#3706/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/12/31 17: 6 (198)
コード館の殺人 19 永山
★内容
「食事前の議論の終わり頃、僕は刑事に耳打ちしただろ。それをやってもらっ
ただけでね。犯人が問題の品に気づいて、証拠を持ち去ったじゃないかと不安
だったが、どうやら無事だった」
「分かるように説明してくれないか」
「犯人が幸道氏殺害に、ロープを使って外に出たとすれば、そのついでとばか
り、六号室にも外から侵入し、証拠となる品を持ち去ることは、大いに考えら
れたんだよ」
「どうも曖昧だ。証拠って、何なんだい?」
辛抱できず、私が尋ねると、法川は黙って部屋の一角を指差した。その先を
見る。
「……電話?」
「そうさ。あれさえ確保して、正式な鑑識にかければ、僕の仮説は証明され、
犯人も特定できる」
「うーん、どうも理解できない。仮説の中身を聞かせてくれよ」
「しっかりしてくれよ。僕は、君の証言から、仮説を組み立てたんだぜ」
「ほんとか? どの証言?」
信じられず、にじり寄りながら聞き出そうと試みる。
「君が仮面の怪人物に襲われる、その前の出来事についての証言だよ」
「それって、無言電話で起こされたっていう?」
思い起こしてみる。
「うん、それもあるね」
「それもってどういうことだ、それもって」
「自分で考えろよ。脳味噌は使わないでいると、腐ってしまう」
「クイズなら自分で考えるさ。だが、これは殺人事件だ。一刻も早く真相を知
って、安心したいんだよ」
「気にしない、気にしない」
絶妙のタイミングで、風見の合いの手が入った。調子が狂う。
「胃に穴が開くよ、永峰のおじさん」
「ご、ご心配、どうもありがとう。大事な話をしてるんだ、ひそかちゃん。少
し、静かにしていておくれよ」
「いいけど、早く私の統を返してよね」
言うだけ言って、風見は法川の腕に絡ませていた手を離し、とたとたと部屋
の奥へと走った。この辺りの言葉遣いはともかく、振る舞いは十一歳とは思え
ない。幼すぎる。
「法川は、誰が犯人だと考えているんだ」
「まだ言えない」
探偵は頑なだった。私より若いくせに、こういうことは譲らない。
「言えないってのは、ネックになってるものがあるんだな? それは何だ?」
「鈴木さんがどうやって毒殺されたのか、それが分からない。この謎が解けな
い内は、不用意な言葉は控えたいな」
「毒殺って、あれは戸井刑事の言っていたやり方でいいじゃないか。ああ、も
ちろん、君が実道を犯人と想定しているのかどうか分からないが、他の者だと
しても、乾杯のときを利用するしかないだろう?」
「乾杯なんて、してないんだよ」
「え?」
きっぱりした口調に、思わず聞き返す。
「刑事には悪かったけど、僕は遊興室にいた全員に、聞いて回った。『鈴木さ
んが倒れるまでに、遊興室内で彼と乾杯した人を見ましたか?』ってね。結果
は、見事に全員一致。ノーだった」
「いつの間に……。いや、それより、そのこと、戸井さんに伝えたのか?」
「まだだよ。落胆しているあの人を、さらに落ち込ませたくない。伝えるのは、
もっとあとでいいんだ」
目を細め、弱々しい笑みを浮かべる法川。そしていきなり、彼は、久しぶり
にサングラスをかけた。
「ひそか! 終わった!」
私との話を勝手に切り上げると、彼は部屋の奥の少女に近づき、抱き上げた。
二人とも、無邪気に笑っていた。
戸井刑事を起こす時間が来たので、私は一人、笑い声に送られて法川達の部
屋を出た。
がしゃん。
私が廊下に出るのを見計らっていたかのように、衝撃音が起きる。どこが発
生源なのか不明だが、二階の部屋のいずれかに違いない。
と、そこへ神代が、彼女の部屋から飛び出してきた。
「何か、割れる音がしましたけど」
「私も聞きました。どこだか、分かります?」
「隣から聞こえた気がしたの。六号室、鈴木さんのいた部屋からね」
「ええ? だって、ここは空室じゃ−−」
私が最後まで言い切らぬ内に、鼻孔の奥を刺激する匂いが漂ってきた。木が
燃える匂い?
不審に感じ、六号室のドアノブに手を伸ばす。熱くはないが、開かない。当
たり前ではあるが、鍵がかかっている。
扉の板に耳を当てる。木のはぜる音が、聞こえたような気がする。思い込み
かもしれない。
「中で、火が……? 神代さん、消火器を持って来てください。私は刑事を起
こさないといけない」
頼むと、彼女は何も言わず、下に行く。
私は三号室の戸を力一杯、叩き、戸井刑事を起こした。
「な、永峰さんか? 荒っぽい起こし方だな」
「戸井さん、火事かもしれないんです!」
「何ですと? 火事?」
扉を挟んで怒声で会話していたが、それもすぐに終わる。解錠され、ドアが
開く。
「どこだ?」
「鈴木さんのいた部屋」
短く言って、指差す。刑事は瞬時に、事態を察した。
「鍵! 鍵で開けないといかん!」
わめきながら鍵を取り出し、六号室前に突進する。
煙の匂いがきつくなったような気がした。ドアと床の隙間から、煙が漏れて
いる訳でもないのに。
扉が開くのと、消火器が届くのとはほとんど同時だった。
部屋の中は、煙に満たされつつあった。渦巻いた白い粒子が、廊下に吐き出
される。灯油の匂いまでする。
床の一部に、炎の塊が見えた。黒い芯に、赤い炎。床も徐々に燃えつつある。
「貸してくれ!」
消火器を受け取ると、戸井刑事は手際よく栓を抜き、狙いを定めたかと思っ
たら、一気に噴出させた。
炎による物とは別の、白い煙幕ができる。その頃には、廊下に全員が集まっ
ていた。どうしたんだと聞いてくる法川らに、私や神代がことの次第を伝える。
「どうやら消えたようだ」
刑事の声には、疲労感と満足感が入り混じっていた。
室内は煙もだいぶ去り、見通せるようになっている。窓ガラスが割れ、破片
が室内に散らばっているのが見て取れた。
「念のためだ、水をください。バケツで」
刑事の声に反応して、実道が走る。やがて、バケツ一杯の水が運ばれ、わず
かにくすぶっている箇所に、花へ水をやる調子で浴びせた。
「大事になる前に食い止められて、何よりだ」
「それはそうですが……一体、誰が?」
実道が不安そうに言った。
「調べは、これからです」
「戸井刑事、僕が気になるのは、火を着けた理由と方法です」
法川は、ひょいと前に進み出て、現場を見渡した。
「窓が破られており、ガラスの破片が室内に散らばっている。犯人は外から、
これを投げ込んだんだね」
発火源となった黒い物体を指差す。それは、長さ十五センチほどの木切れに
タオルのような布を巻き付け、針金で縛った物らしい。投げるのに便がいいよ
うにか、針金は三メートルぐらいの長さが取ってあった。布には当然、灯油が
染み込ませてあったのであろう。
「この程度の物なら、誰にでも作れる。針金も灯油も、物置にあるし」
実道が言うからには、間違いないのだろう。
「永峰はついさっき、ガラスの割れたような音を聞いたんだったね?」
法川の質問に、私は肯定の返事をした。
「彼女も聞いたはずだ。ねえ、神代さん?」
「そうね。自分の部屋にいて、雑誌を読んでいたら、急に耳障りな音がしたの」
「その瞬間、あるいはその前後でもいいですが、窓の外を見ませんでしたか?」
法川の質問相手は、神代に移った。
「残念だけど、すぐに廊下に出たから、見ていないわね」
法川はその答に、次に全員を見回した。
「ふーん、じゃあ、火が出る直前、屋敷にいなかったのはどなた?」
「そいつが犯人と言うことですか」
実道が、興奮したように言った。
「その疑いが出て来るということですね。さあ、どうでした? 思い出してく
ださい。僕と風見は九号室にいました。永峰が証人だ」
逆に、私が屋敷内にいたことも証明される。神代も部屋から出てきたのをこ
の目で見たから、間違いなく屋敷内にいたことになる。戸井刑事も部屋で寝て
いたのを、私が起こした。故に彼もまた、屋敷の外に出てはいない。
「僕は貴島さんと、父について、少し思い出話をしていたな。広間でね」
実道の言葉に、貴島は黙ってうなずいた。
「私は……お手伝いをしていました」
板倉が言った。すぐに法川が質問を返す。
「何のお手伝いですか?」
「江梨さんの……」
と、板倉が視線を送ると、江梨はこくりとうなずいて、喋り始めた。
「私はお断りしたんですが、板倉さんが気を紛らわせたいとおっしゃって、折
角だからと思い直したんです。森田さんもご存知ですわ」
「二人の言ってることは正しいよ。俺が保証してやる」
森田コックのお墨付きも得た。
だが、これでは……。
「おかしいですね。屋敷の外にいた人が、存在しないなんて」
私の感じた疑問を、法川が口に出した。
「犯人は、またロープを使ったんじゃないか?」
刑事が意見を述べる。対して、法川はだめだと言いたそうに、首を振った。
「二階にいたのは、戸井刑事、僕、風見、永峰、神代さんの五人だけですよ。
話を聞く限り、永峰と神代さん、それに僕と風見にはロープを登る余裕はない
ですよね? そうなると、ロープを使って地上との往復が可能だったのは、あ
なただけになりますよ」
「ん? そ、そんな馬鹿な。はは」
顔色を変えた戸井刑事。動揺を隠せない彼に、法川は言った。
「あなたに、登山やロープクライミングの趣味がないことは、僕らがよく知っ
ていますよ。それに、動機の面から考えても、戸井刑事が犯人でないのは明白」
「今となっては、動機がないだけで除外するのは、問題があると思う」
実道が進言した。父親を殺害された彼にとっては、全員が疑いの対象なのか
もしれない。
「実道さん、誤解していますよ。僕は、只今の放火の件の動機を考え、言った
のです。放火の動機は恐らく、この六号室に僕らが保管しておいた、ある証拠
品から証拠能力をなくすためでしょうね」
「証拠品だって?」
「そうです。正式な鑑識にかければ、犯罪の立証に一役買う証拠が、この部屋
にあった」
法川は片手を広げ、室内をざっと示した。つられて、何人かが視線を走らせ
る。室内は、全体に白く汚れたと言えばいいだろうか。室内にある調度品は、
ほとんどが消火剤を被ってしまっている。
「そのことに気づいた犯人は、放火騒ぎを起こし、消火作業を行うことによっ
て、証拠の品をだめにしてしまう狙いがあった。そう思いますね」
「証拠は……だめになったのか?」
「……長い人生、こういうこともあるよ」
私の心配を、自嘲の笑み片付けた法川。証拠がなくなったとは、大失敗では
ないか。笑って済む問題か?
「証拠がどうなったかはともかく……そのことと、戸井刑事が放火をするはず
がないと考える根拠は、どうつながるのですか?」
板倉が首を傾げる。私も聞きたいところだ。
「戸井刑事は、この部屋の鍵を持っています。いつでも出入りできるんですよ。
それならこっそりと入って、証拠品に手を加え、証拠能力を消し去ればいいん
です。放火なんて手間をかける必要は、全くない」
法川の説明後、しばしの間があってから、不意に拍手が起こった。一人の手
による拍手。
「いや、ご立派、ご立派」
森田だった。
「大したもんだな、若き名探偵さん」
「どうも」
「だが、それじゃあ、混迷を深めただけじゃないか。誰も犯人ではあり得なく
なるんだよ。探偵を名乗るなら、事件の意図をこんがらがらせるんじゃなく、
ほどいてもらいたいもんだ」
「僕はほどいているつもりなんですが、犯人以外の方までが、思わぬタイミン
グで糸を引っ張るものだから、結び目がきつくなってしまうようですねえ」
探偵は、肩をすくめて皮肉っぽく答えた。
−−続く