AWC 『解釈の悪魔(上)』 …… PAPAZ


        
#4612/5495 長編
★タイトル (KSM     )  98/10/ 2   0:15  (155)
『解釈の悪魔(上)』 …… PAPAZ
★内容

     『解釈の悪魔』

 あなたが親だったら、子供のために私と同じ決断をしたと思う。
 それとも、「違う」と断言できるのだろうか?
 人はいずれ死ぬ。だが、それを間近にして納得できるものではない。年端もいかぬ
となれば尚更そうではないか?

 ――5年前、妻の運転する乗用車が、交差点で衝突事故を起こした。妻は即死。1
2歳だった娘は、病院に駆けつけた私に看取られることなく息をひきとった。腫れ上
がり、水膨れのできた顔には、セーラー服を楽しみにしていた愛くるしい面影など残
っていなかった。
 私は願った。
 悪魔に魂を売ってもいい、どんなことでもしてやる、だから娘を生前の姿で蘇らせ
てくれと。

 部屋の中央に座したまま見回してみる。
 雑品屋で見つけたちゃぶ台は、私がクリーム色にペイントして、娘が紺色のスパタ
模様を描いた。いつもは食器が彩りを添えているが、今日は青い花瓶が飾られている。
広げた葉先が器を覆い、黄色い鈴なりになった小花から芳香が漂う。名も知らぬ花が
この部屋でいちばん輝いている。
 楽な生活ではなかった。それでも娘との想い出は色あせることはない。若い生命の
煌めきさえあれば、私は満足だったのだ。
 娘が選んだ、草原をイメージした萌える新緑のカーテン――清々しいイメージと裏
腹に、薄く開けた窓から、湿気を帯びた微風が彷徨いながらまとわりついてくる。曇
天のなか、汽車の警笛が空々しく木霊する。
 ノックの音がした。
 私は息を呑んだ。
 ノックの音がした。
 立ち上がり、ドアを開けた。黒いマントを羽織った、やせた男が立っている。黒づ
くめの服装も薄笑いを浮かべた唇も、5年前と変わらない。
 彼はテーブルを盗み見て、
「間に合わなかったのですね。今日は約束の日。現金か魂か、わたしが得るものは二
つに一つ……まあ、あなたの魂で決まったようですが」
「為替レートが下がりすぎたからね。ドル建てというのが致命的だった。それに会社
が倒産するとは……」
 と、私は応えた。彼が後ろ手でドアを閉める。
「あなたの願いは、娘を蘇らせること。骨が折れましたよ。復活は簡単なことですが、
書類から、周りの人々の記憶から、全て操作しなくてはいけないのですからね。
 もう一つの願いは職につくこと。あなたが選んだ一流企業に入社させたのですから、
非難されても仕方ないことですなあ。倒産したとしても、それは資本主義の宿命でし
ょう。わたしは希望を叶えただけのこと」
「これ以上、いいわけするつもりはない。さあ、魂をとるなり、首を絞めるなり好き
にしてくれ」
 私はわずかに残った資産で、娘が幸福に暮らしてくれればそれでいい、もし涙のひ
とつも流してくれるなら、それで本望だ、そう考えていた。
「しかし、わたしはあなたを気に入っている。契約は契約だが、契約通り実行すると
いう気持ちにもなれない」
 彼の細い目がいっそう細くなった。
「なにが、いいたい」
「わたしはね、妻を蘇らせてくれ、と言わなかったところが気に入ってるんですよ」
 そういって彼は両手を広げた。皮のグローブから生肉の焼けた臭いが漂ってくる。
「だから、なにがいいたいんだ」
 噛みしめた唇から絞り出した声は、言葉になっていなかったかもしれない。
「ゲームをしましょう」彼は指を一本たてた。
「ゲーム?」
「そう、ゲームです。あなたが勝てば魂はいただきません。現金などは論外です。あ
なたが負ければ、契約通り魂をいただきましょう」
「ずいぶん旨い話にきこえるが……」
 都合の良い展開が、私を不安にさせた。
「だから、あなたを気に入ったといったでしょう。もちろん参加する、しないはあな
たの自由です。ゲームに勝てば、また娘さんと暮らせるかもしれない、それだけのこ
とです。彰子さんといいましたか? 父親が死んでは、高校も中途退学するしかない
でしょうなあ」
 彼はくぐもった笑い声を響かせた。
「……わかった。喜んで参加するよ」私の声は震えていた。

 アパートの203号室、娘との暮らしが背後に遠ざかっていく。彼について狭い小路
を抜けながら、霧雨の舞いだした濃密な空間を分け入っていくと、古ぼけた民家も急
勾配の坂道も、全ての輪郭が曖昧になっていった。近いようで遠く、遠いようでなお
遠い。
 彼の靴音が空間の底から断続的に響きわたる。私は白い闇の中を音を頼りに導かれ
ていった。
 どれほど歩いたのか分からない。分かってるのは、彼が立ち止まったということだ
けだ。彼が右手でマントを跳ね上げると、白い視界の中に二階建ての洋館が姿を現し
た。
「ここがわたしの仮の宿。ただし、この館はわたしの目であり、耳であり、全てとい
うことができる。あなたが足を踏み入れて後、ここで1時間過ごせば、世界は1年と
いう時を巡る。それが絶対のルール」
 上階だけ苔に覆われた洋館の裸体は、冷風として心の中に忍び寄ってくる。二階に
は幾つかの窓があるが、一階には扉以外に開放的なものは一つとして見受けられない。
庭には骨折したようにひしゃげた広葉樹が群れている。黒々とした葉が幾重にも重な
り、わずかな光さえ大地に届かない。土の変わりに深い闇が存在してるような錯覚を
覚えた。
「どうぞ」
 彼の手招きに従ってアプローチを進み、開かれたドアから中へと入った。次いで彼
が中に入り、ドアが閉まる。
 20畳ほどの広間から、まっすぐ奥に廊下が延び、左右に部屋が続く。だが数は分
からない。廊下の突き当たりは漆黒に隠されていて、目見当もつけられない。観察し
た通り、一階には窓が無く、ランプと蝋燭の灯火だけが周囲をあやふやに照らし出し
ている。むき出しの壁に石造りの床、全てが冷酷な印象を私に植え付け、心を凍らせ
る。
 壁に飾られた小さな額縁が二つ目に留まった。白き衣をまとい厳しい視線を浮かべ
た男性と、黒い衣をまとい白い羽根を天に向けて差し出している人物がそれぞれ描か
れている。
 彼が私をうながし、命じられるまま廊下を歩き始める。
 どれほど歩いたろうか?
 分からない。時間の感覚が消えている。
 長いのか短いのか、それとも停止してるのか、それさえ判別できない。
 やがて彼が『GAME』と刻まれた木製のドアを指さした。ナイフで刻まれたのか、文
字から直線的で粗野な印象を受ける
 背後に人の気配を感じて振り返ってみるが、誰もいない。反対側のドアに
『GAMEZ』と刻まれているのを確認しただけだ。
「先客は二人、一人は右で一人は左の部屋でゲームを楽しんでいるところです」
「……」
「まあ、楽しいとかつまらないというのは、主観的な問題に還元されますが」
 私は何も応えなかった。
「さて」といって、彼は『GAME』と刻まれたドアを開いた。
 途端、人影が飛び出し、飢えた獣のように叫んだ。
「でられるのかあ!」
 鼻水と涙を顔にまぶした老齢の男性だった。面識はない。男性は彼の黒マントを鷲
掴みにして、もう一度くりかえした。
「ええ、あなたは気がついた。故にあなたをこの部屋から生きて出さなければならな
い。それがゲームのルールだから」
 男性は、
「わ、わ……わたしは何年使ってしまったんだ……」
 と、泣きながら尋ねた。
「ほんの4時間ですよ。外世界では4年ですがね」
「……4年!?」
 男性は壁にぶつかりながら、それでもまっすぐに外界の扉を目指して歩き始めた。
何事かつぶやいていたが、聞き取ることはできなかった。
 私は男性と同じように、来た道を戻れるのだろうか?
「どうぞ」
 彼の抑揚に欠けた声にうながされ、私は部屋の中に入った。足を踏み入れた刹那、
浅い息が漏れた。
 四角い部屋には窓がない。明かりは四隅に設けられたランプが与えてくれている。
それぞれ6灯づつ組合わさっているのが印象的だった。他に家具と呼べるものは一点
もない。リビングと同じ煉瓦の壁に石造りの床。存在を誇示するのは、中央に置かれ
た四角い箱だけだ。
「見ての通り、この箱には三つの押しボタンがあります。なぜ三つか? あなたが叶
えることのできた願い事の数だけボタンがある、まあ、そういうことです。一つは当
たり、残りははずれ。制限時間は24時間、それまでにご決断を。そうそう、放棄は
失格と見なします。当然――」
 彼は右手で首を切断するジェスチャーをした。
「では、ゲームを開始します」
 微笑みを浮かべることなく、彼は部屋を出た。音もなくドアが閉まり、私は一人と
りのこされた。
 娘は、いま授業中か、それとも休み時間か……同級生にいじめられたりしていない
だろうなあ……漠然としたイメージが頭の中で遊んでいる。
 私は生きることを諦めていた。今、この場においてさえ諦めている。五年間、自分
が死ぬということを毎日、見つめていたのだ。いまさらあわてふためく気はない。
 先ほどは気がつかなかったが、部屋の片隅に青白いコインが無数に転がっていた。
無造作に積み上げられ、散乱している。私は足下の一枚ひろい、手に取ってみた。な
ぜか懐かしい匂いがする。
 石の床に大の字に寝転がり、一度のびをし、それから調べてみた。500円硬貨よ
り一回り大きい。模様などは何も彫られていない。ただつるつるした表面だけが観察
できる。金属の冷たい質感が皮膚を通して伝わってくる。なのに、コインから暖かい
感情の流れを私は感じる。心地よい波動が私を包む。母親の胸に抱かれた赤子のよう
に、その感触に身を任せてみる。
 優しさや愛情といった感情の波、波は寄せては散り、生まれは消えていく。大きな
波、小さな波、その中に懺悔に似た悲しみが存在している。
 訳もなく頬を一粒の涙が伝い、包まれた感覚に浸っているうちに、私は眠ってしま
ったらしい。

 -- 続く --




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