#4451/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 3/31 11:45 (186)
そばにいるだけで 21−8 寺嶋公香
★内容
三月に入って最初の日曜日。
AR**三度目の撮影のある日だ。
天気は見事なまでの晴れ。だけれども、今日はスタジオ撮影なので、あまり
関係ないかもしれない。あまりと言うのは、関係者に与える気分的なもの。そ
う、乗りの問題があるから。
晴れている方がご機嫌だという人は多いだろう。
ただし、純子の本日の精神状態に、天気は全く関係ない。
何故なら、延ばし延ばしにしてきた返事を、今日はしなくてはいけないかも
しれないからだ。
純子はしかし、まだ迷っていた。
(事務所……どうしよう。コマーシャルの反響もまだよく分からないのに)
撮影が一段落して休憩になったというのに、久しぶりに顔を合わせた斉藤ル
ミナとのお喋りも、少々身の入らないものになってしまう。
「試験近いのに、大変――聞いてる?」
「え?」
天井のライトを眺めていた視線を戻すと、隣の大きな椅子に腰掛けるルミナ
の不機嫌そうな顔にぶつかる。純子は即座に頭を下げた。
「ごめんなさい、聞いてなかった」
「謝ってほしいんじゃないよ。どうかしたの。さっきから変」
「何でもない。話の続きは? ちゃんと聞くから」
「私は純子ちゃんの態度の方が気になり出したの。だから白状しなさい」
何が「だから」なのかよく分からなかったが、ちょうどいい機会かもしれな
いと思った純子。
(ルミナちゃんからアドバイスがもらえるかも)
期待しつつ、事務所に所属したらどうかと言われていることを打ち明けた。
「なーんだ。そんなこと」
つまらなさそうにルミナは天を仰いだ。足をぶらぶらさせるが、成長の急な
年頃のせいか、靴底が床を擦っている。
「そんなことって、重大問題だと思うんだけれど」
「重大なのは確かよね。でも、するかしないか、迷ってるだけでしょ。悩んで
るんじゃなくて」
「……言われてみればそうかも」
ルミナの口からやけに理屈っぽい話が出て来たので驚いてしまった。その感
情が顔にも出たらしく、純子がしばらく見つめているとルミナの方は舌先を覗
かせた。
「これ、英兄の言葉の受け売りよ。悩みと迷いをごちゃ混ぜにするなって。う
るさいんだから」
「はあ」
生返事をして、ルミナの兄の姿を視界の端で捉える。斉藤英弘は他の人達と
雑談だか打ち合わせだかをしていた。
「それで純子ちゃんは、やる気あるんでしょ」
「……どちらかと言えば、ある方になるのかな。今しかできないだろうから、
やってみようって思ってる」
「お父さんやお母さんは? その気になってるのかしら?」
「うーん、はっきりしない感じ。相談はしてるのよ、もちろん。だけど、基本
的に、私のしたいようになさいってことになって」
「いいじゃない。羨ましいな、自分の気持ち一つで決められるのって」
自分自身はあまりうまく行っていないためだろう、ルミナは心底憧れるよう
に目を輝かせた。
「でも、まだ踏ん切り着かなくて、結局迷っちゃってるの。他に相談できる人
もいないし」
「あれ? 相羽君ところは?」
「相羽君のお母さんもいい人なのは分かってるけれど、この話に限ったら事務
所に所属させたがってるみたいだから、ちょっと公平じゃない気がする……」
「そうじゃなくて、相羽君自身よ」
肩を揺さぶられて、純子はきょとんとした。
「どうしてあいつが相談相手に……」
「同じ年齢だし、こういう世界のことも少しは詳しいわよ」
「そう? 興味ないような感じもするわ。『天使は青ざめた』の出演者だって、
ほとんどうろ覚えだったし」
「ふうん、ドラマの話なんてするんだ?」
にこっと微笑むルミナ。
「仲がよろしいことですわね。おほほほ」
「そ、そんなんじゃないよっ」
ルミナの冗談口調に、真面目に反応した純子。直後に気付いたものの、顔を
赤らめてしまう。
「もう……」
「でさ、実際、相羽君には相談してない?」
「相談というか、話は聞いてくれた」
純子は事情をざっと伝える。
するとルミナは呆れたという風に口元を歪めた。もっともそれは一瞬だった。
しわができるのを恐れたのかも。
「それを相談て言うんじゃないのかしら?」
「そうかなあ? だとしても、結局はうちの両親と一緒だもん。私の気持ち優
先してくれるのはいいけれど……こっちは他人の考え方を聞きたいのに」
「分からないでもないわね」
ルミナは髪を何度かかき上げ、しばらく沈黙した。
純子が待ちきれなくなる頃、やっと口を動かす。
「学校生活、犠牲にする気はある?」
「え? それは少しぐらいなら」
「事務所に入ったらね、最初の頃は売り出すために何でもかんでも仕事を引き
受けるケースが多いの。そのおかげで学校を休むことなんて、何回も何十回も
あるわよ」
「断れない?」
ようようのことで先輩らしいアドバイスをもらえて、純子は感謝しながら質
問をした。
対するルミナも、真剣に応じてくれる。
「仕事を? まず無理ね。無名の新人を抱えてるだけじゃ、ただの置物を持っ
ているのと一緒。儲けるために、先行投資……だったっけ。あはは、難しい言
葉は分からないけれど、とにかく、お金をかけて新人を外に売り込むんだから。
踊りや演技、歩き方や歌なんかのレッスンもあるしね。しょっちゅう仕事を断
るようなわがままな新人は、手に負えないんじゃないかなあ」
そこまで言うと、ルミナはにっと笑った。
「今日、スタジオでの撮影にしてもらえたのは、運がよかったわ」
「ああ、そっか」
「学校が大事だったら、無理に所属することないわよ。劇団だったら、学校行
きながらでも参加できるとこもあると聞いてるけど、相羽君のお母さんが言っ
ているのは、そういうんじゃないようだし」
純子は今度は本当に悩み始めた。
(学校は普段通りに行って、休みのときだけ……ってわけにはいかないのね、
やっぱり。あーあ、もしも私が大人気の子役だったら、少しはわがまま聞いて
もらえるのかな? そんなの、ありっこない)
純子が深刻な表情をしたからだろう、ルミナは元気づけるような口調ととも
に、肩に手を乗せてきた。
「純子ちゃんなら大丈夫。事務所に入らなくたって、AR**の仕事はきっと
来るよ。小栗のおじさん、あなたのことを気に入ってるみたいだから」
「そんなことないよー」
「そんなことあるのっ。私だって、ライバルと競争して、やっとのことで使っ
てもらえるようになったんだからね。オーディションなしで使われるなんて、
自分に自信、もっと持ちなさいよ」
「そうなんだ?」
敢えて励まされるまでもなく、ちょっぴり自信が出て来た。
(じゃ、じゃあ、今まで通り、声を掛けてもらったときだけAR**さんの仕
事をする−−これでいいんじゃないかしら?
でも……それにしては、相羽君のお母さんから熱心に進められる理由が、よ
く分からないような気もするのよね。他から仕事の依頼が入るなんて、本当に
あるの? この前の『ハート』は例外。信じられないわ)
思考に没頭していると、ルミナの手に身体を激しく揺さぶられた。
「純子ちゃん、続き、始まるんだって!」
「あ、はい」
状況を理解し、背筋をしゃんとして立ち上がった。
本日予定されていた撮影が全部終わって、時刻は昼過ぎを迎えた。
ルミナや他のスタッフと別れ、相羽の母と二人だけで昼食に向かう約束にな
っている。無論、内密の話をするために違いない。
「純子ちゃん、そろそろ出られる?」
控え室の外から呼ばれた純子は最後の身仕度を整えながら、即座に返事する。
「はい。あ、でも、ちょっと……お手洗いに」
「分かったわ。先に駐車場へ行ってていいかしら?」
「どうぞ。すぐ追いかけます」
かすかに聞こえ、遠ざかっていく足音に、心持ち急く。
前髪を指で直して、ポシェットを肩に掛け、部屋を出るとトイレに向かった。
用を済ませて手を洗っているところへ、誰かが入ってくる気配を感じた。
−−いや、違う。
面を上げて眼前の鏡を通して見ると、個室から同じ年頃の女の子が出て来た
ところ。その子の外見ではオレンジ色のベストが際立っており、真っ先に視線
が行く。眠そうな目に丸っこい眼鏡を掛けていて、頭には濃い緑のスカーフ。
「あ」
目があってしまって、純子は慌てて顔を伏せた。
(どこかで見たことある気がする?)
手を洗うのに専念する風を装い、頭の中では一生懸命思い出そうとする。
(でも、知り合いじゃない。ということは……芸能人かも)
当たりを付けるのを見透かしていたように、隣の洗面台に立った女の子が話
しかけてきた。
「あなた、誰?」
唐突な質問に、純子は面食らって真っ正直に答えようとしたが、それより先
に相手が続けた。
「見かけない子ね」
相手に、手を洗おうとする動作は見られない。じろじろと熱心に純子の観察
を続けている。
純子はカランを捻って水流を止めたが、手を拭くのは忘れて、相手の名前を
思い出そうと努める。この至近距離、しかも正面から見て、すぐに分かった。
「あの……加倉井舞美(かぐらいまいみ)さん?」
加倉井は子役のマルチタレントとして活躍している。彼女の顔がテレビに映
らない日はないぐらいだ。
その名を呼ばれた女の子は、しばし無言を保った。
「ま、間違ってたら、ごめんなさいっ。でも、よく似てるから」
「今頃気付いたの」
一転して呆れ口調の彼女は、スカーフに手をやりかけてストップ。手を洗っ
ていないのを思い出したらしく、素早く済ませる。
そして改めてスカーフと眼鏡を取った。
「そうよ、加倉井よ」
「やっぱり……あ、あの、テレビで観てます」
特にファンという訳ではなくても、テレビに出るような有名人と遭遇するの
は初めての純子は、お辞儀をした。そして逃げるようにきびすを返す、が。
「待ちなさいよ。ここのトイレ使ったってことは、あなたもタレントか何かや
ってるんでしょう?」
「え……ええ」
扉のところで足を踏みしめて止まり、振り返って答えた。
加倉井の方はと言えば、値踏みするかのようにしげしげと見つめてくる。
「やっぱり、見覚えないわ。事務所でチェックしてるんだけどな。新人ね?」
「えと、新人と言うか」
アルバイトですと続けて答えたかったのだが、加倉井はせっかちなのか、口
の回転が早い。
「名前は? 芸名よ、もちろん」
純子は口ごもるしかない。
(芸名なんてないよー。本名だって出さないようにしてきたんだから、あんま
り言いたくないし、言っても意味ないわ)
切羽詰まって、
「名乗るほどでは……」
なんていう変な受け答えをした。
当然、相手は怪訝そうに眉を寄せた。
「何なの? どこの子よ、あんたって」
−−つづく