#4849/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 6/29 21: 5 (199)
飛井田警部の事件簿:消せない音 1 永山
★内容 03/06/01 13:59 修正 第2版
「あ、停めてくれ」
後部座席からの声に、茶本雄二(ちゃもとゆうじ)はブレーキを静かに踏み
込んだ。そのまま左に寄せる。
「すまないね、茶本君。ちょっと待っててくれ」
「何かあったんで?」
ドアを開けて車外へ出ようとする赤石拳(あかいしけん)に、茶本は振り返
った。夕闇の中、左手に見える電飾の派手な建物は、どうやら電器店らしい。
「電池がいるんだ。いつまでも放っておいて、ルーズと言われたくないし、ち
ょうど新製品が出たとコマーシャルでやってたのにも興味がある」
なるほど、店先のオレンジ色をしたのぼりは、新型電池の宣伝のための物だ。
従来品より倍の長持ちを謳っている。布地に染め抜かれた文字を見ると、今日
が発売日だと知れた。
「ついでにトイレの照明、換えた方がよくありませんか」
「ふむ。そうだなあ、ちかちかして中で新聞も読みにくくなっていた」
赤石は軽く首肯し、ドアを閉めた。
約五分後、紙袋片手に戻って来た赤石を乗せ、車は再びスタートする。法定
速度を若干上回りつつも、そこそこ安全運転で目指す先は赤石宅だ。
「調子はどうです? 調べることがあるんでしたら、言ってくださいよ。自分
も今はフリーだから都合がいい」
「ありがとさん。これまでの調査で充分だよ。いい作品に仕上がるだろう」
「初めて創作を離れる訳でしょ? 勝手が違うんじゃないですか」
ルームミラーで赤石を一瞥し、表情を窺おうとする茶本。しかし、しかとは
見えない。赤石はうつむいて腕時計を覗き込んでいた。
「どうしてどうして、出だし快調だ。とりあえず名称は全て実名にして、あと
で差し替える手筈になってる。忘れんでくれよ」
「指示があればいつでも。それにしても残念だ」
「何がだね」
「赤石さんの筆が乗らないようでしたら、自分が代わって差し上げようかと考
えていたんですがねえ」
茶本の話に赤石は顔を上げた。
「おお、私こそ忘れるところだった。もちろん今度のノンフィクションではな
いがね。一つ、茶本君に回せそうだ」
「まじに?」
思わず馴れ馴れしい言葉遣いが飛び出た。肩越しに振り返りそうになる茶本。
さっきの台詞は冗談だったが、茶本が赤石に出版社へのつなぎを頼んでいたの
は事実である。
赤石は「しっかり運転してくれよ」と苦笑混じりに言った。そして続ける。
「無論、本当だとも。先方は国際色豊かな冒険物をお望みだ。君の取材力なら
大丈夫だろう?」
「大丈夫じゃなくたってやらせてもらいますよ。ありがとうございます。いや
あ、感激だな! 赤石さんの手伝いをさせてもらえるだけでも幸運だと思って
たのに、紹介までしていただけるなんて」
「最初からこれが狙いだったんだろ。はっはっは!」
年齢の割に快活な大声で笑い飛ばすと、赤石は名刺を取り出した。
「これを渡しておくよ。そこにある人と十日後に会う段取りになってる。念の
ため私も同席するが、全ては君の売り込みにかかってる。箱書き作って、プレ
ゼンテーションする準備をしときなさい」
「了解。でも、赤石さんの原稿の推敲もしなきゃならんのでしょ。ううーん、
肩の荷がさらに重くなった」
ポーズでため息をついた茶本へ、赤石がグッドニュースを伝える。
「心配いらん。推敲は私の作品完成後でいい。十日間まるまる使っていいんだ」
「そりゃありがたいですね。だけど……言い逃れができない訳だ、ふふ」
楽しんでいるのか自嘲しているのか、自分でも分からない笑みを浮かべた茶
本だった。
車が赤石拳の家の前に停まった。
午後九時ちょうどを秒針が駆け抜けていった。
西川良作(にしかわりょうさく)はふと、赤石の家を訪ねるのは何度目だろ
うと考えた。
(缶詰に付き合った回数なら記録しているんだが)
変な思い出を脳裏に描き、西川は独り苦笑した。それは一瞬だけのこと。
灰色の門柱の間を抜け、茶本の車がないのを確かめつつ、戸口前に立つ。
「ごめんください。西川です」
いつものようにインターホンもベルもなしに扉を引き、玄関先で告げた。我
ながら張りのある声だと思った。こんなに静かな口調で、これだけしっかりと
通る声を出すのは案外難しいんじゃないか。
「よお、西川君」
奥から現れ、廊下を悠然と歩く赤石の姿に、西川は多少の苛立ちを覚えた。
「時間通りだな。上がってくれたまえ」
「はあ、では」
一礼のあと靴を脱ぎ、三和土から板間へ。
「赤石先生、今日のこの約束のことは誰にも」
「分かっているよ。誰にも言っていない。茶本君にさえもな」
「それでは、早速ですが」
「せっかちだな、君も」
背中への呼びかけは赤石の短い応答で封殺された。西川は口をへの字にした。
客間で向き合うと瞬時にしてにこやかな笑顔になり、部屋の様子をぐるりと観
察する西川。壁には賞状を入れた額縁が三つ掛かり、蛍光灯の明かりを反射し
ていた。加えて、書架を兼ねた棚に並ぶ楯やトロフィー、ブロンズ像の数々は、
赤石拳の栄光を如実に物語っていた。
(変わったところは……ないな)
視線を戻すと、電気ポットから急須に湯を注ぐ赤石が見えた。西川は慌てた
調子で言った。
「ああ、かまわないでください、先生。すぐおいとまいたしますから」
「しかし、重要な話があるのだろう? 長引くと覚悟すべきじゃないかね」
そうする間にも、湯呑みに黄色っぽい液体が七割方注がれ、テーブルに並べ
られた。品のある香りがほのかに漂い始め、じんわりと部屋に広がっていく。
なかなか値の張る茶葉のようだった。
「私なんぞには、出涸らしで充分ですのに」
「ん? ああ、これか。何を言うんだ。デビュー以来、君には世話になってる
し、ここまでやって来れたのも君との二人三脚のおかげだと思っておるよ。数
数の賞を手にできたのも、君の厳しい批評眼があってこそだ。いや、編集者手
腕と言うべきかな」
「持ち上げんでください。おだてていただくぐらいなら、先日の件に色好い返
事をもらいたいもんです」
赤石はすぐには応じず、茶を口に含んだ。
西川も間が持たず、同じように湯呑みを手に取る。と、赤石が話し始めた。
「私は書くのをやめんよ」
「先生」
「まあ、待ちなさい。これは新しいチャレンジなのだよ。私の作家としての幅
を、可能性を広げるいい機会だ。幸いにして順調に進んでいる。期待に応えら
れる物になるのは確実だ」
胸を反らし、見据えてくる赤石。西川は気圧されながらも、どうにか反論し
た。
「私は気が進みません。先生の本分はあくまでフィクションの領域にあると信
じています」
すると赤石は目を細め、微笑混じりに言った。
「ありがとう、西川君。しかし私は向上心を忘れたくないのだ。チャレンジだ。
冒険心と言い換えてもいい」
「何が不満です? 『弁護師・桐生ハル』シリーズや『私設刑事』物、連作短
編の『神々の嘲笑』といずれも人気を博してます。確固たる地位を築かれたで
はありませんか」
赤石の業績をまだまだ指折り数えようとする西川に対し、赤石は首を大きく
横に振った。やや猫背になり、身を乗り出す格好で低く言う。
「それ自体、赤石拳のチャレンジだったんだ。分からないかね? 通常の弁護
士物に飽き足りないから『弁護師』を生み出し、刑事物に捻りを加えて『私設
刑事』を考えた。そしてさらにこれら現実路線から離れるために、本格推理と
して『神々の嘲笑』をスタートさせた。これが私の流儀だ。これからも変える
つもりはない」
「ですが、人気シリーズを放り出すのは」
西川は声が裏返ったのにもかまわず、悲鳴のように続けた。
対照的に淡々とした語調の赤石。お茶を注ぎ、その湯気の立ち昇るさまを目
で追いながら、ゆったりと応じる。
「安心しなさい。何も放り出すなんて言っておらんよ。今はノンフィクション
を優先したいだけだ。長編『神々のリベンジ』の著者校正が終わったら、専念
させてもらう」
「どうしても、ですか」
西川の念押しする言い方が引っかかったのか、赤石は目つきを鋭くした。
「――西川君。君は随分と執拗に反対するね。何故だ? 私の一番の理解者は
君だと思っていたが、最近疑問を感じるようになってきた」
「り、理解してるからこそ、申し上げてるのです」
「では聞くが、どうして部長の意向を無視してまで、私のノンフィクションを
やめさせようとするのだね」
「……ご存知でしたか」
肩を落とす西川。これはいよいよだなと思った。
「ああ。君があまりに反対するものだから、妙に感じてね。直接電話を入れた
んだよ。遠回しに尋ねたら、『編集部一同、先生のノンフィクション作品に多
大な期待を寄せております』と来た。内容に関しても、先方には一切伝わって
いないようだね。どういうことだろう?」
答える前に西川は声が震えぬよう、お茶を飲んだ。舌で唇をなめ、考えをま
とめてから始める。
「で、ですから……私は先生の力を最大限に発揮できるのはこれまで通り――」
「これ以上反対するのなら、部長に打ち明ける。担当を替えてもらおう。君は
下手すれば降格じゃないか?」
「……」
「私だってこんなことしたかないんだよ。だからいい加減、あきらめてくれ。
わがままだと思って聞いてくれよ。昔みたいに」
だだっ子をなだめるときの口調に似ていた。眉を寄せ、苦笑をかすかに交え
た赤石の困惑顔が近くまで来ている。
西川はがっくりとうなずいて見せた。
「分かりました」
「そうか。分かってくれたか、西川君」
赤石のがっしりした手が、西川の肩を叩いた。
西川は不意に相手を真っ直ぐに見つめ、満面の笑みを作った。
「これからは赤石先生のノンフィクション作品が大成功を収めるよう、尽力さ
せていただきます」
「おいおい、えらく他人行儀な言い方だ。もっとざっくばらんに。新人だった
頃みたいに、手厳しくやってもらわなくては張り合いがない。はははっ」
上機嫌の赤石は腰を浮かすとサイドボードから新たにグラスを二つ用意し、
さらに洋酒のボトルを取り出した。
「景気づけにやろうじゃない」
「い、いえ。私はこのあと、車に乗る必要があるんで」
「気にしなさんな。泊まっていけばいい。やもめ暮らし故、ろくなもてなしは
できんが、酒と肴ぐらいはある」
「実はまだ用を残してまして、帰らないといけないんです。すみませんが先生
お一人でやってください」
「そうか」
案外あっさりあきらめると、片方のグラスにだけ酒を注いだ赤石。そのとき、
急に思い出したかのように自らの腕時計を指差した。
「これ、まだ使ってるかい?」
「え? ああ。大事に使っていますよ。何しろ、記念の品ですからね」
スーツの袖を引き、左手首を示す西川。同じ腕時計があった。十年近く前、
時計メーカーが冠スポンサーのミステリー賞の大賞を獲得した際の副賞だ。ペ
アでもらった赤石が、君のおかげだと西川に一つくれたのだ。
「あの頃から、西川君はだんだん他人行儀になってきたぞ。昔を思い出して、
二人三脚のように進んでいこう。だから飲みなさい、一杯だけ」
「はあ……」
気が進まぬ表情になりながら、西川は突き付けられたグラスを手に取った。
「口を付けるだけでもいい。契りみたいなもんだ」
「では」
西川はほんの一口だけ飲んだ。そして軽く咳き込みつつ立ち上がると、棚の
方へ向かう。
「時計をもらったときの楯は、どれでしたっけ」
「ああん? おかしなことを聞くね。時計のときは楯じゃなく、名探偵像だよ。
業界人が間違えてどうする」
赤石のたしなめに西川は頭をかき、自然な動作でブロンズ像を手に取った。
直方体の台座に、すらりとした名探偵をかたどった像。
(お誂え向きだ。握りやすい)
西川は肩越しに赤石を覗き見た。酒を注ぐために下を向いている。
(今しかない)
振り向きざま、一歩だけテーブルへ近寄ると、西川は赤石の後頭部目がけて
ブロンズ像を振り下ろした。
ぐすっ、という奇妙な音がしたようだった。台座の角がめり込んだ感触があ
った。赤石は聞き取れないほどのうめき声を漏らし、凍り付いたように動かな
いでいる。
西川は逆さに持ったブロンズ像を再度振り上げ、打ち下ろした。ほぼ同じ箇
所に命中。赤石が前のめりに倒れていく。
――続く