AWC 【OBORO】 =第3幕・散花哀詩=(5)  悠歩


        
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★タイトル (RAD     )  98/ 5/16  20:54  (200)
【OBORO】 =第3幕・散花哀詩=(5)  悠歩
★内容
「ごれまで、で………」
 異形の者たちと戦うことを宿命づけられた、朧の血。
 だが戦うこと以外に、もう一つ宿命づけられた朧の末路があった。
 朧の力を使い続けた者は、その力が尽きると同時に自らが異形と化す。異形と
成った者に、人としての記憶は残されない。欲望のまま殺戮を行う、かつての彼
女の敵と何ら変わりない存在に成るのだ。
 異形と化した自分の始末を、麗花は美鳥へと託していた。だがそれを果たすた
めに美鳥がどれだけ辛い想いをするか、実の妹を手に掛けた麗花には容易に想像
が出来た。
 まだ生きて、異形の者たちと戦い続けなければならない妹に、可能な限り麗花
は重荷を残さず死にたい。
 消え入りそうな意識を懸命に保ちつつ、麗花は隠し持っていた鋏を握りしめた。
麗菜との戦いに使おうと、持っていたものではない。異形の、完全体に近い麗菜
にこんな武器は何の役にも立たない。この鋏は麗菜との戦いの後、自らの命を断
つために用意していたのだ。
 急がねば。
 完全に異形と化してしまえば、鋏如きではかすり傷一つ、残すことも適わない。
元より欲望に支配されて、自ら死のうという考えなど失せてしまうのだが。だか
らこそ、異形と成りきる前に喉を切り裂き、この炎の中に身を投じるのだ。人間
であるうちなら、それで充分死に至る。数刻の猶予もない。麗花は鋏の先端を自
分に向け、力一杯に喉を突こうとした。
 が、鋏の先端の冷たい感触が、麗花の喉に届くことはなかった。麗花の手は、
そこに込められた以上の別の力によって、遮られていたのだった。
「聞きたいのなら、話してあげるのに………」
 麗花の自害を阻止した者の穏やかな声が、耳に届く。
 有り得ないことだ。
 焦点の合わぬ麗花の目が、朧気な人影を捉えた。まだ完全ではないとはいえ、
異形と変わりつつある麗花の力は常人が数人掛かりでも止められるものではない。
なのにその人物は、女性であるにも係わらず右腕一本で麗花の手を止めているの
だ。
 腕を片方しか使わないのも当然であろう。その人物には左腕が胸の辺りから失
われているのだから。彼女は片腕であっても、半異形化した麗花の力を上回って
いるのだ。
「ゾ………ゾンダ、バガダ………」
 相手の姿をはっきりと見て取ることの出来ない麗花であったが、その正体はす
ぐに分かった。いまこの場にいるのは、麗花の他には屍となったはずの麗菜だけ
なのだから。
「驚いた? 心臓を吹き飛ばされたくらいでは、私は死なないよ。あなたがこう
するだろうと、初めから予想してたわ。でもね、敢えて私は攻撃を受けたの。そ
して分かったわ………あなたがあくまでも朧の宿命に殉じようとしていることが」
 麗菜の声には、感情の高ぶりは全くなかった。もっとも麗花は聴覚も異形のも
のへと変わりつつある過程で、正常に働いている訳ではなかったのだが。
「それにしても………醜い姿だわ。あなたにも見せてあげたい。いまのあなたの
姿をね」
 くい、と麗菜の手に力が込められた。すると麗花の握っていた鋏が、いとも容
易くその手から離されてしまう。
「このまま、あなたがあなたの敵である、異形の姿に変わっていくを見物してて
も面白いんだけどね。それではお話しも出来ないわ」
 そう言って、麗菜は麗花の手を解放した。自由になった麗花だったが、全身を
襲う苦痛のために反撃する余裕はなかった。自分の最期の役目にと決めていた、
麗菜の始末を果たせなかった悔しさ、そのまま異形へとなっていくのを待つ苦痛
で、麗菜は床に伏して震えた。
 そんな麗菜の前に何かが差し出された。麗菜の掌である。その中央のくぼみに
は、何かが載せられている。液体のようだ。
 色を失った麗花の目では、ただ黒いものとしか映らなかったが、その嗅覚は鉄
臭い匂いを捉えていた。
 幾度となく、異形と化した者が起こした惨劇の現場に立ち会ったことのある麗
花。それが血の匂いであることは、すぐに分かった。
 差し出された手は、更に麗花の顔へと寄せられる。そして口元に押し付けられ
ると、その上の液体を麗花の喉に流し込もうとする。その異常な行動を、麗花は
拒むことが出来なかった。むしろ自らが望み、その液体を啜った。
「ア、アアアッ………」
 液体が喉を通り、胃に落ちていくのが分かった。その喉越しに、麗花は震える。
 快楽。
 鉄臭い液体が、これまで体験したことのない、至上の喜びを麗花に与える。快
楽と共に、全身を襲っていた苦痛が嘘のように退いていく。
「私の血は、美味しいかしら?」
 顔を上げた麗花の目には、こちらに微笑み掛ける麗菜が映る。失われていた色
が、ゆっくりと甦る。
 肩口から夥しい出血をしながらも、麗菜は穏やかに佇んでいた。残されている
右手で、傷口から溢れ出ている血を掬い取り、自分の口元に運ぶ。
「あまり、美味しいものじゃないみたいね」
 唇を紅ではなく、自らの鮮血で染め、麗菜は言った。
 麗花に与えられたのも、麗菜の胸の傷から流れている彼女の血だったのだ。
 朧の力を使ったがために、異形へと変わって行く者を止める手だてはない。し
かし一時的に、それを遅らせる方法はあった。それが自分以外の朧の力を持つ者
の血なのである。
 麗花が発作を起こす度、美鳥の血を口にしていたのはそのためだった。だが美
鳥の血によって引き延ばせる、麗花の時間は既に限界に達していた。あるいは美
鳥より力の強い者、音風の血を口にすればまだ多少の引き延ばしは可能だったか
も知れない。しかしそれでも、延ばせる時間は微々たるものだろう。まして異形
にと変貌して行く過程の者の時間を引き延ばせるとは、麗花の知る限りでは不可
能なはずだ。
「驚いたみたいね。つまり私の力は、音風ちゃんよりも遥かに上、ってことよ」
 麗花の考えていることなど、全てお見通しなのだとでも言いたげに麗菜は笑う。
「とにかく、これで少しだけあなたにも時間が出来た………話してあげるわ、う
うん、あなたには知る義務がある。九年前、あなたが居なくなった師岡の家で、
何があったのかを」
 四囲はすでに、燃え盛る炎に取り囲まれていた。
 降り注ぐ火の粉によって、麗菜の衣服も燃え始めていた。が、麗菜はそれを気
にすることもなく、静かに語りだした。



「麗菜、起きなさい」
 部屋の外から、麗菜を呼ぶ母の声が聞こえた。感情を失った母の、抑揚のない
声が。
 今夜もまた、麗菜にとってはただ苦痛でしかない時間がやって来たのだ。
「今日も、行かなくちゃだめなの?」
 麗菜はわずかばかりの期待を込めて、ベッドの中から眠たそうな声で、母の呼
びかけに答える。本当に眠たかった訳ではない。時刻は既に午前零時を過ぎてい
たが、今夜も来るかも知れない苦痛のときへの不安で、眠ることなど出来ないで
いたのだから。
「だめよ、お父さまがお待ちかねなの。急いで」
「でも………今日は、兄さまもいるのよ?」
「急ぎなさい」
 頑ななまでに急かす母にの言葉に、それ以上の抵抗は無駄であると知った。
11歳の少女は、己を待つ過酷な運命へ向かうため、重い身体をベッドから起こ
した。
「どうか、兄さまには知られませんように」
 窓から、暗い夜空に浮かぶ星々に祈る。他に希望のない生活の中で、兄雅人の
存在だけが、いまの麗菜の支えであった。そんな兄にだけは、夜な夜な繰り返さ
れる『儀式』のことは知られたくなかった。

「何をしている、早く入って来い」
 布団の上であぐらをかいた父が、廊下に立つ麗菜を呼ぶ。
 麗菜には、はだけたパジャマの前から見える父の胸が、とても汚らしいものに
思えた。
「でも、兄さまがいるから………」
 せめて今夜だけは『儀式』を中止させたくて、麗菜は最後の抵抗を試みる。た
がその願いが聞き届けられることはなかった。
「雅人なら、もうとっくに寝ている。つべこべ言わず、早く来るんだ」
 麗菜を恫喝するように、恐ろしい視線を向けて父が言った。
 姉、麗花を朧月の家に売り渡したときには、あんなに卑屈だった父。それが麗
菜や母の前では尊大な態度をとる。
 麗菜は諦めて部屋に入り、後ろ手で障子を閉めた。父に何を言っても、『儀式』
が中止されることはないと悟ったからだ。下手に抵抗してみたところで、暴力的
に扱われ、かえって辛くなるだけだ。
 『儀式』が始まったのは一週間ほど前、麗菜の身体の変調をきっかけにしての
ことだった。
 麗菜は11歳で初潮を迎えた。
 麗花を朧月家の養子へと売り渡した日から、罪の意識のためか少し情緒不安定
になっていた母だが、家族の中で麗菜以外唯一の女性である。麗菜はそのことを
母へ伝えた。そして母の口を通じて、麗菜が初潮を迎えたことは父にも知らされ
たのだ。
 その夜、両親の寝室に呼ばれた麗菜を、父は『儀式』と称して力尽くで抱いた。
「仕方ないのよ。分家で薄まっているとはいえ、師岡も朧の血をひく一族。これ
はその血を守るための大事な儀式なの」
 ことが済んで、恐怖と痛みに泣きじゃくる麗菜に、母が言った言葉。麗菜が父
に組み敷かれているあいだ、助けを求める声に感情のない笑みで応え、ただ見つ
めているだけだった母の言葉。



「チチニ………」
 麗菜の血によって、異形化が一時的に止まってはいたが、元の姿に戻った訳で
はない。言わば、半異形状態の麗花の喉は、人間の言葉を発するのには適したも
のでなかった。
「そう、あなたと同じよ」
 冷めた麗菜の笑顔が、麗花にと向けられる。まるで麗花たち、朧月の姉妹の身
に起きたこと、全てを知っているのだと言いたげに。
「朧は、血を守ることに固執し過ぎた。その果てが忌まわしい、『儀式』と称す
る近親相姦よ」
 その時初めて、麗菜の表情から笑みが消えた。代わりに、激しい嫌悪の色がそ
の表情を支配する。
 朧の一族は、その能力者の血を保つことに拘り続けた。異形の者たち、そして
その完全体と戦うために、いつの時代にも強い朧の使い手を排出しておく必要が
あったのだ。朧の力は女児にしか顕現しない。そのためなのか、朧の家系では男
児出生率が低いのだ。その中で朧の血を濃く残そうとすれば、必然的により近い
男女間での交わりが起こる。それが一族として名も血も守らず、市井の中に交わ
りその身を同化させたもう一つの【日龍】とは異なる。
 つまりは麗菜の身に起きた忌まわしい出来事は、師岡の家に限られたことでは
ないのだ。本家である朧月家でも当然の如くに行われて来たことだった。
 麗花は思い出していた。朽ち木のような肉体に、組み伏せられる自分の姿を。
実の父親に手込めにされて泣く美鳥を。血の海の中、呆然と佇む音風を。
「そんなことをしてまで、朧の血を守る必要があるの? 朧の血を守ることに、
どんな意味があると言うの? 異形と戦うため? ばかばかしい………人として
の道を踏み外した朧と異形に、何の違いもないじゃない。朧も異形も、元は同じ
………自分の身を犠牲にしてまで、朧の宿命に生きることに、何の意味もない」
 麗花に向けてなのか、それとも自分に言い聞かせているのだろうか。麗菜の言
葉に、熱が込められる。
「さあ、今度こそ最後のチャンスよ。私の血をもってすれば、あなたを元の姿に
戻すことも可能だわ。こちら側に来なさい」
 そう言って、麗菜は右手を差し出す。ただし先ほどよりは若干の距離を置き、
その視線もぬかりなく麗花の動きに注意を向けているようだった。不意打ちも、
二度は喰らってはやらないと言うことだろう。
 麗菜の言うこともよく分かる。他ならぬ麗花自身、その身をもって朧の血を守
るための、おぞましき『儀式』を体験したのだから。そしてその結果として、朧
月家で起きた惨劇。麗花と妹たちに残されたものは、心の傷だけ。
 正直に言って、麗花にも朧の宿命に拘る理由など分からない。どうして自分た
ちが己を犠牲にして異形と戦わなくてはならないのか。
 血の因縁。
 言葉にしてしまえば簡単である。が、それで納得出来るものでもない。麗花と
て、一人の女性としての人格がある。人として幸せを求めたいと思う。それを踏
みにじったものこそ、朧の血に他ならない。
「分かっているでしょ? あなたが朧月家に売られたのも、全ては仕組まれたこ
と。父の仕事が上手く行かないよう、あの老人が手を回していたのよ」
 そのことも麗花はとうに知っていた。
 朧を憎む理由こそいくらでもあるが、自分の命と引き替えにして宿命に従う理
由はない。だが………
「ワダシハ、レイカ………オボロヅキレイカ」
 そう答えると、半異形化した喉で麗花は遠吠えをした。
 全ては仕組まれたことではあっても、いまの麗花は朧月の三人の妹たちの姉で
ある。妹たちを愛している。だからこそ、肉親との戦いを自ら望んで出たのだ。
「そう、それが答えなのね。残念だわ」
 一瞬、悲しげな目をした麗菜だったが、すぐに厳しい表情へと変わる。もはや
笑みを浮かべ、余裕を見せることもしない。実の姉麗花と、本気で戦うつもりだ。
 朧の力に於いては、麗菜の方が遥かに上である。ビルの屋上での戦いに見せた、
異形としての力も気になる。まして半異形化した麗花には、朧の力は全く使えな
い。




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