#4139/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/ 9/30 16:34 (200)
そばにいるだけで 15−4 寺嶋公香
★内容 16/09/05 04:47 修正 第2版
マンションに到着すると、来客用の自転車置場に自転車を入れて、ナップサ
ックを平行を保ったまま、前かごから取り出す。
それでも心配だったので、開けて覗き込んでみた。半透明の蓋を通し、中が
透けて見える。
「−−よし、無事みたいね」
偏りがないのが分かり、ほっとしつつ、建物の中に入った。
エビフライの匂いが漏れ出ているので、なるべくなら人に会いたくないなと
思っていたのだが、すでに夕飯の支度の時間帯だ。マンション内でも、あちら
こちらの部屋から夕げの香りが漂ってくる。様々な想像が浮かんで、かえって
純子の食欲が刺激されるほど。
(いけない。これじゃあ、お腹が鳴るかも。あんな恥ずかしい目は、一度で充
分……。早く帰ろうっと)
小学生の頃を思い出しながら、苦笑いを浮かべた。
エレベータで五階に着くと、ちょうど相羽が玄関を開けて、出て来たところ。
「へい、お待ちっ−−相羽君」
「あれ? もう来てくれたんだ」
道すがら思い付いたジョークを無視された形になり、顔を赤らめる純子。
(気付いてよー、もうっ)
「下に降りて、待っていようと考えたんだけど、一足遅かったか」
「−−はい」
両手で抱えた荷物をそのまま突き出したが、ナップサックごと渡すわけにも
いかない。一旦、胸元に戻し、ごそごそと中を探ってから、ピンク色のタッパ
ーを取り出した。
「これ」
「あ、ありがとう」
二段重ねになったそれを大事そうに受け取ると、相羽は中身を確かめる風に
目を凝らす。
「食べ終わったら、洗っといてね。明日、おかずを持って来たときに渡してち
ょうだい」
「うん。−−おいしそう」
「多分、味は大丈夫と思うわ。でも、不満があったら、ちゃんと言ってよ」
「はあ。作ってもらうだけで、感謝感激なのに」
遠慮がちな相羽に、純子は重ねて言った。
「ご飯はちゃんと炊けてる? 換気扇、回してるわね? ガスの元栓には注意
して、それから、えっと、洗い物は水に漬けてから、流すのが」
「−−あははは!」
「何がおかしいのよ」
肩を揺すって笑い始めた相羽に、純子は唇を尖らせた。
相羽は手にしたタッパーを落とさないために、身体を折って、笑いをこらえ
ようとしている。
「はははっ。いや、母さんと同じこと言ってるから。もう、見事なぐらい、一
緒でさ」
「そ、そう。だったら、言うまでもないわね」
顔が赤くなるのを自覚しつつ、早口になる純子。
「じゃあ、帰るから」
「あ、ちょっと待って」
一度、室内に戻った相羽は、タッパーを置いて再び出て来た。
「下まで送るよ。せめて」
「いいのに。火、着けっ放しになんかしてない?」
「してない。さ」
うながされて、エレベータに乗り込んだ。
「二人でエレベータに乗ったの、初めてだ」
フロアの表示灯を見上げながら、相羽がつぶやく。
「そう言えばそうね」
答えながら、急に意識する純子。
(二人きりなんだ、今の私達)
だからどうというわけでもないのに、沈黙はまずいと思い、話題を探す。
「あ、あのさ、何か新しいCD、ある? また貸してね」
「うん。まだ実際には買ってないけど、予定では−−」
相羽の台詞が終わらない内に、エレベータは一階に着いた。急ぎ足で飛び出
る純子。
「時間ないんだ?」
「う、うん。わざわざ送ってくれて、ありがと。じゃ、じゃあ、また明日ね」
「あっ、おばさんにも、ありがとうございましたって伝えて」
きびすを返して駆け出したあとで聞こえた相羽の声に、純子は目だけ向き直
って、応じる。
「分かったわ、じゃあね!」
そそくさとマンションを出て、自転車置場に辿り着くと、自分の自転車のハ
ンドルに手を乗せ、よりかかるような姿勢を取る。大きく吐息した。
「何を緊張してるんだろ、私ったら」
声に出して、ようやく落ち着けた。
それから、スカートの右ポケットに手を入れたが、鍵の感触がない。今度は
左を探ってみるも、やはりない。焦って、全身にぱたぱたと手を当ててみて、
やっと左胸のポケットにある固い物に触れた。
指先で取り出して、自転車の錠を解きながら、改めて落ち着こうと息をつく
純子。
スタンドを倒し、ことさらリラックスした動作で、自転車を出した。
初めてのお使いならぬ初めて料理を届けた翌日、登校した純子は、相羽と顔
を合わせるまで結構緊張していた。
(自分が作ったんじゃなくても、気になるものなのね)
何度もため息をつきながら、教室に到着し、中をそっと覗き見る。
相羽はもう来ていた。幸い、一人きりだ。
純子は急ぎ足で自分の席に向かった。席替え以来、隣同士。
「お、おはよ。あのね」
純子が料理のことを聞こうとするよりも早く、相羽からの返事。
「おはよ。おいしかった、ありがとう」
「あ、そ、そう? よ、よかった、あはは」
周囲を気にしながら、何となく笑みがこぼれてしまう。
「おばさんに、伝えておいてよ」
「うん。きっと、ますます張り切って作るわ」
「あ、今日は何?」
「だめ、内緒」
もちろん知っているのだが、あやふやにごまかす。と言うのも、他の人に聞
かれると、ややこしくなるかもしれないから、早く切り上げたい。
「見てのお楽しみよ」
「はは、楽しみに待ってまーす」
弾んだ声で答えた相羽を目の当たりにすると、純子は満更でもない気分にな
った。あれだけ気乗りしなかったのに、届け役も悪くないと思えてくる。
「何の話をしてるのかな、お二人さん?」
唐沢がいつの間にか来ていた。通路を挟んで話していた二人が、邪魔になっ
たようだ。
「あ、おはよ、唐沢君」
「もう朝練は終わったのか? 結構、大変みたいだ」
純子、相羽の順に応対する。
しかし、唐沢は質問には答えず、元の話題にこだわった。
「何が楽しみだって?」
純子は慌てて首を引っ込め、相羽は少し間を取ってから答える。
「あ? ああ、そうだ、思い出した。唐沢、ちょうどよかった。テニス、また
やろうかって話になってさ」
「テニスのことだったのか。そんなに楽しみってか? 涼原さんも?」
「え、ええ」
調子を合わせる純子。もっとも、テニス自体、割と気に入っている。
「オーケー。それなら、セッティングしよう」
唐沢は、席に着きながら請け負った。女子が参加しないと張り切れない質ら
しい。純子の頬に、苦笑いのえくぼができた。
(ああ、よかった。とりあえず、ごまかせて。料理届けてるなんて知られたら、
誤解されちゃうもんね、きっと)
安心してから相羽の方を見やると、すでに唐沢と別の話題に入っていた。
競泳大会が終わってからの体育は、運動会の練習にしばらく費やされる。
一年生の競技目は、男子が綱引きで、女子は二人三脚を拡大した十八人十九
脚。他に、各人何らかのレースに出るのが原則となっている。
演技目の方は、女子男子の区別なく、学年全体で仮装行列。
「仮装行列?」
先生の口から飛び出した、およそ運動会にやる演目とは思えぬ単語に、生徒
間でどよめきが起こった。
「静かに聞けー。まあ、名物種目の一つだな。兄や姉がうちの学校を通った者
なら知ってるだろうが、一年生は結構、妙な種目をやらされるんでな。覚悟し
て、あきらめるように」
おかしげな表情で説明する先生の顔を見ていると、さらに不安が広がる。仮
装行列の他にも、恥ずかしい種目はまだあるらしい。多分、個人が参加するレ
ースの一種目なのだろう。誰が何にエントリーするかは、今日の体育が終わっ
たあと、学級会で決められる。
やいのやいのと騒がしくなったが、強引に収拾され、本題である練習−−ま
ずは行進と入退場の練習が繰り返された。その後、開会式直後に行われるラジ
オ体操のチェックが行われ、その日の練習は終了。
十五分の休憩時間は、着替えや身だしなみを整えるために費やされ、ほっと
する間もなく学級会を迎えた。
「何なんだろうね、妙な種目って」
「噂だと、私達女子の方が、嫌な役目なんだって」
そんなお喋りが囁かれる中、牟田先生がやって来た。まだ一学年全体での合
同体育を行う時期でないので、クラス担任の面々は先ほどの体育にはタッチし
ていない。
立島の号令のあと、最初に先生が説明に立つ。
「えー、今日は、運動会の出場種目を決めてもらうわけだが、一年生に割り当
てられているのは……このプリントに書いてある」
読み上げようとして、面倒そうだからやめたという風情で、先生はプリント
の配付を始めた。廊下寄りの列から配るのだが、受け取った生徒から、波紋の
ようにざわめきが広がっていく。
最後の方に受け取る形になった純子は、ようやく回ってきたプリントに、急
いで目を走らせた。
(百メートル走、四百メートルリレー、むかで競走。けんけん競走って、片足
で競走するのかしら。あ、これは男子だけなのね。女子には、その代わりに大
玉転がしがあるんだ。ジェスチャーレース……何だろ、これ?)
最後に挙がっている種目が怪しい。純子のみならず、みんなが首を捻る。
「先生! ジェスチャーレースって?」
清水が真っ先に聞いた。
それを待ちかまえていたかのように答える先生。
「別名、フラダンスレースと言ってな」
唐突な言い様に、クラス中の疑問も騒ぎもさらに大きくなる。
「まあ、読んで字のごとくなんだけれどな。男子一人、女子一人がペアで出場
して、指定された文句をお互いに伝え合い、その早さを競うだけの話だ。男子
が女子に伝えるのは一連の文章で、普通のジェスチャーゲームみたいに、身体
の動作を使うんだ。逆に、女子が男子に伝えるときは、ちょっと違う。伝える
のは短い単語だが、その方法がな。腰を振って、宙に文字を書く要領で伝える
ルールになっとる」
「腰を振って?」
「宙に文字?」
該当する女子からだけでなく、教室全体にそんな疑問が飛び交った。
「その、何だな。女子はペアの男子にお尻を向けて、腰を振って、文字を書く
わけだ。男子はそれを見て、何と書いたのかを当てる」
先生の言わんとすることがやっと見えてきた。
と同時に、悲鳴にも似た叫声が沸き起こる。無論、女子から。
「やだーっ!」
「ジェスチャーじゃないじゃない!」
「誰が考えたのよ?」
三つ目の声には、先生が真面目に答えてくれた。
「君らの先輩の考案だぞ。これには伝説があってな、昔は三年生がやっていた
んだ。ところが、あるとき、いわゆる発育のよい女子が参加したところ、その
相手の男子が鼻血を出してしまい、以来、『若い』一年生の種目になったとい
う……」
先生の冗談−−多分、冗談だ−−に、男子の多くは笑ったが、女子にはあま
り受けない。せいぜい、お追従笑いがいいところ。
「まあ、ジェスチャーレースの枠は男女一人ずつのみだから、我慢してやって
くれ。嫌だったら、他のを希望すればいいんだ。さ、ここからは、委員長と副
委員長に頑張ってもらおうか」
言うだけ言って、先生はさっさと引き下がった。いつものように、パイプ椅
子にどっかと腰を下ろす。
立島と前田の二人が、教室の前まで進み出て、二、三の言葉を交わしてから、
話し合いが始まった。
「じゃ、種目を一つずつ読み上げるから、希望者は挙手するようにしてくださ
い。えっと、とりあえず、手を挙げるのは一回だけということで。最初に、百
メートル走」
立島の喋りに合わせ、前田が「百メートル走 男四 女四」と板書していく。
種目名のあとの「男四 女四」は、割り当てられる枠数を男女別に示したもの
なのだ。
(百メートルなら、得意な方だわ。リレーより気を遣わなくて済むし)
−−つづく