AWC 「卵から生まれた女」(2) ルー


        
#3610/5495 長編
★タイトル (RJN     )  96/12/22  21:30  (116)
「卵から生まれた女」(2)      ルー
★内容
「卵から生まれた女」(2)




 僕は卵から生まれた女のためにワンピースを買ってきた。おとなしいベージュ色を
したごくシンプルなデザインの服で、僕はそれが彼女に一番似合うと思った。ワンピ
ースを着た彼女はティンカーベルみたいで、羽が生えて飛んでいきそうな気がした。
僕のティンカーベル、僕の妖精、僕も君と一緒に空を飛びたい。僕はティンカーベル
を引き寄せて初めてキスした。
 
 僕のティンカーベルはもうだぼだぼの服を着ていない。ワンピースを身につけ、赤
い靴も履いている。僕は彼女を散歩に連れ出す。彼女はものも言わずにただついてく
る。妖精も人混みに出るととまどうようだ。街の中心街は相変わらず活気と喧噪に満
ちていた。僕らはその中で道に迷っている人のようにさまよった。呼び子がいる。バ
ーゲンセールに群がる女たちが見える。
「何か欲しい物はないかい。遠慮しなくていいよ。」
彼女は擦り寄ってきて、自分から僕に体をもたせた。その手が少し震えている。
「私、怖いわ。早く家に帰りましょう。」
僕は彼女の恐怖が理解できたので、うなずいた。
引き返そうと振り返ると、有子がちょうどこちらの方に歩いてくるところだった。有
子は僕らに気がつくと、険しい表情をしてきびすを返した。ティンカーベルの震えは
ますます強く、激しくなった。僕は彼女が泣いているのではないかと思った。

 卵から生まれた女は言う。
「ねえ、なぜ、あなたの世界には終わりがないのかしら。」
「いきなり、どうしたんだい?」
「人間は生まれて、死んで、そしてまた、別の人間が生まれる。その繰り返し。一人
の人間が死んだら、同時にその世界も終わってしまえばいいのに。なぜならその人間
にとって自分が生きた世界がすべてだから。決してもう一度生きることは出来ない。
あの女の人と、あなたも・・・」
「だから、つまらない意地の張り合いとか、自尊心なんかにこだわらないで。あなた
達二人は求め合っているくせに片意地張った自尊心が擦れ違おう、擦れ違おうとして
いるの。あなたの出方によってあの女の人は変わっていくわ。それは、あなたを求め
ているから。あなたはそんな人を無視すべきじゃないわ。」
「この世界が核爆発でも、惨たらしい殺戮でも、天災でもいいの。終わりがくればい
いと思うわ。そうしたら、あなた方はみんな愛し合えるでしょう。」

  夜の闇の中に聞こえるのは、雨の音ばかり・・・・女は白い卵の中で眠っている。

  雨は僕の心を慰撫してくれる。僕は目を閉じる。

  しかし、僕は心の奥底で嵐を待ち望む起爆剤が点火するのを感じる。欲望は燃え上
がり、僕はくっきりと輪郭を描く欲望の影を見つける。その時僕は僕自身と対峙し、
理解する。僕の欲望は僕にとって敵ではなく、生きるための糧であったのだと。
 僕は一段、また一段と階段を降りていく。深く降りていったとき、長い廊下を抜けて
そこには小さな扉があるが、僕は決して扉を開かない。扉をじっと見つめただけで、
さっと踵を返す。振返ることはないだろう。誰もみな振返らない。


 卵から生まれた女は帰っていった、彼女が元いた世界に。彼女は夢の中でそのこと
を僕に告げた。夢の中で彼女は暗闇の中に立っていて、足下に大きな卵があった。ほ
のかに道ばたの雑草の匂いがした。ヒメジョオンの草むらが遙かにぼんやり見える。
彼女はあそこに帰っていくのだろうか。ヒメジョオンの草むらから淡い虹が卵にかか
った。虹は卵の下で渦を巻いてふわりと浮かせた。すると卵の殻が二つに開き、彼女
が中に入った。卵の殻が閉じる直前、彼女は僕にこう言った。
「さようなら。世界の終わりが来るといいね。そして、あの女の人とあなたが愛し合
えばいいと思うわ。」
 僕に出来ることと言えばただ見ていることだけだった。卵は虹色の光に乗って遠く
に飛び去っていった。卵から生まれた女は行ってしまった。もう二度と帰ってくるこ
とはないだろう。僕は寂しさに駆られて目を覚ました。目を覚ましても、同じ闇があ
った。まだ、真夜中だ。夜明けには遠い。それでも窓からカーテンを透かして灰色の
明かりが漂ってくる。

 僕は世界の終わりが来たとき、有子と本当に愛し合うだろう。なぜなら、そこでは
、
生き残った人類は僕と有子だけだからだ。その一瞬において、僕たちはアダムとイヴ
だからだ。どんな恋人たちも、彼らのおのおの瞬間でアダムとイヴだったのだろう。
草木の一本とて生えていない、廃墟と破壊され尽くされた荒野を背にして。 


 卵から生まれた女がいた痕跡はまだ残っている。玄関の靴箱の隅には彼女が履いた
赤い靴がしまい込まれているし、カーペットについた小さなシミは彼女がうっかりし
てコーヒーをこぼしてあわてて拭き取った跡だ。彼女は僕を救ってくてたのだけど、
その後の僕はどうだろう。実際のところ、僕は生きているのかいないのかよくわから
ないし、この世界が現実のものであるのかそうでないのかわからないでいる。僕は全
く宙ぶらりんの状態で、それでも普通の人間として普通に暮らしてはいるが、あの女
がやってきた世界に無性に懐かしさを感じている。そんな世界があるかどうかもわか
らないのに。でも人生が一瞬の夢で、その夢が現実と呼んでいるものならば、夢のま
た夢のあの世界もまた現実であるだろう。
 そんな世界で僕は自我から解放されるような気がする。僕の手の中にあるこの5セ
ンチ×5センチの四角い箱が僕の自我。なんて狭苦しいんだろう。笑っておくれ。5
センチの箱にひしめく、自尊心、後悔、欲望、羞恥、虚栄心、愛情。よくもこんなに
詰め込まれたものだ。でも、それは僕だけじゃなくて、みんな5センチ×5センチの
四角形にぎゅうぎゅう詰めにされて、そんな箱が無数にある。箱同士はなんの繋がり
もないのさ。
 でもね、向こう側に行ってしまった君。台所で洗い物をしている妻が食器を重ね合
わせる音や、活きおいよく水道の出る音、電子レンジがピザを焼き終わってチンと鳴
る音、テレビからアナウンサーが伝える今日のニュースや天気予報、子供がおみやげ
に買ってきたブロックで遊んでいるのも現実なんだ。
 要するに僕は相対的な区別というものを全くつけなくなってきているんだ。僕自身
に対しても。生と死という厳正な事実に対しても。
  笑わないでおくれよ、なぜなら僕だっていつか死ぬ時が来るんだろうが、それで世
界が終わるわけではないんだし、僕の死はこの世界での存在活動を止めるということ
だけを意味しているのであって、あとは青空の一部になっているのかもしれないし、
一匹の蜘蛛になって、朝露を浴びて銀色に輝く巣を作っているかもしれない。
 だから僕は君を思いだしている。僕の幼稚な心はまだ僕自身の自我に固執していて
怯えるんだ。ずっとそうなのかもしれないけれど。僕は今手の中に小さな箱を弄んで
いる。これは比喩じゃあないよ。リボンを掛けられた5センチ×5センチの箱さ。今
日は妻の誕生日なんだ。今、ムキになって台所で洗い物をしている。僕は真珠が一粒
ついた指輪を妻のために買ってきたんだ。妻がエプロンをはずしたら渡すとしよう。
些細なことでけんかをしていたんだ。でも、そのために二人の心がだんだん離れてし
まいそうで怖かったんだ。仲直りのためさ。勇気を出して渡そう。出来るだけ明るい
顔をして、
「有子。誕生日おめでとう、これは僕のプレゼントだよ。受け取って欲しい。」
こう言おう。君も賛成してくれるだろう?。
 そして、また、僕たちはけんかをするんだ。
 僕は弱い人間だから、君の助けが必要なんだ。いつか会える。いつか、会えるだろ
う。浜辺の砂となって、今度は僕の方から、夜の海の、君の世界に打ち上げられるだ
ろう。



       

           ・・・・・・・・・・了    by   ルー   RJN08600




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