#4922/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 8/30 15:59 (177)
そばにいるだけで 39−10 寺嶋公香
★内容
突然その名を出されて、ジュースを吹き出しそうになる。さすがにそれは免
れたものの、ごほごほけほけほと咳き込んでしまった。二、三日前に放送され
たのを、本人はすっかり忘れていたのだ。
「どうしたのよ。ほれ、落ち着いて」
町田が背中をさすってくれて、段々にではあるが楽になってきた。そんな純
子の目の前に、手拭いが差し出される。見上げれば、手拭いを掴んでいるのは
相羽だった。
「いらなかったかな?」
「あ、ありがとう」
受け取り、念のため、口の周りを拭いておく。返すときにちらりと見やった
相羽の表情は、いつもと変わりないようにも見えた。
「あの番組なら観た!」
元の話題に戻って富井が元気よく答えた。いやににこにこしている。
「録画もしたっ。何たって、あの神秘的な久住淳の初登場だもんねえ」
「そうそう。逃したらもったいない」
富井と井口の会話を聞いて、純子はつばを飲み込んだ。
(神秘的……そういうイメージがあるのかな。確かにこれまでは表に出てなか
ったけれど。珍しいだけよね、きっと)
正直な気持ちを言えば、同世代の女の子にあまり人気が出てほしくなかった。
ファンの心理が容易に想像できるだけに、だましている気がしてならない。
「格好よくて、素敵だったよねえ」
「ねえ」
「私も観たな。ルックスは照明とかでどうにでもよくできるから置くとしても、
鷲宇憲親と並んでも遜色のない歌唱力。あれに驚いた」
町田まで久住淳に好感を持ったらしい。その上、歌唱力のことを評されて、
純子は内心、冷や汗を掻きっ放しだ。
(全然、比べ物にならないわよ! 実力差があり過ぎ!)
叫び出したいのを我慢して、思わず歯ぎしりしてしまう。
「そうかあ? ちょっと線が細くねえ?」
疑問を呈した勝馬だったが、純子を除く女子三人から総反撃を食らう。
「いやいや、格好は認める。認めるけど、ただ、男にしてはどことなくなよっ
ぽいと言うか、細っちいと言うか」
「そうだよな。声もよく出てきれいだけど、太さが足りないって感じだったぜ」
唐沢も勝馬と似た意見らしい。
(女子や相羽君は言うまでもないとしても、まさかみんな観てたなんて。まず
いわ、これからもっと気を付けなくちゃ、ばれる。そうするには……久住淳に
なったときは男っぽく、普段は女らしくしていればいいのかな)
さっき足を振り上げたことを思い出し、ああいう真似はやめようと決心する。
過剰に意識して、缶ジュースを持つ手つきが妙におしとやかで丁寧になった。
まるで茶道だ。
「そんな飲み方をして、おいしくなる?」
相羽の声に我に返って、缶に添えていた両手の内、左を離した。
見れば、相羽が笑っている。今度の笑みは本物に見えた。目元も口元も笑っ
ている。
(よかった。思い詰めすぎてるんじゃないみたい)
ほっとした。安心したら、純子も笑顔になった。
「そうよ、おいしくなるの。気分的に」
「――僕も試そうっと」
自分の缶ジュースを右手で持ち、左手を底にあてがうと、相羽は澄まし顔で
一口飲んだ。
「結構なお点前で」
相羽と純子の声が重なった。純子の小さな笑いが続く。
「何がおかしいのー? 今は久住淳の話をしてるんだよっ」
富井が目をくりくりさせて聞いてきた。純粋な質問かもしれないし、相羽の
様子が気になったのかもしれない。多分、両方だろう。
「大したことじゃない。ちょっと茶道ごっこを」
相羽の返答に、富井のみならず、他の四人も理解に苦しんだらしい。瞬きを
したり、隣の者と目を見合わせたり、ぽかんと口を開けたりしている。
純子は軽く手を打った。
「まあまあ、いいじゃない。それよりさ――久住淳のどこがいいわけ? 教え
てほしい」
「どこがいいって? こういうこと分からないから、うぶで奥手なんだわ」
町田がこの手の話題で力説するのは珍しい。テレビ番組で観て、よほど気に
入ったと見える。
長所を次々に列挙する町田、さらに付け足す井口と富井。純子は気持ち、逃
げ腰になった。
「基本的なこと聞くけど、そもそも純子は番組を観たわけ? 観ずに言ってる
んじゃないでしょうね」
「え、い、一応は観たわよ。デ、デビュー曲買ったくらいだし、白沼さんにサ
イン見せびらかされて、ちょっぴり興味あったし」
言い終わってから、自分のこの回答は矛盾していると気付いた。
(デビュー曲買ったってことは、私は久住淳のファンであるわけで、サインを
見せびらかされて興味を持ったというのと噛み合わないじゃない!)
慌てて言い繕ったおかげで、失敗してしまった。パニック寸前になりながら、
上目遣いで周りの反応を伺う。
と、どうやら不審に思われなかったようだ。町田達は「それなら分かるでし
ょうに」とやいやい言うだけで、純子の言葉尻を捉えはしない。本人が感じた
ほど大きなミスではなかったのだ。
(ああっ、心臓に悪い! やっぱり、少なくとも親しい友達には打ち明けられ
るように、市川さん達にお願いしてみよう)
強く意を固めるのに純子。それに合わせたみたいに、相羽が遠くを見やりな
がら言った。
「そろそろ動かないか? 折角来たんだ、もっと泳がないとね」
完全には乾ききっていない髪が、夕日を受けて光っている。
自転車をゆっくり漕ぐと、そよ風が肌に心地よかった。
「次にみんなで遊べるのは、お祭りの日かな」
町田の言葉に反応して、井口が情けない声を上げた。
「ごめーん、私パス。また帰省するから」
「あら? 今年は受験勉強で、帰るのはなくなったんじゃなかった?」
「何故だか知らないんだけれど、お母さんが親孝行したくなったみたい」
「ふむ。ま、親孝行はいいことだね」
うんうんと感心した風にうなずく町田は、自転車に乗りながら腕組みをしか
ねない様子に見えた。
「それじゃあ町田さんも、ほんのちびっと、おしとやかになるべきだな。それ
が親孝行になる」
後方を行く唐沢が、例によって差し出口。
町田は無言でスピードを落とし、唐沢の横に並んだ。そして息をすうっと吸
い込み、唐沢に向けて一気に。
「それ、どういう意味よ!」
声が鼓膜に響いたのだろうか、唐沢は左右にふらつきながらも、体勢を立て
直した。
「その言葉遣い、直せよってことさ」
「必要があれば、いつでもすぐに直せるわよ。友達と喋るときはこれでいいと
思ってるんだから、かまわないでもらいたいわね」
「習い、性になると言うぜ」
「……受験勉強の効果が現れたようね」
「おおっ。そう言えば俺、こんな難しい言葉を使っている!」
冗談めかして大騒ぎする唐沢。町田も呆れて怒る気力を失ったようだ。純子
達周りの人間も、これで安心して笑える。
そこへ相羽がぽつりと言った。
「和んでいるところを無粋だとは思うんだが……正確を期すなら、『習い、性
となる』だよ。どちらでも意味は通じるだろうけどね」
「ん? ……『性に』じゃなく、『性と』だっけか? うーむ、付け焼き刃の
哀しさ、メッキがぽろぽろ剥がれ落ちる」
くじけず、笑い飛ばす唐沢。町田がこれ見よがしに嘆息した。ため息が景色
とともに後方へ飛んでいく。
「デートの下調べやネタ仕入れだともっと気合いが入るんだが、受験勉強って
のは未だ実感わかないんだよな」
まだ言っている。と、突然、純子に話し掛けた。
「そうだ、涼原さん。前から聞きたいと思っていたことが」
「何?」
「モデルやタレントの業界裏話、何かない? デートのとき、女の子に話して
やったら絶対受ける、おいしいネタ!」
即座に町田から「趣味わるーっ」と非難の声が飛ぶ。
でも、富井や井口、勝馬らは興味あるらしく、町田の意見は多勢に無勢。皆、
純子に注目した。
「――うふふ、そんなのないわよー」
呆気に取られた一瞬のあと、純子は苦笑いとともに答えた。一団はちょうど
交差点に差し掛かり、切り替わったばかりの赤信号で止まった。二分程度、落
ち着いて話せる。
「唐沢君が期待しているほど、知り合いいないもんね」
「ちょい、それは嘘だ。あのドラマに出ただけで、相当な人数と面識ができた
はずだぜ」
「それは俳優の人達と面識はできたけれど、物凄く親しくなったわけじゃない
から……」
話しながら、香村のことが脳裏をよぎる。返事をどうするか、決めかねたま
まだ。
(今考えることじゃない)
純子は強く頭を振った。周りのみんなの不審を少々招いたかもしれない。そ
れを振り払うべく、ことさら明るい調子に努める純子。
「サインなら頼めばしてくれるかもしれないけどねっ」
「ほんと? じゃあ、私はね――」
井口がタレントの名を挙げようとした折、信号が青になった。
母さんからの伝言で君の両親に連絡しなければいけない事柄があるという理
由でもって、相羽は純子について来ることになった。
この場で言ってくれていいのにと不審がる純子だったが、相羽は、企業秘密
だから他のみんなに聞かれたくないと受け付けなかった。
「いいな、いいな。うまいことやりやがる」
と、唐沢と勝馬は純子と二人きりで帰る相羽をあからさまに妬んでみせた。
「俺もボディガードぐらいならできるんだけどな」
「不要ね。相羽君は武道の心得あるんだから。そんなにボディガードしたけり
ゃ、私達を守ってもらおうじゃない」
町田がほくそ笑みながら、唐沢の肩を叩く。一瞬、遠慮したそうに頬をひき
つらせた唐沢だったが、勝馬と目で相談し、
「いいぜ。基本的に女の子に優しいんだ、俺は」
と気取って答えた。
一方、富井や井口は事情を理解しつつも、なお純子がうらやましいことを隠
そうとはしない。
「そんな恨めしそうに見ないでよー。仕事の関係なんだから」
「分かってるけど。でも、いいなあ。内緒話できるのもうらやましい」
「あーあ、私もモデルになれるほどプロポーションよかったらな。親を恨みた
くなる」
なだめる純子へ、二人は一くさり不満を述べてすっきりしたようで、踏ん切
りを付けて去っていく。
「それで、話って?」
二人だけになったところで、純子は相羽に尋ねた。黄昏時を迎えて、辺りは
闇色に染まりつつあった。街の騒音が途切れ、寂しさが漂う。
自転車をゆっくり漕ぐ相羽は、それに合わせたかのようにゆっくりと首を振
った。
純子は相羽の仕種を、まだ話せないという意味に受け取った。
「もう誰もいないわよ。知らない人に聞かれたとしたって、きっと冗談だと思
ってくれる」
「違うんだ。ごめん、伝言があるっていうの、嘘なんだ」
――つづく