#4539/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 6/20 13:55 (200)
そばにいるだけで 25−4 寺嶋公香
★内容
「四人席が六つ、二人席が一つか。満員になったら結構大変じゃないか」
手を拭きながら、唐沢が隣のテーブルで妙な感想を漏らす。
「そうでもないんだよな、これが」
相羽が言い終わると同時ぐらいに、ラーメンができあがったという声がした。
もちろんあらかじめ準備を整えていたのだけれども、確かに手際がよい。
湯気の立つ丼がてきぱきと置かれていく。間近で見ると、もやしとねぎがた
っぷり入った醤油味だと知れた。
「いただきます」
こういう場に来ても合掌を忘れない相羽に、皆もつられたように手を合わせ
る。
男子が早速すすり始めるのに対し、女子は一様に出遅れた。やはり髪が長い
と邪魔になる。それに、他人の目を気にする年頃でもあるから。
いくらか苦労してようやく最初の一口を食べると、一瞬、その辛さにびっく
りしてしまった。が、それはまさに一瞬で舌から過ぎ去り、あとはよくだしの
出ているスープの風味や麺の歯ごたえが残る。
「あ−−おいし」
純子がいちいち口に出さずとも、唐沢や勝馬が仕切りと言っている。
「何だこれ。唐辛子かわさびみたいな」
「変わってるけど、うまいっ」
賞賛の言葉の中、チャーハンが到着。こんもりと盛られた大皿から、レンゲ
を使って八角形の小皿に取り分け、早速味わう。こちらの方はオーソドックス
な味だった。ラーメンとバランスが取れていると言えそうだ。これならきっと、
暑さ寒さに関係なく食が進む。
「あぁ、おいしかった!」
大きく声に出して意思表明する富井に、店の奥で何やらごとごとやっていた
コックさんも、ちらりと笑みを覗かせる。
それ以上に鮮明に喜色を表したのが、店員のおばさんだ。
「嬉しいこと言ってくれるねえ。ようし、チャーハンの代金はサービスしちゃ
おうか」
「え。あの……よその人もいることだし、それはまずいんじゃないですか」
相羽がテレビを見入ってる人を振り返りながら、小さな声で応じた。
「そうかねえ? ……じゃ、こうしよう。坊やお得意の手品の一つでも見せて
くれりゃいいのさ。その見料として差し引きゼロだよ」
相羽の手品のことまで知っている。
(やっぱり、何度もこのお店に来ているんだわ。じゃなきゃ、ここまで親しく
なれるはずない)
妙な成り行きを見守りながら、純子はそんなことを思った。
「それは……」
「だめかい?」
「いえ、ありがたいです。けれど、急に言われても、今日はトランプも何も持
ってないし」
弱った風な相羽に、唐沢が声を掛ける。
「変に張り切らず、そのまま払っておくのがいいんじゃないか」
「でも、ここのおばさん、一度言い出したら聞かないんだよ」
なるほど、さっきから見ていると、おばさん店員のやることに他の店員は全
く口出ししない。多分、コックさんとは夫婦なのだろうけれど、主はおばさん
の方らしい。
富井が見かねた様子で、「頑張って」と小さく声援を送った。
その直後、相羽は何か閃いたらしく、面を起こす。
「……そうだ。今日は時計を持ってきたんだっけ」
指先で懐中時計を引っ張り出すと、チェーンから外す。今、相羽の左の手の
平には、丸く平たい時計がぽつんと置かれた。
「やってみます。うまく行ったら、遠慮なくサービスしてもらいますよ」
「いいわよ。どんなのか楽しみだわ」
来客がないからいいようなものの、料理屋の中で手品を披露することになろ
うとは……。ともかく、相羽の周囲に店員さん達も集まる。
相羽はズボンの尻ポケットからハンカチを取り出した。濃い青色の、大きめ
の物だ。
「まず、ハンカチと時計に何の仕掛けもないことを確かめてください」
ハンカチをおばさん店員が、ハンカチを若い店員がそれぞれためつすがめつ
し、調べた。さらに、相羽の友達のみんなも一応の確認を入れる。
「では、その時計を僕の手の平に乗せてください」
相羽は先ほどしたのと同じように、左手を開くと甲の側を床に向けた。
最終的に時計を持っていた純子が、言われた通りに置く。
相羽は左手の指をかすかに曲げると、次なる指示を出す。
「この上からハンカチを被せてください。すっぽりと包む感じで」
今度はおばさん店員が進み出て、青いハンカチを一旦大きく広げると、すず
めか何かを捕獲しようとするみたいに相羽の手に被せた。時計も左手もすっか
り隠れてしまった。
「じゃあ、これから回っていきますから、皆さん順番に、ハンカチの下から手
を入れて、時計があるかどうかを確認してください」
「そんなことしなくたって、あるに決まってる」
勝馬が不思議そうに言い返したが、横手から唐沢が否定した。
「これは手品なんだぜ。大人しく従おうや」
相羽はその間にも席を離れ、まず同じテーブルの純子達三人に確かめるよう
促す。
「間違いなくあるわ」
ハンカチで見えないものの、手の感触はどう考えても懐中時計である。
相羽は引き続き、店員さん達にも同じことをしてくれるように言った。若い
店員はおっかなびっくりといった風だったが、おばさんの方は入念に調べてい
たのがおかしさを通り越して、微笑ましい。
さらに相羽は残る友達四人にも確認を頼む。
「間違いなくあった」
最後に手を入れた町田が断言する。相羽は満足そうに二度、首肯した。
「さてと……この腕時計が」
相羽が言いかけたそのとき、不意に新たな声が掛かる。
「私にも確かめさせてくれないものかね」
一斉に注目する。言うまでもなく、テレビに見入っていたはずの男の人が声
の主だ。野球観戦に熱中しているようでいて、意外にも聞き耳を立てていたら
しい。目に興味深そうな光が宿っていた。
「だめかなあ?」
「いえ、かまいません。どうぞ」
相羽があっさりと承知したものだから、純子達は心の中で「え!」と叫んで
いた。各人の表情がそのことを雄弁に物語っている。
(大丈夫なの、本当に……?)
相羽は軽い足取りで男の人へ近付き、左手を突き出した。
男の人は鼻の頭を一度かいてから、ゆったりとした動作で右手をハンカチの
下に入れ、もぞもぞと探る仕種をする。
やがて、「間違いなくあるね」と、手を戻しつつ言った。
「ご協力、どうもありがとうございます。−−さあ。この時計が一瞬にして」
相羽は皆からよく見えるようにと、左手を前へかざしながら、右手でいきな
りハンカチを掴むと振り上げた。
舞うハンカチ。
静寂が一秒もあっただろうか。蛍光灯の光を浴びて、青い布切れはひらひら
と落ちてくる。
だが、懐中時計が落下してくることはなかった。
相羽の左の手の平は開かれたまま。それどころか右手も全く同様に開いてあ
るのだ。
観衆は相羽の手か、あるいは床に着いた青いハンカチを凝視するばかりで、
声さえもなかなか出て来ない。
「右手に隠し持ったわけじゃ……ねえよな」
唐沢が推測を発し、自ら否定する。
「お見事の一言だ」
コックの男性が、ぱちぱちぱちと間隔の開いた拍手をする。それをきっかけ
としたかのように、他の面々も手を叩いた。
相羽はちょっとだけ肩をすくめ、右手を前から大きく振りかぶると、胸の前
で止めた。と同時に上半身を折り曲げるようにして頭を下げる。
「盛大な拍手、痛み入ります」
続いて協力してくれたお客さんの元へ行き、再び礼。
「ご協力、どうもありがとうございました」
「きょ、協力だなんて、なあ。面白そうだったから、口を挟んだまでで」
照れた風に笑うと、彼は「これは一応なんだが、その手を調べさせてくれな
いか」と真顔に戻って頼んできた。
「ええ、いいですよ」
相羽が両手を開いて差し出すと、男の人は最初、じっと眺めてから、やおら
触り始める。相羽の苦笑混じりの表情がおかしかった。
「うーん、やっぱ、何にもないねえ」
残念そうに言って、骨張った手を引っ込めたお客。
「子供のくせして大した手並みだ、全く」
相羽はもう一度肩をすくめ、両手に作った拳をズボンのポケットへ突っ込む。
おばさん店員が改めて言った。
「さすがだねえ。チャーハン代には充分だよ」
海を見に行った。
ラーメン屋さんから歩いて行ける距離に、臨海公園があった。相羽の立てた
予定では元々、隣接するスポーツセンターで運動をするつもりだったらしいが、
お腹がふくれたあとではみんなその気になれない。散歩がてらにここまでやっ
て来るのがせいぜいだった。
白が目立つ印象の公園には人がたくさん訪れていたが、広いおかげで、さし
て混雑は感じない。空の青と海の青が演出する開放感が勝っている。
「変なのー!」
井口と富井があちこちを指差しては、口々に叫ぶ。少しばかり前衛的なオブ
ジェ−−キリンを平面的にしたようなのや、透明人間が帽子を被っている雰囲
気のや――が園内に点在するのだ。
「制作者がいたら気を悪くするぞぉ」
勝馬が冗談めかした口調で言ったが、表情は真顔であるのが別の笑いを生む。
純子も皆と同じように笑っていたところ、その拍子かどうか、帽子が飛んだ。
「あ」
風に乗り、帽子は海の方へ流される。
人目も忘れ、純子は駆け出した。距離はまだまだあると頭では分かっていて
も、早く追い付かなくちゃと気が焦る。相羽や唐沢達まで走り出した気配が感
じられた。
しかし、海の近くの風はなかなか悪戯好きのようで、次の瞬間、純子の帽子
を一段と高く舞い上げた。すると。
「何てこった」
立ち止まり、見上げながら、まず唐沢が口を開いた。視線の先には無論、ピ
ンク色をした帽子が。
問題なのは、その帽子の状態だ。バイオリンか何かを模した物だろうか、そ
れとも雪だるまに電信柱を突き立てたとでも表現しようか、とにかくそういっ
た感じの白いオブジェの細くなった先端に、帽子は見事、引っかかっている。
地上からの高さは、四メートルはありそう。
八人全員がオブジェの下に集まる。
「登っていいのかな」
オブジェのメタリックな表面に触れながら、ぼそっとつぶやいた相羽。
「だめでしょ」
即断するのは町田。
「登っていいのなら、小さな子供が遊んでいそうなものだわ」
「そういう問題じゃないと思うぞ。登ったら危ない」
唐沢が口を差し挟むも、町田は「同じことよ」と言って取り合わなかった。
「係の人か誰かに知らせたら……」
遠野がもっともなことを提案する。が、辺りをざっと見渡しても、近くにそ
れらしき詰め所はない。
「出入り口近くにあるはずだけれど、そんなことしてたらまた飛ばされるかも
しれないな」
そう言ってからの相羽の行動は早かった。
靴と靴下をいっぺんに脱ぎ捨てると、オブジェの出っ張りや穴ぼこを利用し
て登っていく。下部の丸味を帯びた箇所こそやや苦戦したが、細い棒の部分に
たどり着いてからはするすると行く。
と、そこに到った相羽の姿を見て、純子はようやく声を出せた。
「危ないわ! 無理しなくていいのに!」
「無理じゃないよ」
短く返事して、相羽は帽子に手が届く高さまで来た。
「き、気をつけて」
純子だけでなく、富井達女性陣が声を出す。この頃になると、周りの人達も
異変に気付き、注目し出すのが分かった。ざわめきがじわじわと、絨毯にこぼ
した水のごとく広がる。
「早くした方がいいぜ」
唐沢と勝馬がうなずき合う。そこへ町田の非難の言葉。
「そんなこと言ったら、相羽君が焦るでしょうが。余計なこと言うぐらいなら、
静かになさいっ」
やり込められた唐沢が、一瞬、口元をむずむずと動かしたが、結局何も言い
返さなかった。納得したに違いない。
この間にも相羽は慎重かつ素早く行動していた。下を一度向き、足場の安定
を確認してから、再び見上げるとともに右手を伸ばす。
と、指先が届いた。人差し指と中指とで鍔を挟む。
が、そのまま引いても簡単には取れない様子。どうやら、先端部には何らか
の突起があって、邪魔をしていると思われる。
「無茶しないで! 人、呼んでくるっ」
−−つづく