#3994/5495 長編
★タイトル (GSC ) 97/ 7/ 4 9:22 (151)
岩手旅行記(七) [竹木貝石]
★内容
11 タクシーで平泉観光
平泉で降りたが、もうあまり見物する時間がない。うろうろしているうちに、金色
堂を見るだけで終わってしまうかも知れないと覚悟を決めて、駅前のタクシー乗り場
に来てみると、「30分2400円」と書いてあり、2時間コースや3時間コースも
あるらしい。今は1時半、一ノ関からは5時26分発の指定席券が買ってあるが、3
時間コースで回って少しくらい遅れても大丈夫 ゆとりはある。
歳をとったせいか、最近私は疲れやすくて体がだるく、特に暑さに弱くなったよう
だ。天気予報で、今日の一ノ関は30度になると言っていたし、荷物を持って階段を
上り降りするのは先ほどで懲りている。
運転手さんに聞くと、3時間で14400円、四箇所回って一ノ関に着くコースが
あると言う。妻は勿論大賛成だ。
時は金なりと言うが、幼い時から貧困生活を強いられて来た我々にとって、
14400円は高いような安いような…、けれども、今そのくらいの金なら難なく支
出出来ることをありがたく思う。これも長年に渡る苦労のお陰と、自ら納得してタク
シーに乗り込んだ。
最初は中尊寺で、運転手さんに帰りの参道と待ち合わせ場所を聞いておいてから車
を降りる。
教員養成校の修学旅行で一度来たことがあるのに、全然何も覚えていない。
金色堂の入口の売店で妻が数珠を買ったが、彼女は何故か色々な人の葬式に出る機
会が多く、このあいだ指折り数えてみたら100軒を越えていた。前回の葬儀で数珠
の糸が切れてしまったので、何処かで買いたいと思っていたところ、丁度よかったと
言う。
金色堂(光堂)は全体をコンクリートの建物で囲ってあり、ガラス越しに眺めるだ
けなので視覚障害者には何も分からないが、歴史や構造や安置してある仏像の説明は
理解しやすい。
隣には元金色堂が納めてあった建物があり、太い木材を使ったこちらの建築の方が
はるかに風格がある。
経堂や業堂のような建物も在ったが、今は何も覚えていない。
タクシー乗り場のそばに『弁慶の墓』があり、運転手さんが案内してくれたが、こ
れはつい最近作られたお墓である。
時間が早かったので、タクシーで『たかだて』にも立ち寄ってもらった。ここは、
松尾芭蕉が私の一番好きな俳句
夏草や 強者どもが 夢の跡
と読んだ場所とされ、義経の時代は勿論のこと、奥の細道の頃からも地形はかなり
変化しているだろうが、結構見晴らしが良くて、義経の墓や芭蕉の句碑が立っている。
運転手さんは勉強家で物知りというだけでなく、郷土の史跡に誇りを持っていて、
この観光タクシーの仕事を24年間も続けてきたそうだ。僅かに東北訛はあるが、説
明がなかなか巧く、義経ひいきで、藤原安衡が悪かったと言う。
「秀衡公が自分の子供のように可愛がった義経を、安衡が滅ぼしてしまったんですよ
ね! 義経ももう戦う気力がなかったらしいんですが、もし義経公を大将にして鎌倉
へ攻め上ぼっていたら勝てたんじゃないですか? みんな判官贔屓なんですけどね!」
中日新聞に連載中の『木曽義仲』を読むと、源義朝の老獪さが刻銘に描かれていて、
その気質は頼朝に引き継がれ、一方、義賢・義仲・義経らは彼らの犠牲となった。し
かし、歴史は繰り返す。滅ぼす者が滅ぼされ、滅ぼされた者がまた滅ぼす……。
「中尊寺は藤原清衡公が建てられたお寺ですが、これから行く毛越寺は基衡公と秀衡
公の二代で完成したお寺です。焼けてしまって土台の石だけしか残っていませんが、
庭園のつもりで見てきて下さい。今は菖蒲(あやめ)の季節で綺麗に咲いてると思い
ますよ!」
と言う運転手さんの説明通り、毛越寺はじめ、色々な建物の土台石が多数残ってい
る。石だから壊れることはないのかも知れないが、囲いなどはほとんど無く、自由に
歩くことができ、大きな土台石の上に腰掛けてその大きさを確かめたりした。60〜
70センチ・1メートルくらいの四角や円い石が地表から5〜10センチほど頭を出
しており、コンクリートではなく、700年も昔の岩であるのが素晴らしい。
「次は、達谷(たっこく)の毘沙門堂ですね! ここは岩のほこらがあって、その隣
に清水寺を小さくしたようなお堂が立っているんです。」
説明を聞いた時はさほどとも思わなかったが、実際に登ってみると驚く。
頭の上に岩が覆い被さるように出っ張っていて、その下をくぐると、二階建のお堂
があり、階段を登りながら右手を上に延ばすと、岩の壁や天井に触れることができ、
その岩とすれすれに木の柱や壁が建てられている。
「今地震が来たら、岩の下に押しつぶされてしまうなあ。」
そう思ったら案の定、岩壁に彫刻された大仏の顔だけがはるか上に残っていて、下
半身は明治時代の大地震で崩れてしまったのだという。
「あんな高い所に何故大仏の顔があるのかというと、昔源頼義が馬上から弓矢で彫っ
たのだという伝説があるんです。」
と、運転手さんが言った。
パンフレットを読むと、次のように説明してある。
「蝦夷を平定した坂上田村麻呂が、この地に九間四面のお堂を建て、百八体の多聞天
像をまつり、達谷窟毘沙門堂と名付けた。
岩面大仏は、源頼義が前九年の役の戦没者を弔うために彫りつけた物と伝えられ、
高さ16.5メートル・顔の長さ3.6メートル・肩幅9.9メートル、北限の磨崖
仏として貴重である。」
最後は厳美渓でタクシーを降りた。
谷川の激しい水音が聞こえ、石がゴロゴロしている所に崖があり、名物のカッコウ
団子を売っている。
「カッコウ団子と呼ばれるようになったのは、ここの団子屋のおじいさんが大層カッ
コウの物まねが上手だったからだそうですよ。」
一緒に崖の所まで登って来た運転手さんが、そう説明してくれた。
大小二重になった篭が崖の上からロープで上げ下げされており、崖の下のお客が小
さい方の篭に300円を入れて、そばに立てかけてある板を鎚で「カン カン カン」
と叩く。するとその音を聞いて、崖の上から篭を引き上げ、今度は大きい方の篭の中
に3本の団子(ゴマ味・醤油味・あんこ)を入れてロープで下ろすのだ。
このアイディアは面白いから人気がある。
名古屋のパソコン仲間に携帯電話を掛けてみたが、山間のせいかうまく通じない。
それにしても、携帯電話で日本全国何処とでも話の出来る時代となり、長生きはする
ものだとつくづく思った。
終わりに
四箇所の観光地を廻り終え、無事一ノ関でタクシーを降りたのは4時半頃だった。
駅のコンコースの壁際に、『時の太鼓』が飾ってあり、以下の解説が付けられてい
た。
「時の太鼓は、主に徳川御三家および朝廷で使用されたもので、他の大名家には珍し
い。古くより当藩に在る太鼓は響きが良いとの評判で、歌にまで読まれた。
一ノ関に 過ぎたるものが二つあり
時の太鼓と 建部清庵
明治以後、時の太鼓はお祭などの行事に使用されてきたが、破損がひどくなったた
め、重要文化財? として保存することとなった。しかし、時の太鼓をもっと活用す
べきだとの愛好家たちの声が高まり、複製品を作ることに決定、四国の○神社の神木
である欅の木を買い受け、愛知県津島市の太鼓製造業堀田新五郎氏に依頼して、○年
○月、ついに完成の運びとなった。○神社では、神木を売却した資金を元に、社殿の
復興建築が行われた。」
私の記憶違いがなければ、およそ上のような説明だった。
その太鼓は、長さ(奥行)および口径(直径)共に約1メートルの大きさがあり、
ガラスケースに納められていて触ることは出来なかったが、その隣に、太鼓を作った
のと同じ欅の木の一部(切り株)が輪切りにして置いてあったのには感激した。直径
130センチ・厚さ20センチくらいの欅材そのものが壁に立てかけてあり、手触り
も風格も神々しいばかりだ! 年輪がはっきり浮き出ていて、樹齢289年と書いて
あった。
17時26分発 やまびこ54号に乗り込み、後は東京駅と名古屋駅で乗り換えて
家へ帰るのみとなったが、車輌番号も座席ナンバーも、今はもう忘れてしまった。
仙台の『笹蒲鉾』で飲むビールの味は格別だ。
途中何一つ変わった出来事もなく、ただ、東京駅の発車が少し遅れて、
「まことに申し訳ありませんが、この列車の前のひかり277号において、病気で急
死する事故がありましたので、発車が遅れております。もう暫くお待ち下さい。」
という車内放送があった。
新守山駅の出札口を出るとホッと安心感に包まれ、我が家の近くまで来ると、田圃
でカエルの合唱が聞こえて懐かしい。
こうして、三泊四日の旅は終わった。
歩数計で34600歩、バスの揺れなどの余分な振動を差し引いても、三万歩は歩
いたことになる。
私の場合いつもそうだが、旅行に出かける前は面倒で気が重いのに、旅行の終わり
頃になるともの悲しくわびしい気持ちになる。今回も同じであった。
人生そのものが似たようなことかも知れない。
さて、四日間のことを書くのに丸々五日間を費やしたが、何の目的で書いているの
か自分自身にも分からないまま、キーボードを叩くのに疲れてしまった。
今までにこんな長い旅行記を書いたことはないし、これからももうあるまい。
間違いや不備な点が多々あると思うが、ご判読いただきたい。
桜井政太郎氏はじめ大勢の方々の本名を出させていただいたことを、深くお詫び申
し上げる。
[1997年(平成9年)6月30日 竹木貝石]