#4987/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/12/25 9:43 (200)
そばにいるだけで 43−1 寺嶋公香
★内容 16/10/28 03:27 修正 第2版
寝転がって、枕に顔をうずめていた。
文化祭の翌日は代休。今年は特にありがたい休みかもしれない。相羽と顔を
会わさなくて済む。今会えば、とめどなく疑問をぶつけるか、逆に口を利けず
にいるかのどちらかになるに違いない。
純子の部屋は静寂で満たされていたが、純子の頭の中は考えごとで大混雑し
ていた。
(ばか。何で言わないのよ)
また同じつぶやきの繰り返し。
両腕をついて上半身を起こすと、純子はベッドの上にぺたんと座り込んだ。
そして目の前の枕を見ている内に、もやもやがますます大きくなる。
「ばか」
拳で叩くと、ぽすっと音がした枕。枕カバーのデザインが――夜空が歪む。
星座がごちゃ混ぜになり、三日月が折れ曲がる。
続けてみた。「ばか、ばか、ばか」とつぶやきながら枕を殴る。
「相羽君のばか!」
最後だけ大声になった。全然すっきりしない。以前、同じことをして少しは
気が晴れたのに……。どうやら考えごとの種類が違うようだ。
今、父は仕事で母は買い物。家には純子一人だ。母からは買い物について来
ないかと誘われたけれど、文化祭で疲れているからと断った。
(あんたなんか勝手にどこへでも行けばいい……なんて、とても思えない)
今度は仰向けに横たわった純子。両腕を伸ばし、息を吐く。首を傾け、窓へ
目をやった。まぶしいくらいの青空。
ぼんやり眺めている内に、相羽の顔を思い描いてしまった。
(どうするの?)
当面の問題。相羽がJ音楽院に入学するのかどうか、それを知りたい。
(もう私なんかに関係ないこと――相羽君はそう思ってるのかもしれないけれ
ど、でも、私は知りたいのよ。ねえ、教えて。告白を断るような相手には、話
したくない? そう言われても仕方ないのかな……)
「――電話?」
不意に身体を起こす純子。いつから鳴っていたのか、呼び出しの涼やかな音
がドアの向こうから聞こえる。考えごとに夢中で全く気が付かなかったらしい。
そのこと自体に驚かされてしまう。
ともかく、無理にでも元気を出して、電話のある一階まで駆け降りた。
「はい、涼原ですが」
送受器を取る瞬間、もしかしたら相羽ではないかと期待する気持ちが芽生え
た。けれど、少なくとも現時点で、そんなことはあるはずなかった。
「前田ですが――涼原さん?」
さほど頻繁に掛けてこないためだろう、緊張した声で探るような調子だった
前田だが、じきに相手が純子と気付いた。
「うん、私。どうしたの、前田さん?」
「どうしたもこうしたも、昨日のことが気になって」
ということは……。
(やっぱり、分かっちゃってたのね? 私に告白したのは相羽君だって)
* *
寝転がって、天井を見ていた。
文化祭の翌日は代休である。今年は嬉しくない休みだ。学校に行っても、純
子と会えない。
相羽の部屋は音楽で満たされたが、相羽の耳にはほとんど届いていなかった。
(追い掛けたかったのに)
クラスでの打ち上げのとき、教室を飛び出していった純子の後ろ姿が目に焼
き付いている。拒絶するような雰囲気を持った背中だった。だけど、それでも
追い掛けるつもりでいた。
なのに、実際にはそうすることができなかったのは、白沼に再度詰め寄られ
たからである。唐沢の話を聞き終わった彼女は、相羽の態度に改めて文句を言
い出したのだ。それも腕をつかまえ、放さないでいたほど。
(振り切って追い掛ければよかった、か)
あの状況で実行できたかどうか、甚だ怪しい。
反面、ふられたあとになっても、こんなに気にしている自分が、哀しくもお
かしかった。
起き上がり、プレーヤーを止める。
電話の呼び出し音が聞こえた。いつから鳴っていたのか、気になる。
部屋を出て、他に誰もいない家の中を走り、送受器を取った。
「はい?」
「相羽? 俺」
唐沢だ。ぶっきらぼうな調子で続く。
「なーんだ、まだ日本にいやがったか」
「今度行くときは前もって言うから、心配するな」
「……おまえねえ」
間が空いた。頭を掻いてでもいるのか、かさかさと音が聞こえる。
「まあいい。今、暇か? これから出て来られないか?」
「暇と言えば暇だし、そうでないとも言える」
「何だ、それ」
「留守番頼まれてる。それに、考えごともあるし」
「考えごとくらい俺にもあるぜ。家を空けられないんなら、俺が行っていいか」
「いや、それならこっちから出かけるよ。どこに行けばいい?」
場所を聞き、大まかな時間を決めて、電話を切った。
簡単に着替えを済ませたところで三分近く経過していた。帽子を目深に被っ
た相羽は、ドアを開けてマンションの廊下に出た。誰も見当たらない。空気の
冷たさに首をすくめた。
鍵を掛けると、エレベーターに向かう。
途中で気が換わる。階段を駆け下りた。
やっと吹っ切れ始めたのかもしれない。
* *
「ずばり聞くけれど、前にあなたが相談してきた話、あれ、相羽君のことなん
でしょう?」
「――うん」
躊躇は一瞬。見えない相手にしっかりうなずく純子。この点を認めてしまえ
ば、あとは話しやすくなる。
「やはりそうだったのね」
「誰にも言わないで。秘密よ」
「それぐらい、心得ているわよ。――相羽君、あなたに断られたから外国の学
校を受けたんじゃないわよね」
「多分……。私に告白したすぐあと、受験しにアメリカに行ったみたいだから」
「そうね。パスポートとか準備なんかの期間がいるでしょうから、前々から考
えていたはずだと。そうなってくると、問題はこれからだわ」
「問題って」
知らず、コードを強く握りしめた。不安が募る。雪だるま式に大きくなると
はこのことだ。
「昨日の話じゃまだ迷ってる口ぶりだったけれど、相羽君、本当に向こうの学
校に行ってしまうかもしれないってこと」
「……」
「言いたくないけど、好きな相手に想いを伝えてふられたんだから、とりあえ
ず区切り着けたわけよね」
「そ、そんなの、困る」
私のせい? まさか!
「わ、私が断らなかったとしたって、行くときは行くわよ。そんないい加減な
気持ちで外国の学校の試験を受けるはずない」
「私ね、今朝一番に図書館に行って、留学の本を見てみたの」
「は? どういう」
前田の唐突な話についていけない。思わず聞き返した。
「J音楽院のことを知りたかったのよ。ちょっと変わってる。受験資格に年齢
制限はないの。もちろん、入学に関してもね。ただ、本科と言って、本格的に
音楽一辺倒になるのは十九歳以降で、希に飛び級もあるらしいけれど、普通は
十九歳に達してない人は予科という形になるみたい。月曜から金曜までは一般
の高校とほぼ同じ授業プラス音楽で、土曜日は音楽集中」
「……それってつまり」
「そう、才能があればいつでも行けるみたいなのよね。もちろん、早い方がい
いんだろうけれど。だから相羽君、あなたに受け入れられたら先延ばしにする
つもりだったんじゃないかしら。日本の高校に通ってから大学生になる年にJ
音楽院に入ればいいってわけよね。逆に、未練なくなっちゃったらすぐアメリ
カへ行ってしまうかも……あくまで想像だけれどね」
純子は何も言えなかった。前田の想像が当たっているような気もするが、そ
う考えることは私の意識過剰じゃないかとも。
(だって、どんなに好きだとしたって、私と進路とを秤に掛けるなんて、ある
はずないじゃない)
相羽の考えていることが見えなくて、首を激しく振った。
「関係ないわ」
それだけ言って、話を打ち切ろうとする。前田は純子の口調に冷たい響きを
感じ取ったか、「そう」とつぶやき、もう触れなくなった。
「何かあったら言ってよ。相談に乗るから」
「うん。心配してくれてありがとう」
送受器を戻した純子は、深いため息をついた。
* *
唐沢は運動公園の屋内コートで一人、スカッシュをやっていた。やけに気合
いが入った様子で、右に左に走り回り、打つ瞬間の腕の筋肉の張りが凄い。
透明な仕切りから見ていた相羽だが、一向に気付いてもらえる気配がないの
で、こんこんと軽くノック。ちょうど唐沢のミスと重なった。
「早かったなあ」
ドアを開けて相羽を招き入れる唐沢。白く、しんとした密閉空間といった風
情があった。
隅に置いてある四角い椅子に腰を下ろす相羽。Tシャツ姿の唐沢は汗だくだ。
立ったまま、タオルを髪や首筋に当てる。
「乗り継ぎの連絡がよかったんだ。それで、何やってるんだ?」
「見て分かるだろ」
「一人で何でこんなことしてるかと聞いているんだ」
「部活がなくなってから、運動不足でな。男誘ってテニスする気はなかったし、
女の子誘うとずるずる遊んでしまいそうだったから」
筋道は通っているようだが、それでも面白い答だと思った相羽。いかにも唐
沢らしい。
「使用料、結構かかりそうだ」
空間を見回す相羽。唐沢は上着を羽織り、隣に座ってから応じた。
「そうでもないぜ、公共施設だからな。どっちにしろ、今の俺なら払えるんよ。
何しろ、女子達とのデートしなくなっただろ。それまでの出費が貯まってねえ」
少々下品な笑い方をした唐沢。
「こんなに女の子に使ってたのかと、我ながら呆れたぜ。使い道に困るほどだ」
冗談を言って、自ら高笑いする唐沢。相羽は嘆息してから、話題を転じた。
「……さっきの電話は、途中で抜けてわざわざ?」
「おうよ」
「まさか、スカッシュしろと言う気か?」
聞いてない。故に、何の用意もしてきていない。
「それなら最初に言ってるさ。もうすぐタイムアップだしな」
唐沢はテーブルに置いてある腕時計を手に取り、時刻を確かめてから着けた。
「延長料金を取られたらたまらない」
「使い道に困るほど、じゃなかったっけ?」
「まさか。ロビーの方に行っててくれるか? シャワー浴びて、着替えてくる
からもうちょい時間かかると思う。悪いな」
「OK」
立ち上がり、ゆっくりとした足取りで外へ出た。淡いブルーの壁に挟まれた
細い廊下を行き、更衣室横を抜けて、ロビーに出る。平日の午後、利用者はわ
ずかだ。ソファが空いていたので、そこへ腰を下ろして唐沢を待つ。
十五分ほどして、さっぱりした感じで現れた。これがもしデートの待ち合わ
せだとしたら、白い歯を覗かせて微笑んだり片手を軽く上げたりするのだろう。
「待たせてすまなかった。何か飲むか。おごるぞ」
唐沢はスポーツバッグを床に置くと、片手で尻ポケットの財布を探り、もう
片方の手の親指で自動販売機のある方向を示した。清涼飲料水の自動販売機三
台が、煌々と光を放ちながら並んで立っている。その横にはアイスクリームの
自販機があり、さらに煙草の自販機もあったがこちらは小さい。運動公園とい
う施設では肩身が狭い。
「いや、いい」
「そうか?」
唐沢は缶ジュースを手に戻ってくると、相羽の座るソファに腰を下ろした。
少し、間を置いて。
「――うーん、運動のあとの一杯はうまいねえ」
のどを鳴らして一気に何口か飲む唐沢。その喋り方はどこか芝居っぽい。
「仕事帰りの会社員が、ビアガーデンでジョッキを煽ってるみたいだな」
「そんなに年寄り臭いか。うーむ、ちょっとデートしなくなると、若々しさが
失われるのかもしれん」
冗談を連発する唐沢に、相羽は身体ごと振り向いた。
「唐沢。そろそろ本題に入ってくれ。呼び出しておいて、これはないぜ」
「……それを言うなら、おまえも、あれはないだろ。昨日のあれは」
缶を口から離し、両手で持つと、唐沢もまた相羽の方を向いた。
相羽が無反応でいると、しびれを切らしたように唐沢は言葉を補う。
――つづく