AWC 幸せに至る病 VER.2 1   永山智也


        
#3359/5495 長編
★タイトル (AZA     )  96/ 8/16   0:22  (200)
幸せに至る病 VER.2 1   永山智也
★内容
 僕は白墨を取り、黒板に名前を書いた。

 槙  翔 一

 梅雨という季節柄か、湿っぽい手触りの白墨。黒板の桟に戻すと、ことと音
がした。
「まきしょういちです」
 二十人ちょっとの瞳から好奇心いっぱいに見つめられ、うつむいてしまう。
 転校なんて、初めての経験だ。心の準備ができない。
 実際、急だったと思う。確か……六年生になって二度目の身体測定があった
日の次だから、あれは五月八日だったはず。僕を含めた何人かが、四月に受け
た健康診断と同じことをまた受けさせられたから、よく覚えている。
 この日の夜、お父さんが転勤を命令されて帰って来たんだ。絶対に従わなけ
ればならないものらしいけど、僕にはよく分からない。もちろん、僕やお母さ
んは嫌だったけれど、会社が全部の費用と手続きを面倒見てくれて、給料も格
段に上げるということだったから、最終的には賛成したんだけど、何となくさ
みしかった。
 そしてひと月後には、もう新しい学校。慌ただしい。
「お父さんの仕事の都合で、乾小学校から来ました。よろしくお願いします」
 少しだけ頭を下げる。
 拍手がぱちぱちと返って来た。
「あっさりしているわね。聞きたいことない?」
 担任の川西先生が、教室のみんなに聞く。
 僕は早く、席に着きたかった。
「勉強できるん? 得意な科目は?」
 教卓の真ん前にいる男子が、興味深そうに聞いてきた。
「一応、算数と理科……」
「前の学校、クラブは何?」
 間を空けずに他の男子。
「水泳部……」
 ちょっと、感心したようなため息があった。
「じゃあ、バタフライ、泳げる?」
「泳げるけど……そんなに速くない」
「はい」
 手を挙げた子がいた。女の子だ。一番後ろ、窓際に座っている。
「あやつじさん」
 先生が当てると、その子−−「あやつじ」と言うらしい−−はわざわざ立ち
上がった。そして僕の方をじっと見る。髪は長くないけど、かわいい子だった。
見つめられると、どきどきするほど。
「好きな異性のタイプ」
 質問は凄かった。でも、淡々とした話し方。表情も、普通にお喋りしている
ときみたいだ。
 教室の中が騒がしくなる。ざわざわ。
 僕は先生が気になった。
「あら」
 戸惑っているのだろうか。けれど、僕には先生の声は『ふり』に思える。
「あやつじさんもやるわねえ。槙君、無理に答えなくていいのよ」
「は、はい」
 先生の言葉に従った。助かったという気分。
「さ、この辺でおしまい。静かに」
 僕がまたうつむいてると、先生は手をぱんぱんと、二度打った。
 みんなの話し声が収まる。あやつじさんも、いつの間にか座っていた。
「じゃ、槙君、席はさっきのあの子の隣だから」
 あやつじさんの右隣には、確かに空いた席がある。一番後ろの列は、僕とあ
やつじさんだけだ。
「あ、視力は大丈夫ね?」
「はい」
 鞄を片手に、席に向かった。みんなの視線が気になる。
「そろそろ始めますよ。一時間目は算数−−。槙君、教科書はまだもらってな
かったかしら?」
「はい、まだ……」
「じゃあ、あやつじさんに見せてもらって。机、着けていいから」
 言われたように、机を持ち上げようとした。が、それより早く、左からあや
つじさんが机を寄せてきた。
「これでいい?」
 前を向いたまま、彼女は言った。
「あの……」
「いいの?」
 こちらを向いて、続けて聞いてくる。
「あ、はい」
 僕の返事に、あやつじさんは何も感じなかったように、自然な流れで教科書
を取り出した。赤と白の表紙に『算数 6年 』とある。
 彼女は本の背を二つの机の間に当てると、さっさと頁をめくった。
 そのとき、最後の頁に書いてある名前を読み取れた。綾辻織栄、とあった。
「綾辻」をあやつじと読むのは当たり前として、「織栄」の読み方が分からな
い。
 綾辻さんは、教科書のある頁を開くと、手のひらで強く押した。
「進み具合、どう? もう習い終わったなんて?」
 綾辻さんが聞いてきた。視線はまた前を向いている。
 黒板の前で、先生は前回のおさらいをしているみたいだった。
「……うん、ほとんど同じ」
 教科書が違うのですぐには判断できなかったけれど、どうやら差はない。
「それなら、いいわね」
 言ったきり、口をつぐんでしまった綾辻さん。
 何だかぼーっと、横顔を見つめてしまう。牛乳を想起させる白さの肌。
 急に態度が変わったみたいに感じられる。
 いや。
 別に、最初から今まで、綾辻さんは変わってない。彼女に圧倒されてる僕が、
置き去りにされているだけなんだろう。
 彼女から視線を外すときに、胸に目が行った。
 大きい、と感じた。

 一時間目が終わると、何人かが周りに集まってきた。『転校生』が珍しいら
しい。当然だけど、男子がほとんどだ。
 みんな、口々に名乗ってから、色々と言ってくる。
「宿題の量、どっちが多い?」
 ふじくら君の質問に、僕は同じぐらいと答えておいた。
「分からないことあったら、気にしないで聞いてくれ」
 中村君が言った。彼は名札を着けている。学級委員長だから、責任感がある
のかも。
「こっちでも水泳部に入るん?」
 さえきさんは興味深そうにしている。彼女自身、水泳部だという。
「まだ分からないよ。他にどんな部があるのか、知らないし」
「考えといてね」
 さえきさんの髪もあまり長くなかった。水泳しているから、あえてそうして
いるのかもしれない。
 十分間の休みはすぐに終わった。
 次は国語だった。また綾辻さんから、本を見せてもらう。
 初めて当てられ、朗読するよう言われた。
「立たなくていいわよ」
 先生が言ってくれた。
 だけど、二人で覗いている教科書を声に出して読むのって、結構、気を遣う。
そのせいか知らないけど、何度もつまってしまう。
「もっと寄りなさいよ」
 見かねたように綾辻さんは小さな声で言い、僕の袖を引っ張った。
「ご、ごめん」
 教科書へ顔を寄せる。自然に、綾辻さんとの距離も狭まる。
 女の子の匂いがした。
「早く、続き」
 肘でつつかれて我に返った僕は、朗読を再開した。けど、結局、何度もつま
ってしまった。
 二時間目と三時間目に挟まれた休みは、二十分ある。みんな、一斉に教室を
出て行く。他の組も同じだ。
「どうしたの」
 座ったままでいると、綾辻さんが不思議そうに、横で立っている。
「う、うん」
 曖昧にしか答えられない。友達がまだできていないから、何となく引っ込み
思案になってるのは、自分でもよく分かってる。
「大休みはみんな、外で遊ぶのよ」
 彼女の話だと、この二十分間は全員、校庭に出て遊ぶように決まり事になっ
ているらしい。
「そうなの」
「行こっ。ドッジボール、できるでしょ?」
「そりゃあ」
 答え終わらない内に、腕を強く引かれた。授業中と違って、よく喋るし、活
発な感じがする。
 校庭の少し東寄りの場所に、みんなは陣取っていた。すでに五分近く過ぎて
いるから、当然、試合は始まっている。男子はほぼ全員が、女子は半数ぐらい
が加わっている。
「タイム! 入れて!」
 綾辻さんは片手をまっすぐ挙げている。
「綾辻さんが? 珍しい」
 球を手に持ったまま、中村君が応じる。委員長の彼は、遊びなんかの場でも
主導権を握っていると見える。
「私と槙君の二人よ。分かれて入ればいい?」
「じゃ、僕らの方に槙君」
 手招きされて、僕はとことこと駆け寄った。運動が苦手な訳ではないけれど、
団体競技はあんまり好きじゃない。
「続けるぞー」
 中村君はのんびりした口調だった。
 が、言い終わるや否や、その手から球が消えている。
 敵陣を見れば、一人、犠牲者が出ていた。その男子を仕留めた球は派手に弾
んで、外野に転がる。
 ふじくら君が拾って、すぐさま投げる。
 球はちょうど、綾辻さんのいる方へ飛んで行った。
 危ない! いつの間にか彼女を応援していた僕は、心の中で叫んだ。
 でも、無用の心配だった。
 彼女は胸でしっかり球を受け止めると、どうしたことか、僕めがけて、ゆる
く投げてきた。
 難なく受ける。
 ちらっと見れば、綾辻さんが片目をつむって小さく笑ってる。
 そういうことか。ありがたく受けておこうと思った。
 僕は素早くかまえると、顔が向いている方とは少しずれた向きへ、思いっ切
り投げた。うまく引っかかってくれたか、男子に当てることに成功。
「やるじゃん!」
 感心している口ぶりは中村君。
 この調子なら、予想以上に早く、なじめそうな気がしてきた。

 三、四時間目が終わって、昼休み。給食の時間が来た。
 今日の給食当番に僕は当たっていないらしく、手を洗いに行ってからあとは
ずっと座っていられた。
「ねえ」
 教科書を読ませてもらっていると、綾辻さんが声をかけてきた。
 顔を上げて返事する。
「何?」
「朝の質問に、答えてほしいんだけど」
「朝の……」
 相手の言葉を繰り返そうとして、すぐに思い出した。
 僕は、彼女の目をじっと見返し、やがてそらした。何故か知らないけど、恥
ずかしい。
「いいでしょう? 今なら他に誰も聞いていない」
「で、でも……」
 言い淀んでいると、手から教科書を取り上げられた。
「簡単でしょう。好きなタイプ、言えばいいんだから」
「……」
「まさか、女子より男子がいいなんて?」
「そ、そんなことないよっ」
 慌てて答える。
 綾辻さんは−−何故か−−、笑っていなかった。
「あ、遊ぶのは男同士の方がいいけど、好きなタイプって言われたら、当然」
「だったら、聞かせて。興味ある」
 彼女がそう言ったところで、給食を取りに行く順番が回ってきた。
 立ち上がって、列の一番後ろについた。みんな並んで、お盆におかずやご飯
を載せて行く仕組みになっている。
 教室の後ろを振り返ると、順番がまだの綾辻さんが、所在なげにしていた。
「あ」
 僕は注意力が散漫になっていた。横を行く女子−−副委員長の子だ、確か−
−と接触して、自分のお盆におかずの汁をこぼしてしまった。

−−未了




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