#3852/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 97/ 5/14 10:57 (182)
お題>花畑(上) 青木無常
★内容
霧のように、それは立ちこめていた。あわく、かすかな紫色に。
夜だった。むせかえる。無数の会話。神経組織。甘い。死のにおい。うずまく。
つつまれる。抱かれる。声。思考。感情。意志。意思。甘く。甘く。死を呼びよせ
る。深い地の底から。
とび交う無数の花粉が、一帯を紫色におぼろに染めあげる。背後には森。前面に
は、おなじ色の無数の花。丘のつらなり。
そのつらなりのかなたから、ひとつの人影が姿をあらわす。
月光にてらされて、夜の闇の底におぼろにうかびあがる、ちいさな人影。
シャフトは身じろぎ、目をすがめる。樹木の幹に背をあずけたまま。
人影は、ゆっくりと丘を横ぎってくる。ふみつけられた花片が、そのたびにまぼ
ろしのように舞いあがる。紫色の微粒子を霧のように、四囲の大気にまき散らしな
がら。
「シャフトさま」
やがてたどりついた男は、目をすがめてシャフトをながめやりながらそう呼びか
けた。
「ピエールか」
シャフトはこたえる。
「さがしました、シャフトさま。お会いしとうございました」
無表情にピエールはそういって口をとじ、じっとシャフトの美貌を見つめる。
美貌。悪魔のように。ナイフのように。あるいはナイフに刺しつらぬかれてとび
散る鮮血のように。底知れぬ蠱惑にみちた美貌。ただ一点――その額に無惨に刻み
こまれた、えぐったような傷跡をのぞけば。
――否。
あるいはその傷跡こそ、その美貌に刻まれたもっとも美しいアクセントであった
のかもしれない。
それをじっと見つめるピエールの、まるで対照的なその容貌。四角い、石畳のよ
うな顔。削ぎ切ったように刻まれた、蛇のような目。ずんぐりとした、力強いがバ
ランスに欠けた肉体。むくんだ指。短い足。
おのれのその醜貌を知りぬいたがために、とどかぬ美貌を体現した眼前の“貴種”
にかぎりない憧憬を抱けるのだ――とでもいいたげにピエールは、じっとシャフト
を見つめる。
紫色に染めあげられた夜を背にして、無骨に腰にまわされたガンベルト。そこに
無造作につっこまれた鈍色のレイ・ガンが、異様に熱にみちた輝きを放つ。不吉で、
うつくしいまでにまがまがしさを秘めたその輝き。
身じろぎもせず樹幹に背をあずけたまま、シャフトもまた無言で、そんなピエー
ルを見かえしていた。
やがてびくりとしたように目を見ひらきながら、ピエールが口をひらく。
「けがをしておいでですか?」
半歩をふみだそうとして――硬直する。
とほうにくれたように宙で静止する、ずんぐりとした手のひら。
まるで、自分のようなみにくいものがふれれば、その美が風に散ってしまう、と
でもいいたいように。
切なげな顔が、その魁偉な風貌をうめつくす。
シャフトはうっすらと微笑む。
ピエールのそんなとまどいを――そう、まるで愛玩する小動物の愚かな行為を、
いとおしさをもって嘲弄でもするかのように。
「もう治りかけている。気にすることはない」
微笑んだまま、シャフトはいう。
そうですか、とピエールはつぶやきながら、なおも哀切にみちた視線を眼前のう
つくしい生きものに投げかける。
そしてふいに――その全身から力がぬけ、棒立ちの姿勢に戻る。
敷石のような無表情。
シャフトは微笑んだまま、口にする。
「ジェルダンの命令で、おれをさがしにきたのか?」
「いえ。ジュジュさまです」
岩のような声でピエールはこたえる。
ジュジュか、とシャフトは笑った。
「そうか、ジュジュがか。あいつもそういえばサライに魅入られた者のひとりだっ
たな。なるほど。では、サライを殺したこのおれを、あいつもまたさぞ憎んでいる
ことだろうな」
瞬時、ピエールの面貌に苦痛のようなゆがみが走りぬける。
すぐに岩の無表情をとり戻し、こたえる。
「おっしゃるとおり、ジュジュさまはあなたのことを憎んでおられます、シャフト
さま。わたくしのような者の前で、煩悶に涙を流す姿を隠すことすらしないほど―
―ジュジュさまはあなたのことを――」
「おれを、殺したいほど憎んでいるのだな」
いって、シャフトは声を立てて笑った。
ピエールは――かなしげに首を左右にふる。
「憎んでおられます。愛しておられるのと、おなじくらいに」
「利いたふうなことを」笑いながらシャフトはいった。「おまえがそのような口を
きいていると知れば、ジュジュは烈火のごとく怒りだすだろうさ」
「おっしゃるとおりでございます、シャフトさま」
うっそりとこたえてピエールは、ねばつく視線をシャフトにからませる。
うす笑いを口もとにとどめたまま、シャフトもまっすぐにそれを見かえす。
「わたくしも“貴族”に生まれとうございました、シャフトさま」やがてピエール
が口をひらいた。「あなたのように、美しく、自由に」
「“貴族”は自由ではないぞ、ピエール」シャフトの顔から笑みが消える。「もっ
とも不自由なやつらだ。おれもそうだった。これをとり除くまでは」
と、その額に無惨に刻みこまれた、異様な傷口を指さしてみせる。
いたましげに、ピエールは顔をゆがめる。
「“智の真珠”……」
「おぞましい名だ」シャフトは口もとをゆがめて吐きすてる。「見張りだよ。おれ
たちの心の底まで見張るために、埋めこまれた器官だ」
「それはしかし――“大聖母”さまの御子さまたちへの、慈愛の証でありましょう」
それをきいてシャフトは、心底おかしげに声を立てて笑った。
ただよう紫の微粒子が、すずしげな声音にふるえて世界をゆらめかせる。
ピエールは笑いつづけるシャフトをぼうぜんとながめやり――
ふいに“貴族”は笑いやめて、ぎらりとピエールに視線をむけた。
凶暴な、憎悪にみちた野獣の視線。
「慈愛?」そして叫ぶようにしていった。「慈愛だと? おまえはまちがっている
ぞ、ピエール。“大聖母”は、おれたちを愛してなぞいない」
「そのようなことが――」
ぼうぜんと口にするピエールを激しくさえぎって、シャフトはなおもつづける。
「おまえにはわかるまい。“智の真珠”にしばられた、ほかの貴族どもにもな」
「ですが」とピエールは悲鳴のようにいう。「あなたがた“貴族”はその“智の真
珠”で“大聖母”さまとつながれているのではありませんか。偉大なる力をもって
あなたがたを慈しみ、つねに見守り、みちびき、守りたもう“大聖母”さまの――」
「慈愛! 慈愛か! 笑わせてくれるな、ピエール」
たまらぬように、シャフトはたかだかと哄笑した。
それはまるで泣き声のように四囲を狂おしくふるわせる。
「だがな、ピエール。おまえの言葉のえらびかたはまちがっているぞ。根本的にま
ちがっている。見守っているのではない。あいつは、おれたちを監視しているのだ。
みちびいているのではなく、おのれの思いどおりに動くよう制御しているのだ。守
っているのではなく束縛しているのだ。慈しんでいるのではない。だんじてちがう!
あいつは、おれたちに執着しているだけだ。人形のように、自分の好きなようにも
てあそんで悦に入っているだけだ。愛という名のもとに、あいつはおれたちをじり
じりと抱きつぶしているだけなんだ」
言葉もなく、ピエールは激昂するシャフトを見つめた。
荒い息をつき、シャフトはわき腹に手をやる。
血がにじんでいた。
シャフトさま、と、二三歩ふみだしかけるピエールを、“貴種”はするどく視線
で制する。
「たいしたことはない」
うなずききれず、ピエールは苦しげに顔をゆがめてシャフトを見やる。
が、やがて力なく首を左右にふりながら、視線をそらす。
「わたくしにはわかりません、シャフトさま」そしていった。「あなたがた“貴族”
は、どなたもみな愛憎に心を引き裂かれているように見える。ジュジュさまがそう
だ。あのかたはあなたを愛しておいでだ。口にだされることはないが、見ていれば
わたくしのような者にもわかります。あなたもそうだ、シャフトさま。あなたもジ
ュジュさまのことをおなじように考えておられる。いや、ジュジュさまだけじゃな
い。ジェルダンさまも、サライさまも、アンリさまも、そしてほかのすべての“貴
族”のかたがたも。あなたがたはみな、たがいに、愛し、憎み、そして蔑みあって
おられる」
「そのとおりだとも、ピエール」口もとに嘲笑を刻みこみながら、シャフトはこた
えた。「おまえのいうとおりだ。なぜなら、おれたち“貴族”はすべて、おなじ胚
から生まれた、兄弟よりもなお強いつながりをもつ同胞なのだからな。おなじ血を
抱く、分裂した無数の自己――それがおれたち“貴族”なのだからな。そして――」
と、シャフトは刺すような視線をピエールにむける。「そんな“貴族”たちに側近
く仕えている者どもも、気づかぬうちにおなじ種類の倒錯に染めあげられているの
だぞ。ピエール、むろん、おまえもだ。おまえはジュジュを愛し、憎み、そしてジ
ュジュに蔑まれ、うとまれ、高みから汚物を見るような目で見おろされることに陶
酔している。そうだろう」
ピエールは口をとざし、じっとシャフトを見つめる。
そしてうなずく。
「おっしゃるとおりです、シャフトさま」静かな口調でそういった。「わたくしは
ジュジュさまを愛し、憎んでおります。はいつくばって辱めをうけることに、無上
のよろこびを感じております。そして――あなたさまにも、おなじ気持ちを」
「おぞましいな、ピエール」シャフトはあざけり笑いをうかべたままこたえる。
「おぞましいな、ピエール。おまえのような者に、そんな言葉を投げかけられると
はな。だが、こんなふうにいわれるのも、おまえには心地よいのだな。それとも、
この程度ではものたりないか?」
ピエールは、その醜貌を切なげにひきゆがめただけで、なにもこたえようとはし
なかった。
そして、また石のように無機質な顔をとりもどし、抑揚のない声でいう。
「わたくしはあなたをお迎えにあがったのです、シャフトさま」
「ちがうだろう、ピエール」笑いながらシャフトはいう。「おまえにももうわかっ
ているはずだ。ジュジュが望んでいるのは、おれの死だ。だが、ジュジュは自分の
手で死の鉄槌をおれにくらわすことはできない。なにしろ“智の真珠”によって四
六時中“大聖母”に見張られているのだからな。おれを殺すことはおろか、おれを
殺したいと思うことすら考えることを許されはすまい。おれたちのだれもが、子ど
ものころからその精神を制御されてきたように、そんなことをちらりとでも思いう
かべるだけで、ひどい頭痛と、そして罪悪感をむりやり呼びさまされるのだからな。
だがな、ピエール、それでも抑えられないものもある。愛。憎悪。……そして後悔」
はっと、ピエールはその顔をあげてシャフトを見つめる。
にやりと“貴種”は笑う。
「わかっているはずだ、ピエール。おまえには、ジュジュの真の望みが」
そしてシャフトは、笑うのをやめて真顔でピエールを見つめる。
あわい月光にてらされて、大気をうめつくさんばかりに舞いおどる紫色の花粉。
風に、かすかにゆれる花片。
まるで、ふたりの会話に耳をかたむけてでもいるかのように。
「おまえは、おれを殺しにきたのだ。そうだろう? ピエール」
やがて静かに、つぶやくようにシャフトはいった。
ピエールは、その硬質の醜貌に感情をおしかくしたまま、それにはこたえなかっ
た。
ただ、いった。
「“大聖母”さまはあなたの存在をどこにも感じることができぬ、とおっしゃって
いたそうです。だからだれもが、シャフトさまはもうこの星域にはおられぬのだろ
う、と考えていらっしゃいました。だが“大聖母”さまの目を逃れてこの“イサテ
ィス”をあとにすることもまた、不可能とはいえないまでもきわめて困難です」
「そのとおりだ」と、シャフトはふたたび嘲笑をとり戻しながらうなずく。「おれ
はここにいた。傷を癒すために」
「そう」
と、ピエールは四囲をながめまわす。
シャフトの背後の森。
自分の背後にひろがる、無数の花片。
宙にただよう紫色の微粒子。
「まるでまぼろしのような光景だ」とピエールは、ため息のようにつぶやいた。
「このように美しい場所がこの星にあるとは、わたくしはついぞ知りませんでした。
おそらくは、わたくし以外の多くの人々も――“貴族”のかたがたも、そうでない
者どもも、ほとんどの人々が、ここにこんな美しい風景があるのだとは知らずにい
ることでしょう。広範な宇宙をその足下にひざまずかせ、あらゆる美をきわめつく
した“イサティス”に属する、ほとんどすべての人々が」