#4662/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/11/30 10:14 (198)
そばにいるだけで 30−3 寺嶋公香
★内容
しっかり抱いてきたケースを両手で相羽に差し出す純子。
「あ、ありがと」
彼が受け取ろうとするところを待って、ケースを少し引っ込めた。
一瞬、ぽかんとする相羽に対し、純子は両手を後ろに回してから、顔を近付
けるようにして聞く。
「その前に。何を話していたの?」
「え?」
相羽と立島が互いに顔を見合わせるのが分かった。
「私の名前、出てなかった? どうせ悪口だとは思いますけど」
つんと澄ましてみせると、次に頬が緩む。自分のやった行為自体に笑ってし
まった。
「悪口なんか言ってないよ、絶対に」
相羽が力一杯即答してきた。
純子にとったら、それだけでも充分信用できたけれども、敢えて立島にも聞
いた。
「ふうん。立島君、本当に?」
「ほんとほんと」
「じゃ、何で名前を?」
「それは、なあ、相羽」
立島の視線が宙をさまよう。一瞬だが、明らかにうろたえた。ただ、相羽に
助けを求めたのは正解だったよう。
相羽は小さく咳払いをして、いつもの落ち着き払った口調で始める。
「うん。文化祭の話をしてただけさ。そしたら、去年のことを思い出したわけ。
涼原さんがフラッシュ・レディの格好をしてたのをね。はは」
「……もう。いつまでも覚えてないで、さっさと忘れてほしいな」
ため息のあと、苦笑を添えてディスクを返す純子。
「長い間、ありがとうね。忘れてたつもりはなかったんだけど」
「いいよ、どういたしまして。またのご利用、待ってますんで、よろしく!」
冗談めかした相羽の口ぶり、そして表情に、純子も顔をほころばせた。そし
て再び後ろ手に組むと、くるりと向きを換える。立島が唇を反らせて、難しげ
な顔つきをしていた。
「立島君にも謝らなくちゃ。わざわざこんなところまで来させて、ごめんね」
「それぐらい、かまわない……が……」
「が?」
頭を傾けた純子に、立島は片手を素早く振った。
「いやいや、何でもない。相羽、んじゃま、そいつを貸してくれ」
立島の要求に応えて手渡してから、相羽は純子に改めて礼を言った。
「この時期に貸し借りしてるなんて、余裕よね。うらやましい」
「あ、試験のことか。それはまあ、立島は何もしなくてもできるから」
「冗談じゃないぞ。おまえの方こそ」
言い合いを始めた男子二人を前に、純子はしょうがないなとため息をついた。
何故かおかしくてたまらない。
「ふふ。分からないところあるから、いつか教えてよ。じゃあ、また明日ね」
見送る純子の瞳には、お喋りを再開した相羽と立島の後ろ姿が映った。
(今度もバスケ? それともサッカー? 勉強の話かな)
想像を巡らしつつ、純子は玄関へと引き返していった。
風に乗って、木の葉がいくつか、庭先の地面すれすれに踊っていた。
* *
「やっぱ、俺には判断できん」
「は?」
「おまえと涼原さんの仲だよ」
「……最初と違うじゃないか。さっき、何かあったっけな?」
「ああ。多分、見間違いじゃないと思うぜ。だから――頑張れよ」
相羽は応えず、短い間、肩をすくめた。
* *
OKが出た。
途端に広がる充足感と安堵感。高い山の頂上に、息を切らしてへとへとにな
りながらもたどり着いたときのような、心地よい疲れがあった。
あるいは――流れ星を求めて夜空に目を凝らしているのに、ちっとも見つけ
られない。疲れてしまって、野原にごろりと横たわった。と、そのとき視界の
片隅をあっと言う間に駆け抜ける流れ星。見ることができて嬉しいけれど、ど
こか気抜けしてしまい、苦笑したくなる――そんな喜び。
「ん? もういいんだよ、外して」
こつんこつんと響く音。知らない内に鷲宇が隣にやって来て、純子の頭に載
っかっているヘッドフォンを人差し指でつついたのだと分かった。
「あの……本当にいいんですか」
言われた通り、ヘッドフォンを両手で外しながら、斜め横を見上げる純子。
胸元を飾る赤いぼんぼんが、木になってるサクランボみたいに揺れた。
「僕の鑑定力を疑いますか」
「い、いえ。そんなんじゃなくて、自分では分からなかったから。その、これ
までと比べて、さっきのがどうよくなっていたのか」
正直な気持ちを口にする純子へ、鷲宇は微笑みかけると、肩に手を回した。
そっと力が加わり、導かれるようにして純子はレコーディングルームを出た。
長かった間が終わって、ようやく答える鷲宇。
「それが分からないということはまだまだですよ、ジュン」
肩をぽんと叩き、純子から手を離す鷲宇は、少しばかり諭す口調だった。
純子はもっと説明してほしかったが、再びの質問はスタッフ達の言葉に遮ら
れた。
「まずはお疲れさま。おめでとうはちょっと早いかしら」
市川はいつになく表情をほころばせている。
「次は売り込み。さあ、これからが私の腕の見せどころ。と言ってもね、普通
やる営業や挨拶回りは一切しないつもりだから、あなた自身はあまり動かなく
ていいわ」
秘密めかす風な市川の目配せに、純子は「はあ」と曖昧にうなずくしかでき
なかった。何が普通で何が普通でないのか、さっぱり飲み込めない。
(今日やったことだって、プレスリリース用っていうのは分かるけれど、また
別に録り直すような話も聞いたし。あ、そう言えば、スタジオミュージシャン
ていう人達との顔合わせもなしにしたって……これが普通でないのかしら)
あれやこれやと想像を巡らせてみても、判断のための充分な材料を持ち合わ
せていないため、結局は行き止まり。
無駄なことはやめた。スタッフの人達に任せておくしかない。それだけ信頼
しているし、自分が大事にされているとも痛いほど感じる。
「これからのことを話したいから、時間をちょっとくれる?」
ぼんやりしているすきに問われ、純子は質問の意味を掴むよりも先にうなず
いてしまった。
「あ、あの、どのぐらいの時間ですか」
「五分もあれば済むと思うけれど」
「それなら」
よかったと息をつけた。
部屋の片隅にある三本足の丸椅子三つに、純子と市川、鷲宇は横に並ぶ形で
座った。口火を切ったのは鷲宇だった。
「今日のでもよかったんだけど、きっと要望が来る」
立てた右の人差し指を振る鷲宇。うるさい虫を追っ払うかのような仕種に見
えなくもない。
「要望とは言い換えれば不満、文句だと思っていい。それらに片端から応えて
いく。そうしてできあがった物を正式な歌として送り出す」
「はい……」
言っていることは分かる。返事はイエスしかないだろう。ただ、本当にイエ
スと言えるだけの物が自分にあるのかどうか頼りなくて、心許ない声量になっ
てしまった。
それを市川は取り違えたらしく、分かり易く説明してくれた。
「つまり、デビューディスクに収める歌を録るために、また日にちが必要にな
ってくるわけ。いい?」
「それはもう」
「ここで問題が一つあります」
再び鷲宇。振っていた指を止めて、天井へ向けぴんと伸ばしている。
「色々とわけありで、十二月二十一日に間に合わせなくちゃならない」
「その日までにレコーディングが終了すればいいんですか」
気が楽になって表情をやわらかくする純子。
(なあんだ、まだまだ余裕があるじゃない。あと……二ヶ月ぐらい)
ところが安堵感は敢えなく打ち消された。鷲宇は手を叩いて笑いながら、
「ビッグジョーク! 君の言う通りだったらどんなにいいことか。うーん、バ
レンタインデーに合わせるとしたらそれぐらいでも大丈夫でしょう。だが、現
実は違いましてね。十二月二十一日に店頭に並んでなければならないんだ」
「……え?」
捲し立てられた末に決定的なことを告げられて、純子は言葉をなくしてしま
った。
そんな中、市川が口を開く。
「それで日取りなんだけれど、しばらくは難しそうじゃなかった? 文化祭が
あるんだとか」
「そうです。その準備もあって」
「学業優先、と言うよりも学校優先、か。やむを得ないね。それじゃあ、文化
祭の翌日っていうのは?」
「その日なら、学校は休み」
「よし、決めた。この日で行きましょう」
市川が確認のために目を向けると、鷲宇は「異存なし」とつぶやいた。
「もちろん、他にも撮影やら何やらで、一日では済まないけれど。頑張っても
らうからね」
「……はぁい」
つい先ほどレコーディングを終えたばかりということもあって、純子はちょ
っぴり憂鬱に感じていた。
両頬杖をした純子は、皆に分からないようにため息をそっとついた。
家庭科室の白い机の上、額を寄せ集めっているのは調理部と茶道部、それぞ
れの二年生だ。統合を話し合う二国みたいに、左右にずらりと座っている。
「こちらの要望は以上よ」
澄まし顔でさらりと言ってのけたのは白沼。髪型が変わっても、それをかき
上げる仕種は同じだ。
「以上よ……って、そんだけ言えば充分でしょうが」
町田がぼそぼそと言うのが耳に届き、純子はひやりとする。が、幸い、白沼
は聞いていなかったようだ。笑顔をなして相羽に――彼は部長でも何でもない
のだが――尋ねる。
「うまく行くといいんだけれど……どうかしらね。感想を聞かせてほしいわ」
相羽は自分に向けられたものだと意識し、唇を湿らせてから慎重な調子で答
えにかかる。
「個人的には、何でもかんでも引っ付けるのはよした方がいいと思う」
視線は白沼へではなく、茶道部側が用意したプリント用紙に。
「野点とオープンカフェテラス……面白いけれど、並べるのは無理があるかな。
単独でやる方がいいよ、きっと。バランスを取るべきでしょ。――うん、でも、
抹茶を使ったデザートには賛成。いかにも共催らしくて」
言い終わると、僕はここまでとばかり、軽く両手を上げる相羽。
白沼は一応、納得した風に首を振った。それからようやく、町田へ。
「部長さんのご意見は?」
「中途半端は嫌いなのよね」
腕組みをしていた町田は即答してから、不意に腕を解いた。身を心持ち乗り
出すと、急ぎ口調で言い足す。
「あ、これは私の個人的意見。部全体じゃないから。でね、合同でやることに
よって面白さを狙うんだったら、そっちを追求したいの。真面目路線ならそう
する。中途半端はやりたくないな」
「私達の出した案のどこかに、受け狙いがあったかしらね」
不審そうに目を細める白沼。
町田は何かをこらえるようにうつむくと、次に面倒臭そうに頭をかいた。
「受け狙いとまでは言いませんけれどね。さっき相羽君が言ったように、バラ
ンスよくない。たとえば、茶の湯の作法実演と私らの料理教室。実演は二つも
いらないんじゃない? 無理に公平にしなくていいんだから」
「そうかしら」
口ぶりとは違って、不満は半分程度に見える白沼。町田の「相羽君が言った
ように」という前置きが効いているのかも。
(芙美に任せておけば、まあ安心ね)
最初はどうなることかと不安だった純子も、部長の応対ぶりにほっと胸をな
で下ろしていた。
とにもかくにも、お互いの案を部に持ち帰ってより詳しく検討してみるとい
うことで、今日はお開き。色んな種類の緊張感も解ける。
が、家庭科室を出る間際、白沼は新たな企画を相羽へ示してきた。たった今
思い付いたばかり、そんな感じで。
「私がお茶を点てているとき、相羽君にピアノを演奏してもらうっていうのは
いいと思わない? 静かな曲が流れる中、茶の湯の様式美に触れてもらう」
「……場所の問題を解決しないと、何とも言えないでしょ。音楽室を使わせて
もらえるかどうか、怪しいぜ」
相羽は苦笑いしながらそう答えた。
実際にやってみる気があるのかどうか、はた目からでは分からない。
――つづく