作りに当たっての心構えというか何というか……とりあえ
ず、死ぬ気で頑張ってくださいね」
 と、どぎつい台詞を口にする。
「必死になってやってる人からなら、意見を受け付けます。こちらが懊悩して、
苦心惨憺の末に仕上げた台本ですから、それに異論を出すときは、まず必死に
なって演じたあとにしてください。頭の中だけで、反論を組み立てないように」
 あとで香村に教えてもらったところによると、この監督、重要なシーンは、
精密な絵を描いて、イメージを固めるという。
「では、そろそろお開きに。皆さん、お忙しい中、わざわざ集まっていただき、
感謝します」
 始まりの辞と同じフレーズで締めて、監督は席を立った。
 空気が弛緩し、ざわつく。全員が多かれ少なかれ、緊張していたらしいと分
かって、純子はいくらかほっとした。
「どう?」
 座ったままの純子に、香村が後ろから声を掛けた。背もたれの縁に腕を載せ、
愉快そうに微笑んでいる。
「肩が凝りそう」
「はは、なるほどね。でも、撮影が始まったら、肩凝りを感じてる暇もないと
思いなよ」
「えー、今から恐がらせないでよ」
 げんなりしつつ、純子も立つ。それから、忘れない内にと、香村に頼み事を
持ちかけた。
「サインをしてほしいんだけれど……」
「へえー? 今さらサインをほしがるなんて」
 口笛を吹き、相好を崩す香村。純子は首をすくめ、申し訳なさを表しながら
言い添えた。
「私じゃなくて、学校の先輩がほしがってるの」
「なーんだ。ま、いいけどさ。色紙ある?」
「うん、用意して来たわ」
 ビニールコーティングされた大きめの紙袋に手を伸ばし、中から色紙とペン
を取り出す。
「準備万端だね。ところで、用意して来たってことは、色紙は君が買った?」
「そうよ」
「そりゃあ、よくないなあ。色紙ぐらいは本人に用意させなきゃ。きりがなく
なるかもしれないぜ」
「でも、会っていきなり頼まれたし、先輩だし」
 色紙とペンを渡し、純子は当然のように答えた。香村は苦笑混じりにペンを
走らせた。
「お人好しだなあ。きっちりさせとかないと、まじで歯止め利かなくなるよ。
これ、渡すときには、そうだな、『初回特別サービスです』って、はっきりき
っぱり念押ししておくように」
「はーい」
 純子はとにもかくにも、約束を果たせるので、安堵していた。
「サインなら、私も書いてあげましょーか」
 後ろからの不意をつく台詞に、純子は思わず背筋をしゃんとした。
「加倉井さん。えっと」
 頼まれてないから結構ですとは言えず、もごもごしてしまう。
 加倉井の方が先にため息をついた。
「分かってるわよ。私は、カムリンファンには嫌われてるもんね。お呼びじゃ
ないってところかしら」
「そんなことは言ってなかったけど……」
「その内、あんたも嫌われ出すかもね。カムリンの相手役をするとなると。写
真週刊誌の一件もあることだしねえ」
 意地悪く笑う加倉井。過去、ドラマで何度か香村の相手役を務めてきた当人
の言葉だけに、説得力がある。
「か、加倉井さんは、具体的に、何か嫌がらせを受けた?」
「それはもう。罵詈雑言で埋め尽くされた手紙とか、墓参り向きの花束なんか
が届く程度で。あ、そうそう、写真をばらばらに切り刻んだのもあったっけ」
「おいおい、いい加減にしてやってよ」
 とうの昔にサインを書き終えた香村が、色紙を小脇に抱え、腕組みをして失
笑していた。
「僕のファンがそんなひどいことするはずないもんね」
「どういたしまして。大したことはないけれど、嫌がらせがあったのは事実よ。
知ってるくせに」
 これで大したことないの? ――純子は固唾を飲んで、聞き耳を立てた。
 香村はあきらめた風に肩を落とし、弱々しい調子で言った。
「しょうがない。涼原さんを恐がらせたくなかったんだけどな。君って人は、
まったく」
「あら。気が付きませんで」
 手の平を口に当て、声を立てて笑う加倉井。絶対、わざとだ。
(映画の撮影が始まっても、こんな調子なのかな。はぁ)
 またも憂鬱になる。加倉井の役どころは、純子のライバル。香村の恋人どう
こうにとどまらず、ありとあらゆる面での競争相手という設定だと聞かされた。
 加倉井を見ていると、急に厳しい顔付きになって、香村を指差した。
「ところで、香村君。プライベートならいざ知らず、仕事場では、その呼び方
はやめてほしいわね」
「ん? その呼び方って?」
「『涼原』は本名でしょう。彼女も立派な芸名を持つようになったんだから、
そっちで呼んであげたらどうなの」
「なーるほど」
 香村は左手の平を右拳でぽんと一つ叩き、それからおもむろに純子へ振り返
った。口を衝いて出た言葉は、当然――。
「それじゃ、風谷美羽さん、よろしく」

「あれっ?」
 授業の合間の休み時間、純子は思わず口に出して、首を傾げた。
 教室で自分の席に着いたまま、学生鞄や補助バッグを押し広げ、中を覗き込
むようにして隅から隅まで探したが、見当たらない。
「どうかしたの?」
 トイレから戻って来た結城が気付いて、聞いてくる。
 純子は当初の焦りの色を薄め、あきらめた風に言った。
「古典の辞書、忘れちゃった……」
「あらま。まあ、いいじゃないの。必要だったら、私が見せてあげる」
「それがだめなのよ。次の時間、小テストでしょ。辞書を見てもいいっていう。
いくら何でも、テスト中に辞書を貸し借りできない」
「あ、そう言えば、そんなこと言ってたっけ」
 結城は小テストのことをすっかり忘れていた模様。辞書を見ていいという安
心感のなせる業か。
「それじゃ、よそのクラスの誰かから、借りるしかないんじゃあ?」
「そうよね」
 言ってはみたものの、他のクラスに知り合いはまだ多くない。富井達の顔が
ちらついて、相羽から借りるのは気が引けた。
(しょうがない……白沼さんに貸してもらおう。四組は今日、古典の授業はあ
るかしら)
 立ち上がり、結城に「ちょっと行ってくる」と断って、教室を出た。すぐ隣
の四組を目指す。四月の間はずっと相羽を避けようとしていたので、四組に足
を向けること自体、これが初めてと言っていい。
(どの辺りの席なのかな)
 開いた窓から中を窺う純子。爪先立ってみたり、ちょっとしゃがんでみたり
と、いささか挙動不審だ。
(見付からない。白沼さん、いないの?)
 不安が強まり、両手を胸の前で組み合わせる純子の横に、相羽が立った。
「何してるの?」
「え? あ、相羽君。ど、どこから……」
「向こうから。暇だったんで、みんなとミニサッカーをやってたんだ。それよ
り、誰か探してたみたいだけど?」
 廊下の先を差していた相羽の指が、純子へと向く。時間が迫っていることも
あって、純子は白沼を探しているとだけ伝えた。
「白沼さんなら、先生の手伝いで、今、家庭科室に行ってるはずだよ。次、家
庭科だから、戻って来ないんじゃないかな」
「えーっ?」
 よくよく見ると、四組の女子は家庭科の授業らしき準備をして、徐々に教室
から出て行っている。気が急いていたため、分からなかった。
「どうしよう……」
「だから、どうしたんだって」
 相羽の口調にも、さすがにいらだたしさが滲む。
 純子は古典の辞書を忘れたことを告げた。
「何だ。そんなことなら、早く言えって」
 相羽は教室の自分の席に直行し、古典の辞書を持って、即座に引き返す。純
子はただ見守るしかなかった。
「はい、これ」
「あ、ありがとう……あの、授業終わったら、すぐ返しに来る」
「暇なときでいいよ。じゃ、僕も教室移動しないといけないから」
 相羽は純子に手を振ると、再び教室へと駆け込み、授業の準備をして慌ただ
しく飛び出して行った。
(借りちゃった……ごめん、郁江、久仁香)
 こんな些細なことまで、気に掛けてしまう。でも、今はためらっていても仕
方がない。辞書を大事にいだくと、自分のクラスに向かった。
 着席の間際、結城が尋ねてくる。
「借りられた? あ、借りられたんだ」
 と、一人で合点した風にうなずいた。
 誰から?と聞かれない内から、純子が「うん、相羽君が貸してくれたの」と
答えたのは、やはりいたたまれなさから。
「ふうん、優しいんだね、彼って」
「そ、そうなのよ。とっても。あ、誰にでも優しいんだよ」
 妙に言い訳がましくなる。その内、チャイムが鳴って、ほっと息をつけた。

――つづく





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