#4220/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/11/30 12:35 (200)
そばにいるだけで 17−2 寺嶋公香
★内容
「相羽さんのところとは仕事上、つながりがあってね、助かったわ。それにし
ても、灯台もと暗しとはこのこと」
「え?」
「いえ、こっちの話。それじゃ、先に紹介をしちゃおうか」
と言って、市川は左手で居並ぶ人達を示した。
「最初に、美生堂の宣伝部部長、中垣内(なかがいち)さん。言うまでもなく、
美生堂は『ハート』を作っている会社よ」
「は、はい。初めまして、涼原純子です」
緊張が抜け切らぬまま、機械仕掛けのような動作で頭を下げる。
中垣内とは、白髪女性のことだった。穏やかな笑みを見せ、黙って会釈して
くれた。
次に紹介されたのは、紫のサングラスをかけた男性。
「うちのCFディレクターの東海林吾郎(しょうじごろう)さん」
横文字で職業を説明されても、純子にはいまいちぴんと来なかった。
(市川さんがプロデューサー、東海林さんはCFディレクター……)
心の中で復唱し、覚えるので精一杯だ。
東海林が市川に対して、「『さん』付けなんて、明日は雪が降りますよ」と
言っているところを見ると、市川の方が位は上らしい。
「よろしくお願いします」
「はい、よろしく」
東海林は片手を人差し指と中指だけを立てた状態でかざし、きざっぽく返し
てきた。
紹介の最後は当然、色白で額の広い人だ。
「同じくうちの杉本君。PM……プロダクションマネージャーね」
「僕はやっぱり、『君』付けですか」
情けない調子で言う杉本は、急に純子へと向き直り、人のよさそうな笑顔を
見せた。
「よろしく。君に決まったら、一緒に仕事するけど、ここでの決定権は全然な
いのよ。偉そうな職名だけど、要するに雑用だから」
「は、はあ……」
「こらこら、タレント相手に愚痴るんじゃないよ」
市川にたしなめられると、杉本は肩をすくめ、それでも笑みを絶やさないで
いた。
純子の方はと言えば、初めて「タレント」などと呼ばれてどきりとしたもの
の、和んだ雰囲気にようやく緊張感も解けてきた。
「よろしくお願いします」
「ああ、礼儀正しいなあ。さすが、僕が見込んだだけのことはある」
軽い口ぶりで続ける杉本。
「涼原さんを推薦したの、僕だからね。これだけは覚えといて」
「いい加減にしなさい」
市川の声の響きが変わった。それを敏感に察したらしく、杉本も真顔になる。
「それじゃあね、純子ちゃん。最初に写真、撮らせてもらうから。本職じゃな
いけど、杉本君が」
言われて立ち上がった。
様々なポーズ取りから始まって、スカーフやめがねといった小物を身に着け
たり、果ては髪の短い状態も見たいとかでかつらを被ったところ等を撮られた。
写真が終わったら、再び椅子に着き、四人から面接のような質問を受ける運
びに。その内容は仕事に対する意気込みや美生堂以外から出ている飲み物では
何が好きかといった、なかなかシビアなものもあれば、憧れている芸能人は誰
か、特技は何ができるかといったアンケートのようなものもある。
「コマーシャルに出るかもしれないわけだけど、あなたのご家族で反対してい
る方はいる?」
聞くのを忘れていたという風に、市川が言った。
「いえ、特にはいません。お母さ−−母は賛成してくれていますし、父も一応、
認めてくれたみたいです」
相羽君は内心では反対してるのかも……などと思いつつ、答える。
「そう、それなら問題なしね。−−他にありません?」
横に並ぶ三人を見渡す市川。
あまり口を開かないでいた中垣内が上品に手を挙げた。
「よろしいですか」
「もちろん、中垣内さん。どうぞ」
「−−涼原純子さん」
中垣内が視線を合わせて来るのへ、純子はいくらか瞬きをしてから応じた。
「はい」
「あなたには好きな人がいますか」
「え? えっと、どういう意味ですか」
コマーシャルの話とは縁遠そうな質問に、純子は戸惑い、瞬きの回数も多く
なる。
中垣内は目元だけ笑って、付け加えた。
「そのままですよ。憧れの有名人などという意味ではなく、身近なところに好
きな男の子がいますか」
「それは……」
「片想いでも何でもいいんですよ。それに何も名前を教えてとは言っていませ
んからね」
「……いない、ことになると思います」
「それは?」
純子の返答に、不思議そうに口を丸くする中垣内。他の面々は、面白がって
いる様子だ。
「頼りにしている人はいますけど、好きとかどうとか言うのとは違うし……。
あと、小さい頃に好きというか、気になった子がいたんですが、その子の名前
も何も知らなくて、ほんの短い間しか一緒にいなかったから……」
「ふふふ、なるほどね、分かりました」
満足したのか、中垣内は両手を机の上で組み、何度かうなずく仕種を見せた。
「片想いでもいい、恋する気持ちを知っているのは、大切なことだわ」
そうつぶやくのを耳にして、純子は誤解させてしまったかも、心中、慌てる。
(恋……って言うほどのものじゃないのに)
でもまあ、いいと思われているものをわざわざ否定する必要もないので、黙
っておく。
「採否の結果は、遅くとも一週間以内に連絡します。どきどきしながら、待っ
ててね」
おしまいに、市川にそう告げられた。
どきどき程度じゃ済まないよ、と純子は思った。
家庭科の授業の中止が告げられると、部屋にいた女子の三分の二は喜んだ。
自習になったから喜ぶ者と、苦手の家庭科をしなくて済むことを喜ぶ者との
二通りがある。両方の喜びを甘受している子もいるのは、言うまでもない。
「ラッキー。自習、何したっていいなんて」
「真面目に勉強する気?」
町田が言ったのへ、純子が笑みを交えて聞き返した。他のクラスは当然授業
中なので、声は小さめに廊下を行く。
「お、言いましたね。実は、考えていることが一つあるの」
秘密めかして、ウィンクまでする町田。
「何?」
「男子の格技、見学させてもらおうかなあってね」
「見学ぅ?」
大きくなりそうな声を、口を押さえ、慌てて封じ込める。
「どうしてまた、そんなことを」
「だって、男子が格技をやってるとき、私達は家庭科でしょ。どんなことして
るのか、見たくてもできなかったじゃない。今日はいい機会だから、見に行こ
う。純も行きたいでしょ?」
「別に。だいたい、体育の先生が許してくれるかどうか……」
「だめで元々。行こうよ」
手を引っ張られて、仕方なく同行する純子。
二人だけなんてと思っていたら、他にも来る子がいたので、ほっとした。よ
く見ると、四組の富井もいる。この時間は、二クラス合同の授業なのだ。
「郁江!」
武道場に通じる渡り廊下に出たところで、声をかけた。
「あ、純ちゃん、芙美ちゃん。考えることは同じなのね」
「私はどうでもいいんだけど、芙美が」
と、同じクラスの友人を指差す。
町田は薄ら笑いを浮かべた。
「郁はやっぱり、相羽君がお目当て?」
「そう言う芙美ちゃんこそ」
「私は門を広く開けておりますの。おほほほ」
わざとに決まっている笑い方をして、町田はとっとと行ってしまった。
慌てて追いかける。
すると、武道場の窓々に早くも人だかりができているのが見えた。
「これだけいるってことは、先生もオーケーしてくれたみたいね」
純子が安心してそんな感想をこぼしたのに、富井は勢いよく駆け出してしま
った。
(もう、しょうがないな)
一瞬立ち止まり、腰の左右に手を当て、苦笑する純子。
このまま引き返してもよかったのだけれども、ここまで来て見ないのも無駄
足になる。
どうせ暇だしと、純子もゆっくり、武道場に近付いた。
「どんな感じ?」
後方でつま先立ちしてもよく見えないので、前にいる町田らに尋ねた。
「今、寝技の練習中」
この学校では、格技は柔道と決められている。
「寝技……代わりばんこに押さえっこするのかしら」
「ちょっと違う。見たら分かるけど」
と言って、町田が場所を代わってくれた。
「ありがと。……何か、座ってる」
見えたのは、左右に二列ずつ、二人一組になっている男子達。今、向かって
右に位置する列の男子は背中合わせに座っている。各組の二人とも、足をだら
んと伸ばしていた。
(みんな、まだまだ柔道着が白っぽい。馴染んでないわね)
そんなことを思う。柔道着姿に違和感のない男子も一人二人いるが、その子
達は柔道部部員なのだから、似合ってるのも当たり前だ。
見守っていると、先生が手を打つ。それが合図だったらしく、背中合わせだ
った各組二人は、反時計回りに動き始めた。
しばらくこまねずみのような追っかけっこになるが、やがて素早い方あるい
は体力のある方が相手の背中に追い付き、畳の上に倒す。そしてそのまま、押
さえ込みの体勢へ。
ある組のどちらかが押さえ込みに入ると、その横で見守っていた練習のない
組の男子達が、数を数え始める。何秒間押さえ込んでいられるかを目算しよう
ということらしい。
(ふうん。こんな風にやるんだ?)
初めて見たので、興味を持ってうなずいた。
(そういえば、オリンピックでやってたっけ。弱くなったって言うけど、金メ
ダルを取れたのは柔道だけだったわ)
「相羽君、頑張れー」
授業中なので遠慮しているのか、中途半端な声量で応援する富井。
それにつられて、純子も相羽の姿を探した。
すでに先ほどの回は終わり、片方の列が一人ずつずれて相手を交代していた。
相羽の相手は、クラスでも一番大きい身体の子。素人判断でもよければ、い
かにも柔道向きな体格をしている。それ以上に、相撲向きかもしれないが。
「下手したら、潰されちゃいそう」
感想を口に出すのとほぼ同時に、合図があって寝技練習が始まった。
(わ、早い)
目にもとまらぬとは大げさになるが、相羽は確かに素早かった。
あっという間に相手の背中に回ると、襟を掴んでその巨体を転がし、覆い被
さった。女子のほとんどは知らないだろうが、「崩れ横四方」という形に入る。
(折角押さえても、あれだけ体格差があると、簡単に返され……ないわね。ど
うして?)
純子が訝るのも無理ない。
相羽は自分の倍近くはありそうな相手を、身動きさせずに押さえ込んでいる
のだ。相手の顔を右に向かせ、左肩を上から押さえつけることによって、完全
にコントロールしている。
「一本になったぞ」
横の組の男子が声をかけると、相羽はすぐに技を解いた。下になっていた男
子は、汗を浮かべて、参ったという顔つき。
(やるぅ。強いじゃない)
相羽のことを見直しながら、指先で小さく拍手をする純子だった。
その後も、相羽は寝技では負けなかった。力でねじ伏せるのではなく、早さ
と技術で封じ込めるような感がある。
でも、授業の最後にあった乱取りで、立ち技は得意でないらしいと知れた。
投げられてしまう展開こそ少ないが、自ら仕掛けに行くことはほとんどない。
狙う技も一つか二つ。
「あれもこれもできるってわけには行かないようよ」
純子が言うと、町田が同意する。
「うん、そうだね。もっとも、投げる方もうまかったら、柔道部に勧誘されち
ゃうよ」
「そんなの嫌だぁ。イメージに合わない」
根拠に乏しい反対意見を述べたのは富井。
「だから、下手でもいいの」
富井が手を合わせて言った矢先。
最後の最後で、相羽が立ち技で見事な一本を取った。
−−つづく