AWC 『私が夢を見たくない理由(中)』 …… PAPAZ


        
#4616/5495 長編
★タイトル (KSM     )  98/10/ 7   2: 7  (197)
『私が夢を見たくない理由(中)』 …… PAPAZ
★内容

 日曜日になると気分はハイになっていた。
 それまでは落ち込んでいたんだけどね。
 私は窓辺から庭先へと視線を漂わせた。強い日射が暖かく、鈴なりになったコマク
サが頭をもたげてる姿が愛らしい。青空を眺めているだけで、幸せな気持ちになれた。
 窓を引き閉めてブラインドを下げると、陽光がベッドに縞模様を描き出す。
 ベッドのサイドテーブルには『エンジェル・クロック』が居座っている。私は小憎
らしい置き時計を紙袋に押し込み、着替えを始めた。
 何を着ようかな?
 クロゼットの扉を開く。パジャマを脱ぎながら品定めをする。右に左に手を遊ばせ
てから、ニットのサンドレスを選んだ。身体にあてて鏡に映してみる。
 似合う。
 自分でいうのも何だけど、似合うなー。赤と白のボーダーが快活な女の子っていう
イメージよね。あとはスニーカーを履いて、ジージャンを羽織れば完璧。
 着合わせてみると、イメージ通りの美少女がいた。
 我ながら、美人だと思う。美人とかわいいを兼ね備えた女性、その名は亜希子! 
と、まあ、その時は本気で信じていた。
「行ってきまーす」靴を履いてから玄関で叫ぶ。玄関の扉を押し開けると、母の声が
後を追った。
「お昼御飯は? 朝御飯もまだまだまだまだだけど」
 リビングのドアを開けて母のイヤミが飛んでくる。私は紙袋を持ち上げ「ダイエッ
ト中なの。お母さんも痩せたら。シロ豚脱出計画でも練ったらいいかもよ。じゃあ、
時計を返してくる」と、いって玄関の扉を閉めた。母の怒鳴り声が後ろから襲いかか
ってきたが、走るに従って小さくなっていった。母の声が薄らぐと、私の気持ちはよ
りハイになった。
 うふっ。
 透明な風が私の頬をそよぐ。撫でられているようで、くすぐったい。近所の叔母さ
んに愛想笑いして、角のスーパーを通り過ぎる。
 目指すは唐紙時計店。
 私は小路を折れて、上り傾斜の急な坂道を駆け上がった。高台からは、古い家が軒
を連ねる裏通りを一望でき、朽ち果てそうな二階建ての店が目を引いている。崩れ落
ちそうな瓦拭きの屋根。その下に看板があって、掠れた文字で「唐紙時計店」と書い
てある。
 大きな声では言えないが、「唐紙時計店」は男女を問わず学生に人気がある。いつ
も活況で満たされていて人波で揉まれている。
 幸い今日は客がいない。心がけが良かったらしい。
 店の中に入ると香りが変わった。何の香りだろう? 鼻をひくつかせ、記憶をたど
る。目を瞑ってからマリクワのベビーローズだと気が付いた。
「そうよ、詳しいのね。亜希子ちゃん」
 瞳には微笑んだ赤い口紅が映った。静かな物腰の詩織さんだ。今日は黒のワンピー
スに紫のカーディガンを羽織っている。店の中には私と詩織さんの二人だけだった。
 私はガラスケースに飾られた腕時計を眺めながら、詩朗さんが出てくるのを待って
いた。
「詩朗は出かけてるわ」
 詩織さんは店の片隅に置かれた籐の椅子に腰掛けている。どうやら私の心は読まれ
ていたらしい。でも女性の目当ては詩朗さんだし、男性の目当ては詩織さんと相場が
決まっている。美男美女の兄妹に、心惹かれぬ人間などあろうはずがない。
 そして私は人間だった。
「あの、関係ないですう」
「女の子に人気があるものね。詩朗は」
「ホント。競争率、高いですう」
 詩織さんが笑うと、ベビーローズがえもいわれぬ芳香を放った――男に人気がある
のも分かる。女性の私でも惹かれるのだから。クラスでも男子生徒は詩織さんにべた
ぼれで、時計を買うためにアルバイトしてたりする。その気持ち、私には分かるよ。
 前の店主は寡黙が取り柄のおじいさんだった。そのおじいさんが交通事故で亡くな
ったのが四ヶ月前。一ヶ月後に店が開いたとき、詩朗さんと詩織さんの二人がいた。
二人の噂は台風の様なもので、瞬く間に拡がり店は繁盛した。
 遠い親戚でね、二人で遺産を相続したんだ。と、詩朗さんが教えてくれたのが、昨
日のことのように感じられる。詩朗さんの涼やかな笑顔を思いだし、私の胸が熱くな
った。
 きっと、恋だと思う。だって、いい男だもん、惚れないほうが可笑しいよね。
 詩朗さんの傍らにはいつも詩集があった。折に触れ目を通し、女子学生のリクエス
トに応え朗読してくれたりもする。夕方には詩集を小脇に抱え散歩する。時には白波
の押し寄せる砂浜まで足を延ばす。
 詩集になりたい、と何度考えたか分からない。
 ――物思いから醒めると、私の傍らには詩織さんがいた。
「リストウオッチを探してるの?」
 私は首を振った。紙袋からエンジェル・クロックを取り出し、詩織さんに渡してか
ら、事の顛末を話した。詩織さんは時折うなずきながらも、最後まで口を挟まなかっ
た。
 私がひとくさり話し終えると、詩織さんが深々と頭を下げた。
「あっ、気にしないで下さい。ちゃんと起きれるんです。ただ……夢が悲惨だから」
 私は慌ててフォローした。
「本当にごめんなさいね。ちゃんとクレームとして処理させていただきます。……と
ころで面白い時計があるけど、使ってみる?」
 詩織さんが眉を上げ、くだけた表情を見せた。
「面白いって?」
「それがね、傑作で……。まあ、見たほうが早いわ」
 詩織さんは店の奥の棚から木箱を持ってきた。ガラスケースの上に置くと蓋を開け
た。
「似てるでしょう?」
 詩織さんが箱の中から取り出したのは悪魔の胸像だった。胸の下部の文字盤だけが、
時計としての機能を主張している。背面にもスイッチひとつ見あたらない。私の二の
腕ぐらいの大きさしかないけど、等身大の存在感がある。
 リアルすぎる。胸像を見たとき、私はそう思った。
「似てます……」
 恐る恐る手を延ばして触れてみた。金属の冷たい感触が、指先に広がっていく。
 悪魔の顔は詩朗さんに似ている。時折見せる、人を拒絶するような冷たい瞳が似て
るのか、細い輪郭が似てるのか、そこまでは分からない。ただ、胸像を見ていると、
詩朗さんの顔とだぶってくる。それだけは断言できる。
「高そうですね」
 詩織さんは首を振った。
「交換ということでどうかな?」詩織さんの赤い口紅が微笑んだ。
 私は小さく頷いた。
「気持ちよく起きられる目覚まし時計が、世の中に存在する訳がないってことを忘れ
ないでね。目覚まし時計って昔から憎まれ役と相場が決まってるのよ」
 詩織さんの言うことは、もっともだ。
「この時計にも、変な機能があるんですか? エンジェル・クロックみたいに」
 思い切って尋ねてみる。
 詩織さんが箱の中から説明書を取り出した。

 ――特殊機能。どうしても目覚められない貴方に送る新機能。それは、悪魔が誘う
夢の眠り。アラームが鳴る1時間前に、時計の音声誘導に従って夢を見ます。サター
ン・クロックの特殊機能は、貴方の確実な目覚めを約束します――

 カタログに書かれた文字はたったこれだけ。結局何も説明していないのと同じこと
だ。
「エンジェル・クロックと違う夢を見るのよ。天使のテーゼは『残酷』で、悪魔の
テーゼは『愛』なのよ。分かるかな?」
 詩織さんがそういって目を伏せた。

 次の日、目覚めた私は詩織さんの言葉が身を持って理解できた。夢日記を書きなが
らも、身もだえしたい気分が私を支配していた。私は夢の情景を振り返って味わって
みた。
 詩朗さんは海沿いのカフェテラスから、沈みゆく夕日を眺めている。私は朱に染め
られていく詩朗さんの横顔に見惚れている。
 ウエーターが私の元にパフェを、詩朗さんの手元にコーヒーを置いた。十あるテー
ブルは満席で、カップルしか見あたらない。その中の一組が、私と詩朗さんだった。
 私は夢だと気が付いていた。現実の世界で詩朗さんが誘ってくれることなど、あり
はしない。
「淋しい目をしてるね」詩朗さんの瞳はどこまでも優しくて。
「……」私は何もいえなかった。
 テーブルの上で二人の指が会話を交わすように交叉する。
 詩朗さんの指先が、私の指と絡み合い、堅く結ばれた。
 心の琴線は震え続け、心臓の鼓動が詩朗さんの耳元に届けられるようで怖かった。
 詩朗さんの長いまつげが近づいてきて、私は目を瞑った。熱い吐息が私の頬に触れ、
抱かれるような感覚に包まれ……そこで私は目覚めた。
 アラームの音がしゃくに障った。
 サターン・クロックは、頭部から突き出た二本のツノでアラームや時間の設定をす
る。微かな怒りとともにツノを押してアラームを止めた。
 夢の続きを見たかったけど、目が冴えて眠れない。
 まだ心臓が高鳴っている。興奮状態に置かれたまま放っておかれ、行き場のない想
いだけが手帳に綴られる。
 月曜日はカフェテラスだった。
 火曜日は映画館だった。
 水曜日はサンセット・ビーチだった。
 いつも詩朗さんと口づけを交わす前に目覚める。夢日記にはせつない想いが文字と
なって紬だされていく。
 水曜日の夜、私は一計を案じた。アラームが鳴る前にラジカセのタイマーでラジオ
番組を流すことにしたのだ。
 木曜日の朝、私はハイキングに出かけ、下りの登山道で目覚めた。まだ詩朗さんと
はキス寸前までもいっていない。
 アラームの音に混じり、ラジオからニュースが流れている。私の計算通りにラジオ
が鳴ってくれた。目覚めるのに必要なのはアラームの音ではなく、他の音源でも目覚
めることが実証された。
 私はラジオを止め、耳をそばだてた。サターンクロックから静かにバロック音楽が
流れ、20分たってアラームが鳴った。その間に音声は一度として聞こえてこない。
 説明書のひとくだりを読み直した。

『アラームが鳴る1時間前に、時計の音声誘導に従って夢を見ます』

 耳に聞こえない音声となれば、サブリミナルを使っているとしか考えられなかった。
サブリミナルは潜在意識に訴えるように、人が意識で認知できないメッセージを繰り
返している。
 私は何としても夢の続きが見たかった。夢の中で詩朗さんに逢いたくてサターン・
クロックを使う。なのに目覚めれば満たされない想いだけがつのっている。何として
も夢の続きが見たかった。
 アラームの音とともに目覚めるのは分かっている。アラームさえ止めれば、夢の続
きが見られる。たぶん、アラームが鳴る直前がイチバンいいはず。
 誰かが止めてくれればいい。
 問題は、誰が止めるか、ということだった。
「亜希子、起きなさい!」
 階段の下から、おかあさんの声がした。
「はーい。今、降りて行くわ」
 母にお願いしたら、アラームをオフにしてくれるだろうか?
 7時30分にセットした目覚ましを7時29分に止めてネ。まだ、夢を見ていたい
から……と、いったところで聞いてくれる訳がない。
 自分でアラームを止めることはできない。家族は当てにはできない。
 どうしたらいいのだろうか?
 分解できるなら背面のスピーカー線を切断したい。でも、サターンクロックは継ぎ
目ひとつない。
 もしかしたら、いや、きっとそうに違いない。問いが間違っているんだ。
 問題は、どうやって止めるか、ということなんだ。スイッチとなるツノを押せばア
ラームは止まる。どうやってツノを押すか、それが問題だった。
 朝食をとってるときも、授業中も、下校してるときも、頭の中で「どうやって止め
るか」そればかり考えていた。
 誰の家とも知らぬ庭先で、まつよいぐさの黄色い小花を愛でながら、私はため息を
ついた。いくら考えても、いい案が浮かばない。
 頭をコンと叩かれ、誰だろう? と後ろを振り返った。
「やあ」詩朗さんだった。手の中で詩集が遊んでいる。
「……こんにちわ」
 私は詩朗さんの手元を見つめた。詩朗さんはいつものように詩集を小脇に抱えなお
した。
「最近は『菜山香理』を気に入っていてね」
 詩朗さんは、はにかんだように微笑みを浮かべた。ジーンズにTシャツというシン
プルな服装が、詩朗さんに似合っている。
「ところで、時計の調子はどうかな?」
 詩朗さんの声に聞き惚れていて、質問の意図が分からなかった。
「サターン・クロックで起きられるかな?」重ねて尋ねてくれた。
「あっ……はい! だいじょうぶです。もうバッチリ!」
「いつでも遊びにおいで。美味しい紅茶を用意しておくから。友達も連れてくるとい
いよ」
 私は頷いた。詩朗さんは散歩の途中だから、といって去っていった。
 夢の中の詩朗さんなら、私をデートに誘って、心地よい言葉をささやいてくれる。
 現実は夢ほど甘くない。
 でも、現実の詩朗さんがヒントを与えてくれた。
 私は桂沢模型店を目指して歩き始めた。




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