#4628/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/10/31 1:45 (192)
そばにいるだけで 29−2 寺嶋公香
★内容
中庭側の窓ガラスの一枚−−亀裂が走って面積がほぼ三分割されている−−
を指差した立島は、いつもに比べるとぶっきらぼうな態度だった。
小菅先生は先にガラスの具合を確認してから、改めて立島に尋ねる。
「何が原因で、こうなったのかしら。暴れたと聞いたわよ」
これには立島は答えなかった。徳野を一瞥するのみ。
先生は仕方なさそうに肩を上下させると、徳野へと向き直る。
「徳野君、原因は何? 黒板消しが当たったの?」
徳野もまた無言を通した。
小菅先生はさらに困り顔を作ると、教室にいる他の生徒達を見渡した。
「徳野君と立島君とで、原因を作ったのは間違いないわけね?」
純子は同じ班の女子である根本や遠野と目を合わせ、互いに無言でうなずい
た。掃除に当たっていたもう一人、藤井は何の反応も示さないでいる。
先生が次に口を開いたとき、声の調子が多少荒っぽくなっていた。
「涼原さん、あなたから説明して。どんな状況だったのか」
「は、はい……」
案外と男子二人が強情なのを目の当たりにし、純子は気が重くなっていた。
「最初、徳野君がよそのクラスの男子と、廊下で遊んでいて」
「掃除はさぼってたのね」
「はい」
純子は徳野を見やった。別に恨まれているわけではないらしい。
「その内、黒板消しとほうきを使って、野球の真似事を始めました」
「誰も注意しなかったの?」
「しました。けど、聞いてくれなくて。それに、私や他のみんなは、早く済ま
せて帰りたがっていたから、注意も口だけで」
「そう。それから?」
「よそのクラスの子が投げた黒板消しを、徳野君がほうきの先で打ち返したら、
教室の中へ飛び込んできて……あ、廊下の窓は開いてましたから。それが中庭
の方の窓ガラスに当たりそうになって、立島君が手を伸ばして受け止めたんで
す。でも、手の甲がガラスに当たってしまって」
今度は立島へ視線を向ける純子。
彼も異論を挟むことなく、静かにしている。ただし、右のつま先が、たまに
床を苛立たしげに叩く。
「それで割れたわけか」
やれやれという風に息をついた先生は、腰に左右の手を当て、首を傾げた。
「徳野君。あなたと他の組の男子が悪いように思えるんだけど、何か反対意見
があるのね。言ってごらんなさい」
「ガラスが割れたのは、立島が余計なことするから」
「何でだよ」
我慢していた物を一気に使い切るように、立島が鋭い声を差し挟んだ。
「俺の受け方が悪かったってのか? だが、あのまま飛んで行ってたら、ひび
ぐらいじゃ済んでないぜ」
「分かるもんか。ガラスに当たらず、窓枠に当たっていたかもな。どうせ手を
出すんだったら、責任持って受け止めりゃいいんだよ。できもしないくせに、
余計なこと」
「最初から暴れるなって、言ってただろうが」
収拾がつかなくなりそうな二人の間に、先生が割って入る。
「はい、ストップ、ストップ。状況は分かりました。今、涼原さんが言ったこ
とで間違いないわね、みんな?」
当然、否定の声は上がらない。
「よそのクラスの子は、逃げてしまったのね?」
徳野は黙って首を縦に振った。
先生はこめかみを数度もんで、思案げに目線を宙へと漂わせた。
「公平に見て……掃除の時間なのに、さぼって、野球ごっこをしていた人の方
に問題があると思うのだけれど。どうかしらね」
先生は決めつけるようなことはせず、徳野の顔を見た。反論があれば聞こう
という態度だ。
徳野は、このまま認めてしまうのがしゃくだったのか、唇をひとなめすると、
裏返り気味の声で言った。
「掃除をしてなかったのは自分が悪いけど。黒板消しでガラスを割るようなど
じは、絶対しない自信があったんだ」
「なるほどねえ。じゃあ、今度は私の話を聞いて。先生はたとえるのが下手だ
から、面白くないかもしれないけれど……公園にオートバイを乗り入れてはい
けないわ」
「……うん」
まずは素直にうなずく徳野。
先生の話には、純子達も聞き入っていた。
「公園には砂場やブランコ、滑り台なんかがあって、小さな子達が遊んでいる。
そこへ暴走族が入ってきて、オートバイ数台で我が物顔に走り回った。幸い、
子供は誰一人怪我を負わずに済んだ。暴走族も『子供を怪我させるようなどじ
は絶対にするもんか』って誇らしげにしてる。それならオートバイで公園内を
走り回っていい?」
「……分かったよ、先生」
げんなりした様子で、徳野が答えた。
「小学生じゃないんだから、そんな風に言われなくても」
「小学生みたいな真似をしたのは、どこの誰ですか」
先生の声が、また少し厳しくなった。さすがにしゅんとうなだれる徳野。
「わざとやった結果ではないから、ガラスは学校の方で直します。しかし、責
任ははっきりさせなければいけないの。徳野君と他の友達――何人いたのかし
らないけれど、その全員で責任を感じて、反省してくれるかしら。二度とこん
なことをしないように」
「……はい」
まさしく小学生のようにこくりとうなずいた徳野。顔は下を向いたままだ。
小菅先生の表情が、ようやく明るい色を取り戻す。
「さ、それなら最初にするべきことがあるわよね」
先生に言われて、徳野は顔を上げた。目をおどおどさせていたが、しばらく
して気が付いたらしい。まずは、立島の方に身体を向ける。
「立島……ごめん。言いがかり付けて悪かった」
頭を深く垂れる相手に、立島はくすぐったさそうに身震いをした。
「いいって、分かってくれたら。俺もちょっと感情的になって、ひどいこと言
い返したしな。悪かった」
立島との和解成立後、今度は他の班員に向き直った徳野。
「掃除をさぼって、それと、ガラスを割って、騒ぎを起こして、ごめんなさい」
これにて落着。
いや、掃除はまだ済んでないけれどね。
一騒動あったおかげで、純子の予定は大幅にずれを生じていた。
夕方の通学路を走って、家路を急ぐ。しかし、体育祭の練習が始まって、身
体はくたくたになっていた。動きの鈍い足に、気ばかり焦る。
(遅れる!)
今日は鷲宇憲親から直接指導を受ける日だ。遅刻したくない。
相手によって差別するつもりは全くない。ただ、純子は時間に遅れることは
絶対に避けたい質なのである。
「純子ちゃん!」
車道側から、不意に呼び止められた。
徐々に暗くなりつつあるので、瞬時に認識するのは難しい。
でも、声で誰なのかすぐに分かる。
「相羽君のお母さん……どこ?」
目を凝らすと、見覚えのある自動車のシルエットを発見できた。十メートル
ほど前方に停まっている。
「こっちこっち。早く」
運転席とは反対側のサイドウィンドウへと身を乗り出し、手招きをする相羽
の母。純子は事情が飲み込めないまま、駆け出した。
「乗って」
「え?」
ガードレールを飛び越え、車内を覗くと、他には誰もいない。
「送るわ、純子ちゃん。大丈夫、あなたのご両親には連絡を入れておいたから」
「あ、あの−−ありがとうございます」
わけが分からないけれど、とにかく後部座席へ乗り込む。
ドアが閉じられるのとほとんど同時に発進した。
しばし静寂が支配した後、口を開いたのは純子。
「おばさま。どうして私が遅れてるって、分かったんですか? まだ約束の時
刻は過ぎていないから、分かるはずない……」
「信一が電話で言ってきたのよ。掃除が長引いてるから遅くなるかも、とね」
「え、でも、相羽君は掃除当番じゃなかったのに」
「廊下を通りがかって、もめているのを見かけたんだって言ってたわ。よくは
分からないけれど……結果的にこうなったんだから、よかった」
気が急いている様子だった相羽の母に、笑みが宿る。
(いつの間に見たんだろ、相羽君たら。そう言えば、今日は部活の日だから、
放課後、学校にいてもおかしくはないのよね)
感謝する一方で、あれこれ詮索する純子。その内、気になることが浮かんだ。
「おばさまは、相羽君――信一君が武道を習い始めたのをご存知なんですよね」
「ええ、もちろんよ。それが何か?」
「その、おかしなこと聞きますけど、信一君は元気にやってますか」
「……」
ルームミラーを媒介にして、相羽の母の少し驚いたような眼が見えた。逆に
相羽の母は、純子の少なからず憂慮を含んだ目つきが確認できたに違いない。
「学校では元気がないのかしら、信一は?」
「いいえ、そんなことありません。あの、心配させてしまったのなら、すみま
せん。謝ります」
「ううん。いいのよ。だけど、純子ちゃん。そんな質問をするなんて」
「理由は単純なんです。相羽、じゃなかった、信一君、学校では調理部をやっ
てるから、いわば掛け持ちですよね。両立できてるのかなって」
「うーん、私には判断つきかねるわ。だってあの子、弱音吐かないから」
自嘲混じりの苦笑いに、純子は萎縮する。
「純子ちゃんも掛け持ちみたいなものでしょ。頑張ってるじゃないの」
「私は中途半端で……」
照れ隠しに笑ってしまう。
しばらく行くと、目的地に着いた。滑り込みセーフ。
体育祭を控えて、運動場の清掃が行われる。当日の来校者に気持ちよくすご
してもらうための大掃除に加え、石やごみ、もしあればガラス片や釘なども取
り除く。安全に体育祭を執り行えるよう、絶対に欠かせない準備だ。
二年生の大半はその運動場を担当する。みんな横一線に並び、中腰の姿勢の
ままじりじりと進みながらごみを拾っていくわけだが。
「あー、足首が疲れた」
グラウンドのちょうど中ほどで腰を下ろし、足首を順に回す勝馬。生徒数が
多いだけに、運動場も広大である。重ねて、昨日まで秋めいていた気温が、今
日になって急に夏へと逆戻りした感があった。
「しっかり」
純子は勝馬に声を掛けながら、拾い集めたごみを前へ行く富井に渡した。富
井は純子達の拾い上げた分を収集する係で、大きな袋を持っている。
「ほら、相羽君なんか全然平気よ」
純子が示した先では、黙々と作業を続ける相羽の姿が。少なくとも外見上、
疲れた様子は微塵もなかった。空から見下ろせば、横のラインから彼だけ突出
しているのが分かるかもしれない。
勝馬はへたり込んだ格好で、しばし相羽を見やり、呆れたように息をつく。
「おっかしいなあ。他の連中も休み休みやってるぞ。運動部ならともかく」
「あっ、それだわ。道場通いの成果――よね、相羽君?」
急に得心した純子。
尋ねられた相羽は、肩を震わせて笑った。
「関係あるのかな。足腰のバネが重要だって、指導されてはいるけどね」
「絶対関係あるよ」
富井も反応した。ごみ拾いも大変だが、収集役も立ちっ放しで疲れる模様。
「はは。じゃ、終わったあとも平気だったら、修練の賜物ってことにしよう」
相羽が軽く笑い声を立てたそのとき、急に叱咤が飛んで来た。
「こら! そこ、何してる!」
びくりとして動きを止め、純子達が声のした方を振り向くと、紅畑先生が小
走りに駆け寄ってくるところだった。普段着慣れないためか、ジャージ姿があ
まり似合っていない。
「無駄口叩いてる暇があったら、静かに集中して掃除するんだな。時間がいく
らあっても足りない」
「……」
相羽は反論したげに目線を上げたが、すぐ元に戻して小石を拾い始めた。
しかし、紅畑先生は気に入らなかったらしい。
「言いたいことがあったら言え。そんな目で見るな」
相羽は口をつぐんだまま、作業を続けている。ただ、先生の言葉は聞こえた
という証だろう、首を左右に大きく振った。
紅畑先生は鼻を一つ鳴らし、固くなった雰囲気を取りなすかのごとく、咳払
いをした。そして全員に聞こえる大きな声を張り上げる。
「−−ようしっ。あと半分だ。丁寧にやるんだぞ、いいな!」
−−つづく