AWC そばにいるだけで 39−1    寺嶋公香


        
#4913/5495 長編
★タイトル (AZA     )  99/ 8/30  15:46  (200)
そばにいるだけで 39−1    寺嶋公香
★内容
 そのとき、よそ見をすれば教室の外は揺らいでいたかもしれない。だが、実
際はみんな先生の説明に集中――だいたい集中していた。室内はエアコンが程
良く効いて湿度も低く、快適だった。
 進学希望の生徒各人は、志望校もほぼ固まりつつある中、夏期講習に参加し
ていた。目標が見えてきたことで、やる気も増すというもの。――それに、ま
だ二日目だしね。
 しかし。
 午前中だけとは言え、一度しかない中三の夏休みの貴重な日々を潰して受け
るのはつらい。二日目最後の授業も半ばを過ぎる頃には、終了を告げるチャイ
ムが待ち遠しくなってきた。
(教室が心地いいだけに、暑い中を帰るのが億劫なのよね)
 純子は時計を一瞥しながら、そんなことをふと考えた。ぎらぎら輝く太陽を
想像したおかげで、暑さを新たに感じたような気がする。
(泳ぎたいな。休みになってからと思ってたけど、それまで我慢できるかしら)
 やがてその日の授業が終わった。
 一目散に廊下へ駆け出していく者もいれば、グループでお喋りしつつ帰り支
度をする者もいる。あるいは、先生を掴まえて質問をする生徒もたまにいる。
 純子は町田達と約束をしていたので、自分の席で遠野と話をしながら待って
いた。授業が終わる時間は全クラス同じだから、程なくやって来るだろう。
「涼原さんはお休みの間、何か予定があるの? 旅行とか……」
「今年は難しいかな。いっつもお父さんの実家に帰るのが精一杯だったし」
「あの、聞いていいのかどうか分からないけれど……モデルの分は? 遠くに
ロケに行ったことがあるって聞いた……」
 興味津々であることを恥じるかのように、遠野は伏し目がちに問うてきた。
「あ、それもなし。これまでの撮影は六月ぐらいだったの。うー、今はとにか
く受験が」
「涼原さん、緑星に決めた……?」
「う、うん。決めたわけじゃないけれど、できたら緑星がいいなあって」
 緑星を望んでいるのには、ちゃんとわけがあった。
 校風や校則を調べてみて比較的自由であると分かったし、地理的にもよい。
自分の学力にも――ちょっと頑張れば――合っていると思う。
 それともう一つある。
「あの、涼原さん。相羽君はどこに行くか、聞いている?」
「ううん。本人の口からは何も。でも、行くとしたら……緑星かな」
 相羽と同じ高校に通えたら……と純子は考えるようになっていた。そう願う
理由までは、はっきり自覚していなかったが。
(一緒だと安心できるのよね。趣味も合うし。相羽君のお母さんとも連絡取り
やすいというのもあるかな)
 何となく言い訳がましい気持ちで内心、そんなことを唱える純子。
(そう言えば、まだ完全に仲直りできたわけじゃなかったんだわ。うやむやに
したままで、大して口も利いてない……)
 遠野は納得した風に、淡々とした口調で言った。
「それが当たり前なんだよね。先生達だって言ってるもの。相羽君の学力なら、
緑星辺りを狙わなければもったいないって」
「……遠野さんはどこ?」
「はっきり決められないでいて……女子高にするかもしれない」
「そう言えば、郁江もそんなことを――」
「私が何て?」
 純子の台詞の途中で、いつの間に来たのだろう、富井が割り込んできた。顔
を上げれば、町田と井口も一緒と知れた。
「進路のこと。郁江は結局どうするつもりなのかなって。女子高にするのか、
あくまで緑星を目指してみるのか」
「緑星と言うより、相羽君だね」
 純子の話に、町田がぼそっと付け足した。
「嫌だわ、みんな。やっと補講が終わって、伸び伸びした気持ちになってたの
に、そんな話持ち出すなんて人が悪い、ぷんぷん」
 膨れ面を作った上に、声で感情表現する富井。
「んなこと言っても、ぼちぼち決めて、目標掲げた方がいいよ」
 町田が意見すると、富井は同じ質問で切り返すような態度には出ず、首を横
に振った。今は本当にこのことを考えたくないらしい。自分の性格や学力と、
相羽への思いを考え合わせて、よほど迷っているに違いない。
「いっそのこと、相羽君に教えてもらったらいいじゃないかなって、私は思っ
てるんだけれど。いいアイディアでしょ」
 井口が得意げに言った。
「相羽君と一緒にいられるし、成績も上がるし」
「そら、理想的に事が運べばの話であって、相羽君のそばにいるおかげで興奮
しちゃって、勉強にならないなんて場合も充分に――」
「それに決めた! いいわ、それ!」
「でしょ、でしょ」
 町田のからかい混じりの言い分を、富井と井口、二人して遮った。手を取り
合って、その場で跳ねている。
「緑星は難しいと思うけどなあ」
 町田がぼそっと言った台詞は、当然耳に届かなかった。
「芙美はどこにするつもり?」
「んー、さっきは偉そうなこと言ったけど、未確定。自分としちゃあ、特別に
受験勉強なんてものをせずに、今までのペースでやっていって、入れるところ
に入るのが夢」
「ゆ、夢?」
 意外な単語を聞いて思わず問い返す純子に、町田は人差し指を振って応じた。
「だって、ほら。私がそうしたくたって、親がね。精一杯努力して、自分の出
せる最高の力を発揮しなさいって言うわけ。そんなとこに苦労して入っても、
あとがまたつらいだけなのにね」
「……うーん」
「あはははっ、純には理解しがたいかしら。私と違って、努力家だからねえ」
 高らかに笑うと、町田は一つ肩をすくめる仕種をし、「そろそろ行こうか」
と皆を促した。

 今日は、夏休みに入って初めての休み。
 ――おかしな表現に聞こえるだろうけど、補講が続いているのでこれで合っ
ている。要するに、夏休み最初の日曜日である。
 純子は朝から机に向かっていた。
(きついなぁ。夏期講習の他に、こんなにどっさり宿題出すなんて)
 山と積まれたテキストや問題集、辞書、プリント類を恨めしげに見やる。今
の内に少しずつ片付けておこうと、比較的涼しい午前中から取り組んでいるの
だが、集中力がふっと途切れた隙に、ともすれば嫌気が襲ってくる。
 問題は難解と言うほどではなく、七割方は考えれば解けるレベルだ。ただ、
その量には圧倒される。気分転換に富井達と一緒にウィンドウショッピングに
出かける予定なのだが、その前に滅入ってしまいそう。
(図書館に移った方がいいかしら。でも行くときが暑いし)
 シャープペンシルの尻で額をこんこん叩いていると、母の声が聞こえた。ド
アは開け放してあるので、よく通る。
「純子、友達が来たわよーっ」
「え、もう?」
 つぶやき、脳裏に疑問符を浮かべる。
(郁江達、確か昼過ぎだって言ってたのに)
 椅子を離れると、戸口に手を掛け、階段の方を覗き込んだ。同時に、母親か
らの第二声が。
「どうしたのー? 純子、早くしなさい」
「今行く」
 音を立ててゆっくり降り、母の姿を見つけて念のため聞いた。
「誰?」
「相羽君よ」
「……なぁんだ、郁江達じゃなかったのね」
 疑問が解消して得心、その直後に新しい疑問が訪れる。
「何の用か言ってた?」
 閉じられたままの玄関のドアを一瞥しながら、純子は母に尋ねた。扉の向こ
うにいる相羽に聞こえはしないだろう。
「いいえ。私だって知りたかったけれど、首を突っ込むとうるさい年頃だもの
ね、あなた達」
 本気なのか冗談なのか、母は曖昧に笑った。
 純子は丸くした目を元に戻すと、母が部屋に引っ込むのを待って、玄関へ向
かった。サンダルを突っかけ、ノブに指先を載せる。何だか恐かった。
(本当に、どんな用があって来たのかな……)
 深呼吸をしてから、ドアを開けた。
「――こんにちは」
 相手の顔もまともに見ない内から、挨拶して頭を軽く下げる。
 予想に反して、相羽は一メートルほど離れた位置に立っていた。庭の木々に
目を走らせていたらしい。手には白と黒の紙袋のような物を抱えている。
(な、何であんなところに)
 頬を染めた純子はうつ向きがちに外に出ると、ドアをしっかり閉めた。そし
て足早に相羽のそばへ。
「あ」
 初めて気付いた風に振り返り、相羽もまた純子のいる方へと駆け寄った。
「涼原さん……時間は大丈夫?」
「は、はい」
 うなずきつつも、違和感を覚えた純子。その理由を考えて、やがて分かった。
名字で呼ばれたのが凄く久しぶりなのだ。
 他に誰かがいる場合は名字で呼ばれることは最近もあったかもしれない。で
も、二人だけのときはずっと名前で呼ばれていたことに、純子はたった今思い
当たった。
 胸の内に芽生えた距離感を埋めよう。純子は改めて一歩、近寄った。再び足
を揃え、相手の顔を見つめる。
「相羽君、用事は何?」
「えっ……とりあえず、これ、借りっ放しだったから」
 相羽は紙袋の口を開け、中から折り畳んだ布――ハンカチを取り出した。
「あ、この間の調理実習のときの」
「ありがとう。元通りきれいになったはずだけど、確かめてみて」
「ううん、いい。そんなことより、指の怪我、もう治った?」
 受け取ったハンカチを握りしめる純子の両手が胸元に来た。力が入りすぎて、
少し震えたかもしれない。
 相羽は左の手の平を広げて、純子の目の高さに掲げた。傷跡はほとんど目立
たなくなっていた。
「とっくの昔に。手当てが早かったから」
「よかった」
 安堵からかすかな笑みをなす純子。力の抜けた手を組んだまま下ろした。
「だけど、わざわざ家まで持って来なくても、学校のある日でよかったのに」
「もう一つ、用があるんだ」
 相羽の口調が、一層の真剣味を帯びた。
 純子が問い返すよりも早く、彼は続けた。
「香村綸のこと悪く言って、ごめん」
「相羽君……」
 わだかまりの残ったままだった気持ちに、突然決着がついた。たったそれだ
けのことで、目が潤んできてしまった。慌てて涙腺を引き締める。
(こんなことで泣いたら、ばかみたい)
 空咳をしてから、口を開く。
「そんな顔しないで。いいよ。謝ってもらって、すっきりしちゃった」
 純子の台詞を気に掛けたか、相羽は顔の下半分を撫でた。もう片方の手の中
で、紙袋がかさこそ音を立てる。
「でもねえ、まだ気になってることあるわ。あなたが根拠もなしにあんなこと
言うなんて、不思議で仕方なかった。今でも信じられない」
「……香村と会って、どうだった?」
 直接答えることはせず、相羽は違う質問を返してきた。そして唇を一度噛み
しめると、意を決したように言葉を付け加える。
「香村と琥珀の話をした?」
「うん。よかったことはよかったけれど、ちょっぴり期待外れ。思い出を美化
しすぎてたのかしら。今は残念な感じがしてる」
「……立ち入ったこと聞いていい?」
 純子は肩をすくめて、「隠すようなことじゃないから」と首を軽く左右に振
った。
「期待外れというのがどういう意味なのか、教えてほしい」
 相羽の質問は純子にとって全くの予想外だった。その意図さえ把握できない
が、考える内に何となく想像だけはできた。
(香村君を悪く言ったことと関係してるのかな)
「香村君がね、恐竜展のことあまり覚えていなかったの。ううん、それまでの
お喋りでも大して記憶してくれてないのは分かっていたのよね。でも、この間
会ったときは、香村君も割と話してくれて、最初は好調の波に乗ったの」
 相羽は何気ない動作でうなずき、続きを促した。
「それが、段々かみ合わなく……違う、かみ合わないと言うより、私の方が物
足りなくなった」
 続いて詳しく語る純子。特に、恐竜と鳥に関わる化石については、念入りに
話す。相羽なら分かってくれるという思いもあったし。
「ね? あんな大発見を忘れてしまうなんて、ちょっと変でしょ。アイドルっ
て私達の想像越えた、よっぽど忙しい生活を送ってるのかしら」
「涼原さんもそうなる可能性、なきにしもあらずでしょ」
「え、そうなるって?」
「それはともかくとして……確かにおかしいね」
 はぐらかされて心残りではあったが、化石のことも気になる。相羽の意見を
聞きたかった。

――つづく




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