#4660/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/11/30 10:11 (200)
そばにいるだけで 30−1 寺嶋公香
★内容
窓ガラスを叩く雨粒が、いよいよ威勢よくなってきた。よほど楽しい祭りな
のだろう、てんでばらばらに踊り狂っている。
バックグランドミュージックは風。電線や木々の葉っぱを絶え間なく揺さぶ
る上、たまに派手な音――多分、ポリバケツの蓋とか空の灯油缶の類が飛ばさ
れているのだ――を入れてくる。
(ここのところレッスンで目が回りそうだったから、学校が休みになったのは
嬉しいけれど)
机に向かったまま、頬杖をついて外を眺めやっていた純子は、疲れたような
ため息をした。
(台風じゃあ、外に遊びにも行けない。つまんないなあ)
大きめの水滴がガラス表面を伝っていく。その行方を目で追ってみるも、激
しい雨風に混ざり合い、分からなくなってしまった。
(体育祭疲れも合わせて、たっぷり休みなさいっていう天のお告げかな。と言
ったって、宿題があるのよね)
溜まりかけの宿題は、半分ほど片付けてストップしている。次の問題はただ
ひたすら計算すれば解けそうなのだが、集中力の方が今、ちょっと途切れてし
まったところ。
雷嫌いの純子でも、台風は平気。ただし夜、停電しなければの話。
「眠たーい……こんな時間だけど」
大きく伸びをしてから時計を見る。朝の十時半。
荒れた天気でも父親は出勤。母親は現在、町内会の防災態勢確認とかで、近
所の家に出かけてしまっている。
「今日のレッスン、あるのかしら……」
つぶやく。電話して聞いてみようかとも思うが、ただ今の時点で判断を求め
るの早すぎるかもしれない。もう少し待とうと決める。
純子は机から離れると、ベッドの上に寝転がった。仰向けになり、手を身体
に沿わせてだらんと伸ばす。えんじ色のスカートが指先に掛かった。
壁のカレンダーに意識が向いた。じきに中間テスト。このところの多忙で忘
れてしまわないよう、赤丸を着けてあるのだが、さすがにテストの日付を失念
するまでには至らないようだ。
(今日は三日だから、あと二週間もない。憂鬱……授業に遅れ気味だもんね。
予習しないと危ない。期間中、レッスンの方はしばらくお休みしてもらえるか
らいいようなものの)
外の騒がしさ、にぎやかさに比すと、純子の心中は沈んでいた。両立が厳し
くなる、その上り坂に差し掛かったときにちょうど体育祭が重なって、体力的
に相当参ってしまった。やる気はあるのに、他が言うことをなかなか聞いてく
れない。
何でもいいから楽しい話題がほしい――。純子の今の願いは、ただそれだけ。
「……」
いつまでも横たわっていると、気が滅入ってきそう。純子は身体を起こすと
ベッドから降り、まずは音楽をかけた。
相羽からもらったディスクもだいぶ増えたが、現在は聴く気分にない。イー
ジーリスニングの、静かな曲を選んだ。
次に本棚の前に立ち、背表紙に目を走らせた。読みかけの小説が気に掛かる
けれど、やっぱり今は遠慮しておく。漫画も考えたが、ふと気が変わって、図
鑑を引っ張り出した。重さに一瞬よろけながらもページを適当に開くと、ふん
だんなカラー写真が飛び込んでくる。渦巻き模様、三本爪の足跡、薄桃色、金
色の光沢……化石や鉱物の図鑑である。
気持ちが弾んできた。これともう一冊、星や宇宙に関する図鑑も取り出して、
ぺたりと座り込んだ純子。カーペット生地のもこもこした毛が、ふくらはぎ辺
りをくすぐる。そんなもの、図鑑に見入る純子には何にもないのと同等だけれ
ど。
一時間ほど経った頃、玄関戸の開閉する音が遠くに聞こえた。「ただいま」
という声で母親が帰宅したと知れる。
本をそのままに階下へ向かう純子は、母の手に買い物袋があるのを見た。
「買い物してきたのね? 大変だったでしょう、お母さん?」
「それほどでもなかったわ。ついでだったから」
言うと、母は目を流し台上の窓へ。
「どんどん激しくなってきているし、今の内にね」
雨量は変わってないかもしれないが、風が明らかに強さを増していた。木の
枝のしなり方が違う。地面と平行になりそうだ。
「早く着替えて、拭かなくちゃ。冷蔵庫は私に任せて」
「そうね、お願い――あ、やっぱりいいわ、純子」
脱衣所に向かいかけた母は回れ右をして、冷蔵庫の前に引き返してきた。そ
して純子の手から袋をそっと、しかし有無を言わせぬ動作で受け取る。
「どうして?」
「それは……折角転がり込んだ臨時休校なんですから、純子は身体を休ませな
さい」
「平気。退屈してたところよ」
手を伸ばした純子に、母親はゆっくり首を横に振った。水滴が髪の先を伝っ
て、ぽつりと落ちる。
「ここはいいから。最近のあなたは疲れているのがはっきり見て取れましたか
らね。隠しても無駄」
「別に隠してなんかないけど」
「とにかく、できるだけ休養して、元気が出たら勉強でもなさい。両立してく
れないと、お父さんに顔向けできないわよ。人並みの高校に入れるだけの学力
は着けとかないとね」
珍しくも教育ママめいた台詞を口にした母に、純子は肩をすくめた。
それでも、勉強のことが気になるのは純子自身も同様なので、ここは素直に
従うとしよう。
「はーい」
午後三時を前にして、風は収まってきた。一方、雨は多少弱まったが、しと
しと降り続けている。当然、日も射しておらず、外出するにはまだふさわしく
ない天候だ。
「この分だとレッスンがあるのは間違いなし、か」
嘆息のあと、気持ちを切り換える。
準備に取りかかったとき、家の表に車が停まる音がした。
最初、悪天候のせいで車がすれ違うのもままならないためかと思ったが、そ
うではなく、涼原家への来訪者だった。
母親に呼ばれて降りて行くと、
「あ、おばさん。こんにちは。何か」
相羽の母の姿を玄関に認め、純子はいささか慌てて尋ねる。
「純子ちゃん、これから都合はどうかしらね?」
淡いピンクのスーツを着こなしたおばさんは、間違いなく仕事中だ。
「都合って……もう少ししたらレッスンが」
「悪いんだけれど、時間が早まったの。この台風のおかげで鷲宇さんのスケジ
ュールがずれてしまったそうで、それで私が直接ここへ」
「遅れるのではなく、早まるのでしょうか? おかしくありません?」
純子の母が眉を寄せ、怪訝そうに質問する。
対照的に相羽の母は顔をほころばせた。
「午前中に行うはずだったスケジュールの一つが、相手方の到着が遅れたため、
夜に回されたんだとか。それで申し訳ないのですが、涼原さんのレッスンを繰
り上げられないかと相談がありました」
「はあはあ、事情は飲み込めましたわ。あとは娘に任せます」
親の一瞥を受け、純子はこくんとうなずいた。
「別にかまいません。ただ……終わる時間も早くなるんですよね?」
純子の問い方がよほど子供らしかったのか、大人二人はくすくす笑い出した。
いつもなら他にもダンスやエアロビクス、芝居などの練習に励む人達がたく
さん見かけられるのに、今日のスタジオビルはどのフロアも静かだった。
建物の中へ足を踏み入れると同時に、吹き抜けのエントランスホールを見上
げた純子は、そのことを率直に告げた。
「他は大事を取って、どこもお休みにしたみたいね」
「じゃ、私も休みにしてほしかったな、なんて」
舌先を覗かせる純子に、相羽の母は目元で笑った。
「大変よね、純子ちゃんも。何もこんな日に……」
「台風なんかで休みになっても、あんまり嬉しくないなあ。あとでその分やら
なきゃいけませんもんね。授業にしたって、レッスンにしたって」
エレベーターに乗り込んでからは、二人とも出入り口の方を向き、変わり行
く数字を無言で見つめる。
そして目的の階に着く寸前になって、相羽の母は「あっ」と口元を押さえた。
しまったという顔をするのが、はっきりと見て取れた。
「ど、どうかしたんですか」
「失敗。車の中に必要な書類を忘れて来てしまって。取ってこなくちゃいけな
い。純子ちゃんは先に行ってて」
「かまいませんが」
音がして、ドアが開く。
「話は通じているから、いつものようにね」
そんな言葉を残して、相羽の母は再び下がっていった。
純子は瞬時、呆気に取られていたけれども、やがて徐々におかしくて笑いそ
うになった。
(おばさんでも物忘れすること、あるんだ? 仕事のできる女の人っていう感
じだったけれど……ちょっとほっとしちゃったな)
おかしみがまだ去らないため、震えそうになる肩を収まらせようとうつ向き
がちになって歩いて行く。
「――うん?」
常日頃利用している一室まで来ると、純子は普段と違う様子に首を傾げた。
正面ドアには目の高さほどに磨りガラスをはめ込んだ四角いスペースがある
のだが、そこから明かりが漏れていない。天候の善し悪しや時間帯に関わらず、
天井いっぱいの蛍光灯をこうこうとさせていたのに、現在、その四角形は黒々
としている。
「階や部屋を間違えてはいないし……」
立ちすくむ純子は、確認のためにドアノブに指を乗せた。
「あ――」
開いた。簡単に、軋む音一つ立てずに。
縦長の隙間を風が流れていく。
純子はまだしばらく躊躇した。ドアをもう少し開けて、首から上だけで覗き
込んだ。
(真っ暗……)
目を凝らすが、反対側にある窓や隅っこの椅子などの形がシルエットでどう
にか分かる程度で、あとは闇一色。
「変なの」
思わずつぶやきながら、手で壁の電灯のスイッチを探る。こういう場合、中
で待つべきだろうと考えたのだ。
じきに突起物に触れた。ぱちんと音が響き、わずかな間を置いて白い光が部
屋にあふれ……。
――ぱぱん、ぱん!
そんな破裂音がいくつも重なって、純子の鼓膜を刺激した。
続いて鼻を突く火薬の匂い。
純子はスイッチに指先をかけたまま、固まってしまった。
「ハッピバースデイ、ジュン」
本場仕込みの発音で言ったのは、鷲宇の声。部屋の中ほどに立つ彼は色の薄
いサングラスを片手でひょいと上にずらし、微笑している。床には色とりどり
の紙片やテープが散らばっていた。
純子は返す言葉もなく、すり足で二歩ほど前に進み出るのが精一杯。相変わ
らず呆然としていると、「おめでとう!」という声が何重にもなって飛んで来
た。びくっとして、再び壁に背を貼り付ける純子へ、さらに拍手のシャワー。
目を何度も瞬かせて見つめると、様々なレッスンをしてくれる先生達だけで
なく、市川や杉本といったルーク関係者もいる。
「おや、あまり嬉しそうではありませんね」
鷲宇が近付いてきて、片手を頬に当てるとさも残念そうに首を傾けた。
「い、いえ……びっくりしてしまいました」
壁から離れながら答える純子へ、鷲宇は一転、満足げにうなずく。
「それはよかった。何たって、これはサプライズパーティなんですから、驚い
てもらわないと私達としても立場がない」
「さぷら……?」
意味が分からずぽかんとする純子に、今度は市川が寄ってきて、肩をぽんぽ
んと景気よく叩く。
「ほら。あなたが主役。今日はあなたの誕生日でしょう? そう聞いてるわよ」
「え、え? ……ああ、そうでした」
自分の誕生日を忘れていたことを、純子は信じられないでいた。
(そっか。今日……楽しいこと、あったんじゃないの)
つい、苦笑いを浮かべる。次いで湧き起こる、何とも言えないおかしさ。
よくよく見れば、室内に数あるテーブルは大皿や白く小さな花の生けられた
花瓶、色とりどりのキャンドル等でいずれもいっぱい。アメリカンスタイルと
いうやつか、形式張らない、手軽な感じのパーティが準備されていた。
「この頃、志気が落ちつつあったようだったから、やってみたんだけれど、元
気になってもらえたかな」
「は、はい。うふふ、とっても。そ、それでこんなこと、どなたが考えたんで
すか?」
「ん? 考えたのは僕だが……やろうというきっかけを作ったのは別の人」
答えた鷲宇は、誰かを捜す風に、首をきょろきょろさせた。
純子がつられて見上げると、鷲宇は人差し指を立てた右手を高々と上げ、く
るくると回した。
「やぁ、信一君。どうしてこっちへ来ないんだい?」
「えっ」
何度目かの驚きに包まれた純子は、鷲宇が合図する方へ向き直った。
――つづく