#5024/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/ 1/30 10:11 (188)
そばにいるだけで 44−8 寺嶋公香
★内容
「三月に入ったら展開していくから、楽しみにしていてね」
一月も半ばを折り返した日曜の昼、相羽の母から、ジュエリーの広告の出来
映えに関する知らせを受けた。現物のチェックは任せているから、電話だ。
純子は礼を述べてから、話のついでを装って、相羽の母に要望した。
「信一君はいますか」
「ええ。替わりましょうか」
「お願いします」
純子は待った。短い時間のはずなのに長く感じる。それが、でも、今はあり
がたい。決心を固めるために。
やがて送受器を持ち上げる音が聞こえた。
「純子ちゃん?」
「あ、ごめんね。受験勉強してた?」
「してた」
純子は、それは嘘ではないかと半信半疑だった。相羽の緑星高校受験が、ふ
りだとしたら、受験勉強をする必要はない。するとしたら、英語だろう。向こ
うで生活したり授業を受けたりするのに必要な、より日常的な、あるいは専門
的な英語。
(今からそれを確かめるのよ。疑っちゃだめ)
猜疑心を振り払うため、純子は唇を噛みしめた。
沈黙の持続に、相羽の方が訝しげな声を上げた。
「どうかしたの? 君の方から僕を呼び出すなんて、珍しい……」
「もう一度、答えて」
「え?」
「J音楽院には行かないの?」
「行かない」
「……」
相羽の即答。それはいい。相手の顔が見えないことが、純子には不満だった。
いや、不満ではない。純子を不安にさせる。
「会いたい」
「――分かった。僕はどうすればいい?」
「あなたの家に行くわ。――あ、待って」
ためらいが生じる。
(おばさまのいるところでは話しにくいかもしれないわよね。でも、おばさま
がいるからこそ、本当の答を言うかもしれない。……分かんない)
純子が考える間、相羽は黙って待っていた。
(おばさまがいるから本当のことを教えてもらっても、よくない。私は、相羽
君から本当のことを聞けたらいい。聞きたい)
結論が出た。
「ごめん。やっぱり、公園まで来てくれる? 学校近くの……」
「うん。行く」
相羽の喋り口調は、早くも送受器を放り出そうとしているかのような勢い。
この十五分後、純子は自転車で公園に駆けつけた。すでに相羽は到着してお
り、難しげな顔つきで奥の木々を見上げていた。
待たせたことを謝った後、純子は相羽の真正面から尋ねた。
「相羽君。あなたの本当の気持ちを教えて。J音楽院に行くのか、緑星に行く
のか。決まっていないのなら、そう言って」
「外国に行くことはないよ」
答える相羽を、純子はじっと見つめ続けていた。特にその瞳に見入る。目を
見ればその人の本心の一端が覗けると、信じている。
相羽は純子の意志のこもった視線を柔らかく包むように受け止めると、顔を
逸らすことなく、穏やかな眼差しを返した。
「……よかった」
純子の言葉が、かすかに震えた。確かめるために努力した甲斐があった。そ
れまで胸の内で膨らみっ放しだった疑惑が、瞬く間に氷解していく。安心でき
て、優しい気持ちになれる。
謝意を込めて抱きつきたい衝動に駆られたが、それはできない。せめて、言
葉にしよう。
「ごめんね。何度も同じことを聞いて、わざわざ呼び出してしまって」
「いいんだ」
「じゃ、緑星に行くのね」
「それは分かんないよ」
相羽の返事に、純子は目を見開き、息を飲んだ。しかし、相手の顔付きから
また冗談を言っているのだと知れて、安堵する。
「合格するかどうか、まだ分からないんだから――でしょ?」
口真似をして、先手を打ってやった。相羽が楽しそうな笑いで応じる。
その噂を純子にもたらしたのは、町田だった。二人きり、時は昼休み、場所
は校舎の隅っこ。
「え、白沼さんが?」
「そうなの。八組の男子に告白されて、保留したらしいわ」
特ダネを抱えた嬉しさか、町田はいつになくにんまりしている。
「保留って?」
「文字通りの意味よ。言い回しは正確じゃないでしょうけれど……『私には好
きな人がいるの。万一私がその人にふられて、そのあとでもいいのなら、待っ
ててもいいわよ』てな感じの返事だったみたいね」
「……」
純子は分からなくて眉を寄せた。頭の中で、糸がこんがらがる。
(白沼さんの好きな人って……相羽君でしょ? ふられるも何も、今、付き合
ってるんじゃあ? まさか将来別れたときのことを考えた? いくら何でもそ
れはないよね)
疑問符が飛び交い、いつまでも消えない。
「ご感想は?」
純子の反応がないのをつまらなく思ったか、首を傾げながら聞いてくる町田。
「私は別に何も」
「そんなことないでしょ。白沼さんが気にしてる相手って言うのは、当然、相
羽君なんだから」
「それが何よ。関係ない」
強がりの台詞が震えないように気を付ける。意識しすぎて、顔を町田から逸
らしてしまった。
不審を招いたはずなのだけれど、町田は一定のトーンで会話を続ける。
「まあ、想う相手がいると言ったって、白沼さんは元々フリーなんだから、と
やかく言うことじゃないわよね。キープするのは個人の自由だし、告白した男
子の方もそれが嫌ならあきらめればすむ話だし」
「え」
途中で声を短く漏らしていた純子。
(何言ってるの、芙美? 相羽君は白沼さんと付き合い始めたんだよ。色んな
噂を知ってるあなたがまだ知らないの? 確かに、私は誰にも喋らないでいた
けれど、それにしたって……)
よほど言ってみようかと思ったが、飲み込んだ。じっくり思い返してみると、
不思議な点に突き当たったから。
(白沼さんの性格を考えたら、相羽君と付き合っていることを大っぴらに言っ
て回ってもいいのに。芙美も知らないっていうことは、全然噂になっていない
ってこと。一年生のときから気持ちを隠さないで来た白沼さんが、今さら隠す
のもおかしい)
でも、と一方で希望を打ち消す自分がいる。
(私自身、白沼さんの口から聞いたのよ。相羽君と付き合ってるって。実際、
文化祭や美術館にも来てた。やっぱり……付き合い出すと、秘密にしたがるも
のなのかな……)
分からなくなった。最初から分からなかったのが、余計にこんがらがった感
じがする。もつれ合った糸を解こうとしたら、結び目ができてしまった。
横合いでは、町田が予想屋めいたことを口にしていた。
「私の見込みでは、卒業式のときに、何か仕掛けてくるんじゃないかしらね、
白沼さん。郁や久仁はどうするんだろうね?」
「さあ?」
「同じ第二小出身として、第一小の白沼さんに取られるのはしゃくよね、やっ
ぱり」
「そういう問題でもないんじゃあ……」
「いいえ、しゃくなのは間違いないわ。私も一応、いいなあと思ってたことあ
るんだからね」
前々から町田にはすでに吹っ切ったらしい様子があったが、本人の口からこ
こまできっぱりとした表現を聞いたのは初めてかもしれない。
「とにかく、あんた頼みだからね」
「うん?」
「私らの中で、相羽君と同じ高校に行けそうなのは、純だけだってこと。白沼
さんに盗られないよう、しっかりつかまえといて」
「だから、そういう問題じゃないと思う……。それに、J音楽院かもしれない
んだし。ううん、きっとJ音楽院よ」
さっぱりした口調を装う。肩をすくめてみせた。
町田は首を傾げた。
「どうかしらねえ。相羽君、緑星受験は決めたはずでしょ? わざわざ緑星を
受けるんだから、それはないんじゃないの? 音楽院に行くのなら最初から緑
星を受験しないって」
「そうじゃないかもしれない」
「何でよ。両方受かってから、じっくり比べるとでも?」
「緑星受けるのは、みんなを安心させるためなのよ、どうせ」
「はあ? 相羽君がどうしてそんなことをしなきゃいけないわけ?」
「今からJ音楽院に行くって決めたら、周りの女子がうるさいからじゃない?
あいつのことだから、多分、みんなの受験に悪い影響が出ないようにとか何と
か思ってさ……変なところに気を遣うのよね」
「考え過ぎよ。と言うか、妄想に近い」
断定口調で告げた町田は、壁にもたれかかって天を仰いだ。
「ねえ……芙美」
「ん?」
「白沼さんと相羽君との間のことで、何か噂……聞いてない?」
「別にないわねえ。それにしても純がそういうこと聞いてくるなんて、珍しい
ような。気掛かりでもあるのかな?」
「ううん」
短い返事、そして首を振る。そうでもしないと、感情が外に出てしまいそう
だから。
町田は右こめかみを指でひとかきし、しばし考える顔付きになった。程なく
して口を開く。
「あのさ、私には気掛かりがあるんだけど」
「――私に関係あることなのね?」
町田の意味ありげな言い回しに気付き、純子は振り向いた。ところが今度は
町田が前方を向いてしまった。そして彼女は鼻の頭をこすると、さり気ない調
子で始める。
「まあ、そうね。言ってしまえば、唐沢とのこと」
横目で見てくる町田。
(また!)
純子は少し頬を膨らませた。町田が今度こそしっかり顔を向けてきた。
「そんな嫌そうな顔しないでよ! 蒸し返して悪いとは思ってるわ」
「だったら、何よ」
「もしもの話……あいつから告白されたら純はどうするのかなあ、と思ったの」
淡々と言って、純子の胸先へ人差し指を突き付ける町田。
純子はすぐには返事できずにいた。町田は町田で、静寂を作らないようにし
たいらしく、やや早口に喋り続ける。
「卒業式に勝負かけてくるのは、何も女子だけじゃないんだわと気が付いたん
で、そうなると、真っ先に浮かんだのが唐沢のばか」
「唐沢君は相手が他にもいるじゃない。私には関係のない――」
「だから、もしもって言ったでしょうに。仮定の問いに、仮定の答を返してく
れればそれでいいのよ」
数歩詰め寄られて、純子は逆に一歩退いた。
「そう言われても……」
「純は前に言ってたわよね。『唐沢君はいい人』って。あれ、どういうレベル
で言ったのかな」
「べ、別に、好きとかどうとかで言ったんじゃなくって!」
町田の問いの本質を察し、純子は思わず声に力がこもった。
「優しくしてくれる、いい人だなあと、そんな意味よ。うん」
「それが手なのよ……てなこと言っても、純は信じないわよね。ほんと、こう
いうところは免疫ないというか、お人好しというか」
「中学生よ。免疫ある方がおかしいと思う……」
「あんたの場合、もてるくせして、奥手なんだから。ほんの少しでいいから敏
感になりなよ」
「……」
結構、痛い。胸に突き刺さるような忠言だった。
――つづく