AWC そばにいるだけで 47−9   寺嶋公香


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#5067/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/ 4/29  19:39  (192)
そばにいるだけで 47−9   寺嶋公香
★内容                                         19/02/12 03:39 修正 第3版
「純子ちゃん」
 相羽の母が、耳打ちするような調子で、そっと話し掛けてきた。純子は顔を
向け、目で「はい?」と応じる。
「ごめんなさいね、本当に。こんなことになってしまって」
「いえ、そんな」
 今日までに、何度も謝られている。相羽の母の責任ではない。
「純子ちゃんの周囲では、雑誌が発売されてから、何か変化があった?」
「特に大きな騒ぎにはなってません。担任の先生が気付いたくらいで……」
「その程度なら、いいんだけど。これからどうなるのかしらね」
 ため息をついた相羽の母。そこへ、藤沢が話を振る。
「具体的にどうしてほしいのかな?」
「と言いますと?」
 純子に代わって、相羽の母が受け答え。
「以前にもお話しした通り、色々考えられますね。たとえば、記者会見を開い
て、事情を説明するとか」
「それは」
「だめなんでしょう? ですから、お聞きしてるんです。こちらからは選択肢
を示しません。本人に言葉で、希望を言ってみてくださいますか」
 藤沢に見つめられ、しばし考える純子。焦ることなく、熟慮する。自分のた
め、香村のため……。やがて結論が出た。
「私の方は、名前が出ないんだったら、あとは何もしてもらわなくてかまわな
いんです。香村君に迷惑がかからなければ、そうしてください」
「なるほどね」
 分かりにくい微笑みを浮かべ、藤沢は腕組みをした。何度か首を振ってから、
何故か手帳のスケジュール欄に視線を落とす。
「ご安心を。うちの香村には、悪い影響が及ばないよう、すでに手を打ってい
ますからね」
 多少おどけた物腰で言って、腕組みを解くと、藤沢は肩をすくめた。
「では、問題なく、聞き入れていただけるんですね」
 相羽の母が表情を明るくした。
 当然首を縦に振るものと思われた藤沢が、前髪に右手を入れて、かき上げる。
間を置いて、相羽の母だけでなく、市川や杉本を含めた全員に向けて、提案を
してきた。
「今度はこちらの要望を申しましょう。まず、我々事務所サイドとしては、今
度の件をプラスに転じたいのですよ。お分かりですよね?」
「お時間も経っていることですし、早く言ってもらえませんか」
 発言を控えていたらしい市川が、苛立ちを隠さない口調で告げた。
 藤沢は背広の襟を直し、頭を小さく下げる。
「では、当の香村が望んでいることをお伝えしましょう。まあ、改めて仰々し
く言うほどでもないのですが、今度の映画でそちらの風谷美羽さんと共演した
いと、強く願っていましてね」
 その発言に、市川は表情を一変させ、「まあ」と短い歓声を上げた。杉本も
手を叩き、似たような反応を示す。
「……つながりが見えないんですが」
 相羽の母だけが疑問を呈する。
「つながり、とは?」
「写真のことと、映画共演に、積極的な関係があるとは思えません。説明をお
願いしたいのですが、よろしいでしょうか」
「かまいません。簡単ですよ。香村と彼女とが共演するとなれば、あの写真が
映画の効果的な宣伝に早変わりするでしょう」
 純子を親指で指差しながら、文字通り簡単に説明をすませた藤沢。
 市川と杉本の二人は満足げに了承の首肯を行ったが、相羽の母は首を傾げた。
「仮に、共演を決めたとしても、映画の公開予定は、まだまだ先ではありませ
んでした?」
「ええ。宣伝効果が薄いと仰りたいんですね? そんな心配は無用ですよ。前
景気を煽れればいいんです」
 完全に割り切っている藤沢に、相羽の母は、話が噛み合わないとばかり、頭
を横に振った。純子の手に自身の手を乗せ、静かな口調で言う。
「私にはこれが限度みたい。あとは純子ちゃん、あなたが決めて」
「――大丈夫です。私、今なら、たいていのことはやれるつもりですから」
 本心と言えば本心、嘘が混じっていると言えばそうとも言える、純子の返事。
(香村君のためになるんだったら、共演もやってみる。それに、仕事をしてい
る間は、相羽君を忘れていられる)
「承知してもらえたと受け取っていいんですかね?」
 隠しきれない喜色をにじませつつ、確認を取ろうとする藤沢。
 某か言いたげな相羽の母を差し置き、市川が満面の笑みとともに首を縦に振
った。最前までの険しい顔付きはどこへやら、藤沢の考えをすっかり、気に入
った模様。
「まあ、この場ではなんですから、正式な取り交わしは、また日を改めてとい
うことになりますわね。ガイアプロさんのご都合のよい日は?」
「いつでも、ご希望の日時を指定してください。私どもの方で合わせます」
 藤沢と市川が固い握手をした。
「本当によかったの?」
 相羽の母が囁き口調で聞いてきたが、純子は首を縦に、かすかに動かしただ
けだった。
(モデルの仕事から遠ざかれば、おばさまとも疎遠になるのかな。その方が、
相羽君と顔を合わす可能性がなくなる。けれど)
 けれど――その先は、まだない。

           *           *

 信一は、このところ落ち込み加減だった気分が、少しばかり上向きになって
いた。夕刻、エリオットから電話連絡が入り、ゴールデンウィーク明けの土曜
から、レッスンをしてもらえる運びになったのである。
(J音楽院の先生に教えていただける!)
 約束をもらってはいたが、いざ現実のものになるんだと思うと、新たな緊張
感と充実感が湧き起こってきた。これからは、雑念を払ってピアノの練習に励
まなければ――固く決心する。
 たった一つ、振り払えないものはあるけれど。
(あきらめられないんだから、仕方ないじゃないか)
 純子の笑顔を思い浮かべ、ひとまず心のアルバムに封印を。そう誓った矢先
のことだった。
 仕事から帰った母が、夕食の席で、純子のことを持ち出してきた。
「学校で、純子ちゃんはどんな様子なの? 詳しく教えてちょうだい」
 有無を言わせぬ強い調子が珍しくて、信一は思わず箸の動きを止めたほど。
口の中の物を飲み込み、さらにお茶を一口飲んでから答える。
「何も分からないよ」
「……それだけ? どうして分からないのよ」
 仕事で疲れているのか、母の眉間にしわが寄る。口ぶりも、普段に比べると
わずかながら粗っぽいようだ。
 信一にしても、知らないことを知っているとは言えない。やや頬を膨らませ
気味にして、
「会えないんだから、仕方ないだろ」
 と早口で返事し、ご飯をかき込む。
「……会えないって、どういうこと。教室、隣なんでしょう?」
 母の語調が明らかに変化した。仕事から離れて、母親として怪訝に感じた、
そんな具合だ。
「何でだか知らないけれど、まともに会ってない。話もずっとしてないんだ」
「信一からは、会いに行ってないのかしら」
「そんなこと……してない」
 正しくは「できない」というのが、信一の現時点の心境だ。
「もしかして、純子ちゃんの方も、あなたを避けてるのかもしれなくて?」
「――とにかく会ってない。それだけだよっ」
 息子のきつい調子に、母はしばらく黙り込んだ。
 気まずい食卓になりかけたが、そこへ陥ってしまう前に、再び母が口を開く。
「何があったのか知らないけれど、今は、純子ちゃんを見守ってあげて」
「……」
「あの子、どことなく無理をしているように見えるわ。自分自身を、無理矢理
追い込みたがっているみたい」
「仕事で何があったのか、教えて」
 茶碗を置き、強く訴える信一。母は間髪入れず、応えた。
「映画に出るわ」
「え」
「香村君主演の映画にね。他に、久住淳として活動しなければならない。コン
サートの話が出ているのよ。気になったから、これこれこういうモデルの仕事
をどうかしらと試しに持ちかけたら、それもやりますって即答してきて……ス
ケジュールのことを、頭から考えてないわね、あの様子じゃ。忙しさを求めて
る感じだったわ」
「止めてくれなかったの、母さん?」
 若干、非難がましく言った信一。言ったあと、母を責めても無意味だと気付
いて、目を伏せる。
 母は全て分かった風に、穏やかな物腰で応じた。
「止めることは、まだ間に合う。先に、あなたに聞きたかったの、純子ちゃん
の学校での様子を」
「……ごめんなさい」
「いいのよ。それよりも、母さんの仕事とは切り離して、純子ちゃんのこと、
気になるわね」
「うん……」
「大事に想ってるんでしょう? 大事なら、気にかけて、気付いてあげなくち
ゃ。今、特に必要だと思うな、母さんは」
 母から背中を押してもらった。そんな気がした。

           *           *

 純子は学生鞄を胸で抱え、廊下を急いでいた。
 日番で遅くなった。
 今日はルークから電話があるかもしれないのだ。必ずしも直接聞かなければ
ならないわけではないが、早く帰って、待っていたい。
 角を折れ、少しスピードを落とした。視線の先に、生徒用の靴入れが、ミニ
チュアのビル群みたいに並んでいる。
 その前に人影が一つ。純子に気付いて、かすかに動いた。
(あ――)
 シルエットだけで充分すぎるほど分かる。純子は息を飲み、歩みを遅くする
と、やがて背を向けた。
「純子ちゃん!」
 相羽が、いた。
 駆け出そうとしていた純子の足が止まる。肩越しに、目だけ振り返って、ま
た前を向くとうつむいてしまった。何も返事できない。
 相羽の足音が近付く。静かに、いたわるような優しい響きを立てながら。
「久しぶりだね。やっと会えた」
「そ、そうかしらね」
 ぎこちなく言い返し、どうすればいいの?と心が迷う。
(嘘をついたまま、平気な顔をしてあなたと友達でいるのは辛すぎる。郁江や
久仁香のためにも、会ってはいけないんだ。……でも)
 こらえきれない想いが、全身から染み出してくるような感覚にとらわれる。
肩に力が入り、腕を下へ向けて突っ張る。
「こっちを見てくれ」
 少し強い調子になる相羽。
「ずっと心配だったんだ。君の顔を見て、安心したい」
「……ごめんね、心配かけて。大したことないから、気にしなくていい」
 背を向けたまま、急き立てられたかのように答えた。早く立ち去ってほしい
という気持ちと、振り向きたいという気持ちがぶつかる。
「逃げないで」
 相羽の言葉に、肩がぴくりと震えた。
「逃げてなんか、ないわ」
 口ではそう言ったものの、動揺して、意味のない笑みを浮かべそうになる。
(いつまでもこのままでいられないのは、分かってる。郁江や久仁香に、ちゃ
んと会って話さないといけない。許してもらえないかもしれないけれど、謝ら
なくちゃいけない。相羽君とも、普通に話せるようにならなくちゃいけない)
 だが、振り返る勇気は、まだ持てなかった。
 そのとき、相羽が動いた。純子の前に回り込んだ彼は、真っ先に、「ごめん」
と呟いた。二つの瞳が、純子をしっかり映している。
「本当に久しぶりだね。会えてよかった」
「え、ええ」
 視線をそらす純子。相羽は見咎めるでもなく、泰然として続けた。
「何だか、これでやっと高校生活が始まる感じがする」
「――」
 息を飲んだ。純子は手の平で口元を覆い、逡巡した。それから十秒もした頃
だろうか、態度を決めた。
「私も、よ」

――『そばにいるだけで 47』おわり





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