AWC 終天と始天  1   永山


        
#4227/5495 長編
★タイトル (AZA     )  97/11/30  22:15  (137)
終天と始天  1   永山
★内容
 私が手に取った本は、確かに青い背表紙だった。
 ところがそれを差し出すと、門馬先生は白い物の目立つ眉を寄せ、怪訝な顔
をされた。
「阪谷君、それじゃあないよ。僕が言ったのは、君の右にある、もっと分厚い
やつだ」
「えっ。ですから私は、先生がさっきおっしゃった通り、右に積んであった本
の山から」
 弁解しながら、私は先生から見て右、つまり、私の左側にある本の山を指差
した。
「ああ、そうじゃない。僕は君の立場で物を言ったのだよ」
 先生は微笑した。口ぶりはつっけんどんだが、その表情は実に穏やか。学生
時代、何度ほっとさせられたことか。
「右と言ったのは、君から見て右の方だ。すまんすまん」
「あ、そうでしたか」
 私も笑顔で応じ、ご指名のあった重量感ある本を持ち上げ、先生へと手渡す。
 些細なことで小休止を迎えた引っ越し作業も、すぐさま再開し、いよいよ終
わりそうだ。先生の書斎に詰め込む書籍の数と言ったら、現役教師である私の
蔵書を遥かに凌駕しているだろう。敬服するばかりだ。
「よし、終わった」
 満足そうにうなずき、手をはたく門馬先生。その腰は少しも曲がっておらず、
かくしゃくたるもの。隠居なさるのがもったいないと思えてしまう。
「この整然とした状態が、いつまで続くかな。はははは」
 快活に笑い、額に手の甲を当てた先生に、私はタオルを渡した。自らも汗を
拭いながら、分野別にきちんと整頓されたスチール製の書架を眺める。よく運
び込んだものだなあと、我ながら感心した。
「お済みになりました? お茶が入りましたけれど、お持ちしましょうか」
 廊下から、軽やかな声が聞こえる。
 私は開け放したままの戸口を抜け、返事する。
「どうも。そちらへ行きます」
 礼子さん−−先生のお嬢さんは黙礼を返し、引っ込んだ。
 既婚女性をお嬢さんと表現するのは失礼かもしれない。しかし習い性となる
とはよく言ったもので、少なくとも心中ではお嬢さんと呼んでしまう。
「先生」
「うむ、聞こえたよ。行こうか。手伝ってくれて、ありがとう」
 悠然とした動きで身体の向きを換え、門馬先生は歩き始めた。先生を先に送
り出し、扉を閉めてから私も続く。
 食卓には日本茶と和菓子が並んでいた。湯気の立つ茶碗からは、茶のよい香
りが豊饒に漂ってくる。栗羊羹も、実においしそうな色を見せていた。
 お茶をいただいた上、礼子さんからも労いの言葉をかけてもらい、疲労感も
消し飛んだところで、先生からありがたい話があった。
「阪谷君。天文部の顧問はまだやっているのかな?」
「え、ええ。私には合っていると思いますし」
 高校教師である自分が、単なる趣味人のようになって生徒と接することので
きる、数少ない機会がクラブ活動だ。やめろと言われても、やめたくない。
「合宿、やってるか?」
「まあ、夏には部員のほぼ全員が揃って学校に一泊し、天体観測を行っていま
すが」
「学校とはつまらん。空気のきれいな地に出かけての合宿はどうだね」
「いやあ、時間的な問題もあって、顧問になって以来、まだ一度しか……。そ
れも若いときに」
 気恥ずかしさで語尾を濁す。
 先生は身を乗り出された。
「ここを合宿所に使う気はないかな?」
「は? 何と……」
「耳が遠くなったか、阪谷君? 僕より若い癖をして」
「い、いえ、そうではありません。意表を突かれたので、聞き間違いでないか
と。確かめたいのです。この先生宅をうちの部の合宿に使ってもよいというこ
とですか」
「その通りだよ。遠慮するな。独り身には少々広い家を建ててしまったと、後
悔しておるんだ。僕はにぎやかなのも好きだからね」
「はあ、しかし……」
 礼儀として遠慮しているのではない。
 場所の問題が頭をかすめたのだ。何しろ、我々が今いるのは、南海の孤島と
言ってもいい地理にある。近隣の県からでも船で二時間余りかかる。無論、飛
行機なんて無理だ。離着陸のスペースがないのだから。
「泊まり込みでどうだ? 時間が取れるなら、一週間でもいていい」
「本当ですか? いえ、まあ、一週間は無理でしょうが」
 私は頭の中で計算する。数日の泊まり込みが認められるのであれば、そこそ
こ費用をかけても来る価値はある。何故なら、この島からは、日本本土からは
臨めない星座が観測できるのだ(だからこそ、門馬先生もこの地に隠居のため
の屋敷を建てられたのだが)。なかなか魅力的と言っていい。
「三泊四日……は生徒達が無理かな。二泊三日でよろしいでしょうか」
「短いぐらいだよ。まあ、生徒諸君らと話し合わねばならないことも多々ある
だろう。都合が着けば、いつでも言ってきなさい。今日言って、明日すぐなん
ていうのはお断りだがね」
 先生の珍しい冗談に、私は思わず頬が緩んだ。

 部活動の時間に我が恩師からの話を提示すると、部員のみんなは程度の差こ
そあれ、一様に嬉しそうに笑った。
「本当に泊めてもらえるんですか?」
 手を挙げて質問してきたのは、二年生で副部長の渡辺早織。目を細めたのは、
窓から射し込む夕日がまぶしいためか。
「ああ。それも一人に一部屋ずつもらえるぞ、多分」
 自分の家に招くでもないのに、我がことのように胸を張ってしまった。少し、
自制しなきゃいかんなと思い直し、こほんと咳払いをする。
「どんな大きな家だよ?」
 椅子に横座りをした姿勢で、二年生の苫井良三が声を上げた。質問ではない
らしいが、いい機会なので答えることにする。
「平屋建てなんだが、南館と北館の二棟がある。個人が使える部屋は、各館と
も七つ。我が天文部の一、二年生部員がお邪魔しても、満員にならん」
 三年生は受験体勢に入っているから、不参加は明白。
「あの、阪谷先生。いいでしょうか?」
 小さな声の尾藤由加。さすがに一年生は控え目だ。
「何だ、尾藤?」
「はい。全然関係ないことなんですけど……先生の恩師の方って、南の島に、
どうしてそんなお屋敷みたいな家を建てられたのでしょうか?」
 細かい点にこだわった質問が、いかにも尾藤らしいなと感じつつ、私は微笑
した。
「実は、門馬先生の娘婿−−分かるな? 先生のお嬢さんの婿さんだ」
 私のくどい説明に、部長の堂島秀郎が「分かってますって」と、苦笑混じり
の合いの手が入る。
「西牟田靖之さんと言うんだが、その人が建設関係の会社の、いわゆる偉いさ
んでな。損得勘定を抜きにして、門馬先生の要望以上に立派な家を建てた訳さ」
「はあ……分かりました」
 尾藤は長い髪をいじって、まだ不思議そうにしていた。
「それでだな。再来月になると三連休があるだろう? 日程としては、その辺
りがいいと思うんだ。流星群の時期と重なっているし、私もちょうど時間が空
く。みんなはどうだろう? 少なくとも、前後に大きな試験はないから、その
点は気が楽じゃないかな」
「それはそうですけど……お金、かかるんじゃないですか?」
 すぐ目の前の席に座る一年生、海聞剛が上目遣いになって聞いてきた。普段
の部活で無駄なお喋りをよくしている彼が、今度の合宿に興味を持っているら
しいのは嬉しいことだ。
 私は一人当たり必要とする費用をざっと話してから、続けた。
「その、君らに気を遣わせる訳ではないが、半分は門馬先生が出してくださる。
ただし、食費は別。我々の方で持ち込み、自炊だがな。悪い話じゃないだろう」
「うん、それぐらいなら、出せる」
 一人前に腕組みをし、うなずく海聞。他の部員、主に一年の女子部員達がく
すっと笑った。
「費用の話は、ありがたく思いますよ。でも、こういうことはやはり、親の許
可がいりますから」
 堂島が落ち着いた調子で口を開く。と、それを苫井が鼻で笑うような仕種を
見せた。苫井は親の許可なんて眼中にないのかもしれない。困ったものだ。
 私は手を一つ打ち、皆の注意を惹き付けた。
「じゃあ、こうしよう。私は全員参加を望んでいるが、その気のない者や都合
の悪い者を無理に引っ張って行くつもりはない。行く気のある者は、家族の者
にきちんと話して、許可をもらって来い。日程がどうしてもまずいという者が
多数いれば、考え直すが、基本的には再来月の三連休だ。各人、参加か不参加
か、決まったら私のところに言いに来てくれよな。まあ、次の部活のときでも
かまわないが、なるべく早めにしてくれ」
 生徒達はうなずいた。
 こうして見ていると、素直な子ばかりなんだがな。
 そんな思いを払拭し、私は次の話題に移る。
「合宿の観測計画、だいたいでいいから、みんなで話し合っておいてくれ。そ
れで今日は、前回の続きで……」

−−続く




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