AWC 夢を叶えたそのあとは 11   名古山珠代


        
#3117/5495 長編
★タイトル (AZA     )  95/ 6/29   2:11  (185)
夢を叶えたそのあとは 11   名古山珠代
★内容

 八月半ば−−真夏にふさわしく、朝からからっと晴れていた。執筆に一段落
つけた彩香は、夜までを休みとした。
 不思議なことに、眠くない。だいぶ、吹っ切れて仕事をするようになったせ
いかもしれなかった。
「彩香、起きてるんなら、ちょっと来て」
「なあに、お母さん」
 ひどい呼ばれ方だなと感じながら、彩香は母のいる台所に向かった。
「手伝えって? 今日ならできるわよ」
「そうじゃないの。ほら、あれ」
 母が指差したのは窓。キッチンに立つとその正面、目の高さに比較的大きな
窓がある。すりガラスが入っているサッシは開けられていて、狭い庭が見通せ
た。
「何があるの」
「庭じゃないの。塀の向こう」
 母の言葉通り、ブロックの隙間から、赤っぽい色がちらと見えた。服の色だ。
塀に隠れて頭が見えないということは、子供なのだろう。
「子供がいる。それがどうしたの?」
「ずっといるのよ。朝の九時過ぎから今まで」
 時刻は十一時を過ぎていた。二時間ほどいることになる。
「ほんとに?」
「そうなのよ。心配になってきてねえ。見てきてくれないかい」
 彩香はすぐに台所を出た。庭へと通じるテラスに達、サンダルを引っかけて
赤い服が覗いた位置に向かう。
「あれ?」
 彩香が着いたときには、もう誰もいなかった。
「おっかしいなー」
 つぶやきながら、念のためと、彩香は門を通り、外に回ってみた。
 いた。赤いワンピースを着た女の子。小学生高学年ぐらいか。
 いざ、声をかけようとして、戸惑ってしまう彩香。言葉が出てこない。
(男の子なら、『ぼく』って聞けるのに……。女の子だと……『お嬢ちゃん』
になる? 変よ。絶対に変)
 しかし、それしかなかった。
「えっと……お嬢ちゃん」
 我ながらおじさん臭い言い方だと思うものの、他に適切な言葉を見つけられ
ないのだ。やむを得まい。
「どうしたの? ずっといるみたいだけど……」
「……新崎彩香、さん、よね?」
 不意に自分の名前を、見知らぬ子から呼ばれ、彩香は口をぽかんと開けた。
「そうよね? 小説書いてる、新崎彩香っ」
「そ、そうだけど」
 どうやら本を読んでくれた子らしいとは察したものの、未知のファンに訪ね
て来られるなんて初めての経験なので、戸惑いは続く。
「は、話があるから、聞いて!」
「聞いてって……」
 呆気に取られながらも、彩香はあることに目が行った。少女は右手に、時刻
表を握りしめている。路線限定の薄っぺらいサイズのやつだ。
「えっと、名前は?」
「へんみちづる、です」
 どういう字を書くのと重ねて聞くと、名札を見せてくれた。小学校の名札ら
しく、赤い板に白で、逸見とある。
「これで、へんみと読むの? いつみ、じゃなくて?」
「また言われた……。そうよ、へんみと読めるの」
 少女は怒ったと言うよりも、ふてくされたように答える。恐らく、今まで何
度も間違えられているのだろう。
「ちづるは分かるでしょ。千の鶴よ」
「へえ、逸見千鶴ちゃんね。千鶴ちゃんて読んでいいかしら」
「みんな、ちづって呼ぶわ」
「そうなの。じゃあ、私も」
「私は嫌いなの。日本地図とかみたいになっちゃうじゃない。だから千鶴でい
い」
 少女の主張に、彩香は着いていくのが精一杯。要するに、千鶴でいいのか。
だったら最初からそう言って、と思う。
「千鶴ちゃん、どこから来たのか、教えてくれる?」
「……面倒だから、これを見て」
 彩香が期待していたままに、千鶴は手にしていた時刻表を差し出してきた。
「蛍光ペンで線を引いてるとこが、乗った電車」
「ふうん」
 覗き込んでみて、彩香は声を上げそうになった。時刻表に書き込まれたマー
クによると、少女は朝の七時ぐらいの電車に乗って、二時間近くかけて、最寄
りの駅まで来たことになる。
「と、遠くから来たんだ。はは」
 意味もなく笑ってしまう。
「大変だったんじゃない?」
「そうでもない。夏休みだから」
「でも、お母さんとか、よく許してくれたわね」
「働いてて忙しいから、ほとんど放ったらかされているの」
 もしかしてまずいことを聞いているんじゃないだろうか。彩香の心に不安が
よぎる。
「そ、それで……、お姉ちゃんにどういう話があるのかなあ?」
「私、小六です。そんな喋り方しなくても、いいです」
「……分かったわ」
 小学生にこう言われて、彩香も心を決めた。
「私にお話って、何かしら、千鶴ちゃん?」
「作品のこととか、色々」
 千鶴の様子から、長くなりそうだと察した彩香。
「−−とにかく、うちに入らない? 二時間もうろうろしていたんじゃ、お腹
も空いたでしょ」
「そんなこと……ある」
 案外、簡単に認める千鶴。結構、かわいらしいなと思えた。
 千鶴を玄関まで招き入れ、まずは母に説明。
「え? そんな遠くから……。彩香の人気もまだまだあるね」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。もうすぐお昼だし、何か作ってあ
げようよ。いいでしょう?」
「もちろん。とりあえず、上がりなさい」
 と、母の最後の言葉は千鶴に向けられたもの。
「お、お邪魔します」
 彩香にはあれだけの口をきける千鶴も、その母親相手ではおっかなびっくり
という感じだ。それでも、廊下を行く途中で立ち止まったかと思うと、頭を深
深と下げながら、
「あ、あ、あの。私、逸見千鶴と言います。突然、来ちゃってすみません」
 と、彩香の母に挨拶をした。
「いい挨拶ね。どうぞゆっくりして行きなさいな」
 母はにこにこと笑みを返した。
「部屋にいるから」
 彩香はそう言って、千鶴を自分の部屋へ連れて行った。
「さあ、話を聞こうかな」
 クッションを出してから、彩香は少女を見つめる。
「この部屋で書いているんですね」
 彩香の言葉には反応せず、感動したように言う千鶴。
「あ、あれが愛用のワープロ?」
「そうだけど。あのねえ、千鶴ちゃん。あなた、話があるって」
「それはあります。でも、ファンなんだもん。やっぱり感激しちゃって。デビ
ューしたときからずっと追っかけてるんだから」
 千鶴の無邪気な言い方に、彩香は首を振った。そうか、ファンなのか。それ
も三年前からの。
 母が菓子とジュースを運んできた。
「何だか楽しそうな声がしてるわね。お昼ご飯も用意しているけど、食べられ
るでしょう?」
「はあい」
 早くも打ち解けたか、千鶴は元気のいい返事。
 母はまたにこにこしながら、階段を降りていった。
「さあ、そろそろ」
「分かってますって。まず聞いてください。ここまで来るの、大変だったって
こと」
 そう切り出されて、初めて気が付いた。この子、どうやって私の住所を知っ
たのだろう……?
「私の住所、よく分かったわね。本の作者紹介欄には市までしか書いてないし、
出版社も教えてくれないはずよ」
「苦労したんだから。新崎が本名って分かってたから、電話帳でね。その住所
を頼りにしたんです」
「新崎っていう名字、一つだけだったの?」
「そうですよ、運がよかったわ。『あらさき』とか『しんざき』なら、たくさ
んあったんだけどね」
「そういうこと」
「その前に、出版社宛にファンレターを出したんです。なのに、何の返事もな
くて……」
「待って。ファンレターって、私に?」
 こくっとうなずく千鶴。彩香はたまらなく嬉しくなった。
「ありがとうね」
「だったら、どうして返事、くれないんです? 返事を書いてくれたら、私が
こうして来ることなかったのに」
「ごめんなさい。出版社付けのお手紙は、全部が私とかの作家に届けられるん
じゃないの」
「そんなあ、ひどい! あの文庫本に、『新崎彩香先生に励ましのお便りを』
って書いてあったのに」
「許してね。私、今度、その出版社にお願いして、千鶴ちゃんのファンレター、
読ませてもらうから。どこの出版社?」
「えっと」
 出版社の名前までは覚えてないらしく、千鶴は口ごもった。その代わり、提
げていたポシェットから一冊の本を取り出した。
「私のデビュー作品ね」
 表紙を見て、すぐに分かった彩香。いつも手元にある本なのに、今日初めて
会うこの少女が持っているというだけで、とても嬉しく、また懐かしい気分に
なれる。
「この出版社」
「純幸社か。分かったわ」
 読者にファンレターを書くよう仕向けといて、作家にはファンレターが来た
とだけ伝えて渡さないとは……純幸社ぁー、小宮さんめ、などと心中で呪いの
言葉を吐きながらも、彩香は笑顔を作った。
「でぇ、私、待ちきれなくなって、直接、会って話そうと思って」
 やっと話が聞けそうだ。彩香は少し、居住まいを正した。
 千鶴の方も口調を改め、息を整えるように間を置く。そして。
「お願いですから、連載をやめてください」
「ど、どうして?」
「面白くないんです」
 ずばりと指摘されたが、彩香は別に怒ることじゃないと思った。自分でもそ
う感じていたのだから。
「正確に言うと、ある程度は面白いんです。だけど、連載を二つも三つも始め
る前の作品と比べて、最近の作品は面白くなくなってるっていうか。新崎彩香
の本当の作品じゃないって」
「……」
「……怒ったんですか?」
「えっ? ううん、違うよ」
 安心させるためもあって、優しく微笑んでみせる彩香。
「ただね、前から考えていたこと、千鶴ちゃんに言われたから、また考えさせ
られちゃって……」
「新崎さんも思っていたの?」
「まあね。気付いたのは、つい、この間だけど。分かっていても、なかなか直
せなくて、悔しくて」
「……努力してるんならいいや。もう言わない。けれど、次に出る本が面白く
なかったら、ファン、やめるよ。いい?」
「やめさせないわよ」

−−続く




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