#3364/5495 長編
★タイトル (AZA ) 96/ 8/16 0:34 (200)
幸せに至る病 VER.2 6 永山智也
★内容
「え!」
僕ら男子二人は、大声を出してしまった。
外に聞こえたら、先生が飛んで来るかもしれない。慌てて口を押さえる。
「嘘だろ?」
「嘘じゃないわ。驚いた?」
「……誰と」
「ふふ−−お父さんとお母さんよっ」
脱力。同時に大きく息をついた。
「何だあ」
「嘘じゃないもの。小さい頃、ほっぺたに」
「じゃあ、他の子とはしたことないんだよね」
「もちろん。恋人いないのに、できる訳ないもの」
恋人という単語が重々しく、それでいて新鮮に聞こえた。
「好きになった人としかしないわ」
「フランスなんか、かーるく、挨拶代わりにしているみたいだけどね」
「私は日本人だもの」
綾辻さんが息をつくのが分かった。
「眠くなってきちゃった。多分、今、ちょうど十時だと思う」
「−−当たり」
腕時計を持っている中村君が確認したらしい。
「そろそろ眠ろうっと。お喋り、付き合わせてごめんね」
「それはいいけど」
何となく、眠るのが惜しい気がする。
「変なことしちゃ嫌よ」
「す、する訳ないだろ」
僕と中村君は声を揃えた。
「あはは、冗談よ。信じてなかったら、こんなこと、自分から言い出さないわ。
じゃ、おやすみなさい」
「お、おやすみ」
すっかり彼女の調子に合わせさせられたまま、終わった。
僕はまだ目が冴えていたけど、隣からはすぐ、寝息が聞こえてきた。静かな
寝息だった。
夢を見た。
眠っている僕の唇に、女の人が唇を重ねてくる。それだけ。
すぐに夢と分かる夢だった。
目が片方だけ開いた。
硝子窓越しに光が室内に射し込んでいる。眠いけど、どうやら起きる時間ら
しい。両方とも目を開けた。
(あれ? カーテン、閉めたはずなのに、開いている……)
おかしなと感じつつ、二人の様子を見ようと、身体の向きを換えたら……。
綾辻さんの姿が目に入る。もう起きていて、しかも、着替えの最中。窓の方
−−つまり僕の方を向いて、布団に両膝をつき、浴衣の帯をほどいた直後。下
着一枚に肩から浴衣を羽織っているだけの格好だ。何故か、僕の方へ近付いて
来ている。
はだけた浴衣から胸元が垣間見えた。
「あ、綾辻さん。何を……」
「−−起こしちゃった?」
別段、恥ずかしがる様子もなく、彼女は立ち上がりながら浴衣の前を交差さ
せ、横になってる僕をまたいで窓際に立つ。
「ごめんなさい。上、通るね」
「−−カーテン、開けたのは綾辻さん?」
僕は呆気に取られながらも、どうにかそれだけ聞いた。
「そうよ。だけど、着替え始めてから、やっぱり閉めとこうと思って。そうし
たら、槙君が目を覚ました」
そういうことだったのか。
一瞬、ほんの一瞬だけど、綾辻さんが僕に……迫ってきたのかと勘違いして
いた。
顔を火照らせてる僕の上を、綾辻さんが戻っていく。
「いきなりこっち向きで着替えてるから、その……びっくりした」
「槙君達が起きない内に、着替えを済ませておこうと思ったの。中村君、私の
方にに顔を向けて眠ってるでしょう。彼が目を覚ました途端、見られちゃうと
思って。槙君は私に背中向けてたから、まだ安心かなと考えたのよ」
「気が付けよ、僕が起きたの……」
「だから、カーテンに気を取られたんだってば」
「もういいから……早く着替えなよ」
僕は窓の方を向いたまま、かけ布団の中に頭をすっぽり、もぐり込ませた。
今日の昼までで、修学旅行は終わり。あとはお昼を食べて、帰るだけとなっ
ていた。
「またかい」
昼食後、再び僕は中村君を呼んだ。
「分かってると思うけど」
「……昨日の晩だろ」
恥ずかしそうにする委員長。
「協力したんだから、どうなったのか聞かせてほしいな、やっぱり」
綾辻さんが何て答えたのか、とても興味がある。
僕はその気持ちをなるべく押し隠しながら、中村君の目を見た。
彼は空を見上げてから、ぽつりぽつり、答え出した。
「はぐらかされた、と言えばいいのかなあ」
「はぐらかされ……?」
「僕の聞き方も、何かね」
「何かって」
「いざとなったら、恥ずかしくてさ、やっぱり。君が部屋を出て、いきなり聞
くのもおかしいと思って、なかなか言い出せなかったんだ」
「何だ、言わなかったの?」
「言った。……笑うなよ」
「うん、笑わないよ」
「こう聞いたんだ。『僕が綾辻さんのことを好きだって言ったら、綾辻さんは
どんな風に感じる?』って」
随分、回りくどい……。
「綾辻さん、何て?」
「それが、よく分からない。しばらく間があったあと、『ふうん。悪くないわ
ね』だってさ。参った、あのときの気まずさには」
悪くない……。どういう意味が、この答には含まれているんだろう。
「槙君。これ、どう思う?」
「どう思うと言われたって、分からないよ。その場の勢いで、はっきり聞けば
よかったのに」
「『綾辻さんは僕のことどう思うか』って? 聞けるもんか」
肩をすくめる中村君。頭いい彼だけど、この辺りは他の男子と変わらない。
「自分がやってみろよ」
「は?」
瞬間、綾辻さんに告白する自分を思い描く。ぴたりとはまっているようでも
あり、滑稽でもある。変な想像だった。
「飛島さんに言ってみなよ、『好きだ』って。言えるものならね」
「あ……ああ、飛島さん」
「? 誰と思った訳?」
「いや、別に、何にも」
訝る相手を、適当にごまかす。
「もし飛島さんに言うんなら、どうなったのか聞かせてくれよ」
「う、うん。言わないと思うけど」
「何、言ってんだ。協力がほしかったら、いつでも言えよ」
肩を叩かれた。
「よ、よろしく」
この季節、体育の時間は水泳だった。
学校指定の紺色の水着を着けた六年生が、水泳場の脇に揃う。
全級合同だけど、全員じゃない。女子の何人かは体操着姿のまま、休んでい
る。怪我をしている訳でもなく、病気にも見えない。なのに、どうして休むの
か。詳しくは知らない。
多分、男子のほとんどが同じ気持ちだろう。よく分からないけれど、女の子
特有の何かがあって休んでいる、と想像するだけ。知ったかぶりした男子の口
から「せーり」とかいう言葉も出て来るが、使っている本人も正確には理解し
ていないに違いない。
その辺りの話は別にして、飛島さんが休んでいるのには、ちょっぴり残念。
水着姿、見てみたい気がする。
二十五米の競技路を八つ取った水泳競技場を囲うように、男子が前、後ろに
女子がそれぞれ背の順に一列になって、組単位で並ぶ。
準備運動の体操が始まった。
次に、二人一組で柔軟。
でも、転校生の僕ははみ出した。他の男子はすでに固定の相手がいるらしく、
一人、余ってしまった。
困って川西先生に目を向けると、駆け寄ってきて、
「三人一組になって、交代でやって」
という指示。その通りにしようと、僕が右の木曽君に声をかけようとしたら、
不意に後ろから名前を呼ばれた。
「槙君、私と一緒にしよ」
確かめるまでもなく、綾辻さんの声。大きくはないが、押しの強い−−意志
の固い声。
「え、でも」
戸惑いつつ、振り返る。
「私も余ってたの。ちょうどいい。ねえ、先生。いいでしょう?」
彼女はまだ近くにいた先生に、お願いするかのように尋ねた。
川西先生は、少し困ったような顔をしたけれど、
「綾辻さんがいいのなら、好きになさい」
と、あっさり言った。修学旅行のときのことが頭にあったに違いない。
僕の気持ちは?と思ったときには、片腕を掴まれていた。意外と強い力で、
座らされる僕。
「早く。遅れるわ」
背中を押す彼女の手は、すでに水に浸かったみたいに冷たかった。
股割りの次はうつぶせになって、肩を引っ張ってもらう。
腰に跨ってきた綾辻さんを強く意識してしまう。過剰反応だろうか。
その上、彼女の胸が大きくて……。
「さ、交代」
「うん」
僕は何とか気持ちを普通に保って、立ち上がった。
しかし、彼女が僕にしたのと同じことを今度は僕がするのだと思うと、また
強く意識せざるを得なくなる。
さっきから、冷やかしの声をかけられているのをいいことに、僕はわざと無
愛想に、綾辻さんの背中を押すよう振る舞えた。
それが終わって、うつぶせに寝ころぶ綾辻さん。一挙手一投足が気になって
仕方がなくても、あえて視線を外す。全然、気にしていないっていう風に。
他の女子大勢と違って、綾辻さんは大人っぽい体型をしている。普段はゆっ
たり目の服を着ていることが多いから気付きにくいけれど、今、水着姿の彼女
を上から見て、はっきり分かった。こればかりは、飛島さんよりも綾辻さんの
方が、明らかにきれいだ。
くびれた腰に乗っかると、壊してしまいそうな気がした。もちろんそんなこ
とはなくて、僕は彼女の両肩に、上から手をかけた。
「そうじゃないでしょう」
左肩越しに振り返りながら、綾辻さんがきつい口調で言ってくる。
「な、何?」
僕は手の位置が違っているのだと分かっていたけれど、素知らぬ振りをした
まま、聞き返した。女の子の脇の下から手を回して、柔軟をするなんて。
「脇の方から手を入れるの」
予想通り、言われてしまった。
仕方なく−−それほど嫌じゃなかったけど−−、僕は正式なやり方を取った。
「身体、柔らかいでしょ?」
「そうだね」
事実、綾辻さんは前には床に額が着いてまだ余裕あるし、後ろ方向には上半
身がほとんど九十度に近いんじゃないかと思えるほど起き上がった。
僕が目を奪われたのは、でも、そんなことじゃなくて、より強調された彼女
の胸だった。
準備運動が終わって、やっと緊張が解けた僕と僕の身体。
あとは消毒槽に浸かって、雨浴器の水を浴びて、泳ぐだけ。
「どんなだった?」
泳ぐ順番を待つとき、中村君が話しかけてきた。
「どんなって?」
「柔軟のとき、綾辻さんと一緒にやってたじゃないか。それのこと」
中村君は、いつもと比べると、不真面目な口の聞き方をしてる。委員長の彼
には、常に真面目な印象があった。でも、好きな女子のことになると、多少変
わるらしい。
「俺も聞きたい」
僕の前にいた男子が振り返った。水泳帽の縁に、黒字で細く「藤倉」とある。
「藤倉君、もう順番が」
「いいから、早く言えって。さあ」
「それは」
言い淀む。隣の列に、綾辻さんがいるのが見えた。
−−未了