AWC 虚美ぞ教えし 12   永山智也


        
#3515/5495 長編
★タイトル (AZA     )  96/10/20  21:10  (168)
虚美ぞ教えし 12   永山智也
★内容
 昼食を挟んで、菊池は単身、大宮家の屋敷に赴いた。紙袋を手に提げて。
「やはりホテルを引き上げさせていただこうと思い、ご挨拶に窺いました」
 真理子一人が、応対に現れる。テーブルを挟んで向き合うと、ほんの少しだ
が、疲労が面に出ているよう見えなくもない。
「まあ、わざわざ……。律儀な探偵ね」
「幸一郎さん達は、どうされています?」
「仕事で東京の方へ。先日は、大宮家に関わる依頼をするのだからということ
で、こちらに足を運んだだけなのよ」
「それはまた、ご面倒をおかけしたようですね」
 殊勝に頭を下げてから、菊池は紙袋を、一本足の丸テーブル上に置いた。
「何の真似かしら」
「水の味を、試させていただきたくて」
 言いながら、袋の中の物を取り出した菊池。様々なペットボトルが、たちま
ちの内に並べられる。いずれもミネラルウォーターの類だ。
「たくさん持って来たわね」
「ええ。ハンディサイズとは言え、意外と重たいものですねえ」
 一本を手に取り、軽く振る。
「先日、昼食をごちそうになった際、出していただいた水の味が忘れられませ
ん。てっきり、こちらの湖の水かと思っていたのですが、ホテルで飲んでみる
と違うと分かったんです。今日を最後にこの地を離れる僕としては、何の水だ
ったかが気になって仕方ないんです」
「聞いてくれたら、教えたものを……。いったい、何のために水を持って来た
のか、分からないわね」
「ああ、言わないでください。飲み比べて、自分の舌で当てたいんです。だか
ら、真理子さんは黙っててくださいよぅ。あ、その前に、肝心のお水を一杯、
いただけます?」
「いいですわ」
 真理子はお手伝いに命じて、水差しとコップ二つを持って来させた。
「これはまた、たっぷりと用意してくれましたね」
「味を比べるのなら、このぐらいいるんじゃなくて?」
 愉快そうに笑みを浮かべた真理子。
「いえいえ。これでは多すぎます。利き酒と同じようなものですから」
 そう言いながら、菊池はコップに水を満たした。
「お料理の批評はできないと言っていたあなたが、水の味比べなんて、滑稽ね」
「水にはうるさいんですよ、僕」
 そして、菊池が利き酒ならぬ利き水を始めようとした矢先、先ほどのお手伝
いが姿を見せた。
「奥様、お電話です。水門管理小屋から」
「中村が? 珍しいわね。いいわ」
 大儀そうな動作で、真理子は席を立った。水を飲むのをやめ、彼女を見上げ
ながら、菊池は言った。
「僕が邪魔でしたら、席を外しますが」
「かまわないわよ、これぐらい。あなたが水を抱えて出て行くだけ、時間の無
駄というものです。ごゆっくり、味見をしてらっしゃいな」
 また笑顔を作り、真理子は部屋を出て行った。
 菊池は彼女の後ろ姿を見届けると、準備に取りかかった。簡単な準備だった。

 戻って来た真理子は、ぶつぶつ言っていた。
「何の用だったのかしら、全く」
「水門管理小屋ということは、中村からですか?」
 真理子が席に着くのを見やりながら、菊池は分かり切ったことを尋ねた。
「そうよ。子供達が湖に石を投げ入れて遊んでいるが、いいのかだなんて、ど
うでもいいことで私を電話口に呼び出すなんて、どうかしているわ」
「彼も退屈なんでしょう」
「たかが一社員が企業のトップを、退屈まぎれに呼び出すなんて、どう思われ
るかしら?」
 皮肉めかせて言う真理子に対し、菊池はあいまいにうなずいた。
「それよりも、水、分かりましたよ」
「本当に? 信じられないわね」
 からかうように真理子。
「第一、あなたが持って来た水の中に、この家で使っている物があるかどうか
さえ、不確かなんじゃないかしら」
「そうですけど、これに間違いないと思うなあ」
 頭に片手をやりながら、菊池は水を満たしたコップを、真理子の前へと押し
やった。
「どうしろって言うの?」
「当然、飲んでいただきたいんですよ。僕が選んだ水が正しいのかどうか、こ
の家の主人である真理子さんに判定してもらえば、はっきりするでしょう。あ、
コップは新しい物ですから、ご安心を」
「私はあんまり、舌は肥えてなくてよ」
「そう言わずに、頼みます」
 大げさな態度で菊池が頭を下げると、真理子は不承不承とした仕種ながら、
コップに口を着けた。そして一口、喉を鳴らして飲み込む。
「−−どうです?」
「ふふふ」
 女主人は声を立てて笑い出した。随分、得意そうな顔つきになっている。
「外れよ。いくら何でも、ひどいわね。私でも違うって分かる」
「そうですか、外れですか」
「探偵の舌も、当てにならないようね」
「いえ。外れなのは分かり切っていました」
 決然と宣言する菊池。
 真理子の笑みが途絶え、怪訝な表情に変わる。
「どういう意味? 外れだと分かってて、私に飲ませるなんて」
「ぜひ、あなたに飲んでほしかったんです。その水を」
 右手の人差し指をまっすぐ伸ばし、菊池は相手の胸元近くにあるコップを指
し示した。
「この水がどうかしたの? 確かにおいしいけれど、ぜひとも飲ませたいだな
んて」
「僕の想像でしかありませんが、その水には特別な味付けがされています。…
…人間の味」
「……何のことよ」
 表情、口調とも、冷たさを帯びたものへと変わる真理子。殊に、その目は細
められ、鋭い眼光が菊池を射すくめようとするかのようだ。
 菊池は真理子の視線を見返し、ゆっくりと告げた。
「今、飲んでもらったのは、ミネラルウォーターではないんです。ホテルの水
道から汲んだ、ここL高原の湖の水ですよ」
 げ、という声がした。かと思うと、真理子は表情を歪め、口に手を持って行
く。次に、口を大きく開けると、指を喉の奥へと突っ込もうとしているようだ。
「こんなところで戻さないでくださいよ。いくら僕の家じゃなくたって、気分
が悪い」
「−−よくもっ」
 急激に冷静さを取り戻した様子の真理子は、手を口から離す。が、次の瞬間
には、別の狂気を得たらしい。窓際のクローゼットに向かうと、その上にあっ
た重たそうなガラスの花器を掴んだ。
「最初からやればよかった!」
 叫びながら、花器を振りかざしてくる。
「無駄な動作が目立ちますねえ」
 菊池はすでに椅子から身を起こし、テーブルの上にバランスよく立った。頭
にさえ食らわなければ、こちらが応戦するまでもなく、彼女をあきらめさせる
自信があった。
 真理子は目標を失った観で、振り上げた凶器をどうするか、困惑が露だ。が、
やがて癇癪を起こしたように、花器を菊池の足めがけ、叩きつけてくる。
 菊池はわざとバランスを崩し、後方に飛び降りる。傾いたテーブルの縁が花
器を跳ね上げ、脚が真理子の腕をかすめた。
 花器は硬質のガラス製なのか、絨毯の上を割れずに転がっていく。
「僕を始末したところで、もう遅いんですよ」
 腕を押さえる真理子に、菊池は懐から取り出した携帯電話を示した。
「僕は持っていなかったので、警察から借りたんですがね。ずっとつなぎっ放
しにしていました。これまでの会話は筒抜けです。どこにつながっていたのか
は、言うまでもないでしょう」
「−−知らないわ」
 息が乱れたまま、真理子は言った。
「私は……あなたからもらった水を飲んで、苦しがっただけよ。あとは何も知
りません」
「白を切るのですか。日本人は、もっと潔いイメージがありますけどね」
「何とでも言いなさいっ。私はもう、一言も喋らないからね!」
 勝ち誇った表情の真理子に、菊池は哀れむ視線を注いだ。
「携帯電話だけじゃないんです。僕や警察は、あなたの本当の名前を探り出し
ました」
 真理子の顔から、血の気が引いた。初対面時に菊池が感じた、芯の強さや日
本人らしい美しさは、微塵も残っていない。
「な、何を言うの! 私は真理子!」
「同じ真理子でも、大宮じゃない。笠井真理子さん、ですね?」
 菊池の言葉は、真理子に−−笠井真理子にとどめを刺したらしかった。腑抜
けたように、彼女はその場にくずおれた。

 菊池は安心してホテルの部屋に残っていた。
 湖の捜索をいかに行うかで、一悶着あったと、菊池は中村から聞いた。広大
な湖底に沈んだ村の、ある一箇所を特定するのは、潜るだけでは困難だとして、
湖の水門の開放が決定したという。
「観光シーズンが終わっていないのに、よく許可が出たものだね。しかも昨日
の今日だ。何事も慎重なお役所なのに、今度は決定が早い」
「許可を出す立場の大宮家が、今や首根っこを押さえられた状況だぜ。警察も
この二年間、干渉され続けた恨みってもんがあるようだしな」
 今の仕事を失うかもしれないというのに、中村は喜んでいるようだった。声
に張りがある。
「ま、観光客の落ち込みも、心配するほどのもんじゃないようだ。ほら、見て
みろよ」
 顎で窓の外を示す中村。菊池も、外の様子を見やった。
 湖岸を取り巻くように車が横付けされ、あるいはたくさんの人が鈴なりにな
って、湖を覗き込んでいる。もうすぐ、湖の水が落とされるのだ。
「水門を全開にするなんて、滅多に見られないからな。全開と言っても、下流
域に影響がない程度だが、立派なショーになり得るって訳だ。菊池、おまえは
知らんかもしれないが、何年か前の渇水で、四国のSダムの底が見えたことが
あってな。そのときも見物に押し掛けた連中がどっといたんだよ。それと同じ
だ」
 Sダムの話は、菊池も聞いたことがあった。見物人が押し寄せたとまでは、
知らなかったが。
「ショーの主役になれなくて、残念だな」
 菊池の冷やかしに、管理小屋を追い出された中村は、どうでもいいとばかり
首を振った。
「水門を開けるのは、素人でもできる。ましてや、俺は大宮家に仕えていた人
間だからな。表面上、信用を置けんということだろう。いい機会だから、ゆっ
くり見物させてもらおう」
「すみませーん」
 黄色い声と共に、部屋のドアがノックされた。

−−続く




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