#4604/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 9/30 11:58 (200)
そばにいるだけで 28−2 寺嶋公香
★内容
時が経つにつれ、純子は違和感を覚え、やがてその正体がはっきりした。相
羽が定規を滅多に手にしないでいる。
自分の持ち物のくせして、毒のある毛虫を扱うみたいに必要最小限しか触れ
ないのだ。用が済めば、すぐに手放す。
宿題をしながら、相羽の様子を何で?と考えると、悩むことなく一つの結論
に行き当たった。
その途端に左手を服の襟口に運び、きゅっと握りしめる純子。暑さがしつこ
い本日は、袖のないライトグリーンの薄着である。空気の通りがいいように、
心持ちゆとりを持たせたサイズ。
(今はもう心配ないわよね)
思い直して、手を戻す。
(だいたい、この前だって、服の中に定規が飛び込む確率なんて何分の一かの
偶然でしかなかったんだから。気にしない、気にしない)
相羽から視線を外し、問題に集中する。
数学は、相羽の「模範解答」を写してから、内容の理解に努める。
国語関係は主に純子の受け持ちで、社会科は町田。こんな風に協力して、片
付けていった。
もっとも、今日までどれだけ自力で済ませているかによって、残りの分量に
も個人差がある。故に全てをやり終える時間にも違いが出て来る。
最初に暇になったのは、やはりとすべきか、相羽。定規を筆入れに仕舞い込
み、質問が出ない間は退屈そうに頬杖をついている。自分が済んでも、みんな
のためにノートやプリント類を出しておかなくてはいけない。
「やっと終わった」
続いて純子もノートを閉じ、ほっと息をつく。
壁のアナログ時計を見やると、五時三十五分といったところか。純子が最初
に予想していたより、時間がかかった。
「純。もし帰らなきゃいけないようだったら、ノートとプリント、貸してね。
明日にでも返しに行くから」
手を休ませることなく、町田が頼んできた。
「ううん、まだ大丈夫。それよりも……」
筆記用具のみを片付けてから、相羽を見た。
(相羽君の方がよっぽど長い間、暇な目に遭ってるわ。早く家に戻っておばさ
んの手伝いをしたいでしょうに)
そう思う気持ちはあれど、あからさまには口に出せないだけに、困ってしま
う。意識せぬまま、頬を右手の人差し指でなぞっていた。
「涼原さん。足の怪我はもう治った?」
相羽は話し相手ができたことを喜んでいる模様だ。
「え、ええ。すっかり」
今頃になって聞かなくてもいいのに。そもそも、おばさんを通じて伝わって
いるはず−−と思わないでもなかったが、ここは穏便に答えておく。
相羽は満足そうにうなずいてから、話題を換えた。
「この前の前の土曜、NHKで恐竜の化石の特集番組やってたよね」
「あ、観た観た。小学生向けの感じだったけれど、面白かったわよね。鳥と恐
竜の関係の最新研究成果。日本でも、ぎ−−」
純子が応じようとしたとき、横槍が入った。
「お話中を悪いけど、ここ、教えてほしいんだな」
唐沢がペンを片手に、問題集をこちらに向けてきた。
折角の化石の話を中断され、惜しいと思うが、仕方なく吹っ切る。
「もちろんいいわよ。えっと、ここはね」
相羽は相羽で、軽く肩をすくめていると、富井から教えを請われた。彼女が
済むと、次は井口だ。
「いっつも思うことだけど、教え方、上手ね。相羽君が分かり易く話してくれ
るからよね」
感心しきりの二人に、相羽は「そんなことないよ」と首を振った。
「分かってもらいたいのに、なかなか伝わらないことがいっぱいある。……勉
強の話じゃないよ」
「ふうん、そうなの?」
詳しく質したそうな井口だったが、まだまだ残る宿題を前に、口を閉ざす。
富井も同様だ。いくら分かり易く教えてもらうとは言え、二人とも、相羽がい
ると気が散りがちのよう。
「さっき言わなかったけどさ」
思い出した風に始めたのは町田。
「相羽君、忙しいんだったら帰っちゃってもいいよ。その方が、そこの二人の
ためだしね」
「芙美ちゃーんっ」
泣きそうな声で富井が抗議するが、正論でもあるので調子は強くない。
「今は宿題を片付けてしまうことに専念、これが一番大事じゃないの。まだ少
し、休みはあるんだから」
うまくすればみんなで遊べると、言外に匂わせる町田であった。そうするこ
とで富井と井口を大人しくさせると、改めて相羽に言葉を向ける。
「ノートなんかを置いてってくれたら、私らはそれだけでも充分助かるから。
明日にでも届けさせるわ」
「届けさせる?」
聞きとがめた相羽が、眉をわずかに寄せた。
一拍遅れて、唐沢も反応した。図形を描いていた手がぴたりと止まると、町
田の方を細くした目で見やる。
「まさか、俺に届けさせるという意味ではないだろうな」
「あら、いい勘してるじゃない」
微笑して、ノートに答を書き込んでいく町田。
「こら、待て。涼しい顔をして言ってくれるぜ。何で俺が」
「宿題済んだら、どうせ女の子達とほいほい出かけるんでしょ。そのついで」
「デート中にお使いができるか!」
「じゃ、デートのない日なら行ってくれるわけね? いくらあなたのような節
操なしでも、一日ぐらい空いてるでしょ」
「ぐっ」
言葉に窮して、目を泳がせた唐沢。さらに、計算するような上目遣いをした
彼は、町田を除く三人の女子に猫なで声で呼び掛ける。
「誰か、今度の火曜、僕とデートしない?」
「予定表を埋めればいいってもんじゃないよ」
言って、消しゴムを投げる町田。桃色の紙ケースに入った丸っこい消しゴム
は放物線を宙に描き、唐沢のつむじのちょうど中心辺りに命中したかと思うと、
大きく跳ね返った。
「−−ってえなあ」
「何度も言ってるけれど、私の友達にちょっかい出さないように」
棘こそあるが落ち着き払った口調の町田は、座布団から立つと消しゴムを拾
い上げ、また元の位置に納まる。
「わーったよ。宿題、届けりゃいいんだろ」
「最初から素直にそう言えばいいの」
「あのさ」
二人の会話に割って入ったのは相羽。
「別にまだ帰るって決めたわけじゃないよ」
「いいのよ。早く帰りたいでしょ。それに、純もそろそろ」
と、振り返った町田。
勝馬に文法問題を教えていた純子は、自分の名前を聞きつけ、顔を上げる。
「帰る時間が来たんじゃない?」
「えっと、それはまあ親からは、なるべく早く帰ってきなさいとは言われてる
けれど」
「じゃあ、決まり。相羽君、純を送ってあげたらどう?」
「ええっ?」
町田の提案に声を上げたのは、当の二人だけでなかった。
いの一番に、富井が分かり易い反応を示した。
「それだったら、私も帰るぅ」
「宿題が残ってるでしょうが」
町田の指摘に、あっさりと静かになった。
「いいよ。私。一人で帰れる。ほら、充分に明るいわ」
純子は、カーテンの半分引かれた窓を差した。夏とあって、日は長い。どう
にかオレンジ色着いてきたかなという程度の空だ。
「いやいや。トワイライトゾーンと言って、今頃が最も危ない」
勝馬が面白がるかのように、笑いながら発言した。
「もしも自分が宿題終わってたら、絶対に涼原さんを送るんだけどな」
「俺も」
唐沢が早口で言う。その直後、相羽の肩に手を置いた。
「だが、今はしょうがない。相羽、おまえに託そう」
「あのなあ」
片方の手を顔の下半分に当てて、困った様子の――あるいは困ったふりをす
る?−−相羽。
「富井さんと井口さんは、俺と勝馬で責任持って送りましょう」
唐沢が言うと、井口は満更でもなさそうに唇の両端を吊り上げ、富井の方は
さも残念そうに眉を下げた。そして、
「宿題、ほとんどやってなかった自分が悪いんだもんね」
と、変に納得した様子で何度か首を縦に振る。
純子はそんな富井と井口のそばに駆け寄り、ぺたんと座り込んだ。スカート
が床に花を作る。
「いいの?」
小声で尋ねると、富井達は簡単にうなずきを返してきた。
「今日のところは……って言うか、私の家とはだいぶ方向が違うし」
これは井口。続いて富井も、
「純ちゃんだったら、まあ許せる。しっかりエスコートしてもらってねー」
なんて言って、純子の手を握ってきた。
「……ごめんなさい。一応」
あまりにあっけらかんとした態度に拍子抜けしつつ、そう断ると、純子は荷
物をまとめにかかる。
「相羽君、お願いするわ」
相羽自身を早く家に帰してあげたいという気持ちも手伝って、純子の口から
は自然とそんな台詞が出て来た。
相羽はしばし戸惑っていたようだったが、その内に立ち上がった。
「それじゃ、この辺でさよならってことで」
「待って」
純子は筆記用具をすっかり仕舞い終わってからも、手提げを持っただけで、
すぐには腰を上げなかった。
「少しだけ。勝馬君に教えてる途中だから」
暑さは陽が傾いても残っている。湿度が高いから、夜になっても居座り続け
るに違いない。
でも、そよ風が吹いてくれるのが救いだ。
「わ、気持ちいい」
数歩先を行く純子は、一瞬の涼しさに目を細めた。腕を左右に広げて、でき
るだけいっぱい、風を感じようとする。
顔にまとわりついた長い髪を指で後ろにやってから、相羽を振り返った。
自転車で来た相羽は、乗らずに手で押している。その前篭には、彼自身の荷
物と、純子の手提げが入れてあった。
「早く帰りたいでしょ? 先に行って」
「最後まで役目を果たさなきゃ」
ゆっくりと首を横に振ってから、額に手の甲をあてがう相羽。自転車を押し
ながらでは、さすがにじっとりと汗がにじむらしい。
「別にいいのに」
予想通りの返事とは言え、純子はため息をついた。けれど、自然と顔がほこ
ろんでしまうのも事実。
(どうしても楽しくなってしまうのは、私が気があるせい?)
「それより……純子ちゃんのお母さん、怒ってない?」
「いきなり、どうしたの? 何に?」
大きめの道に出た。交通量も多少、増加する。
ガードレールで区切られた歩道に入ると、二人は横に並んだ。
「前に見舞いで家に行ったとき、誤解されたかなって思ったから」
「あ、あれ?」
赤くなるのを自覚して、不自然なまでに前方に意識を集中した。
「大丈夫よ。もしも怒るんだったら、その場で怒ってるって。あのときのお母
さん、すぐに分かってくれたでしょうが」
「……はっきり覚えてない。頭の中がパニック状態だったもんで」
親の留守中、お見舞いにかこつけて家に上がり込み、足の怪我で動けない娘
に手を出した−−。
純子の母親が帰宅して最初に目にした場面だけで判断すれば、そういう風に
受け取れなくもない状況にあった。
「あんたねえ、ああいうときぐらい、ちゃんと説明してよ」
思い出すと、急に腹が立ってきた。
「私一人、焦って喋って……そっちはぼーっとしてるだけ」
「あの状況では先に僕が口を開いたら、嘘っぽくなりそうな気がしたから」
「ほんとにもう……。まあ、確かにね。相羽君はうちの親から信用されてるか
らよかったのかもしれないけれど。――それでも、もし帰って来たのがお母さ
んじゃなくてお父さんだったら、どうなってたかなぁ」
意地の悪い口調になったのは、少しからかってみたくなったから。
案の定、相羽の緊張する気配が伝わってきた。純子より先に進み出て、顔を
覗き込んでくる。
「おじさんにも話したの?」
「ええ」
「その、何て」
「お父さんの反応? ふふっ。どうかしらねー」
「……」
−−つづく