AWC お題>無人島(上)       青木無常


        
#3983/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  97/ 7/ 1   8:27  (146)
お題>無人島(上)       青木無常
★内容
 島人はみな、親切でやさしく、慈悲にあふれていた。おだやかな微笑をうかべて
伏せるダルガを見舞い、やさしい言葉をかけ、かわるがわる力づけるようにして手
を握っていった。島には芳香があふれて鳥獣たちの立てるさわめきさえもがやさし
さにみち、幸福がじゅうたんのようになって、どこまでもしきつめられているよう
だった。
 船を難破させた悪夢のような嵐がすぎたのは、もう五日も前だという。気をうし
なったままのダルガが浜で見つけられたのは三日ほど前の早朝。それ以前に十数人
ものひとびとが(不幸なことに、そのうちのいくつかは死体となって流れついたの
だとはいえ)見つけられ、手あつい看護をうけて多くの者がすでにかがやくばかり
の健康をとり戻しつつあるという。
 それをわがことのようによろこびながら語らう島人たちを、ダルガは心から信頼
した。
 そう。信頼。そんな言葉をくったくなくうかべることができたのは、いったいい
つ以来のことなのだろう。
 その言葉にふさわしい顔は、ダルガにとってそれまでひとつだけだった。
 アルビノの右眼をもった、禿頭の老人。名前は占爺パラン。かれの導師であり、
道連れであり、家族そのものだった。ひょうきんに笑い、いつも重くしずみがちな
ダルガの心をひきたて、そしてだいじなときにはいつも有用な予言を下した。それ
は占術による予言だったが、まだ十代もなかばにいたらぬ少年であるダルガにとっ
てそれは、人生の師の語る、示唆と友愛にみちた助言にほかならなかった。
 その占爺パランも、やはり四日ほど前に浜に打ちあげられているのを救われて、
ほかの小屋で治療をうけているという。回復はおそいが、確実によくなる、と島人
はだれもがうけあった。
 力にみちた島人たちのその保証にダルガもまた心からの信頼をよせてうなずきか
えした。なにもかもを信頼にあずけて伏せっているのは、ダルガにとって必ずしも
居心地のいい状態とはいえなかったが、さりとてそのあまずっぱさがいやだったわ
けでも決してない。すくなくとも、記憶にはそのあまずっぱさを見出すことは少年
にはできなかった。
 郊外の寒村で生まれた。生まれ落ちたときから、飢餓はかたときもそばをはなれ
ぬ伴侶であった。父はいなかった。貧相な疲労の神をつねに背に負った母が、ダル
ガを筆頭とする三人の子どもたちを食べさせていた。満足に食えることなど皆無だ
った。飢えて死にかけたことも一度や二度ではない。
 村は慢性的に飢え、痩せ枯れたひとびとは馬車馬のように昼も夜もはたらきつづ
けたがそれがむくいられることは絶えてなかった。
 そして飢饉が襲う。うわさでは、とも食いさえおこなわれたのだという。そうい
う意味でなら、ダルガは運がよかったかもしれない。飢えに狂った親に殺されもせ
ず、食われることもなく、飢饉がまだ軽いうちに口べらしとして売られたのだから。
 母がダルガの幸せを祈って売ったのかどうかはわからない。だが、自分がいれば
弟と妹もいずれ近いうちに飢えて死ぬだろうことはダルガにも想像できた。だから
売られていくときには、泣かなかった。いくどもふりかえり、号泣する母を遠くな
がめやりながらダルガは泣かなかった。
 都市へ流れつき、最低階層のどぶ泥の底で家畜よりもひどいあつかいを受けた。
ながい時間をそのどぶ泥の底ですごしたが、思い出せることはあまりない。呪詛も
憎悪も最初からすりきれていた。絶望という言葉すら知らなかった。限界まで肉体
を酷使し、もうろうとした疲労がいつもそばによりそって離れなかった。
 天分を見出されたのはここのつの歳。足にふれたとおもしろ半分に打ちすえる無
頼の傭兵の刀をうばい、切っ先をふりおろして初めてひとを両断した。とおりがか
った剣聖が、達人の太刀筋であると断定し、なぶり殺しにされるかわりにダルガは
街の豪商のもとへとひきとられ、剣聖の指導のもとで剣を学んだ。
 そこで生まれてはじめて、たらふく食うことができた。剣の修業はきびしかった
が、苦にはならなかった。だが、剣聖も、豪商も、ダルガの理解者とはなりえなか
った。一人前に剣がふるえるようになったとき、一帯に戦はなかった。かりだされ
たのは奴隷戦士同士が命をかけてしのぎをけずりあう、血も涙もない闘技場にほか
ならなかった。
 死にたくなければ勝つ。それだけがダルガに課せられた使命だった。ダルガは勝
ちつづけ、他者を屠りつづけ、その代償にかろうじて抱いていただけの、ほんのち
いさな生命のかがやきのかけらさえくもらせていった。
 それが消えてなくなる前に、脱走した。逃亡奴隷がつかまれば死あるのみだった
が、死を賭してもおしい命ではなかった。
 そこで出会い、ダルガのいく道を示唆し、そしてその道先案内人としてある神秘
的な存在に指名されたのが、占爺パランだった。老人は口では愚痴をいいつつも、
こころよくダルガの先導役をひきうけ、以来、旅の途をともにしてきた。十数年の
短いダルガの人生のなかで、はじめて信頼にたる道連れができたのだった。
 そのパランも、すでに意識はとり戻して快方にむかっているという。
 ひさしぶりに――否、もしかしたら生まれて初めて、ダルガはやすらぎのふとこ
ろに深く抱かれて安寧を満喫していた。島には、それがみちみちていた。まさに楽
土であった。
 そしてティグル・イリンの第二の宝玉が徐々にみちていく。
 ダルガが意識をとり戻してから五日めの昼さがり。なぜか島人たちはしずんでい
た。なかにはさめざめと涙を流す者もいた。どうしたのか、とダルガは問うたが、
看護役の若い娘もまた蒼ざめたおもてを隠すようにして不自然な微笑みをうかべる
だけ。
「なにか心配ごとでもあるのですか?」
 ダルガが重ねてそういうと、美しい娘はかなしげに笑っていったのである。
「今宵は、祭りの夜なのです」
 と。
 むろん、意味もわからず眉宇をよせるダルガのそれ以上の質問を封じるかのよう
に、娘はかなしげな微笑みをおきざりにしてその場を去った。小屋に伏せっている
のはダルガひとり。難破して一命をとりとめたほかの者たちはそのほとんどがすで
に立って歩き食い笑うだけの体力を回復しているときいているから、どこかべつの
小屋に伏せる傷病人の世話でいそがしい、というわけでもあるまい。だからといっ
て、語りたがらないものをむりに語らせる気にもならなかった。
 やがて陽が暮れる。
 たそがれのふりそそぐ孤島に、いつになくいくつものたいまつがぽつぽつと灯さ
れていき、それは列をなして島のなかほどにある山の中腹めざして移動を開始した。
 ダルガは南国植物を編みあげた寝台から身をおこす。まだすこしふらつくが、力
は確実に戻ってきていた。かたわらに愛用の剣があるのを見つけ、腰にまわし、小
屋をでて外をうかがう。
「日没とともに祭りがはじまります」
 ふいに背後からそう呼びかけられ、びくりとして少年はふりむいた。
 看護役の娘がそこに立っていた。かなしげな微笑をうかべて。
「立って歩けますか? でしたら、あなたもぜひ参加なすってください。この祭り
は、あなたがたのためにひらかれるのですから」
 そういって娘は、あわく微笑む。
 その微笑にまぶしげに目をすがめながらダルガは、夢見心地でうなずいた。
「いきます」
 娘はそれをうけてうっすらと笑い、ふいにひとつの杯をさしだした。
 あわい桃色の液体が、その杯にはみたされていた。
「祭りの招かれびとたちは、これを服むのがしきたりです。ほかのかたがたもすで
にこれを服んで、聖域へとおいでになるところです」
 どうぞ、とダルガの鼻先へよせる。
 馥郁たる芳香がダルガの鼻腔を刺激した。
 思わず手にとり、口によせる。
 それを――なぜ服む気にならなかったのかはわからない。
 だが、なにかがダルガの手をとどめさせた。直感だったのかもしれない。奇跡の
ようにはたらいた直感であった。島には幸福がみちあふれていた。危険のにおいは
どこにもなかった。それでもダルガは、無意識にそれをかぎつけた。
 あるいはそれは、ダルガという少年の背負った不幸そのものの顕現であったのか
もしれない。信頼の底には、つねに疑惑というどすぐろい影が巣くっていた。

 いくつもの気配が山へとむかって移動していくのに気づいて、占爺パランは声も
なく眠りからさめた。
 見える左眼で小屋の入口のすきまから外をうかがう。山の中腹へむけていくつも
のたいまつが粛々と行進していくのを、遠く目にした。
「妙だの」
 つぶやき、パランは目をとじた。
 片目だけ。
 見えぬはずのアルビノの右眼を見ひらく。たそがれの闇の底でその眼は、あやし
げな光を放ったかもしれない。視覚をうばわれたアルビノの眼球は、その代償にと
きとして神世をのぞく。それがパランの占術のみなもとであり、すべてでもあった。
「やはり陽気がつよすぎる。一片の陰気すらここにはない。妙だの」
 つぶやきの意味は神秘学に属する。世界には陰陽二極が遍在する。陰陽を正負、
といいかえてもいい。異説はあるが、基本的には人を筆頭とする生あるものに益す
るものを陽または正といい、害あるものを陰あるいは負と呼ぶ。通常、このふたつ
はバランスをとりあいながらあらゆるところに遍在するが、場所によっては陽の気
のつよいところ、逆に陰の気のつよいところがそれぞれいくつも存在する。前者は
神域、聖域と呼ばれてひとびとの信仰の対象ともなり、後者はいうまでもなく忌む
べき場としておそれられ、畏怖され遠ざけられる。
 だが、この島ほど陽気にみちている場所は、パランにしてもまるで出会った例が
なかった。陽気は人に利するが、すぎれば人の器におさまりきらぬ。結果は陰気に
あてられたものとおなじ。ひとはそれに耐え得ることはない。
 それなのに、この島はまさに楽土そのものの形態を保っている。なぜ?
 疑問にはこたえは得られず、底しれぬ疑惑だけが胸奥をうろついてやまない。
「ふむ」
 と眉根をよせてパランはアルビノの眼をこらす。
 そこへ、ダルガがおとずれた。
「おお、小僧め。しぶとく生きのびておったか」
 うれしげに声をあげる占爺に、少年もよろこびを口端にはずかしげにうかべなが
ら軽くこぶしで老人の肩をたたく。
「じいさん、あんたこそしぶといじゃないか。ふつうあんたくらいの老いぼれなら、
とっくにあの世にいっちまってるぜ」
 ふん、と老人は笑いながら鼻をならす。
「どこかの未熟者の行く末を見ないうちには、気がかりでおちおち冥土にも旅立て
ぬということさ。とっとと楽になりたいのだがな。世話のやける小僧めが、なかな
かそうはさせてくれん」
 けっと少年は笑いながら吐きすて――そして真顔になった。




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