AWC お題>劇場(下)       青木無常


        
#2941/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  95/ 1/30   3:51  (122)
お題>劇場(下)       青木無常
★内容
 おれは目を細める。おまえの口調は、ステージの上の淫売をたしかに他人とみとめ
る者のそれだった。気が変になりそうだ。知識のうちには解釈が、たしかに存在する。
現実の前のその解釈の、なんと脆弱なことか。
「多重人格か」
 誘われるまま入りこんだ瀟洒な喫茶店の椅子の上で、こみあげる狂気におりあいを
つけるためにおれは、あえてその解釈を口にする。淡く微笑んだまま、おまえはうな
ずいてみせる。
「いまの私には、なにひとつ特殊な体術を駆使することはできません」
 天使のように楚々とした口調で、おまえはまぼろしのようにそう告げた。ちくしょ
う、内容が頭にしみわたらない。
「じゃ、あんたを殺せば解決だ」
 口にするのに、努力を要した。こんなことは初めてだった。
 まして、殺人予告をした直後に恐怖と、そして後悔をおぼえるなど。
 この娘を殺すくらいなら、自分が死んだほうがはるかにマシだ――おれとは無縁の
はずの思考が、おれの脳内を占拠する。
「なぜ……おれを……ねらう……」
 異変を自覚していた。狂おしく。制御が効かない。
「パール・ラシュドは世界を支配する七つの指のひとつです。その首領を暗殺されて
黙っていれば、崩壊は決定的になってしまいます。たとえ暗殺されたのが、影武者だ
としても」
 ぎり、とおれは奥歯をかみしめた。影武者? なら、おれの仕事は終わってはいな
い。
 胸奥深くにひそめたナイフに、手をのばそうとした。動かない。凶悪な脱力感が、
気力をもふくめたおれの全身を支配する。さからえない。この娘を殺すくらいなら、
おれが死んだほうがはるかにいい。
「あんたも……殺し屋か……?」
 問いに、娘は花のように笑いながらうなずいた。
「ひとりをのぞいて、全員がそれぞれ特有の技術をもっています。もちろん、私も」
 ひどい屈辱だった。成功率百パーセントのほかに、おれのウリはもうひとつ。
 どんな時にも生きのびてきた。どんな敵も、返り討ちにしてきた。その誇りが、い
ま、踏みにじられていた。
 おまえのために。
 握りしめた拳の内部に汗がしぶく。動かない。この娘を殺すくらいなら、おれが死
んだほうがすばらしい。
 この娘を、殺、す、くら、い、な、ら、オ、レ、ガ、オ、レ、ガ、死、死、死、死。
「今日はどうもありがとうございました」おまえはいい、楚々とした動作で立ちあが
る。「それではごきげんよう」
 至福の笑顔を呆然と眺めあげながら、おれの脳内は死一色に染めあげられる。
 ふるえる手で懐中のナイフをとる。鞘をはらった。カチカチとなる銀のブレードが、
激しく痙攣しながらおれの喉もとに接近する。ちがう。この銀光がくいこむべきなの
は、ここじゃない。
 ここ、じゃ、ない!
 至上の幸福感が、うずまく死と恐怖にはさまれて爆発する。死だ。すばらしい。つ
いにおとずれるのだ。このおれの上に。
 口もとからあふれ出る。声にならない悲鳴。耳鳴りの彼方でサイレンのように鳴り
響くウエイトレスの悲鳴が、暗黒に沈む意識の奥深くでいつまでもリフレイン。

 気がついたとき、ひどく陳腐な状況がおれをとりかこんでいた。病院のベッドの上
だ。まさに首の皮一枚。それが起こった事象のすべてだった。身体的にはなんの問題
もない、と担当の医師は不自然なほど事務的に告げ、同情的な口調でカウンセラーに
相談するようアドバイスをたれ、そして退院してもかまわないとうなずいてみせた。
診断は失恋自殺といったところだろう。とんだ薮だが、ムリもない。
 これ見よがしにまきつけられた包帯をひきはがしておれは白い建物を後にし、分析
した。超絶の催眠術からおれを救ったのは不屈の精神力にちがいない、といいたいと
ころだがとてもそうとは思えない。確とはしないが、あの女が詰めをあやまったと解
釈しておいたほうが無難だろう。対抗策はただひとつ。あの女とは顔をあわせないこ
とだ。あの女、あの人格がでている時には。
 首すじに刻まれた細線を無意識になでさすりながらしばらくの間おれは一帯を歩き
まわり、地下鉄に足をむけた。おそらくは捜索してまわっても無意味だろう。あとい
くつ人格があるかはさだかではないが、おなじ顔をしているとしても声をかけられる
まではそうとは気づくまい。すでに目撃した二人のおまえ以外に、おれにはおまえの
見分けをつけるすべはない。となれば、待つよりほかはない。
 都内にいくつかおさえてあるアジトのひとつにむかいかけ、途中で思い直してやめ
た。この状況下でアジトにむかうこと自体、おれが浮足だっていることの証拠だった。
馬鹿げている。何もかも馬鹿げている。このおれが狙われていることも、このおれが
殺されかけたことも、おまえの存在でさえ。断崖においつめられた重圧が、凶悪にお
れを圧搾する。対抗するすべは、ない。真正面から、うけてたつこと以外には。
 携行していたサバイバルナイフは、惨劇のおきた喫茶店におき去られたままなのか、
再度の自殺を慮られたのか、おれの手もとには戻されなかった。おれは最初におりた
駅で手近に目についたDIYショップに飛びこんで登山コーナーに歩をむけた。
 場ちがいな美貌を見つけて、思わず背をむけた。清楚な微笑みは旧知の顔を見つけ
た喜びにあふれるような輝きを放っていた。目をそらしてもなお、心臓がはねあがっ
ておさまらない。恐怖か、すでに術をかけられたためか、あるいはときめきなのか。
 馬鹿げた逡巡に見切りをつけておれは店を走り出、やみくもに街をさまよった。い
く先々であの女が待ちうけているような気がしてどこにもおちつけない。
 疲労が、重く蓄積しはじめた。ほとんど本能的にそれに気づいておれは立ちどまり、
怯懦と凶猛さとに攻めさいなまれて拳を握りしめた。
 鉄条網で粗雑にかこわれた空き地を見つけて入りこみ、石をひろいあげた。原始人
が使っているような、未加工の石やり程度の尖り具合だが、ふだんのおれなら充分に
武器として使いこなせる。問題は、ふだんのおれではない、という一点だけだ。
 夕闇が落ちかかっていた。雑踏の底にぽつりとうがたれた空白のように、空き地を
かこむ一帯には人の気配ひとつなく、通りを隔てたはるか彼界から街をみたした雑音
が遠く近く、鳴り響く。
 そして、まるでまぼろしのようにおまえは、おれの前にひっそりとたたずんでいた。
 清楚な美貌に、かなしみをあふれさせて。
「なぜ逃げるの?」
 あけっぴろげな問いかけに、おれは自分の人非人ぶりを自覚させられる。猛悪な絶
望感がおれの胸奥をわしづかむ。おれは人でなしだ。稀代の大悪党だ。こんな可憐な
少女をかなしませるなど、万死にあたいする。死ぬべきだ。生きていてはいけない。
 選択は完璧だった。エミ、と呼ばれた最初の人格なら、このおれにも充分に対応す
るすべはある。だがこの娘には、あらがいようがない。でくのぼうだ。
「私のことが、きらいですか?」
 黒い瞳に涙をいっぱいにためながら、ふるえる声でおまえは問う。きらいなもんか。
声には出さずに、わななく唇だけでおれは絶叫する。きらいなもんか。おまえのため
なら、おれは死んでもいい。
 死ぬべきなのだ。
 おまえのために。
 おれはうめき、手に入れた石の尖端を眼前にかかげた。苦痛をがまんすればいい。
目の奥深く、つらぬきとおすのだ。脳みそを撹拌しろ。発見されても、二度と生き帰
らぬように。さあ死のう。死ね。死だ。おまえのために。おまえの愛のために。
 かみしめた奥歯が唇をはさんで血をしぶかせる。そうとも。愛のために。
 そしておれは気づく。最後の瞬間、おれを救ったもののことに。
 至福にうるんだおまえの視線を、おれは見つめかえす。
 見つめかえすおれの視線もまた、至福にうるんでいることだろう。愛の至福だ。
 愛のために、愛のために、愛のために、死、死。
 言葉が結びつく。――おれの回路のなかで。
 根っからの殺し屋などどこにもいない。おれが最初に殺したのは、金のためじゃな
かった。愛のためだ。おれはあいつを、あの女を、深く愛していた。だれにもわたし
たくはなかった。おれ以外のだれかとあいつが話をしているだけで、ひどい嫉妬に狂
った。破裂しそうなまで。耐えられなかった。とても、耐えることなどできなく」ネっ
ていた。おれ以外のだれかが存在する世界に、あいつがいることそのものが。だれの
手もとどかない世界に、おまえを封じこめたい。おれの愛を封じこけ5トたい。封じこめ
るべきだ。そしておれは破裂した。それがおれの最初の殺人だ。
 血まみれの歯をむき出しにして、おれはおまえに笑いかける。
 おまえの瞳のなかの、かなしみの底にひそんでいた勝利の輝き。それが瞬時に、絶
望へと道をゆずった。
 そして、さらなる歓喜へと。
 おまえはおれのものだ。
 呼びかける飢えた凶眼に、おまえの微笑みが応える。
 ひき裂かれたハートをふるわせたまま、おれは血まみれで笑いながら、待ちうける
おまえを抱きつぶすために一歩をふみだす。歩きつづける。
                                 劇場――完




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